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Messenger ~伝令の足跡~  作者: kagonosuke
第二章:スフミ村の収穫祭
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家族の肖像

 曲がりくねった坂道を一人の青年が駆けていた。風を切るようにもの凄い速さで走り抜けて行く。

 真っ直ぐに前を向いて。

 祭りの賑やかな踊りの輪には目もくれず。振る舞われている酒にも見向きもせず。香ばしい匂いを撒き散らしている様々な料理にも気を惹かれることなく。

 青年は、ただ一点を見据えていた。

 青年が駆け抜けた後には、土を蹴り上げる長靴の下から砂埃が舞った。

 まるで一陣の風のようだ。

 隼のような俊敏な駆け足に擦れ違った村人たちは目を丸くする。

 だが、それも一時のことで、直ぐに興味が失せたように再び騒がしい喧騒の中に紛れていった。

 それから不意に疾駆していた小柄な体躯は道を逸れて、低い木立が生い茂る中に飛び込んだ。

 こちらの方が近道であることを青年は知っていた。

 この場所は、青年が生まれ育った地元だった。幼いころからあちこちを遊び回ったこの場所は、最早自分の庭のようなもので、それこそ目を瞑っていても走れそうな気がしていた。

 やがて、青年の目が前方にあるとある一軒家を捉える。くすんだ赤みを帯びた屋根は、記憶の中にある景色と寸分違わずそこにあった。

 軒先にはこの祭りの期間の為の小さな旗が翻っていた。

 黄色と緑と赤の旗。それぞれが、豊穣の神、大地の神、火の神の象徴だった。

 そして、その手前に立ちはだかるようにして梢を伸ばす大きな【ドゥープ()】の木の下で青年は不意に足を止めた。

 青年は、大人の腕でも二抱えはありそうな太い幹に手をつくと徐に上を見上げた。

「何の真似だ?」

 高く頭上を透かし見て剣呑さを含んだ低い声を発する。

 あれだけの距離を全速力で駆けて来たというのに青年は全く息を切らしていなかった。

 それに呼応するように木漏れ日が踊る視界の隅で黒い影が動いた。

 そして、驚くほどに重さを感じさせない軽やかな動きで、するりと一人の男が枝の上から飛び降りて来た。

 金色に近い明るい茶色の癖のない髪がさらりと靡いた。

「言伝は上手く伝わったようだな」

 予想通りの展開に満足が行ったのか、男が小さく口角を上げた。

「どういう積りだ?」

 だが、対する青年は厳しい眼差しを相手へ向けていた。

 秀でた額から覗く黄緑色の瞳は細められ、相手を射抜くように見据えられている。

「どういうって………おいおい。久々に息子の顔を見たいっていう親心じゃないか」

 だが、対する男は、青年の怒りの矛先が自分に向いていることにはまるで頓着していないようで飄々と言葉を紡ぐ。

「はっ、生憎、俺には父親なんていやしないから、分からねぇな」

「おやおや、これはまた。偶さかの逢瀬だというのに、我が息子殿は、どうにも腹の虫の居所が悪いらしい」

 ―何をそんなにカリカリしていることやら。

 そう言って男が尤もらしく溜息を一つ吐いて肩を竦めて見せれば、

「気色悪ぃこと言うな」

 吐き捨てるような答えが返ってきた。

「で、何の用だ?」

 尚も刺々しさを失わない青年の態度に男は可笑しそうに喉の奥を鳴らした。

 だが、それすらも青年の神経を逆撫でたようだった。

「何を笑っている?」

 対峙する男を睨みつけていた若者の顔に若干の呆れが混じり始める。

 こちらの怒りが全く伝わっていないことがなんだか馬鹿らしくなって青年は剣呑な態度をやや軟化させた。

「ククク……いやさ。余りにも上手くいったものだから。こっちも驚いているのさ」

 それがどうして笑うことに繋がるのか、青年にはいまいち理解が出来なかったが、この男に関して言えばその言動も行動もこれまで理解出来た例など一度たりとも無かったので、今更気に病むのもなんだか馬鹿らしかった。

