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Messenger ~伝令の足跡~  作者: kagonosuke
第二章:スフミ村の収穫祭
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母と姉と妹と ~女たちの系譜~ 1)

 あのまま、あの場で乗ってきた主を待つことにする言ったナハトとケッペルの二頭とは別れて、リョウはナソリと共にアクサーナの家の前に立った。

 途中、予定外のことに少し時間が取られたが、それも一興、祭りならではのことだろう。本当のことを言えば、もう少しナハト達とは話をして砦の様子を聞いていたかったのだが、まずは自分の用事を済ませてしまうことが肝心だろう。アクサーナとデニスの婚礼は明日だ。今日を逃せば、きっとアクサーナとゆっくり話をする時間は取られないに違いなかった。


 アクサーナの家の前に立ち、訪いを告げると中から一人の女性が現れた。

 豊かな明るい金色の髪を脇に寄せて編み込み、村の女達と同じく晴れ着に身を包んでいる。

 衣装は皆、同じ形をしているにも関わらず、生地の色や施された刺繍の意匠、それに使われる糸の色が違えば、着る人によって実に様々な印象を受けることが分かった。

 その女性は、金糸で刺繍が施された焦げ茶色の【コフタ(上着)】に鮮やかな橙色の【レンタチカ(サッシュ)】を捲いている。中に着た【ルバーシュカ(シャツ)】は一般的な白で、その下に穿いた【ユープカ(スカート)】は淡い秋桜(コスモス)色だった。

 全体的に温かみのある暖色系でまとめられている。

「こんにちは」

「まぁ、いらっしゃい」

 挨拶をして目が合えば人懐っこい微笑みにぶつかった。

 眦に薄く笑い皺が出来る。明るい赤茶(レンガ)色の瞳が、差し込む陽射しに煌めいた。

 華やかながらもややきつめのきらいがあるアクサーナの顔立ちをもう少し柔らかくしたような感じだが、良く似ている。趣は違えども綺麗な人であることには違いなかった。雰囲気は年齢的なものもあるのだろうが、より穏やかで落ち着きのあるものだ。晴れ着の色合いも、それを身に着けている人の空気を良く表していた。話に聞いていたアクサーナのお姉さんだろうか。

「アクサーナのお姉さんですか?」

 そう思って尋ねれば、

「ええ」

 予想通りの答えが返って来た。

「あなたは……リョウ、ね?」

「はい」

「ふふふ。アクサーナから話には聞いているわ。いつも妹に良くしてくれてありがとう」

「いいえ。こちらこそ。アクサーナにお世話になっているのはこちらの方です」

「あら、そうなの?」

 意外そうに少し目を見開いた後、嬉しそうに微笑んだ。

 そしてリョウの隣を見下ろして、傍らに控えていた茶色の大型犬に声を掛けた。

「ナソリもいるのね。こんにちは、ナソリ。久し振りね」

『ああ。久しいな、エレーナ。達者にしておったか?』

 こちらも嬉しそうに尻尾を千切れんばかりに振って応えた。対するエレーナも手を伸ばすとナソリの艶やかになった毛並みを撫でる。ナソリは、その優しい手付きにうっとりと気持ち良さそうに目を細めている。

 すっかり鼻を伸ばした状態のその仕草に、リョウは何とも言えない視線を投げかけた。

 アクサーナの所に行くと言った時にやけに喜び勇んで付いて来たかと思えば、ナソリのお目当てはどうやらアクサーナの姉にあったらしい。

「ナソリの言葉がお分かりになるんですか?」

 試しに訊いてみればエレーナは緩く頭を振った。

「いいえ。具体的に何を言っているかは分からないわ。でも、嬉しいとか腹立たしいとか、そういう感情の動きは、何となくでも見ていれば分かるでしょう?」

「そうですね」

 その言葉にリョウは大きく頷き返していた。

 確かにそうだ。言葉が通じなくとも犬とは意思の疎通は十分可能だ。【向こう】ではそれが当たり前で、そうやって人と犬は長年に渡り、共同生活を営んできたのだから。嬉しければ尻尾を振る。機嫌が悪ければ唸り声を上げるし、腹が立てば噛み付きもするだろう。かつての自分もそうであった。

