朝の薬草談義
翌朝、リョウは、リューバの家の食卓の上に今回持参した薬草を並べていた。
その中には、勿論、アラムとサハーに手伝ってもらい見つけたストレールカが含まれていた。
「まぁ、ストレールカじゃないの。よく見つかったわね」
乾燥させた数多もの薬草の中から目敏くその特徴的なギザギザの葉を見つけ出すとリューバは感嘆の声を上げた。長年術師家業をやっているリューバにとってもそれは中々手に入れるのが難しいらしい。
喜んでもらえたようで何より。色々と探した甲斐があった。
「森の狼達に手伝ってもらったんです」
元はと言えばサハーとアラムのお陰なのだが、自分が誉められたようで嬉しかった。
「ちょうど群生している所を見つけて。サハーのお陰ですね」
「そう。じゃぁ森の番人に感謝しなくっちゃ」
この辺りの人々の間では、狼達は森の番人とみなされていた。
リョウが暮らすガルーシャが残した小屋が立つ森は、この国の人々にとっては、特別な意味合いを持っていた。その広大な面積と深さから、別名【帰らずの森】、【迷いの森】とも呼ばれる禁忌の場所でもあった。
太古から殆ど人の手が入ることなく、自然のまま多種多様な巨木を始めとする植物が育ち、その中では様々な獣達が連綿とした秩序の中で暮らしている。その内実は、人にとって未だ謎の部分が多かった。
かつて森で暮らしていた人の記憶は、遥か昔に継承されないまま、随分と遠いものになってしまった。受け継がれるべき糧を持たず、古の知識は風の前に塵となり、今や伝説や伝承の中に細切れに残るのみだ。
その良い例がセレブロだろう。
太古の森に住まう白銀の王。セレブロがいる場所は、森の中でも奥深く、人が決して立ち入ることの出来ない領域だった。長い間、人目に触れることのなかったその悠久の時を生きる存在は、街に暮らす人々にとっては、最早お伽噺当然のモノなのだ。
森は、慣れない者が一度足を踏み入れようものなら、すぐさま方角を見失う。そして、森を侵す闖入者には、狼達が憲兵宜しく縄張りを主張する。
そうやって長い年月に渡り、度々噂を聞いて肝試しをする果敢な挑戦者達や珍しい獲物を求めた恐れ知らずの猟師達、探究心に我を忘れ、希少な薬草を探す薬師達を、森は行方不明者に変えて来たのだ。
そうしたことから、人々は森を畏怖の対象として恐れた。
だがしかし、それは同時に、薬師を担う術師にとっては宝物の宝庫とも言うべき、垂涎ものの領域でもあった。
リョウが分け入って薬草を探したのは、そういう認識をされている森だった。
この村でその事実を知るのは、取引相手であるリューバだけだ。リョウ自身、中に入ると言っても、まだまだその入り口付近をうろうろとしているようなものだ。
「ストレールカは人が服用してもいいものなんですか?」
「そうねぇ、滅多にお目に掛かれない貴重なものだから余り一般的ではないけれど、飲んでも大丈夫よ。但し、恐ろしく苦いから相当の覚悟がいるわ。だから、余りお勧めは出来ないけれど」
リョウの質問に答えながら、リューバも経験があるのか、実に嫌そうに口元を歪めた。
「………確かに。アレは半端ではなかった」
思わず同じような顔付きをすれば、
「あら、リョウも経験済み?」
「……不本意ながら」
それは薬草を扱うものならば、誰しもが一度ぐらいは受ける洗礼なのだろう。
二人は顔を見交わせると自然と小さな笑いを零し合った。
「その効用は?」
「基本的には、磨り潰して塗る時と変わらないわね。切り傷や火傷。傷の深さは余り関係ないわ。それから、血を吐いた時。内臓をやられた場合には良く効くの」
―なるほど。
リョウは手にした手作りの帳面に、真剣な面持ちでメモを取った。
「服用する量は?」
「服用量は、傷の度合いに寄るわね。重症の場合は、乾燥させた葉なら二枚くらい」
「狼達は、戦闘前に気を高める為に口にすると言っていました」
「あら、そうなの?」
「興奮剤…気付け薬みたいな扱いですかね」
アラム達から聞いた話を伝えれば、リューバは興味深そうに合槌を打った。
「面白いわねぇ。一度にどれくらい使うって?」
「この葉一枚だそうです。あ、勿論、生のままで」
「一枚で効果覿面なのね。人にはない作用ね」
それから少し考える風に小首を傾げて、
「あぁでも、人の場合でも、治癒力を高めるってことは、一時的に体の身体能力を上げるということでもあるから、原理としては同じかもしれないわね。少しその作用の仕方は異なるけれど」
そう言って、不意にテーブルの下を覗きこんだ。
「ナソリ、試してみる?」
リューバは、からかうように乾燥させた葉を一枚摘み、その鼻先で軽く振る。
『馬鹿を言え。我は狼とは違う』
急に話を振られたナソリは、すかさず嫌そうに顔を顰めた。
『早よう、ソレを退けろ。臭くて敵わん』
郷愁を誘うどこか【ヨモギ】に似た匂いもナソリには合わないようだ。
いや、犬は人の何百倍も嗅覚が発達している。過ぎたるは及ばざるが如し―つまり、そういうことなのだろう。そんなナソリの素振りにリョウは忍び笑いを漏らしていた。
長年、術師として暮らしているリューバの知識は実践的で、実に為になる【生】の情報だった。リューバの方も、森に居る獣達の知識をリョウを通じて知ることが出来るので助かっていた。
獣達が持つ知識は、人の生活が森を離れてから徐々に伝わらなくなっていた。人の方が獣達との意思疎通の手段を忘れてしまってからは、尚更、その流れに拍車を掛けることになっている。
そんな中リョウからもたらされる情報は、未知なものも多く貴重だった。
そう言う意味では、二人の関係は【持ちつ、持たれつ】といったところなのだろう。
まぁ、俄然、リョウが受け取る方が圧倒的に量的には多いに違いなかったが。