【少年】の通過儀礼 1)
行きと同じようにキッシャーの背に揺られて馬場に戻ると、人の悪そうな笑みを浮かべたブコバルが、剣を片手に待ち構えていた。
「お早いお戻りで」
鍛錬場のブコバルの周囲には点々と、息も絶え絶えな兵士たちが座り込んでいた。
どうやら鬼のような地獄の訓練が一段落したところらしい。疲労困憊、ぼろぼろの兵士たちとは対照的に、ブコバルは意気揚々としている。まだまだ動き足りなさそうな感じだ。
事の次第を素早く理解したリョウは、噂に違わぬ稽古の厳しさと法外な持久力を誇る相手に顔が引き攣りそうになるのをどうにかして堪えた。
「坊主、お前もどうだ?」
不意に昨日のシーリスの言葉が頭を過った。
―粗雑で反則技の多いブコバルに講師役が勤まるとはとても思えませんが、一番、実戦向きであることには、違いはないでしょうねぇ。
「あぁ……オレはまたの機会に」
誤魔化すように笑みを浮かべてみるが、上手く出来ただろうか。
「リョウ、お前はこっちだ」
ブコバルの誘いをあっさりと無視して、ユルスナールがリョウを促した。
それを見ていた兵士達は御愁傷様というような憐みの視線を投げ掛けて来る。
「リョウ、頑張れ!」
「死ぬなよ!」
「骨は拾ってやる」
その不穏な台詞にぎょっとして後方を振り返った。
一体、どんな死地へ赴く戦士だ。
生温い声援が、へばった兵士達の間から送られて、内心、嫌な予感がした。
その真意を図るべく、団長を見上げれば、からかいを含んだ冷徹そうな眼差しと目が合った。
ニヤリとこちらも極悪人も真っ青な笑みを向けられて、リョウはごくりと唾を飲み込んだ。
「剣を持ったことは?」
「コダチなら」
「コダチ?」
「片刃の、この位の長さの剣です」
その形状を、手振り身振りを交えて簡単に説明すると、ユルスナールは暫し、考えるような素振りを見せてから、訓練用の中から一本の比較的短い剣を選び出した。
「持ってみろ」
手渡されて握ってみる。
刃は訓練用に潰されてあった。
鍔が競り出ている両刃の所為か、やはり勝手が違う。重さはその昔稽古で使っていた小太刀よりも若干勝っているように思えた。長さは大分あるが、仕方がないだろう。
取り敢えず感触を確かめる為に構えてみた。小太刀のように右手に持ち、刃先を下にして腕を前方に掲げる。そして軽く腰を落とした。身体は意外と昔の経験を覚えていたようだ。
すると、ユルスナールが長剣を手に前に立った。同じように潰してある刃が鈍い光を湛える。
「では、小手調べと行くか」
いつでもいいと掛かった声。
とても通用するとは思えないのだが。
相手のペースでいつの間にか整ってしまった場に、リョウは腹を括った。
ええい、ままよ。
こんなことになるなら、昔、もう少し稽古に身を入れておけば良かった。などと独りごちそうになるが、今更、嘆いたとて詮方ないことだ。
深く息を吸い込み呼吸を整えると静かに目を閉じた。
集中。
空気が張り詰めるのが感じ取れた。
正面から向かって行っても無駄だ。長さのある剣とこの短い剣、それに相手と自分の腕の長さがある。明らかにこちらが不利だ。
それに、元々、相手の命を奪う覚悟、人を自らの手で傷つける覚悟なんてなかった。
逃げる隙を見つける為。相手の不意を付く為。精々そこまでだろう。
対峙するユルスナールには隙が無かった。剣先が誘うように小さく動く。
力では到底適わない。それも分かり切ったこと。
活かすなら素早さと身体の小ささだ。思い付くのは、相手の懐に飛び込む捨て身の戦法だ。実戦ならば、かなりの賭けだろう。少なくとも無傷ではいられない。下手をしたら致命傷、いや、命が無くなる。
だが、これはあくまでも訓練の一環で。ここで躊躇いを見せても仕方がない。
リョウは、小さく息を吸い込むと剣を握る手に力を込めた。
土を蹴って。勢いを付けて、踏み込んだ。
当然のことに斬り込んだ一太刀は軽く受け止められる。そのまま、力任せに押される前に、さっと脇へ遠退いた。
そして直ぐ様、間を置かずにもう一太刀。
金属がぶつかる鈍い音が鳴る。
刃から伝わる重みが柄に響いて、握った手に痺れが走った。
歯を噛みしめてその痛みをやり過ごす。ここで柄を放す訳にはいかなかった。
そんなやり取りを何度か繰り返す。
ユルスナールは受けるだけで、暫くは能動的な動きを見せなかったが、ここにきて試すように反撃を始めた。
ただでさえ重みのある剣が何倍もの威力を伴って打ち付けられた。柄を握り込む腕にかなりの負荷を与え始めた。
咄嗟に受けた一撃は、膝を突きそうになるが、体勢を崩しながらも何とか踏みとどまった。
「流せ」
ユルスナールが変わらぬ無表情の下、小さく言い放つ。
―それが簡単に出来れば苦労しない。
リョウは、段々と息が上がってきた。元々の体力、持久力の無さはいかんともし難い。
打って変わって、ユルスナールは平然としていた。額に汗すら見えない。
相手の涼しい顔つきに、明らかな力量の差が分かっていても悔しさが込み上げた。妙なところで負けず嫌いの性格が顔を覗かせる。
隙が無いのなら、作るしかない。かなり無謀であることには違いなかったが、自分の持久力の限界も近かった。踏み出すなら、今しかなかった。
すかさず入ってきた一撃を受けるかに見せて、剣を横に滑らせ、身体を捻ることで、かわす。そのまま、反動を利用して背後に回り、刀の柄を相手の脇へ思い切り突き入れた。
入った…………と思った………のだ……が。
―パシン!!!
鈍い破裂音とともに、突き入れたはずの柄は、大きな手のひらに受け止められていた。
革の手袋が柄を握り込む。
それを瞬時に見て取って。リョウはぱっと右手を放す。
反射的に片手を着いて身体を沈み込ませると、足払いを掛けるように左脚が出ていた。
革と革のぶつかる鈍い音。長靴が擦れる音がする。
だが、渾身の力を込めて打ちつけたはずの脚は、びくともしなかった。
丸腰のまま、崩れた態勢から身体が大きく開く。その瞬間を逃さないかのように影が差した。
あっと思った時には、喉元で長剣の切っ先が光っていた。
「…………参りました」
あっけなくも勝敗は着いた。
ゆっくりと息を吐いた瞬間、ドクドクと耳の奥を奔流のように血液が流れる音がする。吹き出す汗が、首筋を伝った。
立ち会いの描写は難しいですね。昔から個人的に時代劇や時代小説が好きで、【小太刀】はそこから想像をしたものです。素人判断なので、現実的には色々と可笑しい点が多々あると思いますが、どうか、ご容赦を。