2)もしも【スタルゴラド】にハロウィンのような風習があったら
こちらも以前活動報告に載せた季節ネタです。
始めに:
スラブ(ロシア)地域では、ビザンツ帝国時代からの東方教会の影響を強く受けたので、ケルトに端を発するハロウィンの風習は全くありません。ですが、そのようなものがあったらと仮定した際のお話です。まぁ、似て非なる世界ということですので。完全なるお遊びです。
* * * * *
「ダーイカ スラーダスチ、ア ウティビャ チョールト シューチット!!!」
「ダーイ、カンフィェーティ!!!」
――――――「おやつをくれなきゃいたずらするよ!」
その日、シビリークス家に居候しているリョウの私室前の廊下に元気いっぱいの子供たちの声が響き渡った。
ノックの音がしたと思いきや、勢いよく扉が開く。入室の許可を求める余裕もないようだった。
だが、室内にいたリョウは慌てた素振りを見せなかった。机の上に置いてあった小さな籠を手にするとにこやかに戸口際に出た。
「いらっしゃい」
リョウは笑みをこぼすとその場で片膝を着いた。
戸口に立っていたのは、シビリークス家の子供たち、長兄の所のスラーヴァとユーラ、そして次兄の所のオーシャ、お馴染の甥っ子三人衆である。
子供たちはいつもと違って、それぞれ不思議な衣装に身を包んでいた。仮装のようなものと言えばいいだろうか。
そして戸口に現われたリョウに一斉に声を揃えて言った。
「「おやつをくれなきゃ、いたずらするよ!!」」
「おやつ、ちょーらい!!」
子供たちは、皆、黒っぽい衣装に身を包んでいた。頭にはとがった耳。そしてお尻には先が三角にとがった長ーいしっぽ。そしておそろいの黒いマントを羽織っている。そして頬の辺りには呪文のような文様が描かれていた。
それはこの世界に存在すると信じられている【悪魔】の恰好を真似たものだった。
この国には、暦の中で定められたある特定の日に子供たちが【悪魔】の仮装をして近所の家の戸口に門つけをし、お菓子をもらって回るという風習があった。元々、いたずら好きな【悪魔】に業を煮やした人々が年に一回、【悪魔】に持て成しをすることで、その行為を止めさせようとしたという故事に基づくものだった。
【悪魔】は小柄で人の半分ほどの背丈だと伝わっている。そのようなことから子供が仮装をするようになった。子供たちは、この日ばかりは遠慮なくお菓子をもらえることから、嬉々としてこの役目を果たした。
そしてリョウが滞在中、奇しくもその習慣に行き当たったという訳である。そのような話を事前にポリーナから聞いていた。
戸口に現われれる子供たちには事前にお菓子を用意しておくのだそうだ。なんでもいい。キャンディーやキャラメル、チョコレート、小さな焼き菓子等だ。この日の為に女たちはそれぞれ家でお菓子を作る。この日が近づいてくると各家の台所からは色々な甘い匂いが漏れ漂い、ああもうすぐ【あの日】がやってくると時の移ろいを実感したりするのだそうだ。特に街中の住宅が密集した区画では、随分と賑やかなことになるらしい。嗅覚の鋭い獣たちなどは、『どこもかしこも甘ったるくてかなわん』と顔を顰めることだろう。
リョウもシビリークス家の厨房の片隅を借りてポリーナと一緒にお菓子作りをした。シビリークス家があるのは貴族の邸宅が立ち並ぶ区域で隣の屋敷まではそこそこ距離があるので、周辺から子供たちがやってくることはないのだそうだ。それでも屋敷内には、三人の子供たちがいる。ユルスナールの甥っ子三人衆も一年に一度のこの小さなお祭りを心待ちにしているらしい。
【おやつをくれなきゃ、いたずらするよ】―――――それが、門つけをする際の決まり文句であるらしい。
リョウは微笑むと手にした小さな籠の中から、昨日焼いた焼き菓子を取り出した。
子供たちは銘々が小さな籠を手にしている。そうして家じゅうの女たち、男たちを回り、用意されたお菓子をもらうのだそうだ。
籠の中には既にお菓子が沢山入っていた。中々に立派な戦利品のようである。
「はい、どうぞ」
籠から籠へ焼き菓子の入った包みを入れて行く。
「やったぁ! リョウのはなんだ?」
無邪気に目を輝かせたオーシャにリョウは相好を崩した。
「ポリーナさんと一緒に作った焼き菓子よ」
「ポーリャと一緒か?」
「ええ。そうよ」
「なら、大丈夫だな。ちゃんと食べられるだろ」
