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Messenger ~伝令の足跡~  作者: kagonosuke
番外編集
205/232

3)【南の将軍】オリベルト・ナユーグの華麗なる日常

こちらも以前活動報告に載せた小話ですが、半分加筆致しました。


時間的には少し未来のお話です。

 その日、オリベルト・ナユーグは悩んでいた。その表情はいつになく真剣であった。

 小さなテーブルの上には、数々の生地の見本が並べられていた。長年、【隙間(ニッチ)芸術愛好会】の上級会員として類稀なるセンスと熱き情熱を持って数々の「男のロマン」を体現してきたことを誇るオリベルトは、今回もその「究極の美」への更なる追求のために一切の妥協を許さなかった。オリベルトの熱心さは、同じ愛好会の同志たちが口を揃えて同意するだろう。

「これに……これを…合わせるのはどうだ?」

 数多もの生地の見本を眺めること暫し、その道の敬虔な愚者でもあるオリベルトについに芸術の女神がほほ笑んだ。

「よし。今回はこれだ!」

 傍らにあったペンを掴むとテーブルの上に置かれていた一枚の紙にさらさらとペン先を走らせた。そうして出来上がった一枚を手に、いかめしい顔立ちに満足そうな笑みを浮かべたのだった。


 それから2【デェシャータク】(20)程経ったある日。


「旦那様、例のものが届きました」

「そうか!!」

 慇懃な所作で告げられた執事の言葉に、その日、本家ナユーグ邸の居間で優雅にお茶を楽しんでいたオリベルトは、喜色を浮かべた。

「こちらへお持ちいたしましょうか?」

「ああ。今すぐ見てみたい」

 それからオリベルトは寛いでいた長椅子の上で一人姿勢を正すと執事が持ってきた包みに嬉々として手をかけたのだった。




「ああ、ドーリン、ちょうどよかった」

 その日、ナユーグ本家の居間に顔を出したドーリンは、かけられた声にぎくりとした。そのまま持ち前の鍛え抜かれた反射神経を遺憾なく発揮し、くるりと身体を反転して廊下に戻ろうとしたところで、その背に更なる追撃が容赦なく襲いかかった。

「この間、新しく頼んでいたものができたんだ。是非、【お前】の意見が聞きたいと思ってな」

 ―――――いいだろう?

 その一言にドーリンは逃亡が失敗したことを悟った。

 そうして、叔父のオリベルトが嬉々としてテーブルの上に広げたソレを前にドーリンは言葉を失くした。

「……………………………」

「どうだ? 中々のものだろう? 今回は今までの中でも一・二位を争う出来だと思うんだ。私の自信作だ。見て御覧、この繊細なレースとビロードの絶妙な合わせ具合。こう裾からチラリとのぞかせるのがミソなんだが、この丈をどうするかで悩みに悩んだものだ。あと1【ジューイム】(約2センチ)でも長かったら、ここは野暮ったくなってしまうからな。この黄金率。素晴らしいものだろう?」

「…………………………………………」


 テーブルの上には、実に手の込んだ小さな【プラーティエ(ドレス)】が広げられていた。勿論、それは女性物の晴れ着だ。だが、それはドーリンが普段目にする成人女性用にしてはかなり小さかった。叔父、オリベルトの太い指が壊れものにでも触れるようにそっとその表面を撫でた。その時、オリベルトは恍惚に似た表情を浮かべていた。

 いまだ発するべき言葉を持たない甥を前に叔父の(ほとばし)るような興奮は、更に白熱(ヒートアップ)していった。

「この色もいいだろう? 少しくすんだ深い森の色だ。これを見た途端、天啓を得たんだ。ああこれは絶対にあの髪色に映えると思ってな。手触りも極上。腰はこの共布で絞るようにしてある。本来ならばきちんと採寸してぴったりのものができればいいんだろうが、あいにく採寸はさせてもらえていないからな。ルー坊め、ケチケチしすぎだ。今度、会ったら言っておかなければならないな。男なら寛容なる心を持つべし。心の狭い男ほどみっともないものはない。なぁ、そう思わんか?」

