隊長の帰還 2)
ユルスナール・ファーガソビッチ・シビリークスは、額に落ちかかる白銀の髪をそのままに、自分達が乗って来た馬が繋がれている傍へ歩いて行く年若い、まだ少年のような男の姿を目で追っていた。
少年の肩には、伝令で使ったと思われる鷹が乗っていた。
獰猛な猛禽類である鷹のような獣は基本、警戒心が強い。そこを専門の訓練士が時間を掛けて、伝令に仕立て上げるのだが、あのように懐く様も珍しかった。
新しく入った鷹匠の見習いか。
自分の馬、黒毛のキッシャーは、その気性の荒いことで有名だった。
唯一主と認めたユルスナール以外にはそう簡単に懐いたりなどしない、中々に厩舎番の兵士達泣かせの馬でもあった。
「エドガーはどうした?」
この砦に戻って来るのは、先の【黒の第一の月】以来、約三カ月ぶりだが、ここでの馬の世話は古参の兵士、エドガーに任せてあった筈だ。エドガーでさえ中々に苦労をする馬を、あの少年がどうこうできると思えなかった。接し方を間違えれば、蹴られて重傷を負うだろう。下手をしたら死にかねない。
帰還早々そんな事態になるのは、この砦を預かる実質的な責任者としてはどうにも縁起が悪い。
そう思って尋ねてみれば、
「いますよ。配置換えもしていません」
シーリスがその口元に微笑すら浮かべて当然のように言い放つ。その明るい菫色の瞳の奥には、どこか楽しそうな色が見え隠れしていた。
何かを企んでいる。
付き合いの長い相手のそんな表情をユルスナールは苦々しく思いながら、ならば何故と眉根を寄せた。
「見ていれば分かりますよ」
しかし、返って来る言葉は唯その一言のみ。
はっきりとしない言葉遊びは、ユルスナールの好みではない。そんなものは、王都に巣くう狐狸の類を相手にすれば良いのだ。一層、眉間に皺が寄りそうになる。
「ご心配には及びません」
そこに滅多に口出しをしない補佐官のヨルグまでもが割って入った。
二対一。明らかに分が悪い。
ユルスナールは、この場でそれ以上の詮索は止めにした。
「へぇ、面白ぇじゃねぇか。あの坊主の御手並み拝見と行こうぜ。なぁ、ルスラン」
今回の帰還で王都から一緒に付き従ってきたブコバルが、愉快そうに目配せをしてユルスナールの肩を叩いた。
ブコバルは、ユルスナールにとって幼馴染のような間柄で、昔からの腐れ縁だ。互いに良いところも悪いところも知り尽くした仲だ。その所為か言動には遠慮などある訳が無かった。
ユルスナールと並んでも決して引けを取らない、いや、それ以上に頑丈そうな体躯を濃紺の外套の下から露わにして、ブコバルが漆黒の外套の隣に並ぶ。
そして、馬の前に歩み出た少年の後姿を、好奇に満ちた青灰色の瞳で眺めた。
ユルスナールは何も言わずに、肩に置かれた暑苦しい手を軽く振り落とすと、同じように皆の視線の先を追った。
キッシャーの前で、その少年は、恭しく騎士としての礼を取った。
そのことにまず、驚きを隠せなかった。
何がしかの遣り取りの後、大人しく、いや、遠目からでも仲睦まじい様子で歩き出した己が黒毛とその少年にユルスナールは内心、信じられない思いだった。
あんなに、いとも簡単にキッシャーが自分以外の言うことを聞くことなど、これまでにあっただろうか。
「……こいつは驚いた」
常日頃から共に行動し、そのキッシャーの気性の荒さを嫌と言うほどに知っているブコバルもそう感じたのか、冷やかすような調子だが、感嘆した様子で口笛を吹いた。
「だから言ったでしょう」
厩舎へ引率されてゆく馬達の後姿をもう一度見てから、シーリスは当然とばかりに言い放つ。
その訳知り顔が、なぜかユルスナールには面白くなかった。
「あれは、新しい厩舎番の兵士か?」
兵の管理を取り仕切るヨルグに問う。
「いいえ。その件も含め、後程報告いたします」
が、場所が場所だけにか、言及されたのはそこまでだった。
そんな中、シーリスが注意を引き戻すように軽く両手を叩いた。
「さぁ、いつまでもこのような場所に居ては邪魔です。中へどうぞ」
柔和な面立ちを引き立てる微笑みを浮かべながらも、毒のある言葉を次々と発する。毒舌で腹黒い性格は、早々変わるものではない。
久々に耳にした仲間の辛辣な言葉を恐々と懐かしく思いながらも、帰還した兵士達は促されるままに、彼らの後に続いて行った。
帰って来たのだ。自分が本来居るべき場所に。
兵舎に入る間際、ユルスナールはもう一度、後方を振り返った。
この国の軍馬の中でも群を抜いて逞しい体躯を誇るキッシャーに寄り添うようにして、似たような黒い頭髪が揺れる。
長く横に垂らした髪が、それこそ馬の尻尾のように風に揺らいだ。
ユルスナールの口元が微かに緩む。
それに気がついた者は、幸いにして誰もいなかった。
【ルスラン】は【ユルスナール】の愛称ということで。同一人物です。