「あなたは……分かるのですってね」

 ナソリの首の辺りを撫でながら、エレーナがちらりとこちらを流し見た。

 「アクサーナから聞いたのよ」と小さく笑う。

「はい」

 別に隠すことでもないので素直に首を縦に振れば、

「………昔は、この辺りにも理解が出来る人は、もっと居たのだけれどね」

 そう零すと、少しだけ寂しそうな色をその赤茶(レンガ)色の瞳に乗せた。

「昔………というのは、どれくらいの前のことなのですか?」

 差支え無ければ教えて頂けないかと一応の前置きをして、リョウはやや躊躇いながらも気になったことを口に出していた。

 だが、次の瞬間、相手の顔に浮かんだ表情を見て、それは少し踏み込み過ぎたかと直ぐに後悔をした。

「すみません。今のは無かったことにしてもらえませんか?」

 一度【音】にしてしまった【言葉】は、相手の耳に届いた時点で無かったことには出来ない。それでも答えは求めていないのだという意思表示をしたかった。

 急に申し訳なさそうな顔をしたリョウに、エレーナはハッとして表情を改めると優しい苦笑に似た微笑みを浮かべた。

「ごめんなさいね。気を使わせてしまったかしら」

「いえ。そんなことはありません。こちらこそ、不躾な質問をしてしまって、すいません」

 そう言えば、エレーナは少し驚いたような顔をして見せた後、より一層笑みを深めたのだった。

「本当に。あなたは気を遣ってばかりね。アクサーナが言っていた通り。あの子が好きになる訳だわ」

 一人何かに納得するように頷く。

 姉妹の間で一体どんな話が交わされていたかは分からないが、アクサーナは随分と自分のことを肯定的に捕らえているらしいことが、その言葉の端々からは感じ取れた。己の評判を他人の口から聞かされるのは、なんともむず痒い気分だ。

 内心、そのようないたたまれない気分をどうしたものかと思っていると、

「エレーナ? どうしたの? どなたかお客さんがいらしたんじゃないの?」

 玄関先へ応答に出たきり中々戻ってこない姉を心配してか、廊下の奥の方から柔らかな女の人の声がした。

「ええ、アクサーナにお客さんよ!」

 首を後方に捻って軽やかに返してからエレーナは少しばつが悪そうに小さく肩を竦めてみせた。

「あたしったら、つい。いつまでもこんなところで。ごめんなさいね」

 だが、そうこうするうちに廊下の向こうからドタタタタと複数の不規則な足音と甲高い声が一緒に響いて来た。

「ママー!」

「お客さん? ねぇ、誰か来たの?」

 小さな塊はボスンと音を立ててエレーナの後ろに飛び付いたようで、その衝撃にエレーナの身体が揺れた。

 そのふくよかな腰回りには、にょっきと小さな二対の腕が見え隠れしている。

「あらあら、あなたたち。向こうで大人しくしてなさいな」

 しがみ付いた【コフタ(上着)】の合間から小さな頭部が二つ覗く。明るめの茶色の頭髪の合間から二対の円らな緑色の瞳が、興味深そうにこちらに向けられていた。

 もしかしなくともエレーナの子供たちだろう。服装から一人は男の子で、もう一人は女の子だと分かる。髪型は違えどもその顔は傍目にも良く似ていた。背丈も同じ位だ。双子なのかもしれない。

 一人は、爛々と光る眼差しを隠すことなくエレーナの脇に立ち―その手はしっかりと母親の上着を掴んではいる―もう一人は、母親の影に隠れるように、それでも好奇心を抑えることができないのか、しっかりとその視線はこちらに向いている。

 リョウは、小さな急襲者達に相好を崩すとその場で膝を着いた。そうすれば、自ずと目線は同じ高さになった。

「こんにちは」

 知り合う為の始めの一歩として基本の挨拶をしてみる。

 目が合うと男の子の方はずいと身を乗り出してきた。

「あんた、リョウって言うんだろ? 男じゃないのか? なんでそんなに髪が短いんだ?」

 子供というのは実に真っ直ぐだ。遠慮を知らない分、核心を突いてくる。

 矢継ぎ早に出た問いに慌てたのは、母親の方だった。

「こら、ミーシャ、いきなりなんてことを言うの!」

 だが、そんなお小言よりも自分の好奇心の方が勝るのか、男の子はジロジロと何かを確かめるような目つきでこちらの顔を見ていた。

 リョウはいきなりのことで面食らったが、それも一瞬のことで、直ぐに吹き出した。

 それは、実に子供らしい反応だった。きっと周囲の大人たちが話すことを聞いていて疑問に思ったことが口をついて出たのだろう。大人であれば、言葉を発する前にそれが周囲に与える影響を考えるものだが、子供にはそれがない。子供は、実によく大人たちのことを見ているものだ。

