関所の俄か番人たち 1)
アクサーナの婚礼まではまだ十三日も間があったので、リョウは一旦、森の家に帰ることにした。
そして、諸々の準備を済ませた十日後の【フタロイ・チティーレ】に再びスフミ村へとやってきた。
リョウは初めて目にする村の変わりように目を見開いた。村中、どこもかしこも人で溢れかえっていた。
いつもは閑散として長閑な風景が広がっている景色が、この日は滾るような熱気に包まれていた。
一体、何処に隠れていたのだという程の人影。賑やかなことこの上ない。
家々の軒先には色とりどりの吹流しのような旗が翻り、目にも鮮やかだ。遠く漏れ聞こえて来るのは、陽気な歌い声と賑やかな歓声だ。
流しの楽団だろうか。彼らの奏でる笛や【バラーニ】、【リート】、【バラライカ】の音色も風に乗って運ばれてくる。
調子を付けて高らかな歌い声が響いてきた。ああやって朝から晩まで、祭りの期間中、村中は休みなく騒ぎ続けるのだという。
眼前には、こちらを立つ前にリューバから聞いていた話通りの景色が広がっていた。
だが、【百聞は一見に如かず】だ。話に聞いて想像をするのと実際に目で見てみるのは、やはり全然違った。
圧倒されるような賑やかさを前にリョウは眩しそうに目を細めた。ここまで高揚した気分が伝わって来そうだった。その切れ端を少しでも取り入れようと、一つ、大きく息を吸い込んでみた。
村の入り口に立てば、【ピーバ】の入ったジョッキを掲げた男達が、赤ら顔を惜しげもなく晒して外に設けられた食卓で談笑していた。
【ピーバ】は、この国の農村地帯では一般的な酒で、【ビール】に似た赤みを帯びた発泡酒の一種だった。アルコール度数も然程強くは無く、男達はそれこそ水代わりに浴びるように飲んだ。【エール】に似たまろやかな苦みが特徴だった。
この日ばかりは、女房にも子供達にも気兼ねすることなく大手を振って飲めるのだ。一々文句をいう野暮な輩もいない。男達のこの日に懸ける意気込みは、火を見るよりも明らかだった。
そんな男達だから、【談笑】と言っても最早【だみ声】の域である。
入口にポツンと立つリョウに男達の一人が気付いて、早速声を掛けた。
「おーい。坊主。オメェは確か、ガルーシャんとこの坊主じゃねぇか!」
ぶーんぶんと緩慢な動作で振られた手に、リョウはにこやかに微笑んで返事を返した。
「こんにちは。随分と賑やかですね」
「おう、坊主。こっち来いや」
誘われるままに傍へと近づけば、
「リョウじぁねぇか。よく来たな」
ぐびりとジョッキの中身を飲み干して、口の周りに白い泡を付けながら顔馴染みになっていた村人のセミョーンが豪快な笑みを見せた。八重歯気味の左側からは白い歯が覗く。
村を挙げてのお祭りの所為か、いつも伸びっぱなしの無精髭は綺麗に剃られていた。あるはずのものが無いというのは、妙な違和感がある。
だが、その小ざっぱりとした【ハレの日仕様】の感じは、セミョーンを年相応に若々しく見せていた。よくよく見れば、身につけているものも随分と違う。普段のざっくりとした洗いざらしのシャツと膝に当て布の付いたズボンとは違い、繊細な刺繍が施された意匠の凝ったものを着ていた。
シルクシャンタンのような光沢のあるシャツは、陽の光を反射して滑らかな艶を放っていた。そのシャツの上から長めのチョッキを羽織り、腰には太い飾り紐の付いたベルトが巻かれている。
要するに一張羅だった。
この日は、この時期の気候の割には暖かな陽気で、セミョーンを始めとする男達は暑いのか、皆腕まくりをしていた。捲りあげられたシャツからは、陽に焼けた逞しい腕が覗く。リョウの太もも程はあろうかと思われる、その鍛え上げられた太い腕は、日々の労働の賜物だった。
遥か後方、村を囲むようにして植えられた【グレーシュ】の畑は、今は綺麗に刈り取られ、収穫を終えていた。
人の胸の高さまでもある、たわわに実った穂を刈り取るのは専ら人力で、中々に重労働で至難の技だった。
