そしてまた日は昇る
あれからどうなったかと言うと。
後日、リューバの所から野次馬宜しくピァーチがやって来て、ご丁寧にも事の次第を詳細に語って行った。
ピァーチのお節介にも困ったものだが、向こうの様子が気になっていたのは事実であるので、有り難くその講釈を拝聴することにした。
それによると。
リューバの所に戻れば、実に都合よくアクサーナが待ち構えていた。どうやら返事が気になって仕方がなかったようだ。リューバもそんなアクサーナの意気込みに珍しく苦笑いを浮かべていた。
伝令に取り付けられた筒から、急かすようにして小さく丸められた手紙を取り出す。
中を開く前にアクサーナは目を閉じると一つ深呼吸をした。
気は急いていても土壇場で躊躇いが生まれているらしい。相反する気持ちが高ぶりとなって震える指先に現れていた。
慎重な手付きで中を開いて。
文面を追っていたアクサーナの顔が、見る見るうちに赤くなったかと思うと直ぐに青ざめた。
そして、勢いよく顔を上げるとリューバに詰め寄った。
「リューバ!!! どうしよう! あたし、大変なことをしちゃったわ!」
いきなり大声を上げたアクサーナにリューバは目を白黒させた。
「あらあらあら、どうしたの?」
アクサーナの謂わんとすることには、一応予測が付いたのだが、敢えてリューバは気が付かない振りをして穏やかに微笑んだのだった。
アクサーナの目尻には、うっすらと涙のようなものが滲んでいた。
「あたし、なんてことをしちゃったんでしょう。ああ、どうしよう。リョウが、リョウが…………」
そう言ったきり、口に手を当てて押し黙る。
「リョウがどうしたの?」
アクサーナが少し落ち着くのを待ってから促せば、
「………女の人、だったなんて」
やや放心したように呟いた。
だが、次の瞬間、勢いよく顔を上げた。
「ああもう。あたしったら、何やってるの? 女の人だったなんて。絶対、呆れてる。いや、違うわ、多分、怒ってるわ!」
リョウからの手紙を握りしめたまま、突然、絶望的な顔をしたアクサーナに、リューバは少し薬が効き過ぎたかと思った。
リューバは縋りついてきたアクサーナの柔らかな身体をそっと抱き締めると、宥めるようにその背中を摩った。
「大丈夫よ。アクサーナ。リョウはそんなことでは怒ったりしないわ」
そんなことある訳はない。自分が初対面でいきなり性別を間違えられて付文をされたら、それこそ激高するに違いないのだから。
アクサーナはそう思って弱弱しく首を横に振ったのだが、リューバは小さく笑うとアクサーナの眼前に自分宛ての一筆を差し出した。
「ほら、これを御覧なさい」
促されるようにして顔を上げる。
そこには、その昔、学校で習った教本を思い出させるような綺麗で均整の取れた字体で、アクサーナを案じることが書かれていた。
否定的なことは何処にも書かれていない。
真実を知ったらアクサーナは恐らく落ち込むだろうから、よくよく宥めて欲しいと。そんな意味合いのことをリューバに託してあった。
細やかでどこまでも優しさの滲み出ている心遣いにアクサーナは違った意味で涙が出そうになった。
「ね? リョウは気にしてないでしょう?」
そんなことはないだろうとアクサーナは思ったのだが、優しく微笑むリューバの顔を見ているとなぜか心が軽くなってきた。
「そんな顔をするもんじゃないわ。折角の可愛い顔が台無しよ」
「……でも」
「リョウだって、アクサーナの気持ちは嬉しいと書いてあるでしょう? 今回は、ちょっと意味合いが違ってしまったみたいだけれど、その【想い】自体は変わらないわ。だって、根っこは同じでしょう? 相手を好ましく思うのは、人ならば誰にでも当てはまることなのよ?」
「………でも」
尚も不安そうな顔をするアクサーナにリューバは優しく微笑んだ。
「もし、間違ってしまったと思ったのなら、今度、来た時に謝ればいいわ。それで元通り。ね? リョウは、そんなこと、気にするなってきっと笑い飛ばすでしょうけれど」
そう継ぎ足すと空気を変えるように軽やかに手を叩いた。
「さ、ソファに座って。新しいお茶を入れましょう? 折角、リョウが返事をくれたんですもの。じっくり吟味しなくっちゃ。なんて書いてあったの?」
リューバの慈愛に満ちた微笑みに誘われるようにアクサーナも笑顔を見せると、茶色くてごわついた紙を大事そうにテーブルの上に置いたのだった。
そして、新しく入ったお茶とリューバ特製のお菓子を囲みながら、アクサーナは嬉々としてリョウの素晴らしさを熱く語り始めたのだった。
リョウは男でないと自分の勘違いが分かって、アクサーナの初恋は点火と同時に虚しくも淡い彼方へと消えて行ったが、違う意味で、すっかりリョウのことが好きになってしまった。
初めて目にした時から、リョウのまとう空気に視線が引き寄せられていた。それは、女性だと分かった今でも変わりがなかった。
気持ちの切り替えが出来れば、あとは早かった。元々、あまり気に病む性質でもない。
こうしてアクサーナは、当の本人が与り知らぬ間にリョウの信奉者になったのだった。
こうして誤解が解けたのは良かったのだろうが、アクサーナの積極性はそれで変わった訳ではない。寧ろ拍車を駆けることになった。同性だということで遠慮が無くなったということが大きいだろう。
一方で、アクサーナの様子を遠くから見守っていたデニスにしてみれば、面白くないことばかりだった。
リョウが男ではないことを間接的に知って安堵したもの束の間、それ以来、何かにつけてアクサーナはリョウの話をするようになった。それが、デニスの神経をいつになく逆撫でた。
小さな嫉妬心といってみればそうだが、そのようなものでも積り積もればそれなりの感情の土台にはなってしまう。
そのような理由から、あれから時間が経過した今となっても、デニスとの間には未だ小さな溝を残したままだった。
だが、まぁ、【終わりよければ全て良し】という訳ではないが、そんなアクサーナがデニスと結ばれるというのだ。デニスのやや空回り気味に思えなくもない気苦労も、ここで一区切りと言うことだろう。
おめでたいことこの上ない。
今となっては笑い話になった過去のほろ苦い記憶をそっと思い返しながら、リョウはこれで少しデニスの態度が和らげばとの淡い期待を持ってみたのだった。