「どっちだと思う?」

 笑みを絶やさぬまま謎々を掛けるように聞いてみれば、

「うーん。そうしてると、女にしか見えないなぁ」

 片手を腰に当てて少しポーズを取るように小首を傾げている。

 そのちょっとした大人を真似した仕草をリョウは微笑ましく思った。きっと父親か母親がそういった仕草をするのだろう。

「じゃぁ、確かめてみる?」

 次にそう言って両手を広げてみた。要するに挨拶の抱擁を交わせば、その感触から分かるだろうと思ったのだが、男の子は、吃驚したように目を見開いた後、若干、視線を左右へ走らせた。

 そして、ちらりと己が母親の顔を窺う。

 エレーナは、呆れたように顔に手を当てていたが、こちらを見た後に小さく頷いて見せた。

 その顔には、苦笑に似た困惑したような笑みが浮かび、口元は「ごめんなさいね」との言葉を紡いでいた。

「ふふふ。いらっしゃい。ギュッとしてみれば分かるでしょう?」

 促してみれば、男の子はおずおずと身を乗り出してきた。

 伸ばされた、まだか細い腕を首に回して、小さな少し高めの体温をそっと抱き締める。幼い子供特有の柔らかい髪が首筋を擽った。

「どう? どちらか分かった?」

 暫くして顔を上げた男の子は、小さく頷いた。目の端がほんのりと赤くなっている。

「……女だった」

 小さくとも男の子であるのだ。今更ながらに自分の取った行動が恥ずかしくなったのかもしれない。

 ぽつりと呟いた男の子を片腕で抱えながら、リョウはこちらを見ているもう一人の子にも声を掛けた。

「あなたもいらっしゃい」

 開いているもう片方の腕を伸ばす。

 すると母親のスカートの裾に隠れていたその子は、パッと明るい顔をすると嬉々として飛びついて来た。

 片割れの行為を見て羨ましそうな顔をしていると思ったのだが、どうやら想像通りであったようだ。その勢いはかなりのもので体勢を崩しそうになった所を寸での所で堪えた。大人しそうに見えて、意外に大胆な所があるようだ。

 両手に二人の子供を抱えたままリョウは微笑んだ。

「ワタシは、リョウ。お名前はなんていうの?」

「オレは、ミハイル」

 男の子の方が誇らしげに胸を張って答える傍らで、

「……カーチャ」

 女の子の方はややはにかみながら自分の名前を口にした。

「じゃぁ、ミハイルにカーチャね?」

 呼び名を確認すれば、

「ミーシャでいいぞ」

 男の子の方から愛称で呼んでもいいという許可が出た。

 その上から目線に苦笑い。きっといっぱしの口を利きたいお年頃なのだろう。微笑ましくはある。

「ミーシャにカーチャね。宜しくね」

 言い直してから交互に二人の顔を見る。

「二人とも、はじめましての挨拶はどうするんだったかしら?」

 そんな三人の様子に目を細めていたエレーナから声が掛かった。

「オレ、知ってるぜ!」

「アタシも!」

 言うやいなや両方向からリョウの頬に柔らかな感触が伝わる。

 小さな主たちからの歓待の印にリョウも同じように感謝の気持ちを返したのだった。

「リョウ! アクサーナに会いに来たんだろ? オレが案内してやる」

「アタシも!」

 簡単な挨拶を済ませて立ち上がれば、二人から其々の手を引っ張られた。

「こら、ミーシャ、カーチャ」

 母親であるエレーナのお小言も右から左。新しい客人に興奮気味の二人は、さながら小さな旋風(つむじかぜ)だ。

 困った顔をするエレーナに心配するなと微笑んで、

「それじゃぁ、お願いするわね」

 リョウは二人を促すように繋がれた手にほんの少しだけ力を込めた。


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