時を越えて受け継がれるモノ 2)
そうして、暫く経ってから。
この国の伝統的な衣装に身を包んだ一人の年若い女が、恥ずかしげに頬を染めて扉の中から現れたのだった。
「まぁ!」
『………何と!』
着替えたリョウを見てリューバとナソリは息を飲んだ。
「これであっていますか?」
客室に引き上げていざ着替えようとした時にふとその着方を知らないことに気が付いた。余りの浮かれぶりにそこまで頭が回らなかったらしい。
スカートとシャツにカフタンを重ねて、上からサッシュをベルト代りに締めるのだろうと予想して着てみたのだが、間違ってはいないだろうか。
リューバが娘時代に着たと言っていたが、彼女の今の体格からは想像が出来ない程それは小さなものだった。
【ユープカ】は、たっぷりと贅沢な程に生地を使い、腰周りは紐で調整するようになっていた。
【ルバーシュカ】は、頭から被る形で肩の辺りが余るが、上から羽織るモノがあるので誤魔化せるだろう。
【ルバーシュカ】の裾を【ユープカ】の中に入れるか迷ったが、【ルバーシュカ】の裾の方にも刺繍が施されてあったので上に出した。その上から【コーフタ】を羽織る。
上着は、シャツやスカートとは違いしっかりとした厚手の生地で身体の線に沿った仕立てになっていた。肩の部分はやはりリョウには少し大きかったが、この国の女たちの体格の良さを思えば、寧ろまだましな方だろう。それよりもリューバがこれを着られる体つきであったことの方が驚きだった。いやはや、時間の経過とは時に恐ろしく残酷なものだ。
それはさておき。
兵児帯のような太さの柔らかい色鮮やかな【レンタチカ】を腰の辺りで【コーフタ】の上から巻く。
【コーフタ】には前を留めるようなボタンやホックの類は付いていない。
そして最後に平たいバレエシューズのような【トゥーフリ】を履く。衣装の華やかさに劣らず、靴にもキラキラと光る石が装飾として付いていた。
靴は偶然にもピッタリだった。
部屋には姿見が無かったので、どんな感じになっているのかは分からない。果たして自分がこのような華やかなものに身を包んで可笑しくは無いだろうか。贅を凝らした衣装に着替える間の高揚感の後、徐々に不安が生まれてきた。
自分の顔立ちや体格はこの国の女達とは明らかに違う。
こういった民族衣装の類は、それを身につける自国の女たちをより美しく見せる為に発達してきたものだ。長い時間と弛まない努力を掛けて、彼女たち仕様に作られてきたのだ。
―己が娘が綺麗になるように。
―己が妻が美しくなるように。
そんな思いが沢山詰まっている。
その事を思えば、自分に似合うとは到底思えなかった。
恥ずかしそうに俯いたリョウにリューバは嬉々として近寄った。
「まぁ、リョウ! とても良く似合ってるわ!!」
その声は、なぜか感極まったものだった。
リューバは込上げて来るものをそっと指で拭うと満面の笑みを浮かべた。目尻にはまだ薄らと涙の滲んだ跡が残っている。
「よく見せて頂戴? 具合はどうかしら………」
そっと顔を上げたリョウの周りを確かめるように真剣な眼差しで矯めつ眇めつ回る。
「やっぱり、肩幅が大きいわね。脇ももう少し詰めないと駄目だわ。………ホントに。こうしてみると細いわねぇ」
そう言って、リューバは、【レンタチカ】がぐるりと回るリョウの腰へ溜息交じりに手をあてがった。
「リョウ、【コーフタ】を脱いでみて」
言われるままに帯を解いて上着を脱ぐ。
リューバは、今度は【ルバーシュカ】と【ユープカ】の具合を見た。
「下は大丈夫ね。丈もちょうどいいわ。後は……………」
リューバの視線はリョウの胸元へと注がれていた。
リューバが言わんとすることにリョウは苦笑して見せるしかなかった。お世辞にも胸はある方ではない。これでも【向こう】では平均的であったのだが、【こちら】では稚い少女のようなものなのだろう。今まで自分の胸元に対してコンプレックスを持ったことはなかったが、この国の豊満な体つきを持つ女達の姿を思えば、自嘲の念が頭を擡げてきても仕方がなかった。
