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Messenger ~伝令の足跡~  作者: kagonosuke
番外編集
220/232

16)しろかね日記

今回は少々趣向を変えまして。あの【お方】視点の物語です。

 我が名は白銀(しろかね)。ヴォルグの長にて(そうろう)

 こたび、それがしが徒然報せよとの頼みを受け候。いづかたよりかは不問にて乞い願う。ただ、我が古き知人【(カー)】とのみ記せむ。

 かようなる儀、取るに足らぬ詰まらぬこと故、無聊の慰めにもならぬと思ひしが、是非にと所望され(そうろう)

 はてはて、人とはかくも面妖なることを思ひつくもの。暫しのらりくらりと逃げておりしが、先の執着甚だしく、煩わしきことこの上なく思ひし故、このほど、一筆走らせ参らむことに相成(あいな)(そうろう)


 なぬ? 我が言葉、解せぬとな?

 時移ろひて、人中にてもそのもの言い変わりしものなれど、我らが【音】を解さぬ者多くなりし。げに嘆かわしきことなれど、詮方なきことにて(そうろう)。これもその身に刻みし時、異なるが故。世に長らえる我が一族の定めなり。

 しからば、これより今様にて語りつかわさむ。心せよ。


* * *


 さてさて。何やら森の端の方が賑やかである。我が住まう森の中を吹き抜ける風に乗って、不意に運ばれて来た複数の【人】の匂いに、我が鼻はなにやらむずむずといたし、我は、そこで一つ盛大なくしゃみをした。

 ―――――ハッ…クシューン!!!

 どうやら勢いが付き過ぎたらしく、周囲の木々の梢を揺らしたかと思うと青々とした葉がはらはらと舞った。小さな枝にしがみついていた葉っぱどもは、突然のことに大いに驚いて、うっかりその枝を掴む手を放してしまったようだった。

 ―――――あれぇ~。

 ―――――長さまぁ~。

 驚き非難がましい悲鳴を上げる葉に宿る精霊の声が微かに聞こえた。

 その梢に座っていた水の精【ルサールカ】は、上下に揺れた体が可笑しかったのか高らかに笑った。

 ―――――あはは、うふふ。さても愉快。

 このように森は数多もの命溢れるものたちで息づいている。


 人がくしゃみをするのは、誰かが噂をしている所為である。

 この広大な森の端に立つ小屋に暮らす我が朋輩は、いつぞやそのようなことを言って笑っていた。

 くしゃみとは鼻孔の中に塵などの異物が混入した為に起こる生理的な現象なれども、その発生原因をそのように捉えるとは面白いことを考えると思ったことも記憶に新しい。


 散って行った落ち葉に失礼したと尻尾を一振りして。

 我は気を取り直すと、いつもとは違う匂いの重なりに鼻をもう一度天へ向け、ひくひくとさせた。その匂いの源を選別するためである。

 ひぃふぅみぃ……よぉ。新しき【人】の匂いは二つ。その内の一つは、我もよく知る男のものだ。そして、もう一つ。こちらは馴染みのない匂いだった。何やら雄々しき香りだ。人であることは間違いない。雄の匂いだ。そのもう一人の人間も男であるのだろう。我はあの男の傍にいつもいるもう一人の胡散臭い輩を思い浮かべたが、今回はあの男のものではなかった。あとの二つは我も知る馬たちの匂いである。

 どうやら我が朋輩は、あの小屋に客人を迎えているらしい。そこに我が友の馴染み深い香りが混ざり合っている。

 どれどれ。新しき匂いの男の顔を拝んで来るとするか。あの小屋に不用意に近づく輩は、黙って見過ごすことは出来ぬからな。

 思い立ったが吉日。我は、勢いを付けて跳躍すると風に紛れて軽やかに森の中を駆け抜けた。




 粗末な木組みの小屋まではものの一息だった。小屋の傍にはこの森の南の端を守る大きな古代樹の一派が、その見事な枝ぶりを自慢げに伸ばしていた。小屋はちょうどこの巨木の影になる形で建てられており、森の一部として同化するくらいには受け入れられていた。

