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Messenger ~伝令の足跡~  作者: kagonosuke
第二章:スフミ村の収穫祭
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あの空の向こう

 スフミにいる術師の名は、確か、リュドミラ・リュベーズヌィ…だったか。

 その名を見れば女性であることは明白だ。女性の術師は国内でも比較的少なくその存在は珍しい方だと言えるだろう。

 報告書には、ガルーシャ・マライと親交があると記されていた。

 ―ガルーシャ・マライ。

 ユルスナールは、そっと窓の外へと視線を向けた。

 ここより北東の方角にスフミ村がある。そして、視線を少し横にずらして。ここより北西の方角には、ガルーシャが暮らしていた小屋があった。

 今、そこに暮らしているのは。

 ユルスナールの目裏には、穏やかに微笑む黒い瞳を持つ女の顔が浮かんでいた。

 ―変わりなくやっているだろうか。

 北の砦を後にして以来、リョウからは伝令の鷹であるイーサンを通じて近況を知らせる手紙が届いていた。

 そこには、ガルーシャが残したモノを学んでいるとあった。書斎にある膨大な書物と日々格闘しているともあった。そして、それらを自分が独り占めしている状況は実に勿体ないから、どうにかならないだろうかというような相談事も書いてあった。

 リョウには術師としての素養があった。獣達と意思の疎通が出来るのは、その顕著な表れである。ガルーシャもそれを早々に見抜いて、出来る限りのことをしていたようだ。

 残念ながら、その時間は余り残されてはいなかったが。それでも伝授された【技】は貴重なものであったろう。そういったことを総合しても、どうやらリョウが術師としての勉強を自力で行っていることは見て取れた。

 ガルーシャが、その遺書とも呼べる封書の中で、一人残されたリョウのことを自分に託したのは、このような術師を取り巻くこの国の現状を見越した上でのことでもあったのだ。

 リョウをこの国の政治的問題に巻き込んではならない。あの優しい微笑みを曇らせてはならない。

 改めて、ユルスナールはその決意を新たにしたのだった。


 キリルの出身はスフミ。それが意味することは、今回の任務では大きかった。

 この時期、【フタロイ・アディン(11日)】から【セェミ(17日)】にかけた七日間、スフミ村では【収穫祭】が予定されていた。

 スフミ村の収穫祭は、辺境にある小さな村にも関わらず、その派手さと賑わい振りは国内でも随一と有名だった。スフミ出身の村人は元より、周辺からも見物に多くの人が訪れるのだ。人口百人程の小さな村落は、それこそ上を下にの大騒動になった。

 最終日には、村の中央にある広場で大きな篝火が焚かれ、村人たちは老若男女問わず踊り明かすのだと聞く。

 流しの楽団や行商の類も稼ぎ時とばかりに入り込む。余所者がこの国に忍び込むには絶好の機会と言えた。

 スフミ村はこの砦の北東。仮に山脈側の国境を越えて他国の斥候がこの地へと入り込んだ場合、一番初めに目にする集落でもあった。情報収集の手始めとしては、格好の場でもある。

 報告書によれば、リュドミラ・リュベーズヌィは、単なる薬師というには到底おさまり切らない有能な術師であるという。ガルーシャ・マライ亡き今―その情報がどこまで漏れ伝わっているかは分からないが、その存在が隣国に漏れて、その囲い込みの標的になることは避けなければならなかった。

 今回の任務は、そのリュドミラ・リュベーズヌィと接触を持つこと。そして、村に入り込んだ不審な人物がいないかどうか、その周辺を警戒することだった。

 ということで、人選としては【なるべく目立たない人物】ということを優先した。

 その点、ロッソは適任と言えた。寡黙な性質だから服装を変え黙っていれば、村の樵のようにも見えなくもない。

 そして、同じ村の出身であるというキリルの存在は、かなりの強みになるはずだった。

 自然さを出すには一番だ。ロッソ一人だと警戒を持たれるだろうが、キリルの存在は、村人との間の緩衝材になる。顔見知りがいるということは、村に溶け込むことを容易にするだろう。