だが、こればかりはしょうがない。
そんな心中複雑な中、その次にリューバの取った行動にリョウは度肝を抜かれた。
「ちょっと失礼するわよ?」
そう言って腰を掴んでいた手が、そのまま上に行き、服の上から胸の丸みを確かめるように掌でその大きさを測る。リューバの柔らかいふくよかな手が、その形を見るように自分の乳房の辺りにあてがわれていた。
「やっぱり、思ったよりあるわね」
同じ女性であるから別に気にすることは無いのだが、意表を突かれる形になってリョウの体は硬直した。
「………あの……リューバ?」
何とも情けない格好で躊躇いがちに訊ねてみれば、
「ん? なぁに? この位……かしらね」
今度は【ルバーシュカ】の脇を絞るようにリューバの手が器用に動いていた。
一頻り計測が済んだのか、満足のいく顔をしてリューバは面を上げた。
「大体分かったわ。シャツは脇にダーツを入れて、胸元の切れ込みは少し縫い合わせれ良いわね。上着は肩を詰めて、脇ももう少し絞れば大丈夫。それじゃぁ、早速取りかからなくちゃ。リョウ、着替えてもらってもいいかしら? ホントなら、もう少し見ていたいけど、直しの方が先だから」
そうしてリョウは促されるままに元の服へと着替えたのだった。
それからリューバは、一人、部屋に籠ると早速衣装の手直しに取りかかった。
代々術師を輩出してきた家系であったリューバの家では、娘や息子達に贈るハレの日の衣装には、それを縫う生地や糸に特別な呪いを仕掛けていた。
子供たちに禍が掛からないように、そして丈夫であるようにとの思いを懸けて、一針一針、心を込めて縫い合わせるのだ。
この衣装には、リューバの母親の思いが詰まっていた。
本当なら、リョウにも自分の体に合ったものを作って上げられれば良いのだろうが、いかんせん今回は急なことで時間が無かった。間に合わせのように自分が大昔に着ていたものを引っ張り出してみたのだが、その形状は、呪いのおかげか、長い年月を経た今になっても色褪せることなく綺麗な状態なままで保たれていた。
リューバは懐かしむように、テーブルの上に広げた衣装をそっと指で撫でた。
この服には、母親の【想い】もそうだが、自分の【思い出】も沢山詰まっていた。
ほろ苦くて甘酸っぱい、若かりし頃の記憶。直視するには眩しい程の時間のうねりだ。
子供を産んでから体型が急激に変わってしまって、あの頃のようにこの服に袖を通すことはできなくなってしまった。
本来であれば、自分の体型の変化に合わせて縫い目を解き、仕立て直せば良かったのだろうが、そうするとあの頃の楽しかった掛け替えのない記憶までもが無くなってしまいそうで、とうとう手に掛けることが出来なかったのだ。
そうやって納戸の中で埋もれてしまっていた服に漸く光を当てることが出来た。このままずっと部屋の片隅で埃を被ってしまうより、誰かのものになり、その身を再び飾ることが出来る方が、この衣装としても本望というものだろう。
そうして、時と共に織り込まれる形の無い【想い】と一緒に、この服も次の手に受け継がれてゆく。
そういう意味合いからこの衣装はリューバにとっては非常に大事なものであったが、リョウにならば惜しくはなかった。
二人の息子たちの衣装を縫い上げたのは、もう随分と昔の話だ。いつか、自分に娘が出来たら、こうして専用の晴れ着を作ってあげたいと思っていた。そんな、とうの昔に潰えたはずのささやかな望みを繋ぐ様にリューバは手にした衣装の縫い目を断つべく鋏を入れたのだった。
近い内にリョウにもきちんとしたものを作ってあげよう。生地選びから糸選び。刺繍の意匠や色の組み合わせ。それこそ完成までにやることは沢山ある。
そして、新しく思い描く、そう遠くはない未来を思いながら、一針ずづ丁寧に指を動かして行ったのだった。