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Messenger ~伝令の足跡~  作者: kagonosuke
第五章:テラ・ノーリ
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目覚めの朝

 ゆっくりと意識が再浮上してゆく気がした。じわりじわりと体が軽くなってゆく。目裏が真っ白になるような眩しさにリョウは思わず顔を顰めた。

 深い眠りからの覚醒は、体が反応する反射が恐ろしく鈍く、まるで油回りの悪いブリキの玩具のように、細胞の一つ一つ、関節の一つ一つが軋みを立てて少しずつ動き出すような気がした。

 右の手にじんわりとした仄かな温かさがあった。そして足元にも。

 何だろう。その柔らかで繊細な熱を自分はよく知っているはずだ。馴染み深い感触だ。そのような他愛ない事を断片的に思いながら、リョウはゆっくりと瞼を開けた。


 まず視界に入って来たのは、真っ白な壁だった。またあの真っ白な場所に舞い戻ってしまったのかと一瞬冷やりとしたものが頭の片隅を過ったが、緩慢な瞬きを繰り返すこと暫し、その白いものが良く見れば影が濃淡を描く滑らかな石の天井であることがおぼろげながら分かった。

 体の感触から自分が寝そべっている。それは理解出来た。

 その間も視界を埋めようとしている眩しさにリョウはゆっくりと首をその光が溢れ出している場所に向けた。眩しさを堪えるようにその方角を見てみる。

 それは小さな明かり採りの窓から漏れる日差しだった。窓は小さいものであったが、ちょうどそこから差し込む日差しが角度的に横になっているリョウの目元を狙い撃つかのように照射していたようだ。

 周囲には澄んだ冷たい空気が満ちていた。真っ白かに思えた天井とその周りがくすんだ青い影に包まれていることが分かった。

 とても静かだった。深い深い静寂。深々とした沈黙。それでも恐怖のようなものは全く感じられなかった。

 朝……なのだろうか。

 清冽な空気を吸い込むようにリョウはゆっくりと深呼吸をした。それから何か温かいものに包まれている自分の右手がある方を見た。

 右手はごつごつとした大きな手に包まれていた。そこから目線だけを動かしてその先を辿る。そこに青白い光の中で薄らとした輝きを放つ銀色が見えた。

 ここから見えるのはその大きな骨張った手と銀色の頭部だった。だが、リョウにはそれだけで十分だった。

 帰って来ることが出来たのだ。再びこの場所に。そして、この男の元に。

 じわじわと例えようのない安堵と歓喜が胸内から湧き上がって来るのが分かった。それに応えるかのように左の胸奥が熱を帯びた気がした。そこにはエルドーシスからもらった魂の欠片が、この地に根を張る為の種子になるようにと息づいていた。

 ―戻って来られたのだ。

 あれからどれくらいの時が経っているのだろう。ガルーシャたちがいた場所は、界と界の狭間で、【こちら】とは時の流れが違うとその別れ際に言われた。ただその差はどのくらいになるのかはガルーシャにも分からないとのことだった。その間、ユルスナールはずっとこうして自分の目覚めを待っていたのだろうか。

 リョウは、ゆっくりと体を起してみることにした。何だかまだふわふわと漂っているような妙な感じがしたが、そっと腹筋に力を入れてみた。

 その時、足元にあったもう一つの温かさの原因が分かった。白く光輝くセレブロの長い尻尾が足元に上掛けのように掛かっていたのだ。

 リョウの目覚めに気が付いたセレブロがゆっくりと顔を上げた。虹色に煌めく灰色の光彩が一瞬、驚きに見開かれた後、静かに細められた。白銀の王は音もなく軽やかに身体を起こし、リョウの傍に近づいてきた。

 そして、差し出された鼻先にリョウはそっと顔を埋めた。

 ―ただいま。

 ありったけの気持ちを込めて。

 セレブロは言葉を発しなかったが、左胸の上に刻まれた印を通して温かな奔流が流れ込んできたのが分かった。それは不安と焦燥を安堵で包みこんだような珍しく雑多なものが入り混じった複雑な色をしていた。

