26)テラ・ノーリ ~命巡る大地~
引き続きスフミ村、アクサーナたちのお宅へ。
午後からは、予定通り、アクサーナとデニスの新居に向かった。二人の家は、まだ真新しい滑らか木肌に覆われたこじんまりとした家だった。窓枠や張りだしたバルコニーには同じ木材で素朴な草花の模様がレリーフのように彫り込まれており、彩色が施されていて、この家の主の趣味の良さが窺えた。
リョウとユルスナールは、道々、手を繋いで歩いた。特にどちらから意識をした訳でもなく何となく自然と手を触れ合せていた。
アクサーナたちへの土産は、ユルスナールが持つ籠の中に揺れている。
リョウの心は軽やかに弾んでいた。それが歩調にも表れていた。新しい命を宿した友人、アクサーナに会うのが楽しみで仕方がなかった。
昨晩、リョウは、リューバにここで子供を産み育てて行く女たちの話を沢山聞いたのだ。お産のこととか、妊娠のこととか、娘が妻になり、そして母になる過程で起こり得る身の回りの変化や細かい対処法など、これまで余り聞くことの出来なかった貴重な情報の数々だ。興味津々に問いを重ねたリョウにリューバは嬉しそうな顔をして、色々と教えてくれた。その間、傍にいたユルスナールは、なんと評したらよいのか、嬉しいような面映ゆいような、どことなく居心地が悪そうな感じで長い脚を持て余すように組み替えながら、表面上は何食わぬ顔をしていた。そして、その脇では何やら不機嫌そうに寝そべったナソリが男の長靴を打つように尻尾を揺らしていた……というのは蛇足だが。
ここスタルゴラドは、リョウがいた場所とはそもそも暦が違う。一か月は40日で、一年は10カ月。ここにはかつての【月】のような役割をする天体もない。微妙に異なる日数の差が自分の体にどのような影響をもたらすのか。リョウにはまだ見当が付かなかった。女としての機能を取り戻したのもつい最近のことで、まだまだ体のリズムがどうなるのかを検討するにも日が浅かったからだ。だが、その辺りのことは追々見て行くしかないのだろう。
「上機嫌だな」
繋がれた手に小さく力が入る。
「ふふ。そうですね」
握り返すように小さな手が大きな手に絡みついた。
「これから訪ねるのはお前の友人なのだろう?」
「はい。リューバの次に知り合った可愛らしい女の子………と言ってももうすぐお母さんになるんですけれどね」
そう言ってリョウは小さく笑った。
ユルスナールは、リョウの歩調に合わせてのんびりと歩いてくれていた。足の長い男の一歩は、リョウの二歩に当たるだろう。
「とても元気な美人さんで、アクサーナがいるだけでその場が華やかになるんです」
「そうか」
「お土産、喜んでもらえますかね?」
リョウはちらりと男の体の向こう側に揺れる編んだ籠を見た。
ユルスナールが手にした籠の中には、リューバから持たされた様々な届け物の他にリョウが王都で買った土産物、綺麗な刺繍糸や珍しい飾り釦などを入れた包みが入っていた。
気に入ってくれるといいのだが。
「お前が選んだんだろう? ならば大丈夫だ」
先に渡したリューバは、殊の外、喜んでくれたのだ。
「ワタシも本格的にお裁縫を習わないといけませんねぇ」
柔らかな草を踏みしめながらリョウは呑気に微笑んだ。思い描くのは、この男の傍にある自分の少し先の未来だ。
庶民の女たちは、基本的に服を手作りする。裁縫が出来ることは女として当然のことで、嫁入りの条件にもなっている。リョウ自身、繕いものは出来ても、まだ服を仕立てたことはなかった。
「まぁ、焦ることはない。これから幾らでも時間はあるからな。ゆっくりとお前のペースでやって行けばいいだろう。それに裁縫が出来なくてもどうってことないぞ?」
ユルスナールは、自分の母親を例に上げて、裁縫が得意でない女も貴族の中ではそこそこいると笑った。
この国での基準に比べたらリョウなどは本当に女としては何もできない部類に入るのだろう。だけれどもそんなマイナスだらけの自分でもユルスナールは大丈夫だと笑ってくれる。