 今、その古代樹の傍には二頭の馬が大人しく尻尾を揺らし、水の入った桶と飼い葉の入った桶の中に代わる代わる首を突っ込んでいた。

 そっと近寄った我に大きな黒毛馬が耳をぴくりと動かした。飼い葉を咀嚼しながら首を回し、頭を垂れて鼻をぶるりと鳴らした。

『これは長。御機嫌よう』

 威風堂々たる体躯からの挨拶に、もう一頭、額に白い菱形の紋様がある栗毛馬も水の入った桶に突っ込んでいた鼻先を(もた)げた。

『お邪魔致しておりまする』

『ああ。よく来たな。その方らは変わりないか』

 この二頭の馬は我もよく知る馴染みである。

『はい。皆、恙無く』

『勿体なきお言葉、痛み入りまする』

 恒例の挨拶に我は鷹揚に言葉を返した。

 そのまま小屋の中に入ろうとした所でふと足を止めた。

『客人は、シビリークスの小倅と砦の者か?』

 黒毛馬のキッシャーは、気位が高く主に忠実であることで有名だ。その背に乗ることが出来るのは、主であるシビリークスの小倅とその伴侶である我が朋輩くらいなものだろう。

 もう片方のナハトは砦でも古参の手練である。我が住処を訪ねるということで経験豊富な古株が選ばれたということなのだろう。ケッペルとかいうあの上滑りの軽い輩ならば、少しはからかってやろうかと思ったのだが。これは残念。我としては当てが外れて些か面白くなかった。

 我が鼻に反応した新しき匂いの主を尋ねてナハトを見やれば、思慮深い馬は、控え目に口を開いた。

『王都よりの客人とのこと』

『ほう?』

『ガルーシャの遺物に興味があるとか』

『ふむ』

 あの男が遺した物。それが、どれほどのものなのかは、我には皆目見当が付かない。古ぼけた書籍類に様々な形状の器具。干した薬草。いつ洗濯したのだか分からないような()えた匂いのする襤褸(ぼろ)の外套。ガラス瓶に入ったドロドロの液体。あの男は人の中でも稀代の変人との呼び声高く、何やらガラクタを沢山溜めこんでいたようにしか思えないのだが、そこに価値を見出す者もいるであろうことは、我とて理解している積りであった。

 その証拠にここにはあの男が施した結界が複雑に張り巡らされていた。今ではこの森に近づく人間は殆どいないが、それでもこの場所は外側からは見えないように目隠しのような呪いが広範囲に掛けられていたのだ。

 その目隠しは、我が朋輩が王都滞在中、術師の試験に通ったことで消滅した。その為、一見、この場所は外部からの侵入に対して無防備になったかの如く見受けられるのだが、実際は些か趣が違う。

 今でも小屋の周りには通常の人間には感知できない探索の糸がそこかしこに張り巡らされていた。王都にいるあの男の縁だという者が、再び、呪いを掛け直したのだろう。侵入者があった場合には、あの男の手の者(人や獣)が文字通り飛んでくる。まぁ、その前に、我が朋輩と懇意にしている森の憲兵たち(狼のことだ)が黙ってはいないだろうが。無論、我が朋輩に害をなすものは、それがしが黙って見過ごす訳はない。

 そう言えば、過日、我が朋輩も小屋の中のガラクタの処分を色々と考えているようであった。その繋がりで遥々王都から客人を迎えたということなのだろう。あの無愛想な男もそれを認めたということか。



 決して広くはない小屋の中の気配を探ることは容易い。

 小屋の作りはとても簡素だ。硬い木戸の扉を開いてすぐ、食事をしたり、作業をしたり、書き物をしたりと万能な使い方をされる大きなテーブルが一つ真ん中に鎮座し、その周りにバラバラの大きさの簡素な木の椅子が四つから五つ置かれている。煮炊きをする台所は、入って右側の端に据え付けられている。その居間兼台所の一間の奥から続く廊下に出て、次の間があの男の書斎(兼寝室)で、その隣がガラクタの詰まっている納戸。その対面に我が朋輩が寝起きをしている小さな寝室(と言っても、これも納戸のように取って付けた物置の中に急場しのぎで寝台を置いたようなものだ)、そして、その隣には洗面など体を洗ったりもする水場が粗末な木の囲いに屋根を付けたような場所に設えられていた。小屋の直ぐそばには小川が流れ、そこから清らかな水を運んでいる。それを飲み水などに利用していた。