 そして、起き上ったまま今度は下にある銀色の頭部がある方を見た。リョウが横たわっていた場所は周囲の床からは少し高くなった広い台のような所だった。その縁に寄り掛かるようにして銀色の髪を持つ男が眠っていた。右手はしっかりと握り込まれたまま。硬い石の床の上に座すようにして無理な体勢で崩れ落ちるように眠っていた。

 差し込む微かな日差しが、俯き加減なその横顔の輪郭を薄らと象っていた。記憶の中に刻みこまれているのと同じ作り物のような造形だ。だが、整えられていたはずの髪は無造作に垂れ下がり、頬や顎には薄らと髭が濃さを増していた。その少しやつれた感のある雰囲気にもしかしなくともかなりの心配をかけてしまったことを知った。

 一体、このままこうしてどのくらいの時を待っていたというのだろうか。

 込上げてくるどこか切ない温かさとそこにある優しさにリョウはそっと空いた左手を伸ばすと乱れたままになっている男の髪をそっと手櫛で梳いた。久し振りの感触に何故だか涙が出そうになった。


 外部からの感触に浅い眠りを繰り返していたユルスナールは直ぐに気がついたようで、弾かれたように覚醒した。

 そして作り物めいた造形に深い青さを秘めた瑠璃色の光が灯った。

「ッ………!!!」

 息を飲み、驚きに目一杯見開かれたその双眸に穏やかに微笑む女の姿が映っていた。

「ただいま、ルスラン」

 第一声は掠れていたが、それでも十分役目を果たしてくれた。

「ッ……リョウ…………」

 暫し、呆けたような顔を晒したユルスナールにその余りの仰天ぶりが窺えて、リョウは小さく笑った。

「どうしたんですか? そんなお化けにでも会ったみたいな顔をして」

 小さく首を傾げると下ろしたままの黒髪がその存在を主張するようにさらりと流れた。

「リョウ!」

 そこで漸く息を吹き返したユルスナールが大きな声を上げた。それは広い静寂に満ちた空間に反響するように響いた。

「リョウ!」

 起こした上体をユルスナールは反射的に抱き締めていた。

「リョウ………リョウ……リョウ……リョウ…ッ…」

 感触を確かめるように男の手が背中を辿る。痛くて苦しいくらいの締めつけだ。ユルスナールは古ぼけた機械仕掛けの人形のようにリョウの名前をただ連呼するのが精一杯のようだった。それだけ言葉にならない感情が怒涛のように溢れ出し、制御の利かない喜び、安堵といった千々の気持ちがその逞しい体の中で暴れているのかもしれなかった。冷静沈着を謳われる平静の第七師団長を知る人々には仰天する事態と言えるだろう。

 リョウは苦しさに顔を顰めながらも、そっとその腕を男の背に回した。まるで幼子が縋りついてくるかのような加減の無い抱擁は、それだけユルスナールが心底心配していたことの表れでもあった。

 リョウは宥めるようにそっとその広い背中を摩った。もう大丈夫だというように。

「心配を掛けてしまいましたね」

 ぽつりと漏れた苦笑に似た声に、ユルスナールはきつい抱擁を解くとその存在をもう一度確かめるようにその頬に大きな掌を宛がった。長い指が、まるで壊れものを扱うかのように躊躇いがちに頬に触れた。

「もう駄目かと思った。だが、お前ならきっと帰って来ると信じていた」

 きっと祈るような気持ちだったのだろう。少し掠れて震えた声にその心の揺れ幅が表れているように思えた。

「ありがとうございます」

 ―信じて待っていてくれて。

「……もう大丈夫…なんだな?」

「はい」

 その少し不安を滲ませた問い掛けにリョウは満面の笑みを浮かべて答えた。詳しい話は後になるのだろうが、一先ず、心配はないということだけは伝えて置きたかった。

「気分はどうだ? 水を飲むか? ああ、そのままでは寒いな」

 最初の驚愕から持ち前の反射神経の良さで直ぐに回復をしたユルスナールは、今度は急に「大変だ」とばかりにリョウに世話を焼き始めた。上掛けを剥き出しのままになっていた肩に掛け、寒くないように摩った。

