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Messenger ~伝令の足跡~  作者: kagonosuke
第一章:辺境の砦
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アッカ 

 馬達のブラッシングを終えた後、二三の仕事を片付けてから天を仰ぎ見ると日が中天より大分傾いた辺りにあった。

 そう言えばと自分の腹に手を当てて、微かな空腹を訴えるように小さく腹の虫が鳴る。

 そんな自分に苦笑いをして、リョウは兵士たちの集う食堂へ向かうことにした。


 リョウが現在、世話になっているこの場所は国境(くにざかい)の辺境にある砦だった。

 周囲を囲むのは自然の要害。明確な線引き(ライン)は分からないが、ここは国の最北端にある軍事的拠点ということだった。

 この砦から更に北西の方角、早馬で大体一日半走らせるとぶつかる距離にある広大な森の端っこでリョウは暮らしていた。

 期間にして一年ほどだ。

 【ここ】での記憶は、【そこ】から始まっている。


「おーい、リョウ。こっちだ」

 広い食堂―と言っても軍事拠点であるから実用性を重視した作りになっていて、簡素な木のテーブルと椅子が雑然と並ぶこの一角は、剥き出しの岩を切り出して作られた無機質な砦の中でも、実に生活感と人間味のある空間だった。

 兵士は皆、よく訓練された屈強な若い男達だった。リョウより確実に一回り、二回り以上は大きい。


 中に入ったリョウの姿を認めた一人が、大きな声を上げて手を振っている。

 それに頷き一つで答えて、厨房のカウンターへと首を伸ばした。

「こんにちは。ヒルデさん」

「お、坊主、今日は遅かったじゃねぇか」

 声を掛けると髭面の男が(トレイ)を手に相好を崩した。ここを取り仕切る料理長のヒルデだ。

 差しだされた盆を受け取ると、野菜と肉がたっぷりと入った温かいスープの美味しそうな匂いが鼻孔を擽り、空いた腹を刺激した。自然と口元が緩む。

「足りなくなったら、いつでも言えよ」

「ありがとうございます」


 ここに来た当初は、差しだされた一人前だという食事の量の多さに目を瞠ったものだ。

 ここに集まるのは鍛えられた若い兵士達の集まりで、当たり前と言ってしまえばそうなのだが、元々、食の細かったリョウとは身体の作りが全く違うらしく、皆よく食べ、そして、よく飲んだ。

 それを毎日至極当然のように見ている料理長からすれば、リョウの食べる量はまさに正反対の意味で相手を驚かせてしまったのだ。

 ここの兵士達の間に立てば、リョウの身体など直ぐに埋もれてしまう。

 それは、人種的な問題というか性別の違いであったりするのだが、そのことを大っぴらに口にするのは躊躇われた。

 自分の胃袋の許容量と平均的な食事量を相手に納得させるのにどれだけ骨を折ったことやら。

 兵士達の栄養管理を預かるヒルデとしては、これから成長期を迎えるであろう【少年】に見えるリョウに必要な栄養を与えてあげたいと言うのが本音なのだろうが、そもそも根本からして違うのだ。