 そこで目を細めて甥を見た叔父に、ドーリンは油回りの悪いブリキの人形のようにギギギと目を瞬かせた。

「だが、私の見た感じからいったらこの位のものだと思ってな。どうだ? え? 中々にいい線をいっているだろう?」

「……………叔父上」

 漸く、その言葉を口にしたドーリンは、額に手をあてがいながら大きく息を吐いた。もう何度、叔父を前にこのように大きなため息を吐いたことだろう。

「叔父上が崇高なる趣味に情熱をお傾けになるのは、毎回頭が下がる思いですが、よもやこれを本人に着せようというのではありませんよね?」

「おお、さすが、ドーリン。理解が早くて助かる」

 ――――――ゴースパジ(なんということだ)

 そこでドーリンは、自ら墓穴を掘ってしまったことを知った。


 叔父が常人には理解しがたい趣味を持っていることは小さいころから知っていた。幼いころはその餌食にされたことも一度や二度ではない。そして本家の廊下のとある片隅に掛かる肖像画をちらりと一瞥するたびにあの頃の悪夢が蘇ってくるのだ。そこには一人の「幼女」が描かれた肖像画があった。

 ああ、何故、叔父は女性でなかったのだろう。これが普通に幼い子供を持つ母親であったならば、なんの違和感も持たなかったというのに。幼いころは、子供心に不思議に思ったものだった。

 叔父は昔から「可憐なもの」に目がなかった。

 「可憐なもの」――――その定義はかなり曖昧で広範囲に渡る。受け手によって、それぞれが思い浮かべる「可憐なもの」はそれこそ様々な種類があるだろう。

 この叔父・オリベルトの場合は、特にフリルやレース、リボンといった繊細な服飾素材、もっと言ってしまえば「少女の服」に並々ならぬ関心があった。掌に収まるぐらいの小さな靴も好物である。

 そうして度々、己が理想とする可愛らしく可憐な服を色々と注文をつけ懇意にしている仕立て屋に作らせては一人悦に入っていた。これまではそれを作っては、小さな娘がいるという家にあげたりしていたのだ。金持ち貴族のとんだ道楽と言ってしまえばそれまでだが、この叔父の趣味は、社交界の一部の中では中々に評判で、中には自分たちの娘用に服を誂えてくれと頼む者もいた程だ。

 これまで叔父が興味を持っていたのはもっぱら「服飾」の方で、それを身に着ける対象は特に定まっていなかった。それは単に叔父の理想を見事体現するような対象がいなかったからに他ならないのだが、幸か不幸か叔父は発見してしまったのだ。

 それ以来、叔父の中では単なる「可憐な服」を誂えるという段階から更に一歩進んで、「ある特定の人物の為に服を誂える」という段階に来てしまった。

 そしてこの度、目出度くその「ある特定の人物」として白羽の矢が立ってしまった人(ドーリン曰く「被害者」)は、あろうことかドーリンもそれなりによく知る相手だった。そして、そのことはこのところドーリンのひそかな頭痛の種でもあった。叔父の暴走癖は今に始まったことではないが、それを止めるのは中々に至難の業なのである。

「ああ、早速、会員たちに連絡を取って次の会合の日取りを決めなくては!」

 趣味が高じた叔父には、何故か理解者となる同志がそれなりにいた。貴族の中には少し変わった趣味をもつ人間が往々にしているものだが、叔父の理想に賛同する同志たちは、【愛好会】を作って、定期的に集まるようになっていた。それが、【隙間(ニッチ)芸術愛好会】である。会員たち自身は、自分たちの趣味が狭い分野であることを心得ている。だが、そこに芸術性を見出していることに誇りを持っていた。そうして時折、集まっては叔父の力作(といってもそれを縫ったのは仕立て屋の訳だが)を手に時に批評、時に賛同したりしながら、彼らが愛して止まない【理想の美】について延々と夜を徹して語り合うのだ。

 その会合の様子を偶然、偶々、いや、本当にうっかり、垣間見てしまった時のドーリンの心情と言ったら。幼いころの記憶とも相まって、悪夢の再来のような気分を味わった。決して覗いてはいけない別次元の世界を垣間見たようだ。

