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Messenger ~伝令の足跡~  作者: kagonosuke
第二章:スフミ村の収穫祭
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懐かしくも意外な顔ぶれ 2)

 村の外れにあるリューバの家から見て、アクサーナの家は、中央にある広場を挟んで反対側に位置していた。ちょうど村を縦断する形になる。

 一番賑やかで人々が集まっている広場を抜けて暫く行くと、途中、小さな小川があった。

 村の間をうねるようにして流れるその細い川は、村人の生活には無くてはならないものだった。村人はこの川から水を汲み、飲料水を始めとする生活用水に使っていた。


 リョウが小川に差し掛かった時、木立が影を作る場所で一頭の馬が首を垂れ、水を飲んでいるのに出くわした。

 栗毛の艶やかな毛並みの立派な体躯を誇る馬だ。静かに喉を潤す姿はやけに気品に溢れていた。垂れた頭の額際には白い菱形模様がある。

 どこか既視感のある光景だ。

 それを見てリョウは驚きに立ち止まった。

 ―あれは、まさか。

「ナハト! ナハトじゃないか!」

 懐かしさの余りに駆け寄れば、川辺から長い首を上げて穏やかな茶色い瞳がこちらを向くとすっと細められた。

『リョウではないか。久しいな』

 近付いてきたリョウに、ぶるりと鼻を鳴らす。

「ホントに。元気にしてた? 砦の皆は変わりない?」

『ああ。皆、達者にしておる』

 矢継ぎ早に問いを発するリョウを微笑ましく思いながら、ナハトはその姿をまじまじと見下ろした。

『それよりも、リョウ。随分とめかし込んでおるではないか』

 そう言われてリョウは照れたように小さく笑った。

「こっちでお世話になっている人が貸してくれたの」

『良く似合っている』

「ありがと」

 久々の邂逅に一人と一頭で和んでいると、

『リョウ。知り合いか?』

 痺れを切らしたようにナソリが傍にやって来て、己が存在を主張するように一つ吠えた。

「うん。北の砦でお世話になった馬のナハトだよ」

『世話をされていたのは専ら我の方であったがな』

 おどけたようにナハトが鷹揚に口にすれば、

「そんなことないよ。ナハトは不慣れなワタシに色々と教えてくれたじゃない」

 釣られるようにリョウも笑みを浮かべた。

 いつしかリョウの言葉使いは、より柔らかさを増すものへと変わっていた。外見がすっかり変わったことで自然と言葉もそれに見合う形になっている。無意識に本来の気分を取り戻したような形だった。


 ナハトがついと対峙する茶色い犬へ視線を向けた。

『その(ほう)は?』

「ああ、こちらは、ナソリ。今、お世話になっている人の家族…って言えばいいかな?」

 リョウが紹介するように隣に立つ茶色の毛並みの首の辺りを撫でれば、

『砦のモノが、かような所で何をしているのだ?』

 警戒心も露に低く唸る。

 ナソリのいつにない固い態度をリョウは意外に思った。

『どうやら余り歓迎はされていないようだな』

 だが、当のナハトは余裕たっぷりに普段の穏やかな口調を崩さない。

『乗り手はどうした?』

『そういきり立つな。大方、祭り見物でもしておるのだろう』

『見物だと?』

『兵士とてただのヒトだ。偶には休みも取ろう。ここの祭りは近隣でも有名だからな。偶さかの休みにここまで繰り出してもおかしくはなかろうて』

『どうだかな』

 滑らかに語られるナハトの口説にナソリは未だ懐疑的な視線を投げている。それをよく表すようにナソリの尻尾は、いつもより逆立っていた。


 ナソリの態度はいつになく好戦的だった。

 砦からやってきたということが、そんなにも警戒心を煽るものなのだろうか。それとも、この村と砦の兵士達の間には何か確執のようなものがあるのだろうか。

 リョウの知る砦にいた兵士達は、皆、親切な人達ばかりだった。

 だが、幾ら、そこに所属する個々人が善良な人達であったとしても、それが【砦を守る部隊】という組織に代わった時、そういう見方が出来るかというとそれは違う。立場が違えば、当然その中での優先順位や物事に対する捉え方も違って来るであろうし、そこから派生して何らかの事柄で対立する事態が起こり得ることは、想像に難くない。