改めて寛容すぎる男だと思った。心が広い男だと。本当に勿体ないくらいだ。
リョウは穏やかな顔をして笑う男を眩しそうに見上げた。それは、ともすれば余りにも熱い視線だったかもしれない。
「どうした?」
「ううん」
リョウは誤魔化すように首を振って、幸せな気分に浸りながら微笑んだ。
そして、話を変えた。
「アクサーナもデニスも吃驚するでしょうねぇ。まさか、ワタシがこんなに早く【片付く】なんて思わなかったでしょうから。だって、この間まで【ガルーシャんとこの坊主】だったんですから」
出会いがしらのアクサーナの興奮度合いについては軽く予想が付いたので、リョウはその辺のことを事前にユルスナールに告げていた。
「早すぎるということはないんじゃないか。お前は十分大人で成熟しているだろう?」
―――――心も体も。
繋いだ手の親指が擽るように動く。くいと引かれた手にリョウはやや恥ずかしそうにしながら可笑しそうに喉の奥を鳴らした。
「もう、なんてことを言うんですか!」
突然、色を変えた空気に男の方を仰ぎ見て、リョウは少し狼狽した。妙に色気のある流し目にぶつかってしまったから。
昨晩もリューバの家だというのにリョウはユルスナールとごく当たり前のように肌を合わせ、その熱を貪っていた。その営みはもうすっかり生活の一部のように組み込まれていて、眠りに就く前の儀式のようなものになっていた。ユルスナールに感化されたのだろうか。いや、もしかしなくとも、自分もかなりの【好きもの】なのかもしれない。そんなことを思い顔が熱くなる。
「どうした、リョウ? 顔が赤いぞ?」
「何でもありません」
「そうか? 俺はてっきり……」
「ああ、もう、ルスラン。それ以上はダメです」
「ん? 何が?」
「分かってる癖に」
「そうか?」
「そう」
「ハハハ」
そうやってのんびりと他愛ない軽口を叩き合いながら、二人してアクサーナとデニスの家を目指した。
アクサーナは、やっぱり、アクサーナだった。
リョウが玄関に立ち、訪いを入れた途端、扉が物凄い勢いで開いたかと思うと、
「リョウ!!!」
甲高い声と共にリョウの身体は加減なくぎゅうぎゅうと締め上げられていた。
以前は平らであったアクサーナのお腹は、今やせり出して、もうかなり大きくなっていた。
リョウは、咄嗟に腰を屈めてアクサーナの腹部に圧し掛からないように気を付けた。
「会いたかったわ!! リョウ。それよりもいきなりで吃驚したわよ! 本当に心臓が飛び出すかと思ったんだから! それにしても結婚なんて! ああ、リョウが誰かの妻になるなんて! なんてことかしら!」
息を吐かずに一気に捲し立てたアクサーナは、かなり気が高ぶっているようで高い声が更に一音は跳ね上がっていた。
相変わらずの調子にリョウは苦笑を漏らした。
「こうなったらあたしがちゃんと見てあげるわ。リョウを妻にするなんて、なんて羨ましいの! どこのどいつよ! 妙な男だったら承知しないんだから!」
急に鼻息を荒くしたアクサーナの興奮を鎮めようとリョウは顔を上げた。
「アクサーナ。元気そうでよかった。でも、少し落ち着いて。赤ちゃんが吃驚しちゃうよ」
少し上にある肩を軽く叩く。そして、真正面から華やかな顔立ちを見上げた。元々丸い顔は、少しふっくらとして、透明感のある頬は眩しいくらいに色艶が良かった。
「おめでとう、アクサーナ。お母さんになるんだね」
「ふふふ。ありがとう」
体に回った締め付けがが少し緩んだ所で、部屋の中から顔を出したこの家の主に微笑みかけた。
「こんにちは、デニス。ご無沙汰しています」
寡黙で朴訥とした青年は、前よりもずっと穏やかな顔をしてリョウに軽く頷いて見せた。前回垣間見えたような小さなわだかまり(デニスの方だけだが)は、すっかりなくなったようだ。父親になるという事実がデニスに貫禄と達観した落ち着きをもたらしているのかもしれなかった。