 その顔ぶれを口にすることは憚られた。ただ、それなりに高い地位と名誉を持つ男たちだとだけ明かしておこう。

 素朴で普通の生活を送る人々には、知らなくてよい世界である。覗き見たら最後、無事、戻ってこられるとは限らない。


 暫し、一人、どこか黄昏たように遠い目をしたドーリンをよそに、オリベルトが立派な髭に覆われた口元を緩めながら口にした。

「そこで、ドーリン、ちょっと頼みたいことがあるのだが…………」

「駄目です、無理です、絶対にいけません!」

 オリベルトが最後まで言い切らないうちにドーリンは強く否定の言葉を口にしていた。それも三度も。

「まだ何も言っていないじゃないか!」

「そんなの言われなくとも予想がつきます。どうせ品評会のモデルになってくれるよう頼んでこいということでしょう?」

「ああ。さすがはドーリン。話しが早い」

 品評会というのは、その【隙間(ニッチ)芸術愛好会】のメンバーが集まって、言葉の通りそれぞれが追求した「男のロマン」を具現化したものを見せ合って、意見を交換し合うというものだった。

 そして、叔父のオリベルトは、単に出来上がった服を見せるだけに飽き足らず、あわよくばそれを生身の人間に着せて披露したいということなのだ。

 叔父が情熱を注いだ傑作(愛好会メンバー談)は今の所、全て、とある【人妻】のために作られたものだった。その女性は十分成人しているのだが、この国の女たちとは違い非常に小柄で華奢だった。まるで少女のような骨格といえばいいだろう。そしてその顔だちもこの国の人間とは違い異国風だった。それがまたなんとも形容しがたい異国情緒的(エキゾチック)な魅力を増幅させているのだと叔父は力説している。

 だが、もう一度言うが、その(ひと)は、【人妻】である。夫のある身である。そして、その夫は、ドーリンが非常によく知る男だった。妻をこよなく愛する男は、澄ました堅物の見本のような顔に似合わず嫉妬深い所があった。そして、結婚をしても尚、こうしてあちこちから妻に掛かる昔馴染みの男たちからの声にいい顔をしなかった。

「叔父上、私はまだ死にたくはありませんよ」

 それはつい漏れてしまった心の叫びだった。

 ただでさえ、この愛好会についてはお目こぼしをもらっているのだ。それはそのメンバーが、その夫にとってもそれなりに影響力を持つ男たちであるからに他ならない。そして、その妻自身が叔父の趣味を容認している節があるお陰でもあった。

 この件は実に微妙な力学的均衡(バランス)の上に成立している事態なのだ。

「叔父上が直接依頼をしてください。その方が話が早いはずです」

 ―――――このような話を持ち込んだら最後、あの男に何を言われるか分からない。

「そうか?」

「ええ」

「そうか。お前がそういうのならば確かだろう」

 思いの外、あっさりと納得した叔父にドーリンは内心安堵の息を吐いたのだが、

「ああ。となるとこれに合わせる靴が必要だな。帽子もあった方がいい。それから手袋! あの小さな手を包むものが必要だ。それに日傘なんかはどうだ?」

 そして、更なる「美」の追求に、一人深淵なる(ディープな)世界に突入してしまった叔父を尻目に、ドーリンはこれ幸いと気配を消すようにして抜き足差し足と居間を後にしたのだった。


