砦の兵士たち
リョウがこの砦に辿りついた時、初めに会ったのは、門の警備兵に救護班と思しき軍医、そしてアッカの上官に当たると言う兵士だった。
それから軽い尋問を受けた。
幾ら、怪我をしたアッカを連れてきたとは言え、命がけで任務に当たる砦の兵士達にとってリョウが不審人物であることには違いなかった。斥候のように思われても仕方がない。
そういう類の嫌疑から逃れる為、リョウは、アッカを引き渡したら直ぐにでも出立しようと考えていた。
だが、それを引き留めたのは、当のアッカだった。これから人を探して旅に出る。そう伝えていたことを律儀にも覚えていたらしい。
探している人物を知っている奴がいるかもしれないから兵士達に尋ねてみた方がいいと助言をしてきた。
ここに集まる兵士達は、出身は様々だが、国の中央、つまり王都から派遣されてきている。それなりの情報網を持つのだ。
軍籍に身を置くものであるならば、その行方が知れるかもしれない。
手元にある情報は、故人が親しくしていたと語った間接的な記憶と当時の職業、そして名前のみ。
砂の中から小さな金の粒を探し当てる位の途方の無さだと覚悟はしていたリョウにとってその申し出は非常に魅力的だった。
だが、同時に、人の良いアッカに要らぬ迷惑を掛けることになる。
そのような逡巡を見てとったアッカの上官は、怪我人を搬送させた後、リョウを一人、別室に案内した。
そこで軽い事情聴取という名の尋問を受けたのだ。
立ち合ったのは、アッカの直属の上官であるサラトフと名乗る人物とその上の人間だった。
今となってはその時の二人が、温和な副団長シーリスとその冷徹な補佐官ヨルグだったと分かるが、当時は、長身で屈強ないかにも軍人であるという男達三人に囲まれて、疾しいことは何もなかったが、流石に肝を冷やしたのは記憶に新しい。
元々狭い部屋は、三人の軍人とリョウがいることで妙な圧迫感をもたらしていた。
張りつめた、腹を探り合うような空気に息苦しさを感じ始めたのは直ぐだった。
しかし、小さな部屋を包む硬質な空気を打ち破ったのは、これまでの経緯を簡単に説明し、自分が手にしている手紙の差出人の名を口にした時だった。
「ガルーシャ・マライ殿に縁がある者ですか」
もう数え切れない程、あの人には世話になった。
リョウがこの場所で、こうして無事に生きていられるのも全てあの人のお陰だ。
感謝を幾らしても足りないだろう。
そして、ここでもまた、あの人に救われたらしい。
リョウは服の中に忍ばせた革紐の付いた小さな袋へそっと指を伸ばした。
どこか懐かしさを滲ませたようなその静かな問いかけに、リョウはゆっくりと首を縦に振ると、上着の内に作った隠しポケットに入れていた手紙を取り出し、それを一番立場が上だと当たりを付けた人物に差し出して見せた。
まだ、あの人が生きていた時に、しっかりと蜜蝋で封をし、受取人以外には開封が出来ないように小さな、それでも知るものが見れば分かる緻密で強固な呪いを掛けたものだ。
それは、同時に差出人の署名のような文様で、施術者一人一人に固有の唯一のものなのだと言っていた。
「確かに、これはガルーシャ・マライ殿の印封です」
受け取った男は、封印の部分を検分すると静かに言葉を重ねた。
「宛名を見ても?」
「どうぞ」
ゆっくりと裏を返した先には、流れるような特殊な飾り文字で、相手の名前が綴られていた。
会話と基本的な読み書きには不自由をしない位には、ここでの言語を習得したリョウだったが、その呪いのような飾り文字は、どうしても解読が出来なかった。
不思議そうにそれらの象形文字に似た形を眺めたリョウに、これは普通に暮らしてゆく分には必要のないものだとガルーシャは笑ったものだった。
副団長のシーリスは、その一見、冷酷そうに見える目を細めると柔らかく微笑んだ。
それだけで、この目の前の人物がまとう空気は一変した。
「アッカが大変世話になったようですね。こちらでも消息不明になってから、万が一の可能性は考えていました。上官として感謝します」
そう言ってシーリスは頭を垂れた。
嫌疑はいつの間にか晴れていたようだ。
シーリスに倣うように、傍に居た二人も同じ所作を取った。
ゆっくりとそれでも兵士達の礼を持って慇懃に下げられた三つの頭に、リョウは慌てた。
「そんな。大したことはしていません。どうか、顔を上げて下さい」
動揺を見せたリョウの姿に男達は顔を見交わせると小さく笑みを零した。
空気が一段と和んだ気がした。
「それにしても、坊主、運がいいな」
アッカの上官であるサラトフの意味深な笑いに、リョウはハッとして顔を上げた。
目が合うとサラトフは片目を瞑って見せた。
「その宛名の御仁を御存じなのですか?」
思わず畳みかけるように口にすれば、
「まぁ、慌てるな」