 ナソリの堅い態度を見る限り、砦に対しては余り良い感情を持ってはいないようだ。

 リョウとしては、両者がいがみ合う姿を見たくはなかったが、その間にある関係性を知らない限り、口出しをする資格などなかった。


 リョウが沈黙を貫く傍らで、二頭の会話は続いていた。

『おお、そう言えば、一人は確かこの村の出であったな。キリルとか言ったか』

『…キリルだと?』

 ナハトの口から上がった名前にナソリの耳がピクリと動いた。

 キリルと言えば、ナターリアの所の息子の名だ。数年前に村を出たきり、ここへはとんと無沙汰な筈だった。父親の名は不明でどこの誰かも分からない。


 ナソリの脳裏には、かつて村を騒がせたとある事件が思い出されていた。

 当時、まだ年若かったナターリアが子供を身籠ったと分かった時は、村はそれこそ蜂の巣を突いたような騒ぎになったのだ。

 あの頃、まだ健在だった父親のスチョールキンは犯人探しに躍起になり、村中を巻き込んで一悶着を起こした。当時、若かった男達はスチョールキンの剣幕に恐々としたものだ。

 幸いにして相手が村の男ではないことは判明したのだが、それ以上のことは分からないままだった。相手の名前を幾ら聞き出そうにも普段の従順さと大人しさからは考えられない程にナターリアは頑なで、決して口を割らなかった。果ては父と娘の根競べのような事態になり、早々に痺れを切らした父親から、もう少しの所であわや勘当という所までいったのを村の女達がようようにして宥め、漸く事なきを得たのだ。

 だが、頑固で厳格な父親であったスチョールキンは、結局、最後まで娘を許すことは出来ずに身重のナターリアを家から出し、自分の目が黒い内は―要するに自分が一家の主をしている間は、娘には決して家の敷居を跨がせなかった。

 それは、連綿と続くこの小さな寒村で一族を守る【主】の取るべき【けじめ】でもあったのだ。

 末娘であったナターリアを殊の外可愛がっていたスチョールキン自身にとっても、それは苦渋の選択の末であったのだろう。

 だが、その一方で救いもあった。捨てる神に拾う神というところだろうか。そんなナターリアを村の女たちは擁護し、実家とは少し離れた所にある小屋を住まいとして宛がった。そして、母親と他の女たちの支えもあり、程なくしてナターリアは身二つになる。

 生まれたのは男の子だった。真っ直ぐで癖のない明るい金茶色の髪に、母親と同じ黄緑色の瞳を持っていた。

 もうかれこれ二十年近く前の話になる。


『あの……ひよっこか』

『ああ、若造だ』

 ナソリの脳裏には、母親であるナターリアによく似た面立ちの線の細い少年の姿が浮かんでいた。

 どちらかというと母親の性質を受け継いだ控え目な性格で、自らを主張するタイプではなかったはずだ。その時の少年と北の砦というのは、どうも結びつきそうで付かなかった。

 数年前に母親を一人残して街へ出たとは聞いていたが、騎士団に志願していたとは過分にも知らなかった。

『兵士になっていたとはな』

 そう零したナソリの声には、過ぎ去りし日々を懐古するような複雑な色が滲んでいた。

『この時期に里帰りなら、一人でよかろうに』

『さてな、仲間を誘ったのではないか』

『砦の連中は余程暇と見える』

『はは、偶には良かろうて』

 ナハトとナソリの周りには、いつしか冷たい空気が流れていた。交わす言葉やその口調は穏やかであるのに、水面下で腹の探り合いをしているような按配だ。リョウは居心地の悪さを感じ初めていたが、それを面に出すことは控えた。

 すると助け船が意外な所からやってきた。

『お、来おったか』

 つとナハトが首を巡らした方に目を向ければ、もう一頭の栗毛の馬が、木立の向こう側から現れた。

 あれは陽気なケッペルだ。短く逆立った特徴のある(たてがみ)は間違えようがない。

「ケッペル!」

 リョウが高らかに声を掛ければ、栗毛は一旦、その場で顔を上げると、元来落ち着きがあるはずの馬達の中では珍しく素っ頓狂な(いなな)きを上げた。

『あっれ。リョウじゃねぇか! こんなとこで会うたぁ、驚き桃の木山椒の木。どうしたんだぁ、え? すっかり女らしくなっちまって。いやいや見違えたぜ。なんだ、男でも出来たか? あ? こちとらぁ、てっきりキッシャーの旦那とデキテるとばかり…思ってたぜ…って、皆で揃ってどうしたんだ?』