「あの()は随分と優秀なようだ」

 ぽつりと漏れた男の呟きに青年は眉を顰めたが、それも一瞬のことだった。

「キリル」

 静かに名前を呼ばれて青年は顔を上げた。

 真正面から相手の顔を見る。

 相変わらず男の顔の左側は自分と同じ真っ直ぐな金茶色の髪で覆われていた。

 そして唯一残る右目の茶色の光彩は、先程までの軽薄さが嘘に思えるくらい穏やかに凪いでいた。

 優しさを滲ませたその瞳にキリルはうろたえた。

 そんな顔をしている男を見るのは初めてだった。知らない表情を向けられて、今更どんな顔をすればよいのか。

 居心地が悪そうに身じろいだキリルに男がうっそりと目を細めた。


 男は目の前に立つ己が血を分けた若き片割れを見つめていた。

 こうして合図を出せば打てば響く様に(いら)えが返って来る。それは血のなせる技なのか。そんなことを考える自分もどうかしていた。

 あの花は、男がここに居ることを示したものだった。

 黄色に紅い模様。その色は男が青年を呼び出すときの符号で、幼いころから時間をかけて男がそれとなく仕込んだものだった。無意識に浸透した認識に如実に反応が返ってくる。その事実を知ったら青年はきっと顔を真っ赤にして絶句し、その後に激怒をするだろうが。

 いつの間にか下にあったはずの視線は、同じ位置になっていた。記憶の中にあるほっそりとした頼りなげな背中も、それらしくしなやかで強靭なものへと変わっていた。

 男は心の内で大きく息を吐いていた。

 親らしいことは何一つしてこなかった。ただ人知れず遠巻きに、こうしてその成長を見守る位だ。

 自分にそんな人間臭い所があるとは思ってもみないことだった。それを思うと自虐的な笑みが零れ落ちる。


 あの日、戯れに過ごした一夜。あの指輪を渡したのは、多分気紛れのようなもので。

 今となっては、どうしてあのような真似をしたのかは思い出せなかった。

 若い頃には、誰にでもそうしたことが一つや二つぐらいあるだろう。そんな若気の至りだったはずだ。

 全ては一時の気の迷い。そうして忘却の彼方に忘れ去られてしまっても良かったであろうに。

 ―それなのに。

 気が付けば、この場所を気にかける自分が居て、度々ここに足が向かっていた。

 縋るようなことも責めるようなことも言わず、ただただ変わらずにそこにあり続ける女の姿に自分の存在意義を刻みつけたかったのかもしれない。

 全てが水に流され、そこにあったはずのものを無かったようにされる。それは自らが望んだはずであったのに。擦り抜けてしまいそうな喪失感を埋めたかったのかもしれない。人として【心】をまだ失っていないことを確かめたかったのかもしれなかった。

 最後の悪あがきのように。

 恋をして家庭を持ち、子を育んで血を繋いで行く。自分のような元より半端な人間には、手の届かない領域であったのだ。

 浮草が安寧を求めて暫し夢を見る。

 だが、夢はいつか醒めるものだ。それがどのような形であれ。


 父親だと名乗りを上げる積りも毛頭無かった。女が身籠ったことを知った時も。それが元で家を出されたことを知った時も。男は何もしてやれなかったのだから。いや、何もしなかったのだから。

 ならば、今、こうしていることは贖罪の積りだとでも言うのだろうか。

 それは…男には分からなかった。

 繋ぎとめたいのは男の方なのかもしれない。縋りたいのは、男の方なのかもしれない。

 風の吹くまま気の向くまま、天涯孤独を謳ったかつての自分はきっと嘲笑っているだろう。

 だが、そんな泥臭くて滑稽でどうしようもない自分も嫌いにはなれなかった。


「新しい配属先はどうだ? 上手くやっているか?」

 キリルは降って湧いたような問い掛けに、一瞬虚を突かれたような顔をした。

「なんで、んなこと、あんたに聞かれなくちゃなんねぇんだよ」

 ガシガシとわずらわしそうに髪をかき上げて余所を向く。

「あそこの大将は強面だが、中々のもんだろ?」

「あ? 知ってんのか?」

 こうして男の発言に驚かされることは、もう何度目になるだろう。小さい頃からふらりと風のように現れては、訳のわからないことを言って姿を消す。会話はいつも一方的で小さいキリルは煙に巻かれてばかりだった。

