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Messenger ~伝令の足跡~  作者: kagonosuke
第二章:スフミ村の収穫祭
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スカモローフの行方

 クルスクから教えてもらった場所に行けば、エレーナの旦那さんであるキーンの姿は直ぐに見つかった。話に聞いていた通り、細面の全体に柔和で優しい空気をまとった人で、村の男たちとは明らかに系統が違う。大きな街の仕立屋らしく身に付けている晴れ着も控え目な装飾と色遣いながらも繊細でどこか垢抜けた匂いのするものだった。

 エレーナからの言葉を伝えれば、キーンはあからさまにほっとしたような表情を浮かべた。

 目が合えばひっそりと苦笑い。

 どうやら腰を上げる機会を探しあぐねていたようだ。

「ありがとう。助かった。恩に着るよ」

 柔らかに細められた瞳の色は、双子の子供達と同じく淡い緑色をしていた。

「お礼ならエレーナさんに。心配をしていたようですから」

「そうか。妻と子供たちには会ったのかい?」

「はい。アクサーナに用事が合ったものですから」

 そう答えれば少し考えた後、

「キミは………ひょっとして、リョウ……かな?」

 どうもこちらのことはあの家族内では筒抜けの様だ。

「はい」

 名前が出たことに苦笑気味に返事を返せば、

「そうか」

 キーンは何やら納得するように頷いてから、周りにいた若い男たちに声を掛けた。

「アリョーシュ」

「あ? もう行くのか?」

「ああ。お呼びが掛かったからな」

「分かった」

「えええ、もう少しいいだろ」

「これからじゃねぇか!」

 遠くキーンを引き留める声が聞こえて来る。

 それを適当にあしらって。

「じゃぁ、またな」

「ああ。そっちも余り調子に乗り過ぎるなよ」

 それとなく相手を気遣う素振りを見せて、男たちと話を付けるとこちらを振り返った。

「それじゃぁ、リョウ。キミも」

「はい。また明日ですね」

 和やかに別れの挨拶を交わして洗練された身のこなしの背の高い男の後姿が、瞬く間に小道の向こうへ消えた。


 一人、その場に残ることになった村の女達と同じ伝統的な衣装に身を包んだまだ年若い娘に周囲の男たちは俄かに色めきだった。

「おや。お嬢さんはこっちに残ってくれるのか?」

「おおお、大歓迎だぜ」

「さぁさぁ、こっちへどうぞ。何分むさ苦しいとこではありますが。ささ、何かお飲みになりますか?」

 吐く息に酒の匂いが混じり大分舌の滑りが良くなった男たちにリョウは半ば呆れたような顔をして見せた。普段とは真逆の掌を返したような持て成し振りだ。それにやたらと親切でもある。言葉使いも余所行きな感じで、普段の調子を知っているリョウにしてみれば実に妙な気分だった。

 違和感に背中が痒くなりそうだ。

 それにしても。これだけ至近距離で接していても気が付かないものなのだとある意味感心した。

 人がどれ程【型】にはまったものに重きを置き、外見はその第一のものであるが、それを基準に判断をしているのかが分かる。

 その特徴は、やはり男たちの方が顕著だった。

「見ない顔だね。この村の子じゃないのかな。どこから来たんだい?」

「ああ。こんな綺麗な子はここいらじゃぁ見たことが無い」

「お嬢さん、お名前は?」

「誰とここに来たんだい?」

「どこかの親戚筋かな?」

 周囲に集まって来た男たちの興味津々な眼差しにリョウは隣にいたナソリとそっと顔を見交わせた。

『全く。現金な同胞(はらから)よ』

 ワフと息を吐いたナソリにテーブルにいた男たちの中からセミョーンが目敏く気が付いた。

「あれ? お前、ナソリじゃねぇか。どうした。こんなとこで」

「あ? ナソリ? どれ」

 その意外そうな声に奥にいたジューコフが首を伸ばしてその精悍な顔を覗かせた。ナソリの姿にジューコフの眉がひょいと上がる。

 そして、その視線がナソリの隣に立つ年若い女に向いた。

 目が合ったリョウは、試すようににっこりと微笑んでみた。

 鋭い観察眼を持つジューコフなら分かってもらえるだろうか。そんな思いもあった。

 ジューコフは、一瞬、虚を突かれたような顔をした。

「ジューコフ、ちょっといいですか?」

 小さく招くように手で合図を送れば、放たれた声を聞いてか、まだ年若い未来の長はぎょっとしたような顔をして立ち上がると怪訝そうな表情を崩さないままこちらにやってきた。