 それから暫く。

「やはりこれには、こういう方がいいだろうな。ああ。それがいい。なぁ? ドーリン?」

 一人、己が世界から帰還したオリベルトが同意を求める為に顔を上げたのだが、そこにあるはずの甥の姿はなかった。

 またしても逃げられてしまったようだ。

「薄情な奴め」

 オリベルトは白けた顔をして毒づいたのだが、それからすぐに居間に顔を出した己が妻を見て、嬉々として声を上げた。

「ああ、ナースチャ、ちょうどよかった!」

 そして今度は妻を前に再び己が持論を展開するのであった。




 ―――――新作が出来たので是非見に来てほしい。

 そんなことを綴った招待状を携えた伝令が、この日、シビリークス家本邸のとある一室に届いた。

 飛んで来た(はやぶさ)にお礼として好物だという【シィール(チーズ)】を与えながら、その受け手であるシビリークス家三男坊の新妻は苦笑を滲ませた。

「ねぇ、ゴーシャ。前回お邪魔した時からまだそんなに時間が経ってないのに……もう新作?」

 裏情報を引き出そうとする為か、いつもより大きな【シィール(チーズ)】の塊を足で掴んで器用にむしっていた隼のゴーシャは、もぐもぐと咀嚼をしながら辛辣に言った。

『我にはあやつの趣味は分からん。何やらやけに気合が入っておったようだがな』

 そしてどこか遠い目をして窓の外、己が主の邸宅がある方角へ首を巡らせた。

 そのなんとも含みのある物言いにリョウは口の端を引き攣らせてしまった。


 初めて祝賀会で南の将軍であるオリベルト・ナユーグに出会った時、将軍が少し【変わった】趣味を持つことでその筋では有名であるという話を聞きかじった。何でも【可憐なもの】に目がないということで、その興味は広く服飾関係の分野で発揮されているということだ。

 もう少し詳しく話を聞いた所、何でもフリルやらレースやら繊細で手の込んだ幼い子供用の服を企画(デザイン)しては仕立屋に作らせて楽しんでいるらしい。金持ちの道楽と言ってしまえばそれまでだが、それが意外に社交界のとある筋では大評判で人気があるということだ。

 オリベルトがそのような趣味を持っていると知ってもリョウは然程、驚いたりはしなかった。御洒落にのめり込むのは女だけの特権ではないし、専門の仕立屋の多くは男だ。それに女よりも男の方が趣味にのめり込むと驚くべき集中力と拘りを往々にして発揮するからだ。貴族の着道楽の一形態なのだろうと理解した。だが、まぁそれが無骨なイメージの先行しがちな軍部の将軍という取り合わせは面白いと思ったが。

 ウテナが言った【少女(ロリコン)趣味】という言葉は、些か誇張というかウテナ流の捉え方であったのかもしれない。その話をシビリークス夫人のアレクサーンドラから聞いた時、リョウはそう思った。

 そして、晴れてユルスナールの妻になるという時、結婚祝いだということでレース編みがふんだんに使われた素敵なショールと手袋をオリベルトから贈られたのだ。綺麗な刺繍がアクセントとして付いたそれは、もう溜息が出るほどの手の込んだ素晴らしいもので、やはり女としてそういうものが好きであったリョウは、突然の贈りものに驚きながらも凄く喜んだのだ。そこで、実はリョウの為に用意しているものがあると言われて、オリベルトが取り出したものは、シンプルな一着の女物の服だった。この所、製作意欲が高まっているオリベルトは新しい啓示(インスピレーション)を得る為にもこれまでとは違った方向性を探っているのだと目を輝かせて語り、オリベルトが追及して止まない芸術の為にも是非にこの服を着てみてくれないだろうかと訥々とかき口説いた。

 リョウはその申し出に一も二もなく了承していた。素敵な贈り物を頂いてしまったということもあるが、このようなシンプルな服であるならば着て見せても別段構わないかと思ったのだ。それは、形は飾り気のない一般的なものであったが、生地は手触りのよい贅沢なものだった。

 そして促されるままに着てみせたのが前回の訪問の時だった。

 あれからそれ程時間が経った訳ではなかったのだが、また見に来てくれないだろうかというお誘いの話が、この日、やって来たのだ。是非、リョウの女性としての意見を聞きたいと熱く行間から滲み出るような想いが伝わって来た。オリベルトが趣味に注ぐ情熱は、本当に吃驚する程深いもので、リョウはただただ驚嘆と感嘆の溜息を吐いていた。

 そしてリョウは深く考えることはせずに、それでは翌日にでもお邪魔させていただくとの返事を帰る伝令の隼ゴーシャに託したのだった。それが巧妙に張り巡らされた悪魔の誘いであるとは露も思わずに。


 その日、【アルセナール】から帰宅した夫のユルスナールにオリベルトから招待を受けたので出掛けてくるとの旨を話せば、ユルスナールはぎょっとして、奇妙な唸り声を上げたかと思うと天を仰いだ。

「あの……ルスラン?」

 ―――――ひょっとして不味かっただろうか。

 思いがけない夫の反応(リアクション)に一抹の不安を覚えたのも束の間、ユルスナールはいきなりリョウの肩を掴むとやけに真剣な顔をして言い募った。

「リョウ、絶対に一人で行くな。俺も一緒に行く」

「え? でも、ルスラン、お仕事は?」

「そんなもの後回しだ」

「はい?」

 ―――――ドーリンめ、このことだったのか!