デニスは、慣れた様子で己が妻の肩に手を置くと、客人を招き入れるように促した。そして、残念ながら己が妻の眼中に入らなかったリョウのすぐ後ろに立っていた大きな男を一瞥した。
「リョウ、そちらが?」
「ああ、はい」
恒例の挨拶代わりの騒がしさから一転、急に落ち着きを取り戻した空気にリョウはアクサーナとデニスの二人にユルスナールを紹介した。
男たち二人は軽く握手をした。
「突然の訪問で申し訳ない」
「いや、こちらこそ。リョウの婚約者ならば歓迎する。大した持て成しなど出来ないが、中へ入ってくれ」
男同士が挨拶をする間、アクサーナは口を半開きにしてユルスナールを見上げていた。橙色の瞳が見開かれ、頬に赤みが差し始めたかと思うと口元がわなわなと震える。
「アクサーナ?」
やけに静かになったアクサーナを不思議に思って見遣れば、アクサーナは、突然、リョウの肩を掴むと興奮気味に揺さぶり始めた。
「リョウ! ちょっとなんなの。あの男前は! リョウってば、かなりの面食いだったのね。しかも強面! あたしはてっきり、もっとこう優しくて穏やかな感じのする大人しめな人かと思ってたのに! 同じ術師の系統で、こうひっそりとした構えのお店で店番をするような薬屋の主人とかね。はにかむ感じで笑った時に片えくぼが出るような控えめな人かと。全然、感じが違うじゃない! 剣ってことは傭兵なの? どこで知り合いになったの? まさか、王都で妙な男に絡まれたりして危ない目に遭った時に助けてもらったとか? それで一気に恋に落ちた……なんて、キャー、まるで街で流行ってる物語みたいじゃないの!!」
「……………………」
どうやら、アクサーナはアクサーナでリョウの相手について想像を逞しくさせて(妄想を暴走させて…とも言う)色々と考えを巡らせていたようだ。しかもかなり細かい設定までしてあったのには恐れ入った。残念ながら、その予想は完全に外れていた。路線は全く逆方向であったから。
その迫力にリョウは思わず気圧されてしまった。アクサーナに悪気はないのだろうが、ユルスナールを前に随分と失礼なことを口にしている気がしないでもなかったが、当の本人はその事には気が付いていないのだろう。
そっと沈黙を守ったままの男たちの方を透かし見れば、常識人であるデニスは呆れたように眉を顰めて、すまなさそうにユルスナールに目で合図を送っていた。ユルスナールは、微妙な顔をしていたが、それでも主の手前、気にするなというようなことを視線で返していた。
リョウは脱力しそうになりながらも苦笑を漏らした。
「ア…アクサーナ? 分かったから、少し落ち着こう。ね? ちゃんとお話しするから」
そして、改めてアクサーナにユルスナールを引き合わせた。
「あら、あたしったら。つい、ごめんなさいね。うふふ」
正気に戻ったアクサーナは、パッと顔を赤らめて照れを隠すように小さく笑った。そして存外丁寧な所作で膝を折って挨拶をした。そうしていると華やかな所のある新妻の空気がよく出ており、とても可愛らしかった。
リョウは、ちらりとユルスナールを見た。猪突猛進な所のあるアクサーナの迫力に驚いてはいるようだが、その発言には然程気にはしていないようで、内心、胸を撫で下ろした。ユルスナールのことだからこのくらいでは目くじらを立てないだろうとは思うが、きっと未知との遭遇に近いものを感じているかもしれない。
そんな騒動があってから漸く、客人たちはは主夫妻に伴われて室内に入った。
お茶を囲みながら土産を渡した後、どうせだから軽くお昼ごはんを食べて行けばいいと食事に誘われて、最初の心配はどこへやら、始終穏やかな空気が新婚家庭を包んでいた。
