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Messenger ~伝令の足跡~  作者: kagonosuke
第一章:辺境の砦
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キミのヒトミにカンパイ 2)

 ふと視線を流した先に、何食わぬ顔で優雅に琥珀色の液体が入ったグラスを啜っているヨルグの姿が目に入った。

 よし。聞くならヨルグにだろう。彼なら真面目にきちんとした答えをくれそうだ。

 リョウは狙いを定めた。

「ヨルグ」

 声を掛ければ、いつもの鉄仮面が滑るような動きでこちらを向いた。その動きは、さながら良く出来たカラクリ人形のようだった。

 ヨルグは、視線だけで「何だ?」と問うた。

 リョウは、ちらりと横目でブコバルとオレグを一瞥した後、意を決して口を開いた。

「あの、【初陣】とはなんですか?」

 その瞬間、まるで時が止まったように皆が動きを止めた。

 それまで騒いでいたのが嘘のように辺りが静まり返る。

 妙な沈黙が下りた。

 ―あれ。不味い質問だったのだろうか。

 ヨルグは、目が合ったまま、固まっている。

 居たたまれない空気に、リョウが内心焦っていると、

「ヒュウ~」

「おいおい、リョウ、お前、一体、どんな育ち方してんだ?」

「マジか!」

「男なら通る道だぞ!」

「どんだけ箱入りだ」

 どっと堰を切ったように男たちが湧き立った。

 ―そんなことを言われても。知らないものは仕方がない。

 だが、それは、ここの男たちにとってはどうやら常識であったようだ。信じられない者をみるような目で見られて、リョウの気分はささくれ立った。


 この一年、それこそ、死に物狂いで読み書きを覚えた。ガルーシャの教えが良かったということもあるが、自分でもかなり頑張ったと思っている。言葉を覚えることは、ここで生きてゆく上での死活問題だったからだ。とっくの昔に頭打ちとなった脳細胞を叱咤して、漸くここまで来られたのだ。それがまだまだ幼子のようなものだとしても。

 言葉は生きているものであるし、生活に結びついたものだ。だから、自分の今の知識など、本当に取るに足らないものだとは分かっている。きっとこれからも、新しい表現に直面する度に同じようなことを繰り返すのだろう。そんな自分の努力など、この国の言葉が母国語である彼らには分からないに違いない。それは十分に頭では理解しているのだ。

 それでも、こうあからさまに違いを見せつけられると、なんだか、それまでの自分の努力を否定されたようで悲しかった。


 リョウは、湧き上がるもどかしさを誤魔化すように、食卓(テーブル)の上にあったグラスを掴むと中にたっぷりと入っている琥珀色の液体を勢いのままに飲み干した。

「リョウ、待て」

「あ、おい!」

 直ぐ傍でロッソとアッカがどこか焦った声を出したが、手は止まらなかった。

 喉を通る液体は、それこそ火傷しそうなくらい熱かった。

 それは、ちびちびと舐めていた【ズグリーシュカ】などとは比べ物にならない位、強い酒だった。

 そう、昔、飲んだストレートのウォッカに似ている。

 食道から胃に直接、焼けるような流れが伝ってゆくのが分かった。胃がちりちりと焼けるようだ。

 案の定、咳き込めば、

「無理をするな」

 脇からすぐさま水の入ったコップを差し出されて、それで喉を潤す。

「ありがとう」

 甲斐甲斐しく世話を焼いてくれたアッカにリョウは礼を口にした。


 リョウは、パンと軽く手を打ち鳴らすとにっこりと笑みを浮かべた。

「外野は少し黙っていてください。オレは、ヨルグに質問をしているんです」

 普段の大人しさからは想像が付かないやけに迫力のある言葉に、それまで騒いでいた連中が一斉に口を噤む。

 静かになったのを見て取って、再び、リョウはヨルグに向き直った。

「ヨルグ。先程の答えを教えては頂けませんか?」

 食卓(テーブル)に肘を着いて小さく首を傾げれば、それに合わせてリョウの黒髪がさらりと揺れた。

 どこか鬼気迫るリョウの態度に観念したのか、ヨルグは、一度目を伏せた後、居心地が悪そうな顔をして周囲を見渡してから、ゆっくりと口を開いた。

「【初陣】と言うのは、………平たく言えば、…………【初めて女を抱く】ということだ」

 静まり返った室内に、ヨルグの低い美声が響いた。

 やはり、そういうことだったか。つまり経験があるか無いか。童貞か否かという問いだった訳だ。猥談の切掛けとしては妥当な始まり方だ。それで、漸く周囲の反応に納得が行った。

