贖いと償いの連鎖
その一言でユルスナールは凡そのことを理解した。
あそこには、術師が一人いるはずだった。王都への届け出には薬師として登録されているようだが、それは、あくまでも便宜上の肩書だろう。自由気ままで束縛を嫌う術師ならば、その位の目くらましは難なくやってのける。そのことは想像に難くなかった。
国が術師の囲い込みを始めたのは、もう二十年以上も前のことだ。
切掛けとなったのは、当時、最優先懸案事項となっていた隣国ノヴグラードとの戦だった。
実際に戦闘を仕掛けて来たのは隣国の方だったが、その数年前から自国では術師の失踪事件が続いており、中央はその対応に頭を悩ませていたのだ。
当時、国は滞在する術師を優遇してはいたが、元より定住をせず、街から街へと渡り歩く傾向のある彼らを自国に留めておこうとはしなかった。
術師の能力は、軍事的にも高い利用価値がある。
そこに早くから目を付けていたのが、先代から代替わりして、軍事拡張傾向を顕著にし始めた野心溢れる隣国の若き王だった。
古くから連綿と続く我が国スタルゴラドとは対照的に、ノヴグラードは、その言葉が示すように新しく生まれた新興国であった。
スタルゴラドとは【古の都】という意味だ。そしてノヴグラードとは【新しき都】という意味だった。【グラード】とは【都市・街】を意味する言葉である【ゴラド】を異国風に読み変えたものだった。
だが、元を質せばその根幹は同じだ。
その昔、スタルゴラドで後継者を巡る政権争いが起きた時、敗れた王族の一派が、国を捨て、流れ着いた先をノヴグラードと定めた。二国は、そのようにして袂を分かった元は同じ国の人間同士なのだ。
峻厳な山脈を隔てた隣合わせの地の利というのは、皮肉なものだ。
その創成の起源は古く、連綿と長きに渡りこの地を統べる大国として時を刻んできたという歴史的背景から、元来、のんびりとした守りの体勢を貫くスタルゴラドを余所に、そこから派生した一派であるノヴグラードは、好戦的で且つ急進的な性質を遺憾なく発揮させていた。
代々玉座を継承する王は、往々にして野心的な者が多かった。
そして、気が付けば、術師の多くは、隣国であるノヴグラードに、何らかの形で吸収・奪取され―その方法は、懐柔されたり、強制的に拉致されたりと様々だ―彼らの特殊な能力を元に有力な武器を開発し、それを元にこちらへと攻め込んできたのだ。
戦略的には、完全に不意を突かれた形となった。
以前からそのような危惧が一部の軍部・貴族達の間であったのは確かだが、国の中枢を牛耳る貴族たちにはその進言が届かなかった。
戦いは、スタルゴラド側の首脳陣の予想に反して、苦戦を強いられた。
読みが甘かったと言えばそれまでだ。長い間、安穏と続く古くからの大国であるという事実に胡坐をかいていたということになる。
実際にぶつかってみれば、その兵力は互角で、戦況は図らずも長期戦の様相を呈した。
当時の中枢部は、さぞかし焦ったことだろう。
やがて長引く戦争に疲弊した両国は、程なくして停戦条約を締結する。 そして現在に至るまで、表面上は、その束の間の和平が守られているという形になっていた。
その戦いから自国が得た苦い教訓は、術師が持つ能力の可能性を無視してはならないということだった。
元々、代々治世に就いていた王族は、彼らの特殊な力を【異形のもの】として蔑視し、忌み嫌う傾向にあった。普段の生活の中で、その恩恵に預かっているという事実は棚に上げて、だ。
元来、その能力は【人】であるならば、誰しもが等しく持つものであったという真実は、この時代、すでに忘却の彼方へと追いやられてしまっていたのだ。
首領者のそういった考えは、周りを取り巻く貴族たちにも伝染する。そうやって長きに渡り、国の中枢では、彼ら能力者を軽んじる傾向が見受けられたのだ。
その結果、もたらされたのが、戦いでの大きな痛手だった。
大国の威信に掛けて【敗戦】という無様な結果を晒すことはなかったが、元々の国力の差から鑑みても、その結末はスタルゴラドの敗北とみなされても強ち間違いではなかった。
戦禍から国は疲弊し、散々な目にあったのは、戦いに巻き込まれた国の民だ。
その時の苦い経験を元に、新たな政策の一環として術師に対する登録制が始まった。国は、漸く重い腰を上げて、術師の管理と庇護に乗り出すようになったのだ。
それから法令が発布され、王都を始めとする主だったこの国の都市で、術師を名乗り、その能力である施術で生計を立てる為には、中央の役所から交付された免状が必要となった。
というのが大きな建前として存在している。
国は、年々減少傾向にある素養を持つ人間の数を把握出来るし、いざという時に自国への帰属を主張できた。そして、その能力を利用することも。
【いざという時】というのは、他国からの引き抜きや果ては拉致まがいの人攫いのような事件が起きた時に、国として、毅然とした態度を取り、それに対処することが出来るようにするということを意味していた。
以前に比べて高い能力を備えた有能な人材は、それこそ世界規模で見ても枯渇傾向にあった。
東の神殿は、独自の伝手を通してその原因究明に当たっていたが、未だ芳しい成果を得るに至っていない。それに対する諸外国の対応も様々だった。
そんな中、自国スタルゴラドの王都スタリーツァには、早い段階から術師を専門的に養成する学校が作られ、国を上げて術師の育成に取り組むようになっていた。
このような次第で、この世界に於ける術師を巡る背景は、政治的に見てもかなり不安定であった。
国を上げての管理・統制は、術師たちの自由を縛るものだった。
元々、術師たちの国への帰属意識は薄い。それは、術師たちがその能力があれば、どこに行ってもそれを売りに食べて行けるからだ。
政治的締め付けが強くなった時、術師たちの取った反応も実に様々だった。
強い反発を覚える者もいれば、我が身の安全が保障されることに安堵の息を漏らした者もいた。それは、先の戦争をどのようにして生き延びたかに影響していた。
政の道具にはなりたくはないと身を隠した者もいる。一時は、その名を近隣に轟かした高名なガルーシャ・マライは、そのいい例だった。
そして、今、現在、術師を巡る近隣諸国の攻防は、政治的にも、軍事的にも再び、この国に不穏な影を落とし始めていたのだ。
スタルゴラド第七師団が拠点とする北の砦の任務の一端には、そういった術師を巡る政治的背景を念頭に置いた情報収集、諜報活動があった。
この砦から見て北西に南北に走る山脈の向こうは、隣国ノヴグラードだ。
両国を隔てる山脈は峻厳で、自然の要害となっている。そこを抜けるのは容易ではないが、隣国からこちらに入り込むには一番の近道でもあった。
そういった地理的状況が、北の砦をこの国の重要な軍事拠点たらしめていた。
この近辺にノヴグラード側の斥候が出没し始めている。各地域にいる諜報部隊の兵士からもたらされたその報告の真偽を確かめる為に、アッカは調査に向かい、その途中で負傷した。
ユルスナールにとって、その時の戦慄は、まだ記憶に新しかった。