素朴な木のテーブルから長椅子のある方へと場所を移した一同であったが、デニスが身重の妻に変わって食器の洗い物をしている間、アクサーナはリョウの手を取って楽しそうにこれまで自分が縫い上げた産着などを広げて話しこんでいた。二人が座る長椅子の傍に置かれたテーブルの上には、リョウが持ってきた土産物の飾り紐や釦、刺繍糸等が並べられ、アクサーナはそれらを嬉しそうに手にしながら、どこに付けたら可愛いとか、こうしたらいいとか、いかにも女たちが好きそうな話題で話に花を咲かせていた。
ユルスナールは、食卓の椅子に座り、素朴な木のカップに入れられたお茶を口にしながら、その様子を静かに眺めていた。俗に女は子供を一人産んだ後が一番美しいと言われているが、新しい命を己が腹の中に宿した母である女も、引けを取らないくらいに輝いていると思った。幸せと慈しみに満ちた優しい空気。この世に【母】という存在に敵うものはないだろう。
明るい金色の豊かな髪を緩く編んで横に流したふくよかな若い村娘は、この国の女たちの特徴を良く備えていた。奔放で明るく、そして逞しい。リョウからこの村娘のことを『元気で感情表現がとても豊かだ』とは聞いてはいたが、ユルスナールにしてみれば、それはよくあるこの国の女たちそのものだった。そこは貴族も庶民も変わりがない。性格的には、万事控え目なリョウとは対照的だが、だからこそ馬が合うのだろう。
甲高い声がまるで歌を口ずさんでいるように響いている。リョウは、よく『この国の女たちは歌うように会話する』と言っていたが、それを成る程と思った。
「すまないな。騒がしくて」
洗い物を終えたこの家の主が、古ぼけた木製のカップを手にユルスナールと同じ食卓の椅子に座った。
「いや、構わない」
村の樵だという青年は、まだ若いようだがどっしりとして落ち着きがあった。口数も少ないが、ユルスナールとしては好ましく映った。見るからに働き者で、男にしては珍しくよく気が利くようだ。新妻が身重ということもあるのだろうが、家事を率先して手伝っており、貴族であるユルスナールには少し珍しく、そして微笑ましく見えた。
デニスと名乗ったこの家の主は、椅子に腰掛けながら話を弾ませている妻とその女友達の方を優しい眼差しで見つめた。
「ありがとう。とても喜んでいるようだ」
王都土産としてリョウが買って来たもののことを言っているのだろう。
「いや、礼ならばリョウに言ってくれ」
「そうか」
テーブルの上で所在無げにカップを弄んだ後、デニスはふと客人を横目に見た。
「あんたは、傭兵かなにかか?」
ユルスナールが腰に佩いた剣をデニスは一瞥した。もしかしなくとも気になっていたのだろう。
「まぁ、似たようなものだ」
ユルスナールは曖昧に濁した。
「そうか」
デニスは、だが、それで良しとしたようだった。
「随分見違えたな」
デニスがぽつりと口にした。
「ん?」
「女らしくなった」
デニスの視線の先には、にこやかに微笑みながら己が妻の膨らんだ腹に手を当てているリョウの姿があった。
「リョウのことか」
「ああ。ここに来る時は、いつも男に間違われていたからな」
当のデニスもアクサーナも、初めてリョウを見た時は、男だと思ったのだ。それでアクサーナがリョウに一目惚れをして微妙な三角関係というものに陥り、一時期大騒ぎになったのも記憶に新しい。思い返せば笑い話なのだが、あの時、デニスは好いていたアクサーナの気持ちを横から攫われたようになってリョウを恋敵の如く忌々しく思ったのだ。それが馬鹿げた勘違いだと分かってからも、アクサーナの口から頻繁に紡がれる【リョウ】という名前が面白くなかった。
そんなことを思い出してか、デニスは苦いような顔をして手をぼんのくぼに当てた。
「ああ、そういうことか」
ここに来る前にユルスナールもリョウからその話を聞き及んでいた。アクサーナから恋文をもらったことがあるのだと笑って。
「知っているのか?」
「ああ、聞いた」
「そうか」
デニスは少し照れたように口の端を下げてそっぽを向いた。
「昔の話だ」
男にとっては余り褒められたことではないのだろう。
相手の居心地の悪さを感じ取ってか、客人は話題を変えた。
