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Messenger ~伝令の足跡~  作者: kagonosuke
第一章:辺境の砦
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Kaleidoscope 1)

タイトルは『万華鏡』―くるくると回す度に永遠に違った模様を映し出す不思議な玩具。



「あの、………ルスラン?」

 食堂から漏れて来る男たちの喧騒を背に、ユルスナールは、無言のまま勝手知ったる砦内の廊下を歩いていた。

 男の長い脚から繰り出される歩調に合わせて体が上下に揺れる。

 同じように規則的に上下する視界に、リョウは戸惑いの声を上げていた。

「重いでしょう? 下ろしてください。自分で歩けますから」


 酒を飲んでいたのは事実だったが、リョウとしてはそこまで酔っ払っているという意識が無かった。まだ、平衡感覚もはっきりしている。食堂から普段、自分が使わせてもらっている部屋までは直ぐだ。歩いて行く分には、なんの問題もなかった。

 だが、リョウの戸惑いを余所に、ユルスナールは自分を抱いた腕を緩めることなく歩き続けている。

 重さなど微塵も感じさせないようなしっかりとした足取りで。幼子のようにそのがっしりとした腕に抱えられている。

 こんな年にもなって、このような運ばれ方をするとは思っても見なかったことだった。


 ユルスナールは無言のまま、廊下を突き進んだ。

 所々に設けられた発光石が、夜用に仄かな青白い光を放っている。その前を通り過ぎる度に、壁に少し歪な形をした二人分の影が躍った。

 廊下を突き当りまで来るとユルスナールはそこを右に折れた。

「………ルスラン?」

 方角が違う。鈍くなった思考でもそれははっきりと分かった。リョウの部屋は、突き当りを左に曲がったどん詰まりに位置していたからだ。

 ―どこへ行くのだろう。

 問い掛けても物言わぬ運び手に不思議に思っていれば、ユルスナールは、とある扉の前で立ち止まった。そのまま扉に手を掛けて中に入る。

 そこは、自分の記憶が正しければ、いつぞやの団長室と思しき部屋だった。


 大きく切りとられた窓の前には、簡素な広い執務机と大きな椅子があった。

 月明かりが室内に長い影を作る。濃紺の濃淡だけで縁どられた室内は、ひっそりと静寂に包まれていた。

 ユルスナールはそのまま室内を横切ると、隣へと通じる扉を開けた。

 人の手にある温度に反応を示した発光石が、ゆっくりと室内を柔らかな淡い光で照らしてゆく。

 仄かな明るさを取り戻した室内、そこには大きな寝台がぽつんと置かれていた。


 ユルスナールは無言のまま寝台の傍まで歩み寄ると、そこにリョウを下ろした。

「座っていろ」

 そう簡単に一言だけ残し、部屋にあるもう一つの扉の向こうへ消えた。

 何やら、カタカタという扉を開けるような音がする。それは静まり返った室内では、唯一の音のように耳に響いた。

 再び、戻って来たユルスナールの手には、水差しとコップが握られていた。

 食堂の時と同じように、水の入ったコップを手渡される。

 飲むように促されて、リョウは大人しく口を付けた。

 その水は、仄かに薬草の香りがした。清涼感のあるハーブに近いものだ。喉をすり抜けるすっきりとした心地のよい冷たさに、自ずと息が漏れていた。

「美味しい」

「………そうか」

 小さく呟けば、微かに微笑んだのが、振動する空気から伝わって来た。


 ユルスナールは、水差しを小さなサイドテーブルの上に置くと、自分はそこにあるゆったりとした一人用の椅子に腰掛けた。

 その手には、琥珀色の液体が揺らめくグラスが握られていた。

 ユルスナールは、何故、自分をここに連れて来たのだろう。

 その意図を探るように、リョウは目の前で寛いだ表情を浮かべる男を盗み見た。

 兵士達が身につけているのと同じ白いシャツの胸元は、いつもよりボタンが一つ多く開いていた。

 そこから覗くのは、逞しい肉体の切れ端。それに海老茶色のズボンを履いただけの簡素な服装だ。

 組まれた長い脚は膝から下、黒い長靴で覆われていた。

「気分はどうだ?」

「別に、酔っ払ってはいませんよ?」

 先程までの高揚した気分を引きずりながら小さく喉の奥を鳴らせば、

「酔っ払っている奴程、そう言うものだ」

 冷静な口調が一般論を告げる。

「フフフ………確かに、そうかもしれませんね」

 それが滑稽に響く位には、酒の影響が残っている。そのことを認めない訳にはいかなかった。


 リョウは履いていた長靴を脱ぐと、そのまま寝台に横になった。

 なぜこの部屋の主が自分をその領域(テリトリー)に連れてきたのかは分からなかったが、緩んだ思考では、それもどうでも良くなってきていた。

 アルコールを摂取した時特有の気だるさが、身体を支配してゆく。時間が経つにつれて、それは少しずつ、自分の思考を蝕んで行くのが分かった。

 リョウは着こんでいた上着を脱いだ。そして、首元の上まで留めていたシャツのボタンもいくつか寛げた。

 頬に触れるシーツは、ひんやりとしていて火照った体に心地よかった。

 思わず溜息が洩れた。

 ユルスナールは、そんなこちらの様子をじっと眺めながら、琥珀色の液体、【ズブロフカ】の入ったグラスを傾けていた。

「そうしていると、まるで【コーシュカ】のようだな」

 ユルスナールが、そう言って喉の奥を震わせた。声音には、からかうような色が滲んでいる。

「【コーシュカ】?」

 初めて耳にする言葉に、リョウは首を傾げた。

「ああ。知らないか?」

 その問いに静かに頷けば、

「人が飼う動物だ。まぁ、場所によっては野良もいるが。自由気ままな性質で、そうだな、大きさはこの位か?」

 そう言って、大きさを示すように両手を前に掲げる。

 それだけでは、リョウにはどんな生き物なのか全く想像が付かなかったが、気に留めないことにした。 今度、機会があれば、目に出来るだろう。その位の気持ちだった。


 リョウはゆっくりと目を閉じた。

「眠いのか?」

 ユルスナールは、ひょっとしたら自分と話をする積りなのかもしれなかった。

 だが、頭が働かない。落ちかかる瞼にこのままでは本当に眠ってしまいそうだ。

 でも、相手の手前、それを正直に認めるのは気が咎めた。

「……ほんの……少…し」

 小さく囁いて。

 それから、ものの数分も立たない内にリョウは静かな寝息を立てていた。


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