キミのヒトミにカンパイ 1)
どんちゃん騒ぎもたけなわとなり、辺りには気だるい空気が漂い始めていた。
若い男たちが酒を片手に集えば、自ずと出て来る話題は一つだろう。
酒と煙草と女。
この世界にも煙草に似た薬草はあったが、若い兵士たちには余り縁の無いものだった。こちらでも吸い過ぎると毒になるのは同じようで、軍部の定める規律では手を出してはいけないことになっているからだ。
となれば、当然、出て来るのは、そう【女】の話だ。
「あ~、街が恋しい」
誰からともなくそんな呟きが漏れれば、
「【スタローヴァヤ】のハンナ、元気にやってんかなぁ」
オレグがテーブルの上に頬杖を突きながら、どこか遠い目をした。
思い出しているのは、地元に残して来た恋人のことだろうか。
それが皮切りだったのか。
どこそこの店には大層な美人がいるとか、やれ、どこそこには可愛い子がいるとか、果ては誰それの娘は父親とは違って器量よしだとか。
それこそ枚挙に暇なく。脳内の妄想も、酒の力を借りてか、欲望のままに駄々漏れ状態だった。
リョウは半ば、呆れた顔をして男たちの話を聞いていた。いや、強制的に聞かされていたとも言う。
酔っ払いというものは、国が違っても、それこそ世界が違っても、そこにあるのが【人】である限り、性質が悪いことには違いなかった。うっかり余計な口を差し挿もうものなら、絶対にあらぬ方向へ飛び火する。妙な絡まれ方をしない為に、時折、合槌を打って見せながらも、大人しく【ズグリーシュカ】のグラスを啜っていた。
さっきまで隣で飲んでいたはずのこの砦の良心とも言うべき髭面強面親爺のヒルデは、向こうの男たちに呼ばれて席を離れてしまった。
御目付役が居なくなった途端にこれだ。
「だあぁぁぁ、あの柔らかさが堪んねぇんだよなぁ」
この国の女達の豊満な曲線を思い出したのだろうか。一人がグラスの酒を呷るようにして飲み干した。
そして、こちら側では、拳を固く握りしめて、妙に熱い舌戦の攻防が繰り返されていた。
「バッカ、お前、やっぱり、女は胸だろ、胸!」
一人がそう言えば、
「いや、俺は断然、尻だな。あのほっそい腰がこう括れる線が堪らんだろうが。こうさ」
もう一人は、手付き身ぶりで己が理想とする姿を描き出す。
「それを言うなら脚だろ、脚。長いスカートから伸びるすらりとした脚。そしてキュッと引き締まった足首。スカートの裾が翻る度に、時折、覗くあの白さ。あの見えるか見えないかの所がいいんだろ。まさに究極のチラリズム。そこに口付けるのは男の夢だろうが!」
そして、もう一人が息捲いた。
皆、其々に至高の好みはあるようで、互いの主張は譲らない。
いやいやいやいや。
―なんだろう。この亜空間。誰か、こいつ等の口を封じてくれ。
リョウは、まだ、そこまで酔っ払っている訳では無かった。酩酊状態とは程遠い。どちらかと言えば、素面だ。
元々、酒は割合いける口だった。遺伝的にも顔が赤くなることはない。その所為で苦労することもあったが、それはまぁ、ここでは触れることはしなくとも良いだろう。
そんな状態で、延々と繰り返される酒の上の繰り事に、些か、耳を塞ぎたい気分だった。
だが、その願いも虚しく。新たな餌食を求めて、火の粉がとうとう飛来した。
「リョウ、お前はどうだ?」
「へ?」
突然、話しかけられて呆けた声が出ていた。
「だから、好みの話だよ」
「女と言えば、胸だろ?」
「いや尻だ」
「いや脚だ」
「足首に一票!」
「俺は、太ももだな」
「え~、そこは項のラインだろ」
「………………」
畳みかけられるように迫られて、マニアックなまでに展開された持論に、リョウは若干引いた。