 そして、その小屋から古代樹を挟んで反対側の区画に小さな畑と薬草園があった。穏やかで慎ましやかな暮らしぶりだ。

 そんなお世辞にも広いとはいえない小屋の中からは、今、様々な物音がしていた。ガタンガタンと固いものがぶつかる音。パンパンと埃を叩くような音。布を叩く音。そして、むせ返るように咳き込む音。そこに時折、笑い声やからかい混じりの軽やかな声、男たちの低い声が交錯する。

 我が鼻は、再びなにやらむずむずとした。そこで先程の盛大なくしゃみの原因をここに発見したという訳だ。

 ―――――これはしたり。

 どうやら我が朋輩は、派手に大掃除なるものをしているらしい。長年の積りに積った塵や埃を叩いている為、それが風に乗って我の居た場所にまで届いたのだ。もしかしたら風の精が悪戯をして我をからかう為に埃まみれの風を我が鼻先にまで飛ばしたのかもしれない。そうであれば後で一言、苦言を呈さねばなるまい。




 我は気配を消して小屋の中に体を滑り込ませた。

 朋輩の姿は直ぐに見つかった。戸口を入ってすぐの煮炊きをする台所部分で椅子の上に立ち、壁の上の方にある棚へ手を伸ばしていた。

 ここに暮らしていたかつての主であった男は、この国の男たちの中では平均的な背格好で、この小屋の作りは当然のことながら全てあの男の使い勝手が良いようになっている。我が朋輩は腕まくりをして気合十分、長靴さえも脱いだ裸足で、椅子の上に爪先立ちになりながら、棚に乗る籠を取ろうとしていた。

 我が朋輩は実に小さい。十分成人をしているのだが、元々の造作の違いか、この国では年端の行かぬ少年・少女のように見えるだろう。実際、初対面の相手にはそう認識されるようだ。

 その骨格も華奢である。だが、触れれば実に柔らかく滑らかで、見かけよりも強靭であることを我は知っている。何故か、とな? それは無論、我が加護を通してに決まっておろう。何を言わせるのだ。誤解がないように付け加えるが、我が一族は【人】が持つ性欲とは無縁の所にある。快楽の為に徒にまぐわうことはせぬ。心得違えのないように。ウホン。

 それはともかく。

 指先が籠に届かんとしているのだが、それを掴もうとするには及ばない。以前よりも長くなった一つに結えた黒髪をぷらんぷらんと揺らして、懸命に背筋を伸ばすが、元より足りぬ上背はどうにもならない。

 そこで諦めればよいのに、我が朋輩は顔に似合わず負けず嫌いな所があり、今まさにその性質を遺憾なく発揮させて、果敢に籠に挑んでおった。

 我はひやりとした。足元の椅子は足の一部がすり減ってガタガタと揺れている。これではいつ体勢を崩して転げ落ちるともしれない。あのまま背中や腰を強かに打ちつけたら大変だ。

「うわわわわ」

 そして、心配をした通り、伸ばした指先が籠に引っ掛かり、それを掴んだと思った所で、案の定、体勢を崩した我が朋輩は、そのまま足を着こうとした所に椅子がないことに気が付いた。

