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Messenger ~伝令の足跡~  作者: kagonosuke
第二章:スフミ村の収穫祭
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母と姉と妹と ~女たちの系譜~ 2)

 小さな二人に連れられて居間に顔を出せば、中にいたアクサーナからは、これまで以上に熱烈な歓迎を受けた。余程村の女たちと同じ格好をした自分の姿が珍しく映ったようだ。

 アクサーナは、矯めつ眇めつ色々な角度からリョウの姿を眺めた後、リューバと同じような顔をして「文句無し!」と太鼓判を押した。リューバの見立てはどうやらアクサーナの好みにも合致したようだ。

 一頻り興奮の波が去ってからソファに落ち着いた時には、リョウは息も絶え絶えになっていた。

 とても翌日に婚礼を控えた花嫁とは思えない程の騒ぎ振りだが、それもアクサーナらしいと言えばらしかった。

「ごめんなさいねぇ、本当に騒がしくって」

 お茶を用意していた母親のナジェージュダが、お盆に茶器を乗せてやってくると人懐っこそうな丸みを帯びた顔に、若干の申し訳無さを滲ませて微笑んだ。いつも様々な美味しいパンやお菓子を作り出しているふくよかな手が、器用に動いて行く。

「大丈夫ですよ」

 それを眺めながら苦笑気味に口にすれば、お茶の準備を手伝っていたもう一人の娘、エレーナも可笑しそうにこちらへ視線を向けた。

「すっかり気に入られてしまったわね」

 そう言って喉の奥を鳴らす。

 リョウが座ったソファの両端には、エレーナの子供たち、ミーシャとカーチャが陣取っていた。

 座る場所を決める時でもアクサーナと二人の子供たちの間で一悶着あったのだ。子供には勝てないということでアクサーナが引き下がることになったが、姪っ子、甥っ子とこのような所で張り合おうとするのだから、アクサーナも大人気ない。

 だが、それも仕方がないのかもしれないとその経緯を聞いて思った。


 お祭りの期間中、婚礼を控えた花嫁であるアクサーナは、ある種の潔斎期間に入っているのだという。潔斎とは、身を清め、精進するということで、突き詰めれば、表立ってお祭りに参加してはならないという決まりなのだ。

 毎年、この期間の為に、村の少女たちの中から、祈りを捧げる為の【乙女】が選ばれた。

 【乙女】とは文字通り、未婚の純潔を保持した少女のことだ。その年によって人数は一人であったり、二人であったりとまちまちだが、選ばれた【乙女】は、祭りの期間中、村の片隅にある小さな礼拝堂で、豊作をもたらしてくれた神々に感謝の祈りを捧げることになっていた。その回数や時間にもしきたりがあり、事細かに決められているとのことだった。

 大人たちが大騒ぎをする傍らで、そのような儀式が連綿と続いているのだ。


 元々、【収穫祭】の起原は、このような儀式の後にそこで出された供物を村人たちに下して、調理し、皆で食したことが始まりだとのことだった。

 時が下り、今ではその比重がすっかりあべこべになってしまったが、その儀式だけは欠かすことの出来ない神聖かつ重要な行事として脈々と受け継がれていた。

 【乙女】は通常、その年に婚礼を控えている若い女たちの中から選ばれた。なので同じ時期に婚礼を控えているアクサーナはまさに格好の的であったのだ。

 【乙女】に選ばれた若い女たちは、村人を代表して今年の豊作を感謝し、そして、来年も実り豊かな年であることを神々に祈る。その大義名分の裏には、婚礼を控えた年若い娘が、祭りの期間中、羽目をはずして怪我などをしないように、そして村を訪れた余所の男たちとの間で間違いが起きないようにとの狙いも隠されていた。

 それは、恐らく、この村の長い歴史の中で起こり得た様々な事例に対する対処法でもあったのだろう。お祭りというハレの日は、日頃、抑えつけられている様々な欲求が噴き出す機会でもある。村中に余所から人が入り込み、人々が賑やかになる時を狙って駆け落ちをする場合だってあるだろう。