 急に自分たちが良く知るジューコフの名前が呼ばれてその周りにいた連中は黙っていなかった。

「あ? 何だ、ジューコフの知り合いか?」

「ずりぃぞ、紹介しろよ」

「黙ってやがったな」

「水臭ぇぞ」

 やんやと沸く野次を無言のままその大きな手を一振りすることであしらって、ジューコフは傍まで来ると躊躇いがちに低い声を出した。

「………まさか……リョウ………か?」

「ご名答」

 信じられないとばかりにジューコフは髭の綺麗に剃られた頬をつるりと撫でた。すっかり酔いが醒めたような按配だ。

「何やってんだ。こんなところで」

「何って……お祭りの様子を覗きに。アクサーナの所に行って来たんですよ。その帰りに伝言を頼まれまして」

「そうじゃなくてだな」

 ジューコフはガシガシと明るい赤みがかった己が髪をかいた。

「その格好は」

「ああ。これですか? これはリューバがお古を仕立て直してくれたんです」

「そうじゃなくて」

 若干の苛立たしささえ滲んだ言葉にリョウははたと思い至った。なぜか微妙に噛み合わない会話にそれぞれが立つ前提条件が違うのではないかと。

「あの、ひょっとして、ダルジさんから聞いてはいませんか?」

「何がだ?」

 訊いてみれば、案の定怪訝そうな顔で見下ろされた。

 村長の息子であるからてっきりリューバを通して自分のことはある程度、申し送りがなされているものだと思っていたのだが。無論、本来の性別のことも含めて、だ。

 だが、どうやら、それは違ったらしい。

「ジューコフは、ワタシが【わざと】この格好をしていると思っていますか?」

「あ? 違うのか?」

「………ナソリ」

『なんだ?』

「どうやら、【カルバサソーセージ】もう一本かもね」

『それはそれで美味い話だな』

 小川での賭けごとを思い出して話を振れば、ナソリの尻尾が機嫌よく一振りされた。

 気を取り直して。

 リョウは静かにジューコフを見上げた。

「これはリューバがワタシの為にわざわざ自分のモノを仕立て直してくれたんです」

「リューバが?」

「はい」

「アクサーナの婚礼に招待されたので、その為の服が必要だと思ったのでしょう。その意味が、お分かりにはなりませんか?」

「……………………」

 じっと窺うようにジューコフの目を見る。灰色の光彩が深い光を湛えて揺らめいた。

 暫し、沈黙が下りた。

 ジューコフは徐に片手を額に当てて空を仰ぎ見ると大きく息を吐いた。

 そして、こちらへちらりと視線を流した。何とも判じ難い顔をして実に言い難そうに口を開いた。

「リョウ………お前………もしかしなくとも、そっちが素か」

「はい」

 ほんの少しだけおどけたように肩を竦めてから困惑気味に笑みを浮かべたのだった。

「…………そうか」

 言いたい事や訊きたいことはそれこそ色々あるのだろうが、長い間にそれを押し留めて、ジューコフはただ一言、そう口にしただけだった。そんなジューコフの思慮深さをリョウは買っていた。