 一見、冷静そうに見えたが、それだけまだ気が動転して慌てているのかも知れなかった。

「ルスラン、あれから何日経っているのですか?」

 宮殿での祝賀会の夜からどのくらいの時間が経過したのだろうか。

 そして返って来た答えに今度はリョウの方が吃驚することになった。

「今日で六日目になる」

 五日もこうして昏睡状態にあった。

「……え……」

「丸五日、お前は目覚めなかった」

「そんなに……ですか」

 【あちら】と【こちら】では時の流れが異なるとは聞いていたが、リョウとしてはほんの数刻というような感じだったのだ。それが五日も経過していた。少し憔悴したようなユルスナールの顔を見て、本当にその間まんじりともしなかったのであろう、酷く心配を掛けてしまったことに心を痛めた。

 リョウはもう一度、差し出された手を握り返した。


「おかえりなさい」

 ふと落ちた沈黙に柔らかな声が掛かった。

 神殿の東側にある東の翁の結界が張られた祈りの間の最奥。いつもならば人気のないひっそりとしたその場所で突如として湧いた声に小さな清水を入れた器を手にこの場所の主である東の翁が現れた。

 目覚めたリョウの姿を一目見て、その魂の在り方が視える東の翁は、その変化にいち早く気が付いたようで、たちまち相好を崩していた。

 ―おかえりなさい。

 その言葉がこれほど嬉しく思えたこともなかった。

「【上つ方】とお会いできたのですね?」

 近くに歩み寄ってきた翁の問い掛けにリョウはそっと笑みを浮かべた。

「はい。ガルーシャとエルドーシスにお会い致しました」

「そうですか」

「………ガルーシャに?」

 ゆっくりと一つ大きく頷きながら微笑んだ東の翁の隣でユルスナールは驚いた顔をしていた。ガルーシャに出会ったというのが思いも寄らないことであったらしい。

「呑気にお茶を飲んでいましたよ。沢山の草花が咲いた草原の大きな木の下で」

「そこで【種】をもらったのですね?」

「はい」

「……そうですか」

 翁は、感慨深げに息を吐き出した。

 翁は、今ならリョウの魂が視えると言った。まだ小さなものだが、とても豊かで深い輝きを秘めた小さな種のような魂の欠片だと言った。やがてそれはリョウの中で大きくなり、この地に馴染むように混ざり合うだろうとのことだった。

『良かったな、リョウ』

「うん」

 ずっと傍らで静かに見守っていたセレブロの言葉にリョウは微笑みながら頷いた。

 セレブロと東の翁は、リョウのその体から発する新しい【気】とその断片的な会話からその身に起きたことを理解したようだ。

 だが、その隣で、ユルスナールは一人置いてけぼりをくったように怪訝そうな顔をしていた。

 説明を求めるようにこちらを見たユルスナールにリョウはそっと微笑んだ。

「エルドーシスに魂の欠片を分けて頂いたんです。これでワタシはこの地に根付くことができるそうです」

 リュークスの恋人と目された失われた男神の名前はユルスナールも知っていたようだ。

「……ということは?」

「はい。もう以前のようにいつ消えるかなんて心配する必要がなくなったんです」

 これで完全にこの世界の住人になれるのだ。そう語ったリョウにユルスナールは歓喜に顔を綻ばせた。

「そうか!!!」

 そして、再び思い切りリョウを抱き締めた。


 騒がしくなった最奥の気配を感じ取ってか、表に通じる出入口の方から勢いよく走り込んで来る複数の足音が聞こえた。

「リョウ!」

「リョウ!」

 一度入り口で足を止め目を見開いてから、直ぐに走り込んできたのはシーリスとゲオルグで、その後ろからはイリヤとウテナ、そしてドーリンとブコバルいうお馴染みの面々が顔を覗かせた。皆、祝賀会で見かけた華やかな正装ではなく、普段のような簡素な軍服になっていた。