 祭りの期間、【乙女】の役割を担う娘は、その間、自分の家族以外の異性との接触を禁じられていた。言葉を交わすことは勿論、視線が合ってもいけないらしい。かなり厳格な規律だ。

 村の礼拝堂へ移動する時も頭の上から白いヴェールのようなものを被り、村の年配の女たちの中から選ばれた案内人と行動を共にする。

 特に婚礼を控えた未来の花嫁は、未来の花婿である婚約者に逢うことも禁じられていた。

 それは、祈りと感謝を捧げる対象である豊穣を担う神々が男神であることから、余計な嫉妬をされては敵わないという理由であった。因みに豊穣の神リュークスは女神なのだが、そのほかの太陽や風、水といった自然の神々には男神が多かった。


 そういうことから、今年、その【乙女】に選ばれているアクサーナは、お祭りに参加することはおろか、婚約者であるデニスにも逢うことが出来ないでいるのだ。

 元々、賑やかな性質で人と騒ぐことが大好きなアクサーナには、神聖で大事なお役目とは言え、少々辛抱のいることであろう。七日間の我慢と言ってしまえばそれまでだが、華やかなお祭りの様子は、屋内にいても遠く聞こえて来る。

 今日は、五日目のフタロイ・ピァーチ(15日)だ。そろそろ外へ出たいという溜まった鬱憤が、はち切れんばかりに膨らんでいる頃合いに違いなかった。

 そう言う時に外から来るお客は、絶好の発散対象に成り得るのだ。

 そして、リョウも、図らずしもそのガス抜きの役目をかなりの割合で担う形になっていたのだった。


「ねぇ、リョウ、初めてのお祭りはどう? 凄いでしょ?」

 対面のソファに腰を下ろし、身を乗り出さんばかりに目を輝かせているアクサーナは、全身、白というよりはもう少し柔らかい生成り色の簡素な服に身を包んでいた。

 基本の形は、リョウや村の女たちが身に付けているものと同じだ。【ルバーシュカ(シャツ)】に【ユープカ(スカート)】、その上に【コーフタ(上着)】を重ね、腰の部分を【レンタチカ(サッシュ)】を捲いて留めている。ただ、贅を凝らした刺繍の類は一切ない。簡素(シンプル)な中にも厳かさのある儀式用の衣装だった。

 だが、良く見てみれば、それに使われている生地は、随分と立派なものだ。柔らかな光沢を放ち、たわんだ生地は滑らかな(ドレープ)を描く。装飾の類は一切ないが、それが却ってアクサーナの金色に輝く髪と華やかな橙色の瞳の色を際立たせていた。

「ええ。こんなに賑やかだとは思わなかった。やっぱり、聞くのと実際に見るのは違うわね」

 ここまでの道のりを振り返り、リョウは自ずと感嘆の溜息を漏らしていた。

「広場には行ってみた? あそこで焼いている【カルバサ(ソーセージ)】は絶品なのよ!」

 好物の【カルバサ(ソーセージ)】という言葉に、部屋の隅でひっそりと控えていたナソリの茶色の耳がピクンと動いたのが見えた。

 エレーナに逢えて御満悦のナソリもその子供たちのミーシャとカーチャはどうやら苦手のようで、いつもなら自らを主張するようにその大きな体をリョウの足下に横たわらせるのだが、リョウの両隣りには生憎その小さな天敵がピッタリと寄り添い、人様のお家ということもあり、密やかに部屋の隅に控えていたのだ。

