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Messenger ~伝令の足跡~  作者: kagonosuke
第一章:辺境の砦
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ツワモノどもがユメのあと 2)

「おら、坊主、ちゃんと食ってるか?」

 自分よりも一回り、いや、二回り以上は確実に大きい、若い男たちの中に埋もれるようにして食卓(テーブル)に着いている小さな背中にヒルデは声を掛けた。

「ヒルデさん」

 頭の上に包丁ダコのできた大きな手を乗せれば、くすぐったそうに黒い瞳がヒルデの太い指の間から覗いた。

 上気した頬は血色もいい。そのことにまず安堵の息を漏らした。

「凄く美味しいです」

「そうか」

 料理人にとって最高の褒め言葉に、ヒルデが柄にもなく相好を崩した。

「後でコツ、教えて下さい。これって、【バラーニ】の肉ですよね。あの臭みをどうやって消してるんですか?」


 【バラーニ】は少し癖のある肉だった。良質な脂肪分が多く栄養価は高いのだが、肉自体に独特の匂いがある。元々、南方からもたらされた家畜で、慣れてしまえれば気にならないのだが、人によっては好き嫌いが分かれる食材だった。

 ここでは食べ易くなるように数種類の香草類を一緒に煮込んでいた。その配合は料理人の腕の見せ所だ。肉自体には旨味がある為、味付けは【ソーリ()】のみ。一般的な根菜類と煮込めば、いい味が浸み込む。

 思いがけない質問をされて、ヒルデは興味深そうに片方の眉を吊り上げた。

「なんだ、お前、料理をするのか?」

「ええ」

「そうかそうか。その年で包丁が握れるってのは大したもんだ」

「そんな、大したものは出来ませんけど」

 嬉しそうに目を細めたヒルデに、リョウは面映ゆそうに目を伏せた。

「俺の息子たちなんざぁ、坊主ぐらいの年ごろには何にも出来なかったぞ」

 偉い偉いと褒めそやされて、リョウが苦笑を洩らす。

 すると、

「俺だって出来るぞ!」

 張り合うように隣に居たオレグが声を張り上げた。

 図体ばかりは大きいが、まだまだ頬にそばかすの残るこの砦で最年少の十七歳は、突然現れた初めての【弟分】に何かと兄貴風を吹かせたがった。

 挙手付きで発言をしたオレグに周りを囲む仲間の兵士たちがどっと沸いた。

「お前なぁ」

「何言ってやがる」

「お前のは大雑把過ぎるんだよ、あんなのは料理の内に入らねぇ。第一、食えたもんじゃなかっただろ」

 動かぬ証拠としての実例があったのか、仲間内から一斉に非難を浴びた。

「あれが男の野戦料理だ」

「お前が威張ってどうする」

「アタ!」

 パシリと頭部を叩く小気味よい音がして、オレグが恨めしそうに自分を叩いたセルゲイを見た。

 それに周りが笑う。

 リョウも釣られるようにして忍び笑いを漏らしていた。

 そんな中、

「上手かったぞ」

 テーブルを囲んでいた兵士の一人であるアッカが、ぼそりと呟いた。

 どこか懐かしそうな表情を浮かべている。

「あ?」

「リョウの作った食事だ」

「ああ、そうか、お前はリョウんとこに世話になってたんだった」

 ロッソの落ち着きのある声に、ヒルデも食堂で耳にした兵士たちの噂話を思い出していた。


 アッカがその任務途中で行方知れずになったという知らせは、当時、砦の兵士たちに少なからず衝撃をもたらした。アッカの職務に忠実で真面目な仕事ぶりは仲間内でも定評があり、困難に直面しても冷静沈着で的確な判断を下せるということで、今回の特殊任務への抜擢となったのだ。

 そんな優秀な仲間の失踪事件は、食堂を訪れる若者たちの間に影を落としていた。

 任務の特殊性からその詳細は公にされず、緘口令が敷かれていた。皆、職業柄、表面上は何ともないという表情を取り繕ってはいたが、人が集まり、一日の中でも気が抜ける場所である食堂では、収まり切らない心の内がどうしても漏れてしまう。要するに噂話の発生源でもあった。