彼らと同じぐらいに酔っ払っていれば、それなりのことを返すことも出来るだろうが。いかんせんこちらは素面なのだ。すんなりとその輪の中に入って行ける程、人生経験を積んだ訳でも無かった。
突然、注目を浴びる形になって、動揺に肩が小さく震えた。
目の前には幾対もの目。賛同者を引き入れようと獲物を狙う獰猛な獣の如くギラついている。
これでたじろがない方が、きっとどうかしている。
どう答えたものかと内心、戸惑っていると、
「尻に一票」
不意に差した影に、顔を上げれば、酒瓶を片手に持ったブコバルが立っていた。もう片方の手には、琥珀色の液体が入ったグラスが揺れている。
「お前ら、まだまだ青いな。女といえば、尻が一番だろ」
その筋では有名らしい猛者の言葉に、若い男たちは一斉に感嘆の唸り声を上げた。
一方で、納得のいかない者は、再び己が持論の素晴らしさを説き始める。
話題が自分から逸れてほっとしたのも束の間、こちらを見下ろす青灰色の瞳と目が合った。
非常に嫌な予感がした。
短い邂逅の間でも、ブコバルには妙な苦手意識が芽生えていた。なぜだろう。本能の奥底から、危険信号が発せられるような、そんな感じに心の底がざわつくのだ。
野生の獣のような独特の鋭い嗅覚を持つ男。いや、野生の獣の方が、まだましだ。彼らはずっと真っ直ぐだから。駆け引きなど必要としない。
だが、この男は違う。問い掛けでも提案でも、斜め上から来る切り込みは、はっきり言って心臓に悪い。
身体が、無意識に身構えていた。来るべき戦闘態勢に備えて。
ブコバルは、ニヤリと笑うと空いている椅子にドカリと腰を下ろした。
「おう、坊主、やってるか?」
荒くれ者の親玉のようなその言葉にリョウは曖昧な笑みを浮かべる。
「お前にゃぁ、ちっと早い話題か、え?」
隣で盛り上がっている男達を一瞥して、ブコバルはからかう様な笑みを浮かべた。
「どうせまだ【初陣】は済ませてねぇんだろ?」
そう言って、意味深な目配せをして見せる。
【初陣】とは何だろうか。
初めて耳にする表現に、リョウの思考が止まった。
文字通りの意味ならば、初めて戦闘行為に参加するということだ。この国の兵士たちとは違い、戦争や戦いといった血生臭いことには無関係な所で生活を送っていた自分にはとても遠い話だ。
だが、なぜここで戦いの話になるのだろう。
言葉の意味に気を取られている間に、ブコバルはリョウの沈黙を自分のいいように解釈したらしかった。
「あ? お前、好きな女とは手も握れねぇ感じか? んな純情な奴には見えねぇが。まぁ、いいか。男は口説いてなんぼだ。よし、リョウ、この俺が直々に心得を伝授してやろう。任せとけ」
周りにはブコバルの大声を聞きつけた兵士たちが、興味深そうに集まって来ていた。
「なんだ? リョウ、【初陣】まだなのか?」
「おーい、ブコバルが武勇伝を語るってよ」
「お、待ってました~」
「じゃぁ、ついでにこのオレグ兄さんが教えてやろうじゃないか!」
急に嬉々として隣に腰を下ろしたオレグに、リョウは不可解な視線を投げた。
ぐるりと周りを見渡す。皆、なぜかとても楽しそうだ。
ここの男たちは頑丈で身体が大きい所為もあるだろうが、酒を飲みつけているのか、へべれけに酔いつぶれている者は皆無だった。食卓に無造作に置かれてある空になった酒瓶を見る限りは、一人一人がかなりの量を飲んでいると思われるのに、だ。
だが、まぁ、酩酊状態は人それぞれで。普段は寡黙な性質の男たちも、陽気でどこか浮ついた空気をその身に漂わせていた。
話声と共に吐き出される息にも酒の匂いが混ざり始めている。
話の流れから、何が言いたいのかは想像が付かなくはないのだが、その意味するところに確証は無かった。訳が分からない内に話が進んでしまうのは、どうにも癪だ。それが自分のことなら尚更だ。