ツワモノどもがユメのあと 1)
「よし、これで最後だ」
料理長ヒルデが、その太い腕に大きな平皿を抱えて、厨房の配膳台から顔を覗かせた。
「落とすなよ」
「【イェースチ】!」
掛け声だけは宜しく、威勢のいい返事が返って来る。
皿を受け取ったまだ顔にそばかすの残る若い兵士は、自分に任された重大任務をやや覚束ない手付きと足付きで全うしようとしていた。
そのへっぴり腰には目を瞑るとして。
「ヘィ、お待ちぃ」
景気のいい声が響けば、テーブルを囲んでいた男たちがやんややんやと囃し立てながら、道を開ける。
そうして、熱々の湯気を立てている大皿の料理は、恭しくもその真中に鎮座したのであった。
それなりに広さのある食堂。
そこにある実用性重視の簡素な食卓には、今や、様々な料理が実に美味しそうな匂いを立てて、所狭しと並んでいた。それを囲むように、ここの砦の兵士たちが点々としている。
食べに走る者。飲みに走る者。話に興じる者。実に様々だ。
室内は、いつになく賑やかだった。
あちこちで笑い声が波のうねりのように寄せては引いて行く。
今夜の食事は大皿・大鍋で出され、各自が食べたいものを自分の取り皿に取り分ける方式だった。
この地方の特産でもあるスグリの実を発酵させた酒【ズグリーシュカ】も特別に振る舞われ、滅多に味わうことの出来ない貴重な酒にちょっとしたお祭り騒ぎだ。
酒の入った連中は、高揚した気分をそのままに大きな笑い声を上げ、出された料理へ手を伸ばす。それを窘めるような野暮な者もこの場にはいなかった。
室内は、最早、無礼講の様相を呈し始めていた。
「おぅ、おぅ、派手にやってるなぁ、こりゃぁ」
次々に減っていく皿の中身を遠目に見ながら、砦の厨房、もとい兵士たちの胃袋を預かる料理長ヒルデは呟いた。
美味しそうに自分達が作ったものをそれこそ豪快に食べる様は、見ていて気持ちのいいものだ。
料理人冥利に尽きる。その一言だ。
その所為か、ヒルデは滲みでる嬉しさを隠そうともせず、強面と評判の髭面に満面の笑みを浮かべていた。
このちょっとした宴会は、元々、一人の少年と暫しの別れを惜しむという【送別会】の名目の下、開かれたものだった―というのは、まぁ口実で、本音半分ぐらいは、それにかこつけて、ただ酒を飲んで騒ぎたいということなのだろうが。
何かにつけて大騒ぎをするのが好きな連中だ。
この砦は、王都から遠く離れた北方にある、所謂、僻地で、厳しい訓練と命懸けの任務以外には、大した娯楽のない辺鄙な場所だ。血の気の多い、それこそ血気盛んな若者たちには、偶の息抜きが必要だった。
そう言う訳で、こういった宴会は、水面下で静かに溜まる鬱憤を発散させるにはもってこいの契機になるのだった。
ヒルデは騒いでいる若い連中に混じって、つまみを食べている小さな体とその黒い頭部を探し当てた。
今回の主役(仮)だ。
大勢の中にいても、少年の姿は直ぐに見つかる。
兵士たちの明るい髪色の中で、その少年の黒い頭髪は目に付いた。その癖のない真っ直ぐな漆黒の髪は、室内を照らす発光石の穏やかな光を浴びて艶やかに輝いていた。
その少年がこの砦に現われたのは、十日程前の事だった。
リョウと名乗ったその少年は、一言で言えば、不思議な子供だった。
まだ成長途中と思われる身体は、華奢で線が細い。声は、男にしてはやや高い方だが、声変わりをするかしないかの頃合いなら、そんなものだろう。
ならば、そこらにいる子供とそう変わりはないと思うかもしれない。
だが、何というか、リョウは普通の少年とは少し違う不思議な空気をその身にまとっていた。
すっと伸びた背筋にひっそりとした佇まい。見た目だけなら十四、五ぐらいだろう。
だが、言葉を交わせば、その印象は随分と変わる。
一言で言えば、リョウは酷く大人びていた。
お喋りと言うよりは寡黙な性質で、かといって、愛想のない無口でもなく、口を開けばにこやかな笑みを浮かべ、ころころと表情を変えるのだ。まだ幼さの切れ端をその瞳に残して、愛くるしい小さな笑みを浮かべる。それを見ているとなぜか心が和んだ。
この辺りでは珍しい黒い瞳は、真っ直ぐに相手を見据える。
そして、そのややもすれば堅苦しい口調には少し訛りがあるが、慣れてしまえば、そんなことは気にならない程度だ。物腰も柔らかく、落ち着きがあった。
このぐらいの年頃の少年は、往々にして生意気な所がある。怖いものなどないというような自信に満ち溢れているものだ。無茶なことだって平気でする。普通ならば、もっと擦れたところがあっても不思議ではないだろう。
だが、この少年にはそんな所は見受けられなかった。
物理的にも精神的にも敵いっこない強面揃いの男たちに囲まれて、普段の威勢の良さがなりを潜めているという訳でもなさそうだ。体の大きな兵士たちの中にいても委縮することもない。
ひょっとすると、この坊主は、それなりに【良いところの出】なのかもしれないとヒルデは最初、思った。ちゃんとした教育を受け、裕福な家庭に育つ、といった。
しかし、その割には、言動、仕草、どちらを取っても鼻についた所は無く、こんなむさ苦しくて騒がしい所にいても平然としている。
考えれば考える程、ヒルデには不思議で堪らなかった。
リョウは、砦の兵士たちの中にもするりと溶け込んでいた。
閉じられた空間のせいか、仲間意識が強い兵士たちの中には反発もあるだろうと自分なりに心配もしたのだが、リョウは分を弁え、上手く彼らとの距離感を保っていた。
リョウがいる場所は、そこだけ空気が違う。
あくまでも個人的で感覚的なモノだが、ヒルデはそう感じていた。
一介の兵士として、そして料理人として、長年様々な人間を見てきたことで培ってきた自分の勘は、強ち間違っているとは思えない。
また、リョウの邪気のない微笑みは、離れた街に暮らす自分の家族を思い起こさせた。
二人の息子はとうの昔に成人して、それぞれ家庭を持っている。息子達は、この国の男らしく、姿形も今では自分のようにいかついが、幼い頃はそうでもなかった。子供特有の細さは、誰にでも共通だろう。リョウの姿は、時として、そんな幼い息子達との遠い記憶に重なるのだ。
成長期とはいえ、リョウの線の細さは、料理人としては気になるところだった。よくよく見ていれば、食も驚く程細い。
同じ男として、リョウにも自分の息子たちのように強く、逞しくなって欲しかった。
おせっかいと言ってしまえば身も蓋もないが、もうじき孫が出来るという男の楽しみなど、精々、そんなところだろう。