 我はすかさず朋輩の元に駆け寄った。尻尾をバネ代わりに衝撃を吸収させ、落下した小さな身体を難なく受け止めた。

「あ……れ……?」

 予想したはずの痛みがないことに脇から怪訝そうな声が上がった。朋輩は視界に移る我が白き体毛を見て、その理由を悟ったようだ。

「……セレブロ」

 どこか嬉しそうに呑気な声でこちらを見上げた漆黒の瞳に我は態とらしく渋面を作った。

『リョウ、無理をするな。怪我をするところであったぞ』

 何故、あの男たちを呼ばぬのだ。その為にあの大きな体を持つ男たちがいるのだろう。こういう時にあの輩を使わぬ手はない。我がいなければ大変な所になるところだった。

 窘めるようにその鼻先にふぅと息を吹きかければ、朋輩は擽ったそうに笑って、散らばった髪を後ろに撫で付けた。

「いらっしゃい、セレブロ。ひょっとして騒がしかった?」

 どうやら我が小言は右から左であるらしい。

『鼻がむず痒くて敵わぬわ』

 我が盛大なくしゃみをし、驚いた葉っぱどもが散って行ったことを話せば、我が朋輩は円らな瞳を見開いて、それから小刻みに肩を揺らし始めた。どうやら笑っているようだ。

「それは災難だったね」

 それは、くしゃみをした我に対してか、それとも驚いた葉っぱどもに対してか。いずれにしてもどこか他人事のような言葉を放った小さな唇に、我は恨みがましく鼻先を押し付けた。

「ごめんごめん。納戸を片づけていたらね。ちょっと埃が酷くて。でも、まさかそっちにまで飛んでいくとは思わなかったよ。分かったから、鼻水つけないで」

 我が朋輩は、ズボンのポケットの中からハンカチを取り出すと我の鼻先を拭った。どうやら気が付かぬ間に洟が垂れていたようだ。くしゃみなど滅多なことではしないのでつい失念しておった。


 我は、ばつの悪さを誤魔化すように話の矛先を変えた。

『手伝うか?』

 勿論、人型になって。人の姿は細かい作業をするには都合が良い。

 我が申し出に、朋輩は穏やかに微笑んだ。

「ありがとう」

 そう言って籠を手に抱えたまま我が腹に背中を凭せ掛けた。そこで我は、ふいにリョウが手にした籠に視線を移した。何を懸命になって取ろうとしていたのだろうか。

『その籠はなんだ?』

「ああ、これ?」

 リョウは手にした籠に掛かっていた布巾をそっと退けた。

 そこに入っていたのは、黒っぽい平らな固まりの欠片だった。我はクンクンと鼻を鳴らし、その正体を知った。

「ガルーシャが大事に取っておいた【ザーヤッツ(うさぎ)】の干し肉。今日の晩御飯に戻しておこうかと思って。スープにしたらいい出汁がでるし。お客さんが来ているから御馳走にしなくちゃ。セレブロも食べてくでしょう? ああそれから、畑から野菜も取って来なくっちゃね。【カルトーシュカ(じゃがいも)】に【マルコーフィ(にんじん)】に【ルーク(たまねぎ)】」

『【グリビィ(きのこ)】も欠かせぬぞ』

「そうだね。森にあるかなぁ。そうじゃなかったら乾燥させてあるやつを使うけど」

『生の方が断然いい』

「はいはい。分かってるよ」




 そうやってリョウと今日の晩飯談義をしていると、廊下の向こうからキッシャーとナハトの乗り手たちがひょっこり顔を出した。

「リョウ、探し物は見つかったのか?」

「リョウ、ちょっと見て頂きたいものがあるんですが」

 顔を出した二人の男たちは、あちこち煤だらけになっていた。作業がしやすいように粗末なシャツの腕を捲り、洗いざらしのズボンを穿いている。農夫のような格好だ。

 一人は銀色の頭髪を緩やかに後方へ撫で付けた無愛想な面立ちの体格の良い男。我が昔から知る男だ。もう一人は、やや細身の男にしては(あで)やかな雰囲気の男だった。だが、もう一度繰り返すが、身に付けているのは農夫のような作業着である。

 どうやら雄々しき匂いのした王都からの珍客はこの男のようだ。ふむ。外見はともかく、この男の核は随分と苛烈で強かであるようだ。

 シビリークスの小倅は、我を見て、その男らしい眉毛を片方、器用に跳ね上げた。そういうどこか不遜な匂いのする態度は、すっかり昔の面影を失くした(かつては麗しき美少年と噂されていたのだ)この男には、何故か似つかわしかった。

