刻まれた記憶 1)
「思ったよりずっと元気そうで良かったわ」
晩御飯を終え、食後のお茶を手にソファに座って寛いでいると、前の一人掛けの椅子に座ったリューバが、悪戯っぽい笑みを浮かべてリョウを流し見た。
「いい出会いがあったようね」
意味ありげな視線を寄こした後、小さく含み笑いをする。
そういう仕草はまるで少女のようで、二人の息子を育て上げたとは、とても思えなかった。女は幾つになってもその本質は変わらない。そんな例を目にしているようだ。
リョウは言われたことの意味を捕らえかねて目を瞬いた。
その隣に寝そべって、顎をリョウの膝の上に乗せて寛いでいたナソリが顔を上げた。
あやすようにナソリの柔らかで毛足の長い毛並みを撫でていると、ふと、リューバの視線を捕らえているものがこちら側にあることに気が付いて、リョウも同じようにそれを追って視線を下げた。
そこには、シャツの合間から覗く瑠璃色の石が煌めく首飾りがあった。
リューバは一体、どこまで分かっているのだろう。こちらからは何も言っていないのに。
そこにある背景を言い当てられるのは不思議で仕方が無かった。
「出会い…ですか?」
「あらやだ、リョウ、堅苦しい言葉使いはナシよ?」
以前、来た時と全く同じようなことを言われてリョウは半ば苦笑した。
その時の言葉が脳裏に蘇る。
―あたしはね、そういうの、苦手なの。だってガルーシャみたいじゃない? あんな堅物は一人で十分。だから、ね?
そんなことを言われても。
どうもリューバにとってリョウの話し方は、堅苦しく思われるらしかった。もっと砕けていいと言われているのだが、その加減が未だによく掴めない。
リョウが言葉を学んだのはガルーシャからであったから、その話し方が似てしまうのは仕方がないことだろう。御手本はそれしかなかったのだから。
それにガルーシャの他に主に言葉を交わす相手と言えば、森の獣達で。彼らは、日常的にもっと古めかしい言葉使いをするのだ。その中に埋もれていれば、自然と出て来るのは彼らのような言葉だ。
耳から入る情報は、かなりの割合でその言語聴覚を支配する。この国の言葉が母国語ではないリョウには、そのちょっとした言葉遣いの差から生まれる、受ける側の印象の差がイマイチ良く理解出来なかった。外国語というものは、突き詰めれば突き詰める程難しい。
「ええと、善処します?」
今すぐと言う訳にはいかない。それでも誠意を見せるということで。
やや困惑気味に眉根を下げれば、
「仕方ないわねぇ」
からかうような口振りでリューバが笑う。
こうして、往々にして話は次から次へと脱線して行くのだが、今回は、リューバ自身が元の軌道に拘った。
「そう、出会いよ? いい出会い。その素敵な首飾りに繋がる」
再び戻った軌道に、リョウはするりと乗った。
「これは、その昔、ガルーシャが作ったものだそうです」
「キコウ石ね。………カローリかしら?」
「詳しくは聞きませんでしたが、多分」
「珍しいものだわ」
「これは………お守りだって………」
この首飾りを渡された時の事を思い出すと、今でも胸の奥に形容しがたい擽ったさと温かさが広がる。その記憶に引きずられるようにして現れてくるのは、石と同じ瑠璃色の瞳。
この気持ちを何と呼べばいいのか。リョウ自身、まだ分かっていなかった。
『………男か』
どこか遠い昔を懐かしむような穏やかな表情を浮かべたリョウにナソリが鼻を鳴らした。
どことなく不満そうだ。
「ん?」
『それは、大方おのこから貰ったものだろう? 左様な匂いがプンプンするわ』
ナソリの少し変わった表現に首を捻っていると、目の前に座るリューバはさも可笑しそうに声を上げた。
「ナソリったら。ふふふ。妬いているのよ。そのキコウ石には、贈り主の想いがとても強く染みついているから」
「贈り主の想い?」
「ええ。故意にか偶々かは分からないけれど、ソレには並々ならない思念が付いているわ。ナソリは元々鼻がいいからそういうものには敏感なのよ」
そう言って目配せをして見せる。
―思念。想い。それは、一体なんだろう。
思い出すのは、ガルーシャの封書を届けた時。手紙には、自分の残像思念が付いていて、受取人が封印の解除をした際に光の粒子が映像となって現れたのだった。
でもあの時は、全くの無意識で。自分から能動的に想いを付与しようなどとは考えもしなかった。気が付いたらそうなっていたという具合だったのだ。
あの一件は、未だにリョウ自身の中でも不可解な事象として消化されないまま残っている。リューバならそのことも分かるのかもしれない。
そこから類推するならば、この石にも、そういう類の物が【憑いている】と言うことになる。
いまだ状況が飲み込めていないリョウに、リューバが手を差し伸べた。
「貸して御覧なさい。実際に見てみた方が早いわ」
そう提案されて。
リョウは首から鎖ごと首飾りを引き抜くと瑠璃色の石を差しだされた大きな掌に乗せた。
室内を照らす穏やかで柔らかい発光石の光に多面的な濃紺が煌めく。
「さぁ、よく見てて頂戴」
リューバは、もう一方の片手を掌の上に傾けると、小さく呪文のような言葉を呟いた。
「パァイェヴリャーィ」
すると、青白い光と共に突如として瑠璃色の石が強い光を放った。
体を起こしたナソリの耳がピンと上がる。
リョウは、その眩しさに一瞬、目を瞑った。
『ふうむ』
ナソリの呟きに閉じていた目を開く。
そして、リューバの掌の上で展開されていた青白い光の粒子が描き出す映像にリョウは息を飲んだ。