【少年】の通過儀礼 2)
荒くなった呼吸を整えて。
張り詰めていた緊張の糸が切れると、途端に周りの景色に音が濁流のように流れ込んできた。
リョウがふと周囲を見渡すと、二人を囲むように訓練を中断した兵士達が集まっていた。
「坊主、大丈夫かぁ?」
「おうおう、へばってんなぁ」
「しっかりしろ」
「リョウ、体力ねぇぞ!」
「でも、頑張ったんじゃねぇ?」
「あぁ、あの隊長相手だ」
「お疲れ~」
方々から声が掛かる。
なぜか沸き立っている外野に、リョウは微妙な表情を作った。不様なところを晒しただけのような気がするのだが。
困惑気味に思っていると、目の前にすっと茶色いものが差し伸べられた。
見上げれば、ユルスナールが手袋を付けたまま、その大きな手を差し伸べていた。
それを取れば、ぐいと勢い良く引っ張り上げられた。
「思ったより筋はいい。鍛え方次第でもう少しまともに使えるようになるだろう」
立ち会い前と変わらない涼しい顔をしたまま、ユルスナールの口元が僅かに緩んだ。
「ありがとうございました」
寛大な評価を意外に思いながらも、リョウはふらつく足を叱咤し、姿勢を正すと頭を下げた。
「坊主、中々やるじやねぇか」
野太い声と共に勢い良く背中を叩かれる。
バシンといい音がして、リョウは突然のことにたたらを踏んだ。
痛みに顔を顰めたその顔を見て、
「……ブコバル」
嗜めるようにユルスナールが、背後から現れた闖入者に冷ややかな視線を投げた。
しかし、当の本人は気にも留めず、それを豪快に笑って誤魔化す。
「ハハハ、それより坊主、さっきのはなんだ? えらく珍しい太刀筋だな。あんな構え方、初めて見たぞ」
どうやら先程の立ち会いで使った構え方が気になるらしく、興味津々に尋ねられて、リョウは返答に困った。
根っからの武人としての血が騒いだようだ。
「ああ、その………昔、……故郷で習ったものです」
ここの兵士たちは親切だ。だが、全てを正直に告げられるほど、心を許せた訳ではなかった。
嘘をつくのは苦手だ。だから、時々、どう答えていいか分からなくなることがあった。
「……へぇ?」
歯切れ悪く答えれば、それ以上は訊ねてくれるなと言う空気を感じとったのか、ブコバルは髪をがしがしと掻き乱した。
粗野な印象が勝るブコバルだったが、他人の感情の機微に敏感に反応し、さらりと流してくれるところはとてもありがたかった。
それ以上の質問を流したブコバルは、その代り、大きな剣を肩に担いだまま、意味ありげに目配せをして見せた。
「リョウ、俺の相手もしろ」
挑発的に口元が弧を描く。
―冗談じゃない。
さっきの今で立ち会いを申し込まれて、リョウは思い切り顔を引きつらせた。表情を取り繕う余裕さえ失していた。
「ほら、休憩は終わりだ。お前達は訓練に戻れ。足りないようなら後でみっちり扱いてやるから、期待して待ってろ」
ユルスナールが周囲を囲んでいた兵士たちへ声を掛ける。
すると、冷やかしの様子見をしていた兵士たちは、隊長の号令にすぐさま顔を引き締め、方々へ散らばって行った。
そして、
「ブコバル、お前もだ」
血の気の多い朋輩に釘を刺すことも忘れない。
「リョウはこっちに来い」
再び促されて。
ブコバルの相手をしなくて済んだことに安堵したのも束の間、リョウには新たに厳しい特訓が待っていた。
それから、剣の重みに慣れる為、初歩となる型の稽古をみっちり行う羽目になった。少しでも気を抜こうものなら、激しい檄が飛ぶ。上官としてのユルスナールは厳しく、初心者だからと言って、手加減など無かった。
訓練が終わる頃には、もうヘトヘトだった。
ここにきてから一番身体を動かした気がする。慣れない筋肉を酷使したせいか、身体の節々がギシギシと音を立てた。
「もっと体力をつけろ」
へばった己が醜態を見たユルスナールに半ば呆れたように告げられて、リョウは苦笑いして見せるしかなかった。
第一、比較対象が間違っている。リョウは、周囲で剣の稽古をしている筋肉質な若い男達とは違うのだ。今朝の泉のほとりでの会話から、ユルスナールはそのことに十分気が付いていると思ったのだが。情状酌量の余地も無かった。
それでも、指摘は尤なことだとリョウ自身が一番、分かっている。そう思えば、表立って反論をする気力も残ってはいなかった。
その日、リョウは、食堂で顔を合わせた兵士達に、一様に同情をされ、からかわれた。
娯楽の少ない場所柄、噂話の類は一気に広がる。団長に付きっきりで扱かれたこともそうだが、リョウの素人振りが余程、目に付いたのだろう。
厨房の料理長ヒルデも話しを聞きつけたらしく、カウンターで顔を見せれば、「もっと体力つける為に沢山食べろ。体の基本は食事からだ」といつもの持論を繰り返した。それを黙って聞き流す。
受け取ったお盆には、いつもよりおかずが一品、多く乗っていた。
なんだかなぁと思いながらも、普段以上に沢山身体を動かしたせいか、出された食事を完食することが出来た。
すっかり空になって返ってきた皿を見て、ヒルデが満足そうに笑みを浮かべながら、内心、小さく拳を握り締めていたのは、また別の話だ。