そう言って小さく口の端を【悪魔】のように吊り上げて、聞き捨てならない台詞を口にしたスラーヴァに、立ち上がったリョウはムッとして同じくらいの高さにある頬をくいと抓った。
「まぁ、失礼しちゃうわね。ちゃんと味見をしたから大丈夫よ。そんなこと言うなら、スラーヴァにはあげないわ」
スラーヴァの籠から先ほど入れたばかりの焼き菓子の包みを取り返そうとしたら、素早く籠を後ろに隠されてしまった。
「もらったものは返さないさ」
そして瞬く間に黒いマントを翻して走ってゆく。
「あ、待って。ぼくも~」
その後に嬉々として小さなオーシャが続いた。
「あら、ユーラ? どうしたの?」
颯爽と消えた二人に対して、真ん中のユーラが籠を手にしたままじっと俯いていた。なにやら真剣に悩んでいるようだ。
「クッキー、苦手だった?」
心配そうに腰を屈めてその顔を覗きこめば、
「ううん。お菓子は大好きだけどさ。やっぱり悪戯も面白そうだなぁって思ってさ」
そう言ってにやりと笑った顔は子供用のお伽話の中に描かれている【悪魔】そのもののような表情で、リョウは可笑しくなって吹き出した。
リョウは少し下にあるすっと伸びた鼻をつまんだ。
「こら。悪戯はいけませんよ。お菓子が足りなくなったら後でまたあげるから、そしたらいらっしゃい」
「うん。分かった」
最後は聞き分けよく頷いて、ユーラも颯爽と身を翻すと黒いマントをなびかせて廊下を走って行った。
そうして、一頻り、この日の行事を恙無く終わらせたことに達成感と満足感を抱いていたのだが。思わぬオマケが付いてきた。
その夜、【アルセナール】から戻り、リョウの部屋を訪れたユルスナールは、リョウの前に手を差し出した。
「なんですか?」
小首を傾げたリョウの前で、あろうことかユルスナールの口からとんでもないセリフが聞こえた。
「【ダーイカ スラーダスチ】」
「え? ルスランまで?」
作り置きしておいた焼き菓子は全部子供たちにあげてしまった。あの後、ユーラが再びやってきてお菓子をくれとせがませたのだ。
ユルスナールには用意をしていない。もっぱら子どもたちが主役の行事であるから、そんなこと考えもしなかった。それにユルスナールは元より甘いものは苦手だと聞いていたから要らないだろうと思っていた。
「もうないですよ?」
空になった籠を見せながら答えた瞬間、酷薄そうな薄い唇が弧を描いた。切れ長なきらいのある瑠璃色の双眸が細められた。
そのなにやら企んだ感のある眼差しにリョウは嫌な予感がして無意識に後じさった。
「ルスラン?」
「ならば異論はないな?」
言うが早いが、ユルスナールはリョウの身体を腕の中に抱きとめると体中をくすぐり始めた。
「え? ルスラン? ちょっと待って。な……なに? うわわわ。やめて。やだ。くすぐったい! あ、ちょっと待って。わわわわわ。あ、だめ。そこはダメ!」
普段よりずっと高音の笑い声を漏らしながら、リョウはくすぐったさから逃れようと身体を捩り必死に肩を竦めた。だが、腕の中から抜け出そうともがくが相手に腰をしっかりと掴まれているため、逃げ出そうにも逃げられなかった。
「ルスラン!」
苦し紛れになんとか手を抑えようと格闘すること暫し、いつの間にか倒れ込んだソファの上で、スカートの中に入り込んでいたごつごつとした男の手が、太ももを撫で上げる。
「ストーイ! プリクラチィー!」
思った以上の体力の消耗に肩で息をすれば、不意に動きを止めた酷薄そうな造形が鼻先で笑った。
「なんだ? これはお気に召さなかったようだな。じゃぁ、少し手法を変えるか?」
「もういいから!」
だが、リョウの抵抗も虚しく。元より力では敵わない相手だ。そうして今度は怪しく動き始めた手を前に、リョウの身体は再びソファーの中に沈み、別の意味で翻弄されることになった。
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ある意味、お約束的なパターンですね。
スラブ(ロシア)世界では、キリスト教(東方教会)の影響なのでしょうが、【悪魔】という概念が発達しています。オカルト要素満載ということで偶にテレビでも【悪魔払い】の様子が取り上げられたりしているのでご存知の方も多いかもしれません。ハロウィンやケルト文化の場合、悪戯をするのはもっぱら「妖精」なのでしょうが、「悪戯」繋がりでここでは「悪魔」にしました。