 この男とて最早この小屋での我が存在は、織り込み済みであったのだろう。

「セレブロ殿でしたか」

 普通の声音であったにも関わらず、我はそこに潜む小倅の不服そうな感情を的確に感じ取った。邪魔が入ったとでも思ったようだ。

 ふん。小生意気な所は昔から変わらぬな。

『なんだ。不都合でもあるか? シビリークスの小倅よ』

 ついつい毒のあることを口にしてしまうのは、向こうから流れてくる無意識の反発のようなものに対抗してしまうからかもしれない。リョウは、我にとっては我が精を分けた大事な同胞(はらから)。その娘が縁づいた男(婿殿)に対しての少々の含みは、親代わりを任じる我には致し方なかろうて。


「………ヴォルグの長…殿」

 もう一人の男は、手にしていた厚みのある書物を腕に抱えたまま慇懃に礼を取った。

 客人たちの登場にリョウは漸く我が腹から体を退いて立ち上がった。我もそれに続いて立ち上がる。

 すると、そこそこ余裕があった筈の室内が急に狭くなったような気がした。

 このような息苦しい所は敵わん。外の畑でも見てくるか。

「初めてお目に掛かります」

 そのまま丁寧に腰を折って挨拶の口上を述べようとした男を我は制した。

『堅苦しいことは抜きで構わん。あの男の遺品とやらはガラクタばかりで骨が折れるだろうが、まぁ積年の埃が無くなると思えばすっきりとするか』

 ―――――清々するわ。このあばら屋も広くなろうて。

 我はそのまま人の姿に変化する為に外に出ようと戸口に向かった。それを悟ったリョウが我が背中に声を掛けた。

「ああ、セレブロ。序でに畑の方を見てきてもらってもいい?」

『ああ。無論、その積りだ』

「ありがとう」

 この所、リョウは小屋を留守にすることが続いた所為で、畑の作物の管理が今までのように行き届かなくなっていた。それを助ける為に我がちょっとした呪いのようなものをこの畑と薬草園一帯に掛けたのだ。我が自ら率先して土いじりをする訳ではないぞ。そこまで器用な性質ではないからな。

 ようするに土の精に頼んで植物の成長度合いを調整してもらうのだ。周辺の鳥たちには雑草をついばんでもらったり、付いたままになっている実の間引きをしてもらったりと協力してもらっている。暫く人の手が入らなくとも伸び放題・荒れ放題にならないようにと言う訳だ。

 そして、今日はその土の精たちの労をねぎらい、大地に言祝ぎを与える積りだった。




 一通り、畑と薬草園を見て回り、小屋に戻れば、リョウと二人の男たちは休憩を挟んだようだった。ちょうどお茶を淹れていたようで、我の姿を認めるとリョウはいつもと変わらぬ穏やかな笑みを浮かべた。

 芳しき茶葉の匂いが我が鼻を擽った。

「セレブロ、どうもありがとう」

『ああ、万事恙無い』

「セレブロもお茶を飲むでしょう?」

『うむ』

「この間、美味しいって言ってた薬草を淹れてあるよ」

『それは重畳』

 この小屋での我とリョウの交流は長きに渡っている。ガルーシャがいた時からの指定席になっている場所に腰を下ろせば、王都からやってきたという客人の男が、これでもかというくらいに目を見開いて我が方を見ていた。