 お馴染みの呑気で間の抜けた調子にその場に走っていた緊張の糸が不意に緩んだ。

 ケッペルの空気の読め無さはいい意味で健在だった。

 リョウは内心助かったとほっと息を吐いた。

「ケッペル、元気そうで何よりだよ」

 リョウは込上げてきそうになる笑いを堪えながら、近寄って来たケッペルの首へ腕を回した。

『お? なんか熱烈に歓迎されてる?』

「そうかもね」

 そのどこか外れた返答にリョウは小さく笑った。

 一気に脱力したというか和んだ空気は、ケッペルのお陰だった。ナソリもナハトも気が削がれたのか、先程までの剣呑さはお互いに引っ込めたようだ。


 二頭の馬が揃った所で気になるのはその乗り手のことだった。

 馬は繋がれることなく放し飼いの状態だ。二頭はよく訓練された聡明な馬たちであるから心配など無用というのはリョウには分かるが、他の人達から見れば不用心に思われるかもしれない。

 村の入り口から少し入った所には、一応外から来る見物客の為に臨時の厩も用意してあった。馬を使った人々は、そこに自分の乗ってきた馬を繋げて村の子供達が飼い葉をやったり、水をやったりと世話を焼くことになっていた。

「砦からは誰が来てるの?」

『おいらが乗せてきたのはキリルだぜ』

 それは先程のナソリとナハトの会話の間にも出てきたが、リョウが初めて耳にする名だった。

 砦で世話になっている間、兵士達の顔と名前は一通り覚えた。だが、記憶を幾ら辿ってみても合致するような顔は思い浮かばなかった。

 思案顔のリョウにナハトが小さく鼻を鳴らす。

『リョウは知らんだろう。そなたが帰った後にやってきた新入りだからな』

「新しく人が入ったんだ?」

『鷹匠だな』

「イサークのところだね」

『ああ。イサークの奴め、体のいい子守だと零しておったぞ』

 老練な古参の伝令である鷹のイサークから見たら、新入りの兵士はそれこそ子供のように見えるのだろう。

 ここの獣たちは、人に比べて格段に寿命が長いらしかった。詳しくは確かめたことが無かったが、リョウが暮らしている森に住まう獣たちは、白銀の王であるセレブロまではいかないまでも、人とは違う時を刻んでいるということだった。

「ナハトの方は?」

 ナハトには、スートやキッシャーのように決まった乗り手というのはいなかったはずだ。リョウが砦にいた時は、セルゲイやアナトーリィー、グント、ヤルタ、ロッソ、オレグ辺りがその背に跨っていたようにも思う。

 思いつく限りの名前を上げてみたのだが、

『その内分かる。楽しみにしていればよい』

 ナハトはここでその乗り手の正体を明らかにする積りはないようだ。

 きっと向こうもこちらも意外な所で鉢合わせをする方が面白いとでも思っているのだろう。

 ならば仕方がないかとリョウはそれ以上の追及を止めた。

「あ、でも。こっちは分かっても、きっと向こうが分からないよね」

 うっかり忘れてしまいそうだが、すっかりこの村の女達と同じ格好をした自分では、きっと見分けが付かないに違いない。第一、向こうは自分のことを男だと思っていたであろうし。

 そう思ってナハトとケッペルを見上げれば、

『それも一興』

『おいらは気付かない方に【マルコーヴィ(人参)】一本』

『では、それがしは逆手に一本だな』

 好物を餌に呑気な掛け合いが始まった。

 賭けでもする気のようだ。

『そなたはどうする、ナソリ殿?』

『では、ワシも逆手に【カルバサ】一本だな』

『おお、あれは旨そうだ』

 ナソリはナソリで好物の肉の腸詰、所謂ソーセージを賭けにするらしい。

 だが、そこで、ふと疑問が生まれる。

「ねぇ、それって、誰が用意するの?」

『決まってんじゃん』

『『無論、リョウ、そなたであろう』』

「………そうですか」

 先程までの剣呑さが嘘のように口を揃えた三頭にリョウは思わず苦笑い。

 まぁ【マルコーヴィ(人参)】と【カルバサ(ソーセージ)】位ならリューバの家にもあるし、それこそ中央の広場に行けば簡単に手に入るだろう。

 どうやら村人たちの陽気は、訪れる人馬ともに感染する様だ。

 だが、それも祭りならではのことなのだろう。

 この際だから楽しんでみようか。又とない機会ではあるし。馬達でさえ、こうなのだ。それに乗らない手はない。

「【ダガヴァリーリッシ(了解)】!」

 こちらを見ている三頭にリョウは親指を突き上げて晴れやかな笑みを浮かべたのだった


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