「通りすがりだったけど、いい匂いがしてた」

 ここに来る途中、広場の様子は遠目にだが窺えた。美味しそうな匂いも漂ってきていた。ここまで付いてきてくれたナソリの労に報いる為にも、帰りに一つ貰ってあげよう。

「美味かったぞ。なぁ」

 すでに広場に行って貰ったのか、隣のミーシャが声を上げて片割れを見れば、

「うん」

 カーチャも嬉しそうに大きく頷いた。

「ああ、やっぱり? もう、なんで今年なのかしら!」

 本来なら自分が一緒に案内する形で回りたかったのだと地団太を踏んで残念がるアクサーナにその母親と姉は、お茶の入った茶器を優雅に傾けながらも苦笑い。

「来年があるじゃない」

「そうよ。今年、大役を終えれば、晴れて【女たち】の仲間入りが出来るんですもの。来年は大手を振って村中を歩けるわ」

 もう幾度目になるかも分からない慰めの言葉を口にする。

 きっと姉も母親も、その昔、大事な役目を果たした経験者なのであろう。妹の気持ちも分からなくはないのだ。

「ねぇ、リョウ?」

 同意を求められるようにこちら側にも話を振られて、リョウは穏やかに首肯して見せた。

「そうですね。お祭りは毎年あるものですから、逃げはしないでしょう。でもアクサーナのこのお役目は、一生に一度きりの大事なものでしょうから。それこそ、またとない機会と言えるかもしれませんね。その衣装を着るのもこの時だけなのでしょう?」

 とても良く似合っていると言葉を継いでアクサーナを見遣れば、

「もう、リョウったら」

 アクサーナは急に照れたようにはにかんだ。ほんのりと頬が染まる。

 急に乙女らしく、しおらしげに変わったアクサーナの姿に、母親と姉は顔を見交わせると可笑しそうに小さく笑った。

 アクサーナを御するにはリョウの言葉が一番。

 我が娘(妹)ながら、奔放な所のあるアクサーナを見事宥めて見せたその手腕に、二人の中でリョウの評価が一気に上がったことは、対面でにこやかに微笑むリョウには与り知らぬ所であった。


 そんなこんなで、ナジェージュダ特製のお茶菓子を囲みながら、暫く、女子供同士のお喋りに興じていれば、

「エレーナ、そう言えば、キーンは?」

 不意に母親のナジェージュダが顔を上げて姉の方を見た。

「多分、広場の方じゃないかしら? 今朝、ムサカさんに誘われていたから。明日の準備もあるから、そろそろ帰って来て欲しい所だけれど………困ったものだわ」

 そう言ってエレーナは窓の外を透かし見た。

 話を聞くと、どうやらエレーナの夫であるキーンは、村の男連中に捉って中々帰ってこないらしい。エレーナの旦那さんということで、この村の出身でなくとも村人たちの間では身内扱いなのであろう。絵図らから言えば、法事か何かで久々に実家に帰った折、親戚連中に捉まって身動きが取れなくなるというような按配であろうか。

 キーンにはキーンなりの男ならではの付き合いというものがあるのだろう。それは想像に難くなかった。妻であるエレーナもそれを分かっているからこその困惑顔なのだ。

「あの、もしよろしければ、声を掛けて行きましょうか?」

 伝言ぐらいならリューバの所に帰る途中に出来ると思うのだが。

「まぁ、ちょうどいいじゃない」

「でも、悪いわ、わざわざ」

「ええと、お名前はキーンさんですよね?」

 村の男達に聞けばその所在も直ぐに知れるだろう。そう思って申し出たのだが、アクサーナはあからさまに渋い顔をした。

「駄目よ。あんな酔っ払いばかりの中にリョウを入れるなんて。時間が来れば帰って来るわよ。キーン義兄(にい)さんだっていい大人なんだし」

「……でも、中々切っ掛けがないのかもしれないわ」

 エレーナは苦笑気味に窓の外へ視線を走らせた。婿殿はどこにいても中々に気を使うものらしい。

「どうせ帰る途中ですから。駄目元で。お見かけしたら、伝言をしますし、擦れ違いだったら、他の人に言伝を頼んで置きますから」

 それならばよいだろう。一言くらい訳は無い。気軽に考えてもらえば良いのだ。

「…なら、お願いしてもいいかしら?」

「はい」

 ほんの少しの躊躇いを見せながらもそう言ったエレーナの言葉に頷き返せば、

「あら、じゃぁ、序でに家の人も見かけたらお願いできるかしら?」

 ナジェージュダがその手に齧りかけの焼き菓子を摘みながらこちらを見た。

「いいですよ。クルスクさんなら、こちらに来る途中でお見かけしましたから」

 中央の広場で【ピーバ(ビール)】の入ったジョッキ片手に仲間たちと肩を組んで男たちの輪の中で陽気に歌を歌っていた。その調子は所々外れてはいたが、実に楽しそうであった。