その昔、本で垣間見た中世ヨーロッパの農業暦の絵に描かれていたような、人の背丈程はある長い柄の付いた刃先の長い鎌を使うのだ。あれだ。タロットカード等で死神がその肩に担いでいるような大きな湾曲した鎌だ。
村人は横一列になって一定のリズムを刻みながら【グレーシュ】の穂を刈った。それは、遠い昔の話に聞く【稲刈り】に似た光景だった。
リョウも一度だけ手伝いと称して【グレーシュ】刈りに畑に入ったことがあったが、全く使い物にならなかった。
鎌は見た目以上に重く、長い柄は使うのにコツが要った。
立ったまま足下を払うように左右に振り、勢いを付けて手前に引く時に穂の根元に刃を当てて刈り取るのだ。腕の力がかなり必要だし、腰への負担も相当なもので、慣れないことに直ぐにへばってしまった。意気込んで始めたものの直ぐに根を上げる羽目になった自分が情けないやら、受け入れてくれた村人には申し訳ないやらで、黙々と作業を続ける村人を尻目に早々に戦線離脱となった。
男達からはへっぴり腰をからかわれ、女達からは危なっかしいから見ていられないと笑われたのも記憶に新しい。
男達も女達もその鎌を手に延々と決められた区画が終わるまで刈り続けるのだ。それこそ村人総出の仕事だった。セミョーンを始めとする男達の肉体は、そういう日々の労働から生まれたものだった。
「こんにちは。セミョーン。すっかり見違えましたよ。一瞬、誰かと思いました」
祭り用に身綺麗になったことをからかうように仄めかせば、
「どうだ? 中々男前になっただろう?」
目配せをしてから自慢げに口角を上げる。
「そうですね」
「ハハハ、言ってらぁ」
「俺だって負けてねぇぜ」
「よ、色男!」
それを聞いていた周りからは当然の如く野次が飛ぶ。
「リョウ。一杯どうだ?」
着いたばかりなら喉が渇いているだろうとジョッキに並々と注がれた【ピーバ】を手渡されて、内心ぎょっとしたものの、それを苦笑して見せるだけに押し留めた。
折角のいい気分に水を差したくはない。
男達の浮かれ具合に感染するように、リョウはジョッキを受け取ると、ぐいと勢いよく飲み干した。
喉が渇いていたのは確かだった。
【向こう】にいた時は、【ビール】の類はどちらかと言えば苦手だったが、喉を通る【ピーバ】は、すっきりとした喉越しで、ここまでの道のりを歩いてきた身体には不思議と美味く感じた。
一仕事を終えた後、とっておきの一杯を飲んで、爽快な呻き声を上げる男達の気持ちが、漸く理解出来た気がした。
「お、良い飲みっぷりだ」
それを見た周りの男達が次々に囃したてる。
全てを嚥下して口に付いた泡をポケットに入れていたハンカチで拭う。
「もう一杯どうだ?」
「いえ、もう十分です。ありがとうございます」
ジョッキに手で蓋をするようにテーブルの上に置いて、リョウは注がれそうになるお代わりを阻止した。
こうしないと次から次へと注がれてしまうのだ。底なしのような村の男達と同じ調子で飲むなど物理的に不可能だった。
「なんだ、坊主。たった一杯か?」
「はい、もう沢山です」
水分と気泡で膨れた腹を摩れば、
「なんだ、情けねぇなぁ」
と呆れた顔をされる。
ここの男達は、酒が飲めてなんぼなのだ。それが出来て漸く一人前の男として受け入れられる。リョウにはとてもじゃないが無理だ。というよりも本来の性別を考えれば、そのような必要は無いはずなのだが。
北の砦の時と同様にリョウの外見が相手に与える印象は、ここでも変わらないようで。
恐らく、ズボンを履き続ける限り、【少年】としての認識は付いて回るのだろう。
リョウとしては一々気にするのも面倒で、今では、すっかり彼らの反応に合わせることにしていた。
「男なら、もうちったぁ鍛えねぇといかんぞ」
「まぁ、その内、慣れるだろ」
「ああ、酒は慣れだからな」
御説は御尤も。こういう場合は、素直に頷いておくに限る。
「アハハハ、そうですね」
口を大きく開けて笑う男達の浮ついた空気を真似るように、リョウも高らかに声を上げていた。