「いつ生まれるんだ?」
ユルスナールの問いにデニスは口元を緩めた。窓際で燦々と降り注ぐ午後の日差しに滲む己が妻を眩しそうに見ている。
「順調に行けば、赤の第二の月の終わり頃だな」
「そうか」
客人の合槌にデニスは、嬉しそうに微笑んだ。
「賑やかになるな」
「ああ」
ユルスナールにとってはそう遠くはない未来の手本となるような明るい温かな家庭がここにはあった。こうして人は命を育み、そして、繋いで行くのだろう。時代が変わっても変わることのない真実がここにはある。まだ若い夫婦の様子は、ユルスナールの目にも眩しく映っていたようだった。
「それよりも」
デニスは、テーブルの上で少し前屈みになると意味深にユルスナールの方を流し見た。
「どうやってあの堅物を口説いたんだ?」
どこかからかい混じりの、それでも好奇心を含んだ眼差しにかち合った。
堅物。見方によってはそう見えなくもない。普段のリョウからは余り女性的というか女であることを武器にした性的な匂いはしなかったから。
それを暴いたのは、自分だ。その隠された一面を知るのは自分だけでいい。昨晩の名残を思い出しながらユルスナールは一人ほくそ笑んだ。
そして、じっと答えを待つ相手に、
「それは……秘密だ」
ユルスナールは口の端を僅かに上げて小さく笑った。相手に分かるだけの優越感のようなものを含めて。若い男同士のささやかな遣り取りだ。
ここで明確な答えを明かす積りはないのだろう。そう感じ取ったデニスは、
「そうか」
そう言って軽く肩を竦めて見せた。それから、二人の男たちは、互いに目を見交わせると小さく笑い合った。
「ねぇ、デニス、こっちの方が良いわよねぇ? どう思う?」
そこに窓際に腰を下ろす妻から声が掛かり、夫は椅子から立ち上がるとゆっくりと窓の方へ歩いて行った。
「どっちでもいいんじゃないか?」
「またそういう。どっちかに決めたいのに」
「そうか?」
「そうよ。だから、ねぇ、どっちが良いかしら?」
「ん~、そうだな」
女の拘りは、大抵、男には理解不能なことが多い。それでも妻にとって夫の意見は、この場合、然程重要ではなく、こうして悩む過程を一緒に分かち合いたいという欲求に基づいているのだろう。若い夫婦のある意味いつものような遣り取り。新妻の声もそれに答える夫の声も随分と甘いものに聞こえた。
その隙にリョウは長椅子から腰を上げると食卓の方にいるユルスナールの傍に歩み寄った。
「良かったな」
―――――喜んでもらえたようで。
ユルスナールは近づいてきたリョウの腕を引くと腰を攫うようにして自分の膝の上に横抱きに乗せた。
若い夫婦の和やかで甘酸っぱい空気は、この二人にも少なからず影響をしていたようだ。
「はい」
リョウは擽ったそうに笑うと同じくらいの位置にある男の瞳を見た。
すると腰に回っていた太い腕から伸びる掌が動いて、まだ平らな下腹部をさわさわと摩り始めた。
「羨ましくなったか?」
耳元に吹き込まれた囁きにリョウはちらりと男を横目にしながら小さく笑った。
「そう…ですね」
大きな男の手の上にリョウはそっと自分の手を重ねた。
―――――いつか、きっと。
降り注ぐ午後の日差しの中に佇むまだ若い夫婦の姿にそう遠くない自分の未来を重ね合わせてみた。そこで描いた予想図が、ユルスナールの思い描くものと同じとは言わなくとも、似たようなものであって欲しい。
その気持ちを感じ取ったのだろうか。
「そうだな」
緩く吐き出された吐息に混じる言葉に二人は顔を見交わせるとそっと微笑んだ。
こうして穏やかな午後が過ぎて行った。
やはり予定は未定でオーヴァーしてしまいました。本来ならば、この第230話で終りにする予定だったのですが、もう一話ぐらいオマケのような小話を入れようかと思っています。
でも、その前に。次は久々にInsomnia の方に逸れようかと考え中です。
ありがとうございました。