 小さく舌打ちをしたかと思うと何故かここでドーリンに対して悪態を吐いた。

 リョウは突然のことに目を丸くしながらも只ならぬユルスナールの剣幕に素直に頷いていた。




 そして翌日、オリベルト将軍を訪ねてナユーグ本邸を訪れたリョウの隣には、ユルスナールが用心棒よろしく付き従っていた。ナユーグ邸はシビリークス邸から少し距離があるのでユルスナールの愛馬であるキッシャーに乗って訪いを入れたのだが、門の所から玄関に辿りつくまでに邸宅の玄関先でオリベルト自らが客人を待ち構えていた。

「やぁ、いらっしゃい。待ちかねたよ」

 将軍自らのお出迎えにリョウは吃驚するやら恐縮するやら、そわそわとどこか嬉しそうなオリベルトの歓待を受け、同じく出迎えた家礼と厩舎番にユルスナールがキッシャーの手綱を手渡し、己が愛馬の処遇について二・三確認を交わしている隙に、オリベルトはリョウの手を取って口づけを落とすとそのまま促すようにして中に入ってしまった。その際、オリベルトが玄関に入り際、ちらりと後方を振り返り、どこか勝ち誇ったような意味深な笑みを浮かべたことにユルスナールは思い切り苦い顔をして機嫌を急降下させた。

「ユルスナール様、どうぞ大目に見てあげてくださいまし」

 長年ナユーグ邸に仕える老齢の家礼が慇懃な所作で微笑んだ。この男も家礼の鏡のような穏やかな顔の下に驚くほどの強かさを持っていた。

「旦那さまのお趣味はもう末期です。ここまで来てしまえばもうどなたにも止められません。いっそこのまま好きにさせてあげて下さい」

 ―――――その方が御身の為かと。

 最後に付け足された余計な一言にユルスナールは文句を言おうと口を開こうとしたのだが、それを溜息一つに変えて何とも言えない複雑な顔をして少し下にある家礼のふさふさとした白い眉毛を流し見た。ナユーグ邸に仕える執事であるこの男もユルスナールから見れば鬼門に近かった故である。


 そして、執事のゲルテンに伴われながら居間の方に顔を出せば、そこには早速、応接用のソファに座って嬉々として今回の新作について熱く語るオリベルトとそれをどこか微笑ましそうに耳を傾けているリョウの姿があった。

 そこでユルスナールは理解した。リョウは元々どちらかと言えば寡黙な性質だが、それを補うかのように中々に聴き上手である。こうして嫌な顔を一つせず素直に話を聞いてくれる存在というのは、オリベルトのような男にとっては嬉しくて仕方がないのだろう。

 そこから窓際に視線を移せば、複雑な顔をしてソファの二人を眺めているドーリンと目があった。思わず恨みがましい目で睨みつければ、ドーリンはどこか諦めたように小さく笑い、そして肩を竦めた。

 そしてその隣に置かれた一人掛けの椅子を見れば、そこには何故かブコバルがいた。

 目が合った瞬間、ニヤリと意味深なからかいの笑みを向けられた。

「おう、ルスラン、やっぱおめぇも来たか。なんかおもしれぇことがあるっておっさんが言うからさ」

 オリベルト将軍と(いえど)もブコバルにかかれば【おっさん】である。

 ブコバルの父親である【西の将軍】イェレヴァン・ザパドニークとオリベルトはその昔師弟関係にあったそうで、その間柄から幼い頃よりブコバルとも親交があり、【おっさん】呼ばわりを許すくらいには気の置けない関係を築いている模様であった。というのは蛇足だが。