 今度来た時は、何か言い返してやる。そんな子供染みた対抗心を燃やしてみたりもした。それが、無意識に男の訪れを心待ちにしていることの裏返しだとは幸いにもキリル自身、気が付いてはいなかった。

「まぁ、風の噂ぐらいにはな」

 男がひっそりと笑う。

 自分の発した問いに対して男は決して明確な答えを口にしたことはなかった。

 それ以上は、追及をしようとも無理なこと。

 なぜ男がこうも自分を構うのか。長じるにつれてその答えは自ずと導き出されていた。

 母に面と向かって尋ねたことは無かったが、一度この男がふらりと家にやってきた時があり、その時の母の顔を見て子供ながらにも直ぐにピンと来た。

 そこにあったのは、初めて見る【女】としての母の一面だった。そのことを知った時は幼いながらにも衝撃を受けて、家を飛び出すと無我夢中に辺りを駆け巡った。大声を上げて、それこそへとへとになって倒れ込むまで。そして一頻り泣き喚いて気が済むと何食わぬ顔をして家に帰った。

 戸口を開ければ、男の姿はもうなかった。

 母親は涙の後がくっきりと残る息子の見っともない顔に気が付いていたのであろうが、その事には触れずに晩御飯の用意が出来ているから、手を洗って来いといつもと変わらぬ優しい穏やかな微笑みを浮かべて幼い息子を迎えたのだった。

 そして歳を経て、母親似だと言われ続けていた面立ちに男らしさが加わった時、母親の目は自分の向こうに誰かの面影を見るようになっていた。

 キリルは、それから鏡を見ることをしなくなった。ガラス窓に反射する自分の顔にも直ぐに目を逸らす位だ。鏡に映る自分の顔が、段々とあの男に似て来るような気がして妙に腹立たしかったのだ。

 あの男の所為で母はしなくともよい苦労を背負い込んだ。そして自分も、だ。あの男の軽薄で掴み所のない顔を見るにつけ苛立ちが募って行った。誰もが通過するであろう反抗期と言ってしまえば、それまでだろう。

 今ではそのことを頭では理解できていた。だが、感情の面ではまだ追いついていけない。それが、男に対するぶっきら棒な態度になって表れていた。

 家を出たい、村を出たいと思った理由の一端には、そんなこともあったのだ。


「まぁ、元気そうで何よりだ。随分と男らしくなったじゃねぇか、あ?」

 男はそう言ってキリルの傍に寄ると肩を軽く叩いた。

 そして、その腕を逞しくなった肩に回す。

 キリルは眉を顰めて嫌そうな顔をして見せたもののそれを振り払おうとはしなかった。

「大分、揉まれたようだな。これなら、砦でもやってけるだろう」

 ―あそこの訓練は、中々きついって聞くからな。

 そんな、どこかで見てきたような口を利く男にキリルは半信半疑で疑わしげな視線を投げた。

「あ? 信じてねぇな。ま、いいさ。その内分かる」

 だが、男は気にも留めず、楽しそうな声を上げた。


 外で騒ぐ人の声が聞こえたのだろうか。

 【ドゥープ(樫の木)】の大木の傍にある家の窓が不意に開くと中から一人の女が顔を覗かせた。

 緩やかに波を打つ茶色の髪が陽の光に反射する。黄緑色の優しさを滲ませた女の目が驚きに見開かれた。

「まぁ、キリル。おかえりなさい」

 驚きは一転。すぐさま女の顔は柔らかな笑みに包まれた。

「母さん。ご無沙汰してます。只今戻りました」

 キリルが小さく微笑んだ。

 肩を組んで並んだ二人の男たちを目の当たりにして女は擽ったそうに笑った。

「さぁ、いつまでもそんな所に突っ立ってないで、中に入ってらっしゃい」

 女が招く様に声を掛ける。

「キリル、それに【アリョール()】、貴方も」

 キリルは思わず男の方を見た。

 男はそれに一つ頷いて見せると己が息子を促すようにその手を背に当てて、女が待つ家の戸口へと促したのだった。


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