 ああ、この男は我が人型を取れることを知らぬのだと気が付いた。

「ゲオルグ」

 シビリークスの小倅がその客人の名を呼べば、

「ああ。ゲーラさんはご存じなかったでしたっけ? セレブロは人の姿を取ることができるんですよ」

 リョウが我が方にお茶の入ったカップを差し出しながら、我に変わってその種明かしをした。

 そして己がカップにもお茶を注いで、同じく習慣となっている定位置、我の隣の椅子に腰を下ろした。

『ああ。旨い』

「ふふふ。よかった」

 我とリョウがのんびりと茶を啜れば、

「………そうでしたか」

 漸く、合点したように王都からの男が息を吹き返した。薄い灰色の瞳をパチパチと瞬かせると顎付近で切り揃えられている明るい金色の髪が揺れた。

 そうして、徐に我と隣に座るリョウを見て、一言。

「なんだかそうしていると、リョウとセレブロ殿が夫婦のようですねぇ」

 切り替えが早いのか、そんなことを口にした。

「そうですか?」

 リョウは我の方をちらりと横目に見てから、擽ったそうに喉の奥を鳴らした。

 その瞬間、刺々しい殺気が斜交いに座る小倅より漏れ出でて、剣呑な空気が漂ったのを感じ取ったのだが、我は鷹揚に合槌を打って見せた。

『ここでの暮らしもそこそこ長くはあるからの』

 純粋に重ねた【時】を比ぶれば、この小倅よりも我の方がリョウとの付き合いは長いのだ。ましてや我が精神とリョウの魂は我が加護により通じておる。

「そうだね。セレブロとは大体いつも一緒だったから」

 未来の花嫁は、意外に嫉妬深い恋人を前にしても持ち前の能天気さを失わずに、我との仲の良さを肯定(アピール)する始末。硬質な面立ちをしたシビリークスの小倅の眉間に深い皺が入ったのを我は見逃さなかった。

 だが、それはリョウの方とて同じであったようだ。

「もう、ルスラン。またそんな怖い顔をして。仕方がないじゃないですか。セレブロは私にとっては家族みたいなものなんだから」

 さよう。このようなことで一々目くじらを立てているようでは先が思いやられる。男ならば懐深く、大きく構えておればよいのだ。

 己が優位性を見せ付けることに成功した我は、斜交いに座る小倅を澄ました顔の下、小気味良く思いながら流し見た。

「こんな所で張り合わなくたって」

 取り成すリョウに乗じて、もう少し突いてみたくなった。

『心が狭い男は嫌われるぞ?』

 鼻で笑った我に対し、小倅は忌々しげに口元を下げた。その鋭い眼差しで我を睨みつけるのも忘れない。

 だが、小倅は直ぐに取って付けたような笑みをその口元に刷いた。

「ご心配なく。私の心は草原のように広いはずですからね」

 ―――――おお、ポーリェ、ポーリェ、マヨォー。我が草原(くさはら)よ。(いにしえ)より草原は、(つわもの)どもが夢の痕。数多もの血が流れ、その屍を埋めた地。

『それは心強い』

「おやおや」

 王都からの客人は、我と小倅の遣り取りを引いた場所から半ば愉快そうに眺めていた。

「ブコバルの言った通りでしたね」

 万人受けするような鮮やかな笑み(恐らく、それがこの男の武器なのだろう)を浮かべた客人に、

「何がですか?」

 リョウは興味を引かれたように小首を傾げた。

「セレブロ殿はリョウの御父上さながらだと」

 分かっておるではないか。

『無論、ガルーシャ亡き後は、我が親代わりを任じておる』

「ええ。ですから最強のお父様ということですよ。ねぇ、ルスラン?」

 ―――――婿殿は大変ですねぇ。

 そう付け足してお茶を啜ると呑気に笑った。

 この男も見かけによらず中々に歯に衣着せぬ物言いをするようだ。だが、我としては中々に愉快であった。

 二対一で分が悪くなったのか、小倅はカップの中のお茶に口を付けると突然、話を変えた。

「セレブロ殿も手を貸して下さるとか?」

 今後の予定の確認だ。

 我は寛容な所を見せて、あっさりとその話に乗った。余り突き過ぎてへそを曲げられても面倒だからの。

『ああ。大して役には立たぬと思うがな』

 偶にはこの形で体を動かすのもいいだろう。そうでないと体の感覚を忘れそうになるからな。四足と二足歩行はかなりの違いがある為だ。

 するとリョウが顔を輝かせた。やはりあの男の書斎は、途方もないものばかりであったのだろう。

「じゃぁ、書斎の検分をお願いしてもいいかな。ワタシだけじゃ心もとないから」

『構わぬ』

「ルスランには力仕事をお願いすることになるけれど。本を運んだり、棚を移動したり」

 未来の新妻の依頼に、

「ああ。そのくらいなんでもない」

 小倅はいいところを見せようと鷹揚に微笑んだ。

 こうして小休止を挟んでから、再び其々がこの小屋の主の残した物と格闘することになった。




 我は手伝うと申し出たものの、書斎の中にもうもうと立ち込める埃に辟易し、早速くしゃみを連発した。人の姿になってもその威力は甚だ大きく、我が盛大にくしゃみをする度に、室内の棚という棚を揺らし、それがまた積った埃を落とす為、悪しき連鎖となり、リョウは我の鼻から口を覆うように布巾を畳んで我が頭に巻いたのだが、それでも常人より過敏な鼻故、早々に書斎という名のガラクタ置き場から退散することになった。