「暇潰しになるかと思って」

 書類仕事は真っ平御免だとばかりに【アルセナール】に中々寄りつかないブコバルの勝手な言い草にユルスナールはせめて配分された分の仕事はしろと言いたくなった。


 そうやっていつものメンバーと他愛ない遣り取りをしている間に、振り返った先でソファにいたはずのリョウの姿が忽然と消えていた。その代わりに、そこには満足そうににこやかな笑みを浮かべたオリベルトが揉み手をしていた。

「…………オリベルト殿……………」

 全ての元凶である張本人を思わず恨めし気に見遣れば、

「いやぁ、ルスラン、お前の度量の広さには感服するよ。やはり私が見込んだだけのことはある。ラードゥガもきっと草葉の陰からお前の成長した姿を見て涙を流しているだろう」

 やたらと上機嫌に先制攻撃を掛けられて、ユルスナールは二の句を継げなかった。敬愛して止まなかった叔父の名前を出されれば黙るしかない。なんという性質の悪さだろう。オリベルトはそれを分かってやっているのだ。

 憚らずに歯噛みをしたユルスナールを前にオリベルトは尚も滑らかに口を回していた。

「いいじゃないか。今回はちょっとした味見……ンン(小さく咳払い)……いや、様子見なんだから。最終調整の衣装合わせ(フィッティング)だよ。何も愛好会でのお披露目という訳でもない。実に内々のものだ。お前もきっと気に入るはずだ」

 そう言って茶目っ気たっぷりに片目を瞑って見せた。

「……オリベルト殿」

 ユルスナールは思いっ切り溜息を吐いた。

「よもや………いや、オリベルト殿の良心が自分の期待を裏切らないことを切に願いますよ」

「勿論だとも! 私は芸術の神【ムーザ】の忠実な(しもべ)であることを誇りに思っているからな。安心しろ。お前の期待を裏切るようなことはしない」

 爽やかな白い歯を見せて自信満々に言い切ったオリベルトにユルスナールは疑わしそうな視線を投げた。

 そんな友人と変わり者の将軍の遣り取りをブコバルは楽しそうに眺め、ドーリンはやや同情的な眼差しを込めながらもその実、可笑しそうに見ていた。


 そうこうするうちに今回の新作(自信作だと言い切っている)を手に着替えに行っていたリョウの準備が整ったようだ。

 オリベルトの趣味は服飾関係に疎いユルスナールの目から見ても中々に玄人の域に入るものだった。己が妻の着飾った姿を目にするのは嬉しい反面、それが他の男の創り出したものであるというのが実に気に食わない。愛する妻をネタに様々な妄想をされているかと思うと胸糞が悪くなる。だが、オリベルトが引き出す新たな妻の魅力というものも抗いきれない大いなる誘惑の魔力を持っていた。見たい。けれどこの場では見たくない。ユルスナールは二つの相反する気持ちを天秤にかけてその均衡を思い切り激しく揺らしながら、一人で暫し涼やかな顔の下、身悶えることになった。

 だが、ユルスナールは直ぐにその欲望に負けたことを激しく後悔することになった。


 今回の新作だという服を見て、リョウがまず思ったのは、なんて繊細で豪華なのだろうということだった。深い森の奥にある木々の色を思い起こさせるような深淵なる緑色。落ち着いた色合いの中にも控え目な光沢を放つ滑らかな生地。手触りも抜群だ。何よりもその生地の上に重ねられた黒いレースと裾から覗く白いレースが素敵だった。形も大げさではない。デコルテの開きも控え目で、その分肩部分が剥き出しになっているが、それは余り気にならなかった。ワンピースの腰回りは同じ共布で縛って調整するようになっている。釦が背中側についていて脱ぎ着はそれでするようだ。スカートの丈は膝頭が少し出るか出ないかだった。

 リョウはこの時、大事なことをすっかり失念していた。かつての常識のままに膝丈のワンピースは久し振りだなどと思ってしまったのだ。そして、にこやかに微笑む侍女の手を借りてオリベルトから手渡されたドレスを着た。

