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Messenger ~伝令の足跡~  作者: kagonosuke
第二章:スフミ村の収穫祭
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時を越えて受け継がれるモノ 1)

 さて、ジューコフの協力もあってほうほうの体で俄か門番の男達から逃げて来たリョウであったが、リューバの家の扉を開けても望んだような安息は訪れなかった。

 珍しく迎えに顔を見せなかったナソリに内心首を傾げていたのだが、リューバの家の扉に手を掛けた瞬間、その理由の一端が分かった気がした。

「あら、リョウ、いらっしゃい」

 ナソリの毛足の長い体毛に専用の大きな(ブラシ)を当てながら、振り向いたリューバはにこやかな笑みを見せた。

 それとは対照的にリューバの手の下でナソリはしかめっ面だ。

『リューバ、もうよい。十分だ』

「あら、まだ駄目よ。こっちの方をやっていないでしょう?」

『構わぬ』

「だーめ。折角なんだから、もう少しの辛抱よ。我慢なさい」

『………………ぐぅぬぬ』

 だが、主導権を握るのはリューバの方で、いつもの威勢の良さはすっかり鳴りを潜めている。

 情けない唸り声を出したナソリを見てリョウは小さく笑みを零した。

『リョウ。笑っていられるのも今の内だぞ』

「はい?」

 そんな負け惜しみとも取れるナソリの咆哮にリューバが含み笑いを漏らした。

「うふふふふ。ナソリが終わったら、次はリョウの番よ?」

「はい?」

「楽しみにしてらっしゃい」

 そして、ナソリの様子を笑った報いか、その忠告をリョウは身をもって体験することとなった。


 強制的な毛繕い(ブラッシング)を終えたナソリは、リューバの手が離れるやいなや勢いよく飛び退(すさ)るとリョウの後ろに回って、その大きな体を隠そうとした。

 その体勢はどう見てもかなり無理がある。

『やれやれ。(えら)い目にあった』

「綺麗になったじゃないか」

 艶を増したナソリの毛並みへ手を伸ばすとリョウは一撫でした。絡まりそうになるごわつきも無く、実に滑らかな触り心地だ。

「気持ちよくなかったの?」

 つい気になって訊いてみれば、

『リューバは加減を知らぬ』

 ナソリには色々と思うところがあるらしい。

 尚もぶちぶちと言い募るナソリが可笑しくて、リョウは笑った。

 それでも艶も倍増しで見違えるほどに綺麗になったのだからよしとしようではないか。

 【ハレの日】仕様は、セミョーンだけでなく、ナソリにまで及んでいたようだ。


 込上げて来る笑いを堪えながら―これ以上笑い続けたら、本気でへそを曲げてしまう恐れがある―ふてくされたナソリを宥めていれば、

「さ、次はリョウの番よ?」

 こちらにいらっしゃいと普段の倍増しで、きらきらと無駄にその翡翠色の瞳を輝かせたリューバが迫力のある微笑みを浮かべていた。

 正面からそれを目の当たりにしたリョウは、思わずぎくりと肩を揺らした。

『リョウ。諦めろ。人生、悟りを開くことも肝要ぞ』

 ―なんですと!?

 嫌な予感に顔を引き攣らせた直ぐ脇で僧侶のような文言が下される。

「この日の為に家中ひっくり返して漸く見つけたんだから。さぁ、こっちに来て当ててみて。まだ細かい直しが必要だと思うの。そしたら、直ぐでも手を付けるから」

 軽やかに身を翻して奥の部屋に行ったかと思ったリューバは、その手に何やら服らしきものを持って戻ってきた。

 今日のリューバは、何と言うか鬼気迫るものがある。リョウは観念してリューバの元へと近づいた。

 何が彼女をそこまで駆り立てているのか、リョウには皆目、見当が付かなかったが、これもお祭りの影響なのだろう。そう思うことにした。


 リューバが手にしていたモノは、女性物のこの地方の伝統的な服だった。

 【ルバーシュカ】というシャツに【ユープカ】というスカート。そして【カフタン】のような【コーフタ】と呼ばれる長い上着と腰に巻く【レンタチカ】という太めの【サッシュ】だ。ご丁寧にそれに合われるお対の靴【トゥーフリ】まであった。

 それぞれの衣装には、金糸・銀糸を始めとする色とりどりの糸で繊細で華やかな刺繍がびっしりと施されていた。草木をモチーフにしたもの、花をモチーフにしたもの、それを幾何学模様が縁取りしている。

「これは……………凄い」

 【ルバーシュカ(シャツ)】を手に取ったリョウは、その豪華さに思わず溜息を吐いていた。

 襟から深く切り込み(スリット)が入った胸元にかけてその輪郭を縁取るように青い花を象った刺繍が縫い込まれている。随分と手の込んだものだった。

「ふふふ。懐かしいわぁ。これは、私が娘時代に着ていたものなのよ。お祭りの時とか、ここぞという時の晴れ着なの。結婚して子供を産んだら直ぐに着られなくなっちゃったんだけど、これだけはどうしても手元に残しておきたくて」

 そう言って懐かしそうに目を細めたリューバの顔は、時を巻き戻してまるで娘時代に戻ったような表情をしていた。

 リョウは自然と高揚した気分に包まれていた。

 綺麗なものを目にして心躍らせるのは、女ならではの性質だろう。【こちら】に来て以来、お洒落とは無縁の生活を送って来たのだが、こういった素敵なモノをいざ目の前にすると、昔を思い出すように興奮に胸が高鳴った。

 女である部分は、やはりそう簡単に失えるものではないのだ。忘れかけていた気持ちが引きずり出される。

 途端に目を輝かせたリョウを見て、リューバは嬉しそうにいつもよりは一オクターブは高い上ずった声を上げたのだった。

「さ、リョウ。遠慮しないで試しに着てみて。私のだから少し大きいとは思うんだけど。具合を見たいから。これでも昔は細かったのよ?」

 茶目っ気たっぷりに片目を瞑って見せる。

 リューバの提案に頷くとリョウは手渡された衣装を胸に抱えて、こちらに滞在している間に使わせてもらっている客間へと着替えに行った。


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