「で、何があったんだ?」

 それまでの驚きからは一転、いつもの冷静沈着さを取り戻したジューコフは不意に真面目な顔つきをして見せた。

 引き締まった空気にリョウも表情を改めた。

「あの、見てもらいたいものがあるんです」

 そう言って懐から小さなハンカチ包みを取り出すと、それを掌の上で開いた。

 中には、先程のスカモローフから貰った黄色い小さな可憐な花が収まっていた。

「……花……か」

「ええ」

 ジューコフはリョウの顔を見て確認を取ってからその花を摘み上げた。節くれ立った太くて長い指の中では、その花はやけに小さくミニアチュールの玩具のようにさえ見えた。

「硬いな」

 感触を確かめるようにして触れば、直ぐにその花が通常の状態ではないことは分かる。

「ええ。凝固処理をしていますから」

「凝固処理?」

 聞き慣れない言葉にジューコフの眉が僅かに上がる。

「その花の【時】を一時的に封じ込めているんです。早い話が、人がそうやって触れても花粉や花弁が落ちたり、付着したりしないようにする為ですね」

 リョウの説明にジューコフは分かったような分からないような曖昧な合槌を打った。

 だが、そのこと自体はあまり重要ではないので話を先に進めることにした。

「で、こちらをご覧になったことはありますか? この辺りで見かけたことは?」

「…………………いや」

 矯めつ眇めつ摘み上げた小さな塊を眺めてからジューコフは首を横に振った。

「そうですか」

 リョウは一先ず、安堵の息を吐いていた。

「それなら、きっとワタシの思い違いか、取り越し苦労ですね。別段、問題にはならないでしょう」

「なんだ。これは、ただの花じゃないのか?」

 リョウは探るような眼差しを向けたジューコフに静かに頷き、声を一層低めた。

「ええ。これは、恐らく、毒草の一種です」

「毒草? ……とは薬師が用いるものか?」

「それは………分かりません」

 リョウは徐に目を伏せた。

 これは普通の薬師がそう簡単に手に出来るものではないのだ。

 だが、その事をここでジューコフに伝える積りはなかった。

「そんなもの………どうしたんだ?」

 ここで漸く核心に入る。

「とあるスカモローフに貰ったんです」

「スカモローフだと?」

 それはジューコフにも予想外であったらしい。

「ええ。お近づきの印だと言って。単に偶々であったらいいのですが、少し気になったので」

 そう言ってリョウは簡単にスカモローフとの経緯を話した。


「そうか」

 リョウの話を聞き終えるとジューコフは少し考える風に手を組んだ後、それだけを口にして押し黙った。

 恐らく、ジューコフの頭の中では、この村に入って来た流しの芸人や楽団達の顔が思い出されているに違いない。

「で、そのスカモローフとやらは、どいつだ?」

 そう訊かれて、リョウは思い付く限りの特徴を上げてみた。

 右に白っぽい仮面を被っていた。着ているものは大体が同じような格好なので余り参考にはならないかもしれないが、【レンタチカ(腰帯)】が実に色とりどりで派手なものであった。

 それから金に近い明るい茶色の癖のない髪。それが顔の左半分を覆っている。その下には上下に走る刀傷が隠れていた。そして、小さな横笛を吹いていた。

 ジューコフは、辺りを見渡してみた。

 リョウもそれに倣って踊りの人の輪が出来ている辺りに視線を走らせてみた。

 村人たちに混じり、色とりどりの派手な衣装に身を包んだ踊り子や得意とする楽器を奏でている楽団の人達が目に付いた。

 だが、あのスカモローフの姿は分からなかった。

「……あそこにはいないようですね」

「そうか。今日、ここに来てるのは、大体が顔見知りの馴染みの奴らばかりだからな。素性もその筋ではしっかりしてる奴らばかりだ。今のところ、そのスカモローフがどいつなのかは分からないが、取り敢えず、他の奴らにも聞いてみるさ。心当たりがある奴がいるかもしれないからな」

「すみません。仕事を増やしてしまいましたね」

 ひょっとしたら、自分の勘違いかもしれないのだ。唯でさえ忙しくしているジューコフ達に負担を掛けることになってしまったことを申し訳なく思えば、

「いや、気にするな。それよりも知らせてくれて礼を言う。些細なことでも大事になる場合があるからな」

 気にする必要などないのだと穏やかに微笑んで、ジューコフはリョウの肩を軽く叩いた。

「それなら……いいのですが」

「ああ。こっちでも気を付けて見てみるさ。いずれにせよ、そのまま、放って置くのは気持ち悪いことに違いないからな」

「ありがとうございます」

 からりと明るい笑みを浮かべて見せたジューコフにリョウも微笑んだ。

「……それにしてもな」

 不意にジューコフはリョウを見下ろして振り返ると意外なことを口にした。

「はい?」

「良く似合ってるぞ。その格好も」

 良く見れば同じ顔をしているのだ。声も口調も変わりがない。着るものが違うことでこれだけ印象が異なるとはジューコフ自身も思っても見なかったことだった。意表を突かれるとはこのことだ。

 だが、初めてみるその姿にも不思議と違和感は覚えなかった。

 いや、寧ろ、そうなると村の男達と同じようにズボンを穿いていた時に少年にしか見えなかったことの方が不思議に思えてくるのだから面白いものだ。人が持つ対象への認識能力とは、所詮、その程度のものなのだと改めて思い知らされた気がした。

 素直に褒め言葉を口にすれば、言われ慣れていないのか、リョウは戸惑いの表情を浮かべた後、擽ったそうに笑った。

「それでは、ワタシはこれで」

「ああ。また明日な」

「はい」

 リューバの所に帰ると言ったリョウの後姿をジューコフは静かに見送った。

 離れて行くリョウの直ぐ脇には、リューバの家の番犬であるナソリがその大きな体をピッタリと寄せて【大事な主を守る騎士】のように控えている。

 それは見慣れたいつもの光景でもあった。

 後ろで騒ぐ仲間たちは、この【娘】が【あの少年リョウ】の本来の姿だとは夢にも思わないに違いない。真実を言えば酒の上の戯言として一笑に付されるかもしれない。

 さて、なんと説明すればよいか。適当に誤魔化すにはどうにも後々のことまで考えれば具合が悪い気がした。

 だが、果たして自分の口から伝えていいものか。

 そう言えば、その辺りのことを本人に聞くのを忘れたとジューコフは思った。

 余りにも驚きの衝撃の方が強すぎて、そこまで頭が回らなかったらしい。

 いつになく調子が狂った自分に内心、苦笑い。

 だが、その後、直ぐに気を引き締め直した。

 リョウからもたらされた情報は、ジューコフの目から見ても注意するに値する事象だった。

 村の祭りは明後日までだ。明日は、デニスとアクサーナの婚礼を控えている。この期間の中で一番盛大な催しになるだろう。この村を預かる長の一族の一人として何としても不測の事態には備えておかなければならなかった。

 再び顔を上げたジューコフは、既に未来の長として相応しい顔をしていた。


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