 この侍女は、オリベルトの趣味の理解者、そして賛同者であるらしかった。着替えの最中、己が主人の拘りをまるで本人が乗り移ったかのように恍惚に似た表情でしゃべり通したものだから、リョウは何だか精神的にどっと疲れてしまったというのは、ここだけの話だ。

 侍女の勧めもあって縛っていた黒髪を解いた。そして艶やかな細い【ノーチ】の糸のような髪を垂らして取り敢えずの準備完了となり、再び男たちの待つ居間に戻ることになった。


 控え目なノックの後、先に扉を開けた侍女に続いて中に入った。リョウは何だか恥ずかしくなってしまってまともに正面を見ることが出来なかった。

 誰かが息を飲んだ気配がした。そして何かを思い切り吹きだす破裂音と摩擦音の混じったような音。

 それに続いて上がったのは、

「うっわ、きったねぇ! かかった!」

 何とも珍妙なブコバルの叫び声だった。

 一体、何が起きたのだろうか。

 リョウが気を引かれて顔を上げようとした矢先、

「【ズドーラヴァ(素晴らしい)】!!! 【クラサターカカーヤ(なんて美しい)】!!」

 朗々とした深みのある大声が居間にこだました。

 気が付いた次の瞬間、リョウの目の前にはオリベルトがいて、矯めつ眇めつリョウを舐め回すように見ていた。

 そして興奮のままに捲し立てた。

「ああ、やっぱり思った通りだ。この艶、そしてこの色、この夜空のような秘めやかな漆黒に映える。うむ。レースの出方も申し分ない」

 相手の勢いに飲まれるように驚いて目を白黒させたリョウを余所にオリベルトの称賛は続いていた。

「大きさもぴったりだな。そうか。こうしてみるとリョウ、キミは本当に腰が細い。折れそうな程だ。こんな柳腰でルスランの相手をしているのか。何ということだ! さぞかしあれの相手は大変だろう。なにせシビリークスは代々絶倫で有名だからな」

ンンンン(おじうえ)―!!!」

 余りにあけすけで身も蓋もない話に常識人の甥ドーリンから叔父の暴走を止めるように非常に態とらしい咳払いが入った。

「ああ、すまん。ついつい。淑女を前にする話ではなかった。こういうことは夜に酒を酌み交わしながらではないとな」

 誤魔化すようにそう言ってオリベルトは片目を瞑った。

 対するリョウは、一体、何のスイッチが入ったのかは知らないが、思いも寄らない方向に話が行って、耳から入る言葉に思考が付いて行かずに固まった。

「ああ。丈もちょうどいいな。素晴らしい。キミはさすが引き締まったいい足をしている。筋肉も程良く付いているな。形のいい膝頭から……」

「オリベルト殿!!!!」

 淀みなく(ノンストップで)続くオリベルトの禁断の世界に待ったを掛けるように大きな怒声(と言っても悲鳴のようなものだ)が居間一杯に響き渡った。

「なんてものをリョウに着せたんですか! そんな膝まで足が出ているものを!!」

 ユルスナールの叫び声に我に返ったリョウは、そこで非常に大事なことを思い出した。そして、一気に青くなった。

 この国の女性は豊満な肉体をそのままに胸元を大きく開けて晒すことはあっても決して足を出すことはしないのだ。娼館で春をひさぐ夜の蝶たちも閨以外で足を露わにすることはない。要するに女が足を剥き出しにすることは相手と体を重ねた時だけなのだ。それはすぐさま性的な主張(アピール)に繋がってしまうのだ。

 そういう基準と常識の中にある男たちを前に、自分はなんてことをしているのだろうと今更ながらに思い至ったのだ。ここにある男たちにしてみれば、膝少し上まで出した足は、有り得ない仰天すべき事態に違いない。破廉恥どころではない。とんだ【あばずれ】もいい所だ。

 リョウはたちまち恥ずかしくなって、狼狽のままに捲し立てていた。それが却って墓穴を掘ることになるとは思わずに。

「あああ、ごめんなさい。ついうっかり。膝ぐらいならいいかと思って。そうですよね。こちらでは女性が足を出すのは相手と親密な関係になった時だけですものね。以前みたいに太ももまで晒すような短いスカートじゃないからついついいいかと思って……」