「………そういうことですか」

 御教示ありがとうございますと丁寧に礼を述べれば、

「ああ」

 ヨルグはぎこちなく頷いて見せた。


 謎が解けた所で、リョウは、ブコバルに向き直った。

「そういうことでしたら、オレには不要です」

 同じような微笑みを浮かべたまま、きっぱりとそう口にする。

「あ?」

「ブコバルの経験談を参考にしなくてもいいです。それからオレグも」

「へ?」

 案の定、まだイマイチ話が飲みこめていない状態の二人に、リョウは事も無げに赤裸々な事実を言い放った。

「こう見えても、それなりに経験はありますから」

 女としてならば――という注釈が付くが。

 経験という括りから見れば、似たようなものだろう。伊達に年齢は重ねていないのだ。

 「「はぁ?!」」

 余裕綽々で告げられた言葉は、兵士たちには予想外だったのか、室内を揺るがすようなどよめきがそこかしこで上がった。

「嘘だぁ」

「絶対、リョウはまだだと思ったのに」

「見かけによらねぇってことか?」

「ヒュウ~」

 そんな周りの過剰なまでの反応と驚きに見開いた表情を見て、リョウは少しだけ溜飲が下がった気がしたのだった。


「何をそんなに騒いでいるんです?」

 沸き上がるどよめきの余波が続く中、良く通る声が響いたかと思うと、この砦のツートップであるシーリスとユルスナールが、盃を手に立っていた。

 リョウは現れた二人に満面の笑みを浮かべて振り返った。酷く上機嫌である。

 打って変わって、その脇には、項垂れるようにして食卓(テーブル)に噛り付いているオレグと微妙な顔をしたブコバルが座っていた。

 その様子にシーリスとユルスナールは顔を見合わせると、軽く肩を竦めた。


 轟くような騒がしさに気になって覗いてみれば、その中心にはリョウがいた。

 よくよく見てみれば、兵士達に混じって【ズブロフカ】の入ったグラスを傾けている。

 【ズブロフカ】は、この国の男たちが好んで口にする一般的な酒の一種で、【ロージィ】という穀物を蒸留して作られていた。特徴的でもあるその琥珀色の液体には、独特の苦みがあり、酒の中でもかなり強い部類だった。慣れない他国の男たちは、直ぐに目を回すシロモノだ。

 そんなものを飲んでいるとは。

「リョウ、その位にしておけ」

 手にしていた酒の入ったグラスをユルスナールに取り上げられた。

 不満そうに見上げれば、別の所に置いてあった水差しから、グラスに水を注がれて手渡される。

「慣れない者には後できつくなる。後悔しても知らんぞ」

 折角の忠告にも、リョウの眉がしんなりと寄った。


 顔色は全く変わっていないが、初めて目にするその子供染みた態度にユルスナールは、リョウが酔っ払っていることを確信した。

 目を光らせていたはずのヒルデは、別の場所で他の奴らと飲んでいた。

 どうやら大分酒を過ごしたようだ。元々、華奢で小さい体だ。その格好(なり)で周りの男たちと同じように飲むこと自体が間違っているのだ。

「そんな顔をしても無駄だ」

 尖った口元をぐいと指で抓む。すかさず上がりそうな抗議の声をそうやって封じ込めた。

 そして、徐に体を傾けるとリョウの耳元で小さく囁いた。

「飲み過ぎだ、リョウ。ボロが出るぞ」

 その言葉にリョウは目を瞬かせた。

 至近距離でユルスナールの酷薄そうな薄い唇が弧を描いた。

「お前の経験とやらは、後でたっぷりと聞かせてもらうことにしよう」

 そう続けて吹き込むと、そのままリョウの体を持ち上げて、あろうことか自分の腕に担ぎあげた。

 酒の所為か、いつもより思考の鈍くなったリョウが、今しがた囁かれた意味深な台詞の裏へと考えを巡らせている間に、ユルスナールは体勢を整えた。

「子供はもう寝る時間だ」

 そして、そう簡単に言い放つと、リョウを担いだまま兵士達に背を向けた。

「へ?」

 隣でその様子を間近に見ていたシーリスは苦笑い。ヨルグはあからさまにほっとしたような顔をしていた。

 そして、残された兵士達が唐突過ぎる隊長の行動に目を白黒させている間に、ユルスナールは何食わぬ顔で食堂を後にしたのだった。

 男たちの夜はこれからだ。


その昔、ロシア人の同僚とウォッカを飲んで、目を回したことがあります。もちろん、ストレートで。冷凍庫に入れて凍らせて、とろとろになったものは飲み口が柔らかくて、結構進んでしまうんです。お好きな方は一度お試しあれ。彼らはストレートでぐいぐいいきますが、傍らに水の入ったコップを置いて、合間にそれを飲んで調整するんです。悪酔いをしたのは後にも先にもその一度だけ、今となってはほろ苦い思い出です(笑)。

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