 アッカが砦に帰還した時は、そういった微妙な緊張感の中にあったのだ。

 アッカが生きている。

 先触れとして伝令に仕立て上げられた鷹が飛来した時は、それこそ大騒ぎになった。皆、本人の無事をその目で確認するまでは半信半疑だったが、祈るような気持ちであったに違いない。

 そして、負傷したアッカが砦の通用門に馬で乗りつけた時、その傍らには一人の少年がいたと言う。

 大きな白い獣の背に跨り、アッカとその馬ユベルに寄り添うようにして、人馬主従を見守っていたという。

 その少年が、リョウだった。

 アッカは、足に大きな怪我を負っていたが、その後は経過も良く、今では他の兵士たちに混じり、通常訓練に参加している。

 ヒルデにとって、ここの兵士達は自分の息子たち同然だった。その時のことを思い出すと今でも胸の奥が熱くなる。


 妙な感慨に浸りながら、ふと見下ろしたリョウの手元には【ズグリーシュカ】のグラスが置いてあった。

 【ズグリーシュカ】は甘みのある、まろやかな口当たりの酒だったが、アルコール度数の強いシロモノだった。摂取量が少ない分には問題ないが、その飲みやすさからついついグラスを重ねてしまうと、後で酷いことになる。翌日は確実に二日酔いコースだ。

 ヒルデは吃驚して、リョウを見下ろした。

「おい、坊主、お前、酒を飲んでんのか。誰だ。リョウに【ズグリーシュカ】をやったのは!」

 怖い顔をして声を荒げたヒルデに、

「おやっさん、固いこと言うなって」

 お調子者のセルゲイが、すかさず宥めるように口を挿んだ。

「莫迦言え、お前、こいつは子供が飲むには強すぎるだろうが」

「まだ一杯目だろ。なら大丈夫だ」

 冷静なロッソの声に続き、

「そうそう、俺だってこのくらいん時には、もう飲んでたぜ」

「俺も俺も」

「馬鹿、お前は底なしだろ。比べる内に入らん」

「大丈夫だって、ちゃんと見てればいいんだろ」

 オレグが兄貴分らしく、そう言えば、皆が口々に囃したてる。

 酒が回り始めたのか、滑りの良くなった若い男達の口説にヒルデは苦い顔をした。


 それまで、黙って皆の遣り取りを聞いていたリョウであったが、そんな心配そうなヒルデを見上げて微笑んだ。

「大丈夫ですよ。ヒルデさん。飲み過ぎないように気を付けますから。これでも自分の加減くらいは分かっています」

「お前、酒は大丈夫なのか?」

「ええ、それなりに飲みつけてはいます。これは少しきついですけど」

 そう言って美味そうに【ズグリーシュカ】の入ったグラスへ口を付けたリョウに、ヒルデは仰け反りそうになった。

 -何と言うことだ!

 ヒルデは額を片手で覆いたくなった。

 こんな子供の口から「酒を飲みつけている」なんて言葉を聞くことになるとは。これは忌々しき事態ではないのか。

 言いたいことは沢山ある。だが、この場の雰囲気に水を差すようなことは、さすがにしたくなかった。

 仮にも主役はこの少年なのだ。この場所での最後となる晩餐ぐらい楽しい思い出として記憶に残して欲しかった。

「…………そうか」

 ヒルデは、若干引き攣りそうになる口元を堪えながらも、漸く、その一言だけを吐き出したのだった。

「まぁ、程々にな」

 そう言って、周りにいたしっかり者のアッカやロッソに「あまり飲ませるな」と釘をさして、テーブルに背を向けた。厨房ではまだ片付けが残っている。

「ヒルデさん」

 その哀愁が漂ってきそうな大きな背中に声が掛かる。

「ん?」

 のっそりと振り向けば、リョウが椅子から立ち上がって、【ズグリーシュカ】の入ったグラスを小さく横に振っていた。

「ヒルデさんもご一緒しませんか?」

 にこやかに誘われて悪い気はしなかった。

 まぁ、今日ぐらいは目を瞑るか。自分が目を光らせて置けば良いのだから。

 ヒルデは気持ちも新たに髭を蓄えた口元を上げると、ニヤリと人の悪い笑みを浮かべた。

「ああ。お前ら、潰れんなよ」

 そう言うとひらりと片手を振って、厨房へと戻って行った。

 宴はまだ始まったばかりだ。


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