アクサーナ 2)
今回はいつまでいられるのか。アクサーナに今後の滞在予定を聞かれて、リョウは少し考えた。
別段、急ぐ用事など端からない。昔の暮らしのように時間に追われることもなかった。いつも時計を気にしながら生きてきたのが嘘のように、ここでは緩やかな時間が流れていた。
こういうのも悪くない。そう思える程には、ここの暮らしに馴染んでいた。
リョウは一度リューバの方を見てから、今後の予定を口にした。自分の滞在は居候先のリューバ次第でもあるからだ。幾らリョウ自身が良くとも相手の都合もある。
「昨日の夜に着いたばかりだから、まだ二・三日はいる予定だけど…」
いつものようにそう言えば、
「あら折角なんだから、もう少し長くいて頂戴よ。せめて【フタロイ・シェスチ】までは。ねぇ、リューバ?」
アクサーナは同意を求めるようにリューバを見やった。
【フタロイ・シェスチ】―この国の暦の話はこの間にも少し触れたが、一月に四つある【デェシャータク】―10日毎のまとまり―をそれぞれ第一から第四という風に番号順に呼び慣わしていた。
【フタロイ】は【二番目のデェシャータク】という意味で、【シェスチ】はその6日目ということ、つまり16日ということだ。
今日が【ペールヴィ・トゥリ】、【第一デェシャータクの3日目】ということで3日だから13日も先の話になる。
そんなに長く滞在しても大丈夫だろうか。
いつになく長くなる逗留に躊躇いを見せれば、
「そうね。収穫祭もあることだし、ここで帰るのは勿体ないわね。リョウはまだ見たことがないでしょう? こんな片田舎でもお祭りはちょっとした見物なのよ。街から流しの芸人も来るし、皆でダンスも踊るわ。外に出ていた村人たちもこの時期に合わせて家族や親戚の所に帰郷するから村は人で溢れかえるの。ご馳走も沢山。ガルーシャは賑やかなのはだめで、人込みが大の苦手だったから、連れて来るはずがないし……」
リューバが同意を示すように口を開いた。
「お祭りがあるんですか?」
「ええ。今年、豊作をもたらしてくれた神々に感謝をするの。そして、この恵みが来年も続きますようにって。皆でお祈りするのよ」
リューバが事の趣旨を説明すれば、
「まぁ、早い話が飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎをするんだけどね」
楽しいわよ、とアクサーナは、種明かしをするように片目をつぶって見せた。
―なるほど。
豊作を喜び、感謝するお祭りは、娯楽の少ない村人達には絶好の息抜き、要するに【ハレ】の日だ。盛大な村を挙げてのお祭りになるのだろう。冬の到来を前にした一大行事になる。
「へぇ、凄い。それは楽しそうだね」
『それだけではなかろう』
不意に、ナソリがアクサーナの方へ流し目をくれる。
すると、
「ふふふ、そうね。お祭り自体は【フタロイ・アジィン】から【セェーミ】までの七日間なんだけど、今年は【シェスチ】に特別な催しがあるのよ」
リューバも意味深に微笑んだ。
「特別な催し? 何があるんですか?」
リューバもナソリもアクサーナの方を見ていた。
「アクサーナ?」
『勿体ぶることもなかろうて』
何かアクサーナに関係があるのだろうか。
アクサーナは珍しく、少し恥ずかしそうに口を噤んだ。
「こういうのは自分から言わなくちゃ。リョウにも出席して欲しいんでしょ?」
リューバがそう口にするも、躊躇うように白い地に色とりどりの刺繍の入った前掛けの端を握り締める。
何かアクサーナに関する事柄があるらしい。分かったのは、そこまでだ。
リョウは訳が分からずに、アクサーナとリューバの二人を交互に見やる。それに痺れを切らしたのか、ナソリがぼそりと呟いた。
『やれやれ、いつもの威勢のよさはどうした? いきなり色気付きおって』
「どういうこと?」
小さな声で聞けば、ナソリは『フン』と鼻息を吐いた後、事も無げに言った。
『婚礼があるのだ』
【スヴァージィバ】―コンレイ―婚礼。
単語を変換させて、
―結婚式!?
導き出した答えにリョウは驚いた。
「それはおめでたい」
収穫祭に合わせて結婚式があるのか。ならば喜びも浮かれ具合も倍増しということだろう。賑やかさが目に浮かぶようだ。
「………あ」
そこでアクサーナとの繋がりが見えてきた。
「ひょっとして、アクサーナが結婚するのか!」
「あらあら、ナソリったら」
『まどろっこしいことは好かん』
当の本人の方へ話しを向ければ、アクサーナは少し恥ずかしそうに俯いた後、とびきりの笑顔を浮かべて頷いた。
「おめでとう!」
「ありがとう」
突然のことで驚いたが、アクサーナ位の年頃ならば別段不思議でもない。
この国では、成人を迎える前から許婚がいる場合も珍しくはなかった。娘が嫁ぐ年齢も、自分が知る習慣よりも格段に早い。職を持っていたとしても基本的に女性は家にいるものだし、そういった意味では農村では尚更なことだった。
「お相手は?」
「ふふ、デニスよ。リョウも知ってるでしょ?」
「そうか………デニスか」
リョウの脳裏には、いつもしかめ面をしている純朴そうな無口の青年の顔が浮かんだ。樵のようながっしりとした体つきに、短く刈り上げた明るい茶色の柔らかそうな頭髪が特徴的だ。
アクサーナとデニスは共にこの村で生まれ育った幼なじみだと聞いていた。二人は気心が知れているし、歳も近い。傍目にもお似合いだと言えた。
「よかったね。本当におめでとう」
リョウも嬉しい報せに口元を緩めた。
実を言えば、リョウはほんの少しだけデニスが苦手だった。どうやらデニスの方がアクサーナにベタ惚れらしく、ここに来る度に何故かデニスに睨まれる…というか、余り良い顔をされなかったからだ。
面と向かって言葉を交わしたことは数える程しかない。それも挨拶程度のものだ。ここにいる間は、なにとアクサーナがリョウを構うので、きっと嫉妬みたいな感情が出ているのだろうと思ってはいる。
それに、こちらから見れば不可抗力だとしか言いようがないのだが、初対面で向こうに与えてしまった印象が、恐らくあまり良くなかったのかもしれない。それを向こうが引きずっているような気がするのだ。
―張り合う必要など全く無いのに。
だが、人の【感情】というものは得てしてままならぬものだ。
そして、不意にリョウの脳裏には、初めてアクサーナに会った時の可笑しくも苦々しい出来事が蘇る。今となっては笑い話で済むが、当時は妙な冷や汗をかいたものだ。
だがまぁ、それすらもすでに良い思い出にはなっていた。