懐かしくも意外な顔ぶれ 1)
賑やかな人垣の合間を縫うようにまだ年若い娘が一人、一頭の大きな犬をお供に連れて歩いていた。その足取りは随分と軽やかだ。
歩く度にたっぷりとした生成り色のスカートからは白い脚が覗いた。翻るスカートの裾には、他のめかし込んだ村の女達のものと同じように繊細かつ華やかな刺繍が隙間なく施されてあった。
この辺りでは珍しい黒髪が、吹き抜ける風にさらりと揺れる。漸く肩を越した位のその長さは、他の女たちに比べてもかなり短い部類に入った。
吹き付ける穏やかな秋の風は、間近に迫る冬の到来を匂わせるように若干の冷たさを秘めていたが、天高く澄みきった蒼穹から差し込む陽射しは遮るものも無く、大地を暖かな気で包み込んでいた。
家々の軒を飾る色とりどりの吹流しを躍らせて、吹き寄せる風は、実に心地が良かった。ムンムンとした村中の熱気をほんの少しだけ和らげてくれるようだ。
そんな風の悪戯か、頬に掛かった髪をかき上げられれば、娘の面が顕わになった。
すっと通ったやや低めの鼻梁に形の良い眉。そして、その直ぐ下にある黒い瞳は、差し込む秋の日差しに眩しそうに細められていた。
薄く引き結ばれた唇には、この日の為にか、ほんのりと紅が引かれてあった。
「おやおや、まぁ! リョウじゃないかい! どんな別嬪さんがやってきたかと思えば!! すっかり見違えたよ。驚いたねぇ。………それにしても、リューバの言ってたことは本当だったんだねぇ。そうしてると丸っきり娘じゃないかい!」
リューバの家を後にしてから村人達でごった返す通りを歩いていると、こうやって女たちから度々声を掛けられた。
皆、リューバの茶飲み仲間だ。
普段、男のようにズボンばかり穿いているから、幾ら女だと聞いていても中々に実感が湧かなかったようだ。初めて目の当たりにする本来のあるべき姿に女たちは、吃驚仰天、目を白黒させている。
それでも自分だと気が付いて認識してもらえるのだから、女たちの感の鋭さ、目端の良さには、感心させられると同時に嬉しくもあった。
その反面、男たちは端から自分を男だと思っている輩が多い所為か、すれ違って挨拶をしても気が付かない者が殆どだった。
皆、反射的に挨拶を返して、二・三歩歩みを進めた後、不意に足を止めて振り返る。
そして、首を捻った顔には、「はて、今のはどこの誰であったろうか」という疑問が浮かんでいた。もしくは、隣にいる女房にその場で真実を教えられて、驚きに言葉を失う者が大半だった。
中には、祭りの余興か何かと取ったのか―要するに道化要員として女装させられているとでも思ったのか―「馬鹿を言うな」と笑い飛ばした者さえいた。
リョウは、言葉少なににこやかな微笑みを向けることで挨拶を返した。自分自身、若干の戸惑いがあるのも確かだった。
リューバが手直しを加えてくれたお下がりの服は、【お下がり】というには申し訳が無い程、自分には勿体ない位に立派なものだった。
村の女たちと同じようなこの日の為のとっておきの服に着替えて、薄く口紅まで刷いた。
鏡に映る贅沢な衣装に身を包んだ女の姿は、見知った自分の顔であるのに違う人のようにも見えた。鏡の中の女は、己が心を投影するように戸惑いの微笑みを浮かべる。それは、ほんの数刻前の出来事でもあった。
『リョウ? 如何した?』
不意に表情を無くした連れを心配するようにナソリが足を止める。
「ん? あぁ、ごめんごめん。昨日より人が多いなぁって思って」
せり上がりそうになる何かをするりと押し留め、リョウは眼前に広がる賑やかな人垣の方へと視線を投げかけた。
子供たちは貰った食べ物を手に走り回り、流しの楽団の周りには、小さな踊りを踊る輪が手拍子に合わせて幾つも生まれていた。女たち、男たち、老いも若きも、心のままに奏でられる小気味よい旋律に合わせて、軽やかなステップを踏んでいる。
食べ物を並べた屋台もあちこちにあり、その前には食卓と椅子が用意され、男たちが酒の入ったジョッキやグラスを手に談笑している。
様々な料理の匂いが、風に乗って運ばれてくる。肉の脂が焼ける甘い匂い。付け合わせの野菜類を蒸す鍋からは、白い蒸気が上がっている。この日の為にパンも大量に焼かれていた。
吊るされている燻製された肉の腸詰【カルバサ】も実に艶やかな照りを放っている。勿論、果物を煮詰めたジャムを入れて焼いた甘いパイもあった。熱せられた【マースラ】と【サーハル】の甘い匂い。きっとその中には、ナージャ特製のお菓子もあるのだろう。
村人はそういった様々な御馳走に舌鼓を打ちながら、これまでの日々の労働を労い、この恵みをもたらしてくれた神々に感謝の祈りを捧げた。
『リョウ』
「ん?」
不意に発せられたナソリの声に振り向けば、
『案ずるな。良く似合っておる』
優しい響きを持った低い囁きが耳に届いた。
先程の鬱々とした心の内を言い当てられて、リョウは内心のむず痒さを誤魔化すように破顔した。
ナソリには敵わない。
―ありがとう。
そのまま先を行くべく、背を向けた大きな茶色の毛並みに向かって、心の内でひっそりと感謝の言葉を口にしたのだった。
リョウは、アクサーナの家に向かう途中だった。
その手には、ささやかだがアクサーナへの小さな贈り物が入った包みを持っていた。
結婚祝いの品だ。
アクサーナが婚礼を上げると知らされて、一旦、森の家に帰ったのには、そのお祝い用の贈り物を用意するという目的もあったのだ。時間は余りなかったので大したものは出来なかった。が、これまでの世話になったお礼も込めて何かをしたかった。
用意したのは、手作りのブローチだった。
以前、セレブロと森の散策をした時に途中で出くわした小川で小さいながらも綺麗な石を見つけた。それを取って置いたのだ。
その石は、見つけた時は薄汚れていたが、セレブロの助言を受けて呪いを唱えながら軽く研磨すると、ちょうどアクサーナの瞳のような透明で温かみのある橙色に変わった。
そして、暇を持て余しているセレブロに手伝ってもらいながら―この時は人型になってもらった―ガラクタ部屋になっていたガルーシャの納戸を漁って、石を留められるような材料を探し当てたのだ。
素人が作ったものであるから形は少し不格好だが、それを補うかのように橙色の石が陽の光を吸い込むと反射して輝きを増した。
気に入ってくれるとよいのだが。ほんの少しの不安と高揚感が綯い交ぜになっている。
出来上がったものを見せたリューバは、綺麗だと誉めてくれた。ナソリからも中々の仕上がり振りだと太鼓判を貰った。
それだけでも良しとしようか。要は気持ちの問題なのだから。
そして、手にした包みをそっと持ち直すと、この一時を楽しむ村人たちの笑い声や歓声、子供たちの甲高いはしゃぎ声、その合間を縫うようにして高く低く流れて来る様々な楽器の音色を耳に聞きながら、のんびりと軽やかな一歩を踏み出したのだった。