大きな骨ばった手が宥めるようにゆっくりとリョウの頭を撫で、髪の感触を楽しんだ後、離れていった。
「こっちにも事情ってもんがあってな。今、この場では、口にすることは出来ん……ってことでいいんだよな?」
そう言って上官であるシーリスを見たサラトフに、話を向けられた当人は、頷き返した。
「滞在を許可する。小さいが余っている部屋がある。そこを使うといい」
副団長の隣に控えていた人物が、簡潔、且つ事務的に用件を告げる。
そして、用事は終わったとばかりに、そのまま、その場を去ろうと踵を返すのを見て、リョウは咄嗟に声を掛けた。
「感謝痛み入ります。オレは、リョウ・サクマです。あの、御名前を御伺いしてもよろしいでしょうか?」
「ヨルグ・ペテルハウゼンだ」
「ありがとうございます。ペテルハウゼン殿」
「ヨルグでいい」
一つ頷いて見せると、口元に微かな微笑みらしきものを浮かべて、補佐官ヨルグは去って行った。
そんな遣り取りを上官であるシーリスは興味深そうに眺めていた。
そして、顔を上げたリョウに向かいに立つ二人が改めて向き直った。
「先を越されてしまいましたね。私は、シーリス・レステナント、ここでは副団長の肩書です。尋ね人の消息は近々判明するでしょう。それまでは自由にしていて構いません」
「俺はサラトフ。アッカは直属の部下だ。アイツが無事帰って来てくれてよかった。感謝するぜ、坊主」
「リョウ・サクマです。こちらこそお世話になります」
再び、きっちりと頭を下げる。どうやら、ここに居れば、尋ね人の消息が掴めるようだ。願ってもみなかった幸運にリョウは感謝した。
「よし、リョウ。付いて来い」
こうしてサラトフに案内されて、ここでの居候生活が始まったのだ。
「ごちそうさまでした」
リョウが食事を終えるとお喋りに興じていた一団も一頻り気が済んだらしかった。
彼らと共にお盆を戻して、厨房のヒルデ達に感謝の言葉を掛ける。
そのまま鍛錬場へ向かうアッカ達に付いて行く。
ついでに厩舎の様子を見てから、自分も腹ごなしに端の方で訓練に参加しようとリョウはこれからの予定を簡単に頭の中で組み立てた。
「なぁ、リョウ」
前を歩いていたアッカ達の中から、まだ年若いオレグが振り返ると不意に問いを発した。
「前から思ってたんだけどさ。なんで左側だけなんだ?」
そう言って、リョウの肩と腕の部分を示すように自分の肩を軽く叩いて見せた。
「ああ、これか」
リョウの左肩には、シャツと上着の上になめした革で出来た厚みのある肩当てが付いていた。そして、左腕の前部分にも同じような無骨な籠手当てが付いていた。よく見ると、その表面には細かい、抉れたような傷跡が沢山付いている。通常の防護を目的とした具足とは異なる風体のそれらをオレグは疑問に思っていたらしかった。確かに見てくれは良くない。
前を歩いていた連中が、皆、リョウの方を興味津々に見ていた。
その本来の使用目的を知るアッカだけは、平然としている。
これは、必要に迫られて、急ごしらえで作ったもので、余り誉められたものではないのだ。何せ普段ここの兵士達が身に付けているような、敵の刃から身を守るような立派なものとは程遠い。唯、それらを装着しないとかなり痛い目を見ることは経験済みである。なんとかしたいという試行錯誤の上に編み出されたものだった。
その時のことを思い出して、リョウは苦笑いを浮かべた。
「まぁ、すぐに分かるさ」
答えを言葉にしようと口を開きかけた所をアッカが訳知り顔で遮った。
その視線の先は、一瞬、空を辿り、リョウに戻る。
それだけで、リョウはアッカの言わんとすることを理解した。
いや、そうでなくとも、先程から己の存在を知らしめるように視界の隅にチラチラと映り込む小さな影に、自分も同じような言葉を口にしていたに違いなかった。
事情がまだ飲みこめていないオレグやロッソ達は、訝しげな顔をしている。
そんな最中、鍛錬場へ向かう剥き出しの地面に影が落ちた。
黒い影は高速で大きな楕円を描き、急降下で降りてきた。
「あっ」
兵士達の一人が思わず声を上げる。
キーンという甲高い一声の後、バサリと風を切る羽の音がして、幾ばくかの衝撃の後、左肩に馴染みのあるどっしりとした重みが乗った。
この感覚にももう慣れた。
「おかえり、イサーク」
『ただいま、戻ったぞ。達者にしておったか、リョウよ』
「ああ。任務お疲れ様、報告は済んだのか?」
『無論。抜かりはない』
「そうか」
歩き出したリョウの肩に揺られるようにして一羽の鷹が止まっている。
伝令の役目を終え帰還を果たしたイサークだ。
その獲物を捕らえて離さない頑丈で鋭い爪は、リョウの肩先にある厚い皮に食い込んでいた。
振り返ってみれば、オレグが目を見開いていて、ロッソは成程と感心した風に頷いていた。
こちらを見ているアッカ達に軽く手を振って、リョウは鍛錬場へ続く道を厩舎がある方向へ逸れた。