 成長期などとうに過ぎた、十分に【とうの立った女】であると胸を張れればどんなにか良いか。

 だが、その本質は、ここで生きてゆく上では不都合(マイナス)にしかならないだろう。

 幸か不幸か、初対面で自分の本来の姿を言い当てた【人】はいない。

 それを分かった上で利用している。その自覚はあった。


 ヒルデは渋々一旦は納得したものの、時折、こうして心配をしてくれる。

 普段、鬼のようだと揶揄されている料理長もリョウに対しては甘かった。

 リョウの姿を見て、この砦とはやや離れた街に暮らす息子のことを思い出すのかも知れない。

「ほれ、これはオマケだ。たんと御食べ」

「はい」

 日持ちするようにと固く焼かれたパンの塊の傍に小さくカットされた果物が入った小皿を乗せられて、リョウは素直に笑みを浮かべた。


 声を掛けた一団にリョウが近づくと、相手は空いていた席を勧めた。

「アッカ、もう足の具合はいいのか?」

「ああ、すっかり。ほら、この通り」

「そうか。それは良かった」

 顔を上げた赤毛の青年は、身体をやや斜めにずらすと左側の膝を叩いて見せた。

 青年の左足は兵士達が着る柿渋色を思わせるくすんだベージュ色のズボンと黒い革の長靴で覆われているが、その下には包帯で隠された傷跡がある筈だった。

 今日から少しずつだが訓練に合流すると嬉しそうに語るアッカに、リョウは安堵して小さく微笑んだ。


 怪我を負ったアッカとの出会いは、リョウがこの砦で世話になる間接的な切掛けになっていた。

 任務の途中、仲間と逸れ、負傷して北の森に迷い込んでいたアッカを見つけて手当てをしたのが、そもそもの始まりだった。


 あの日、森の動物達が騒いでいて、リョウが駆け付けた時には、偵察部隊である狼の一団が遠巻きに囲む中に、倒れているその特徴的な赤い頭髪が見え隠れしていた。

 左足からは多量の出血があり、意識は辛うじてあった。

 時折、唸り声を上げながらじりじりと迫りくる灰色の動く円陣に、唯ではやられまいと思ったのか、その手には残った唯一の武器である短剣(ナイフ)を固く握り締めていた。

 緊迫した空気だった。

 そして、それを男が乗っていたであろう馬が、逃げることなく心配そうに少し離れた所から主の様子を窺っていた。

 あれは、そう、ユベル―勇敢で優しい主思いのいい馬だ。

 そんな張りつめた空気の中にリョウは入って行った。

 お節介は承知の上だが、自分の仲間達でもある誇り高い狼の一族が傷つけられることが耐えられなかったという利己的な理由からでもある。


 声を掛けてきた人間に安心したのか、男は意識を失った。

 それから、その男を自分が暮らしていた小屋に連れて帰り、傷がある程度癒えるまで世話をしたのだ。


 アッカの任務は重要なものであったらしく、意識が戻るとしきりに帰還を急いだ。

 それを無理はするなと宥めすかし、偶々通り掛かった鷹のイーサンに伝書鳩宜しく使いを頼んで、まだ半病人のアッカを連れて砦までやってきたのがちょうど5日前のことだった。

 リョウ自身にもとある目的があり、暫し、住み慣れた小屋を後にするべく準備をしていた所であったので、ちょうど良い機会とも言えた。

 それで、今度は自らの目的を果たすべく、暫し、この砦に居候をさせてもらっていた。

 勿論、ただでは申し訳がないので、自ら馬達の世話を買って出たと言う訳だ。


 これまで馬に乗ったことも馬の世話もしたことがなったが、運が良いことにここでは馬達を始めとした動物達とはどういう訳か意思の疎通が出来たので、厩舎番の古参の兵士や彼らに色々と教わりながら世話をした。

 馬達も話が出来る人間がいると言うことで遠慮なく口をきいた。

 そう言う訳で、今のところ恙無く過ごせている。


「頂きます」

 小さく手を合わせてから、リョウは食事を始めた。

 始めはその所作を奇異と好奇の眼差しを持って見られたものだが、自分の故郷での習慣だと説明をすれば、難なく受け入れてもらえた。

 まぁ、言い換えれば、ここに集う男達は、余りそういった瑣末なことに拘りがないということだろう。

 男達の話に耳を傾けながら、食事を進める。

「隊長が戻ってくるってさ」

 アッカの隣に座るロッソがスープに浸した固いパンを口に頬張りながら、切り出すと周囲が湧いた。

「漸くだな」

「今回は長引いたよな」

「本当か」

「ああ、さっき、伝令の鷹が飛んで来たって話だ」

 伝令の鷹。それはスートの言っていたイサークのことだろうか。

 そんなことを頭の片隅に思いながら熱い(スープ)を啜る。

 肉から出た出汁の旨味と野菜の甘みが口の中に広がった。


 基本、リョウは寡黙な性質だった。必要以外は余り口を開かない。

 まぁ、新参者であり、ここでは異質分子である自分が入れるような話題の余地はないと言うのが本当の所だろうが。

「つーと、また、あの地獄の訓練が待ってんのか」

「うへぇ」

「容赦ねぇからな」

「ハハ、何、言ってんだ。楽しみにしてるくせに」


 黙々と咀嚼を繰り返すリョウの傍で、粗方食べ終えた兵士達は、その隊長の武勇伝という名の噂話で盛り上がっていた。

 それにしても、皆、かなり興奮している。白熱した話の内容は、冷静な第三者的視点から聞いているリョウには、思わず首を傾げてしまうようなものもあった。

 些か誇張されているような男達の熱い語り口は、朝のスートを思い出させるようでなんだか可笑しい。

 リョウは、噂話の類は余り信じていなかった。

 実際にこの目で見てみないことには、何の結論も出せない。

 ただ、これまでの話を鑑みて、これから砦にやって来るであろう一団の中に、人馬ともに熱烈な支持を受ける者がいるということを心得て置こうと思った。


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