「ちょっと待った! 短いスカートとはなんだ?」

 オリベルトが食いつくように鼻息荒く声を上げ、

「え? いや、あの、その……」

 リョウは激しく狼狽した。

 その鼻先でオリベルトが目を見開いた。

「そうか! きみの故郷では女性は足を出すのは普通だったんだな!」

 あわあわと胸の前で動揺に振られたリョウの手をオリベルトは握り締めると喜色を浮かべた。

「なんて素晴らしい!」

 その時、リョウは否が応にも己の発言がオリベルトの類稀なる芸術心を刺激してしまったことを知った。

 段々と収集が付かなくなりそうな事態にリョウはおろおろと助けを求めるように奥にいた男たちを見た。

 だが相手をどうにかして欲しいという切なる願いも虚しく、目が合ったブコバルはニヤニヤしながらとんでもない爆弾を落とした。

「ああ、そういやぁ、北の砦ん時に向こうの服を持ってきたって言ってたか。そん時のことだろ?」

 ―――――シーリスがやたら珍しがってたからよ。

「それは本当か! 是非見たい。見せてくれ!」

「あ、いや、その……あれは………」

「叔父上!」

「オリベルト殿!」

 リョウの窮地を救ったのは、夫とその友人だった。

「そのくらいにして頂けませんか? 妻が驚いています。これ以上無理を仰るようなら、この件で以後協力をすることは出来ません」

 ―――――妻に二度とこちらの敷居は跨がせないようにさせますよ。

 まるで最後通牒の如く、半眼で冷たく言い放ったユルスナールにオリベルトは、それは敵わないと握っていたリョウの手をパッと放した。

 そして同じように呆れながら窘めるように叔父を見ている甥の冷たい視線を受けて、オリベルトは誤魔化すように咳払いを一つすると立ち上がっている面々に再びソファに落ち着くように促した。

「まぁ待て。ほんの冗談ではないか」

 ちっとも冗談には聞こえなかったのだが。というのが残された四人の一致した見解である。

 そしてお茶のお代わりを持ってきた侍女が去った後、この珍妙な品評会はもう暫く今度は少しトーンを落として行われたのだった。

 その間、オリベルトが自らの拘りを滔々と語っていたのだが。ドーリンがなるべくリョウの足を見ないようにと態とらしく視線を逸らしている隣で、ブコバルは時折捕食者のような獰猛な色をその瞳に滲ませながら舐めるようにチラチラと見ていた。リョウはユルスナールの隣に収まりオリベルトからは一番離れた所にいたのだが、それが余計に向こうにとって全体をよく観察できるようになってしまったことには気が付かないままだった。

 ユルスナールはリョウの腰を抱くように腕を回しながらも視界の隅に映る色の白い剥き出しの足に、まるでそこには何かの吸引力があるのではないかというくらいに意識を吸い寄せられ、盗み見ては、ハッと我に返ると視線を逸らす。そのようなことを繰り返していた。

 最終的に、リョウは服を身に着けた女性視点での感想と助言をオリベルトに語った。


 こうして取り敢えずオリベルトの満足の行くものが出来たということで、その日は、無事散会となった。

 ―――――のだが。

 後日、ユルスナールとブコバルが、【アルセナール】での仕事を私的な用事(別名さぼりとも言う)でほったらかしたことを知ったシーリスが、二人に厳しいお灸を据えたのはまた別の話だ。そして、オリベルトの趣味に付き合うためにリョウが着飾ったということを聞かされて、元々服飾関係に多大なる興味を持ち、リョウの事を可愛がっているシーリスは、自分だけが除け者にされたことを根に持って、その後暫くは事あるごとにねちねちと厭味を言い続けたのだとかいないのだとか。それはアルセナールの執務室にいる兵士たちのみぞ知る話である。


後半部分のイラストを「みてみん」さんの方に載せました。

挿絵として載せる勇気はありませんのでアドレスだけ表示します。

先に謝ります。色々スミマセン。ご興味がありましたらどうぞ。

http://3415.mitemin.net/i34543/

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