「納得頂けたようですね」

「ああ」

 ヨルグの慇懃なその一言にユルスナールは素直に首を縦に振った。

「それだけではありませんよ?」

 安堵の表情を見せた己が上司に、シーリスは再び含みのある視線を投げかけた。

 その口元は、相変わらず薄らと弧を描いている。

 促すような視線を投げかければ、シーリスはとっておきの秘密を告げるように声を低くした。

「なんだと思います?」

 ユルスナールは呆れたように小さく息を吐いた。

「シーリス。勿体ぶるな」

 不満を隠さずに口にすれば、何が可笑しいのか、実に愉快そうに菫色の瞳を細めた。

 悪びれることなどない。

 ギロリと睨みつけるように見遣れば、漸く、諸手を前に掲げてから小さく肩を竦めて見せた。

「キリルの父親は、ルークです」

 ―ルーク。

「ルークとは、あのルークか?」

 ユルスナールが確認するように見上げれば、

「ええ」

 ヨルグが頷いた。

「悪い話ではないでしょう?」

 そう言ってシーリスは片目を瞑って見せた。

 それは、各地を隠密に回って独自に情報収集をする、この国の諜報部隊に所属する兵士の名前だった。

 彼らの部隊は【チョールナヤ(黒き)テェニィ()】と呼ばれ、その活動の詳細は、軍部の中でも秘匿事項であった。

 その一員(メンバー)は、【アタマン】と呼ばれる頭取以外は明らかにされておらず、各人は通り名をもって特殊な暗号を元に報告を繋いだ。普段は、そこらにいる村人や街の一般市民と変わりのない生活を送っているのだ。

 【ルーク】というのも便宜上の渾名で、その意味は【ネギ】だ。

 だが、本来、【チョールナヤ(黒き)テェニィ()】の隊員は、家族にもその事実を隠している。息子とは言え、そのことを知っているとは思えなかった。

 その疑問を解く様に、

「キリルはルークの自慢の息子だそうですよ?」

 そう言って、シーリスは懐から小さな紙片を取り出し、ユルスナールに手渡した。

「キリルがここに配属が決まった時にコレが送られて来たんです」

 シーリスが可笑しそうに喉の奥を震わせた。

 中を開いてみれば、几帳面さを窺わせる小さな暗号文字で、簡潔に一文、「息子を頼む」と書いてあった。

 こんなものを態々寄こすとは、ルークも世に言う親馬鹿の類と変わりないではないか。

「要するにこれはルークなりの意思表示なのでしょう」

「つまり、自分の血を引いていることを知らせたかったと?」

「それだけ親の贔屓目に見ても使えるということかと」

 その本心は、この小さな紙切れだけでは読み切れないが、ヨルグの下した結論に残る二人はさもありなんと目を見交わし合った。

「だが、まぁ、それも直ぐに分かる」

 後は、スフミへと出立した二人の兵士の任務が恙無く遂行されることを祈るばかりだった。


「ルスラン。本当は、貴方が行きたかったのではありませんか?」

 補佐官であるヨルグが別の仕事の為、団長室を去った後、ユルスナールと二人きりになったシーリスは、からかう様な眼差しを己が上司へと向けた。

 問われたことの真意が分からずに、ユルスナールはシーリスを怪訝な表情で見遣った。

「おやおや、この期に及んで惚ける気ですか?」

「何のことだ?」

「フフフ」

 その質問にシーリスは再び含み笑いを始める。

「では、私も仕事がありますので、ここでお暇すると致しましょう」

 そう言って踵を返そうとする。

 またしてもいい逃げする気なのか。

「おい」

 思わず焦れたような声を掛ければ、シーリスは去り際、ユルスナールの肩を一つ叩いて、

「スフミには今、リョウが滞在しているようですよ?」

 そう小さな囁きを残して、軽やかに身を翻し、団長室を後にしたのだった。


 一人、自室に残されたユルスナールは、緩慢な動作で執務机から立ち上がるとそのまま後方の窓際に立ち、身体を凭せ掛けた。

 そして、今しがた有能な部下が残した最後の台詞を胸内で反芻するように、遠く、件の村落がある方向へと視線を投げた。

 秋の空は高く澄みきっている。

 ―いづれ、また。

 機会があれば、会える…だろうか。

 ユルスナールの心の問いに応えるように、蒼穹の遥か向こう、(トンビ)が一つ、高らかに長閑な鳴き声を上げたのだった。


リュドミラ・リュベーズヌィは、リューバの本名です。

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