 その時の様子を話せば、

「まぁ」

「父さんったら」

「相変わらずね」

 その様子が手に取るように分かるのか、妻も二人の娘たちも何とも言えない顔をした後、可笑しそうに笑いを零し合った。


「そう言えば、まだ、こちらへお伺いした本来の目的を果たしていませんでした」

 リョウは小さく微笑んで懐から小さな包みを取り出すと徐にアクサーナの前に置いた。

 忘れていた訳ではないのだが、お喋りな女たちを前に中々切っ掛けが掴めなかったというのが正直なところだ。

「これを……アクサーナに」

 ほんの少しの気持ちだからと前置きをして持参したお祝いの品を手渡せば、アクサーナは、

「あたしに? なにかしら?」

 興味深そうな色をその瞳に浮かべて包みへと手を掛けた。

 リョウの内心はドキドキだった。

「大したものじゃないけれど」

「…………まぁ。………綺麗」

 包みを解いて中身を取りだしたアクサーナは、その掌に小さな光る石の付いた塊を乗せて感嘆の溜息を吐いた。

「ブローチね?」

 エレーナが妹の手元を覗く。

「はい。素人だから、形は少し不格好だけれど」

「綺麗な石だわ」

「すげぇ。キラキラしてる」

「……きれい」

 目を輝かせて身を乗り出した子供たちに、

「そうね」

 母親であるエレーナも優しく微笑み返した。

「アクサーナの瞳にピッタリじゃない」

 ナジェージュダの言にリョウは嬉しそうに微笑んだ。

「森で河原を散策している時に見つけたんです。研いたら、かなり綺麗なものに変わったので」

「ひょっとして、リョウが作ったの?」

 アクサーナは吃驚して目を見開いてリョウを見た。

「ええ」

「……まぁ」

 そう言って感極まったように口に手を当てた。

「ありがとう。嬉しいわ。こんなに綺麗なもの。大事にするわね」

 その眦には薄らとだが涙が滲んでいた。

「良かったわね」

「ええ」

 存外に喜んでくれたアクサーナにリョウは内心安堵の息を吐いた。大事そうに煌めく石を指で撫でるその仕草に、苦労して作った甲斐があったと喜びを増したのだった。

 が、それも束の間、

「デニスに自慢しなくちゃ」

「ふふふ。そうね」

 楽しそうに語られる母娘の会話にリョウは内心ぎくりとした。

「アクサーナ、それは………ちょっと不味いかも?」

 リョウの脳裏には無表情の中にも苦い顔をしたデニスの硬質な顔が簡単に思い浮かんだ。

「あら、どうして?」

「デニスは…きっと…いい顔をしないと思うの」

 これまでの経緯から、常日頃からことアクサーナに関しては妙に敵愾心を持たれている気がするのだ。

 困惑するリョウの様子に話の見当が付いたのか母親のナジェージュダが急に吹き出した。すると隣にいたエレーナも訳知り顔で可笑しそうに微笑んだ。

「なぁに、デニスはまだ焼きもちを焼いているの?」

「………恐らく」

 要するに、ここの一家にはかつての【恋文】を巡る悲喜交々が、漏れなく伝わっているらしかった。

「アクサーナがリョウを大好きなのは、この辺りじゃ有名だからね」

「ねぇ、デニスがどうしたの?」

「デニスって、あのデニス義兄(にい)さん?」

 置いてけぼりを食らった子供たちは、自分たちが知る人物の名前が出たことでその背景を知りたがった。

「どうかしらね?」

 両方から腕を引かれて話の繋がりを聞いて来た子供たちに、リョウは困惑気味に眉根を下げながら曖昧な笑みを浮かべたのだった。


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