 同じように口と鼻を布巾で覆ったリョウは、我がくしゃみをするのが何やら可笑しくて堪らぬようで、こちらの気も知らずに、長い枝の上に刻んだ布切れを束ねて巻いたお手製の即席【はたき】を手にけらけらと笑っている。

 涙目になったそれがしがそんなに可笑しいか! これもそなたが手当たり次第はたきをかけるからであろう!

 我は恨みがましくリョウを見たのだが、相変わらず呑気な我が朋輩は、そのようなことなど気にも留めていないようだった。悪気がないというのは余計に厄介なものである。


 気が付けば、残る二人の男も同じような風体で(これで人相が悪ければ山賊の一味のようだろう)、一人は一々手にした書物の中身を捲りながら目を輝かせ(ということでちっとも片づけは進まない)、もう一人は、顰め面をしながらも存外器用により分けた書類を別の場所に運び、確認の為に外にいた我の近くに積み上げて行った。

 リョウの話によれば、これら全てに目録を作り、分野ごとに今後の振り分け先を決めるそうなのだが、あの狭き部屋から出て来るわ、出て来るわ。あの男も随分と溜めこんでいたようで、膨大な量の書物やら何やら、得体の知れぬものもわんさかと出てきた。

 これは長丁場になりそうだ。その間、あの二人の男どももここに居座ることになるのだろう。もう暫くは小倅をからかって遊べそうだと思ったのだが、その間、この鼻のむず痒さが続くかと思うと我はげんなりとした。

 だが、まぁ、久し振りにこの小屋が賑やかになるには違いない。

 ほうれ。いつもとは違った楽しげな空気に森の奥から鳥たちや獣たちが様子をみにやって来ている。

 その中に覗いた狼のアラムとサハー(リョウの薬草採りの教師である)に我は合図を送った。

 ―――――本日も異常なし。

 二頭の狼は我の姿にぎょっとしたものの、それを表には出さずに一つ頷くと静かに背を向けた。




 ふむ。これが、それがしヴォルグの長、セレブロの直近の徒然である。何を期待しておったのかは知らぬが、こうして綴ってみても面白きことなどなかろうに。のう? そうは思わんか?

 我が友【(カー)】よ、これで気が済んだか? 我の気が変わらぬうちにこの徒然を取りに来るがよい。余りに遅ければうっかり焚火にくべてしまうやもしれぬ故な。

 ではこれにて御免。


 端迷惑な難題を押し付けし我が友【K】へ

 セレブロ参る


【セレブロ視点の日常の物語】が読んでみたいというリクエストを頂きまして、番外編の舞台が北の辺境に戻ってきたので、森の小屋でのエピソードにしてみました。今後、数回程度、この森の小屋でのお話にする予定です。


これだけの長編にも関わらず、本物語は【北の砦】から始まっているので、リョウが暮らしていた小屋での生活はほとんど描いていませんでしたから、個人的には、ちょうどよい機会だと思っています。ゲオルグ、ユルスナール、リョウ、セレブロと森の獣たちの奇妙な共同生活……とくれば勿論、その中心的話題は、【あの人】になることでしょう。


くだらないことですが、ロシア語のアルファベットでは「K」は「カー」と発音します。ソ連時代にその名をはせたKGB。英語表記では「ケージービー」と読んでしまいますが、ロシア語的には「カーゲーベー」。

蛇足ですが「K」とは作者(kagonosuke のk)のことです(笑)(→どうでもいい情報)

それではまた次回に。【北の砦】でのエピソードを期待していた皆さまには申し訳なく、平にご容赦を。リクエストなどがあればお気軽にどうぞ。

ありがとうございました。

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