 集まった男たちを前にリョウは少し照れたように微笑んだ。

「ただいま……戻りました」

 その一言で敏い男たちは何がしかのことを察してくれたようだ。それ以上にリョウの傍にいるユルスナールの嬉々とした様子が状況を雄弁に語ってくれたということもあるだろう。それまでまるでこの世の終わりとでも言わんばかりの落ち込んだ顔をしていたユルスナールが、今は天にも昇るような喜びをその顔一杯に表わしていたのだから。黙っていれば、そのまま踊りだしてしまいそうなそんな軽やかな雰囲気を纏っていた。

 だが、それはユルスナールだけではなかったようだ。

 いつも泰然自若としているシーリスも、珍しくその菫色の瞳を潤ませていた。

「おかえりなさい、リョウ」

 台の上で体を起していたリョウにシーリスは近づくとその薄い身体をそっと抱き締めた。

 労わりの溢れる温かな腕にリョウは思わず涙が零れそうになった。でも再びこうして懐かしい仲間たちに出会えたことが嬉しくて仕方がなかったので、リョウは顔を上げると晴れやかに笑った。零れそうになる涙をそっと指先で拭いながら。

 本当に戻って来られたのだ。かつての日常に繋がる大切な仲間に囲まれて、改めてリョウはその思いを噛み締めた。

「しっかしなぁ。よくもまぁ五日も寝こけていられたな。俺なら節々が痛くなりそうだぜ。体中がなまってんじゃねぇか? あ?」

 そこでそっと立ち上がろうとしたリョウにブコバルが実に【らしい】台詞を口にした。そんな軽口を叩いたブコバルの顔もユルスナールまでとはいかないものの珍しく憔悴の跡が残っていた。

「リョウ、大丈夫ですか? 気分はどうです?」

 案じるように顔を覗き込んだシーリスにリョウは平気だと微笑んだ。

「どうも時の流れが違ったみたいですね」

 リョウは苦笑を滲ませた。自分の感覚ではほんの数刻位にしか思っていなかった時が、ここでは丸五日を数えるまでになっていた。だが、逆にそのくらいで済んでよかったのだろう。故郷のお伽噺のようにならなくてよかったと胸を撫で下ろした。

「腹は減ってねぇか?」

 何よりもまずお腹の具合を心配したブコバルにリョウは内心可笑しさを堪えながらも小さく首を傾げた。

「どうでしょう? お腹が空いたという感じはありませんけれど、お水が欲しいです。喉が渇いたので」

「ええ。今すぐお持ちしましょう」

 そこでいち早く動いたのはやはりシーリスだった。

「水なら俺が」

 そう言って立ち上がったユルスナールをシーリスは実にいい笑顔で制した。

「何を言っているんです、ルスラン。あなたの方が今にも倒れてしまいそうな顔色をしているのに。だから休みなさいと言ったでしょう? リョウが折角目覚めたというのにあなたがぶっ倒れたんじゃ洒落になりませんよ」

 リョウが目を覚ますまではと寝食を忘れてその傍に付いていようとしたユルスナールにきついお叱りの言葉が容赦なく突き刺さった。

 シーリスの愛情あるお小言に思わず言葉を詰まらせたユルスナールを見て、リョウは取り成すように微笑んだ。

「そうなったら今度はワタシがちゃんと面倒を見ますよ」

 笑って軽く流そうとしたのだが、

「リョウ、あなたのその優しさには涙が出ますが、そんなに甘やかしていてはいけません」

 逆にその矛先がリョウの方にまで向いて、

「ふふ。そうですね」

 懐かしい遣り取りに誤魔化すように笑みを浮かべた。

 そこにブコバルからも合いの手が入ってきた。

「ハハ。そんくらいでぶっ倒れるようなタマじゃぁねぇだろうが。ルスランは頑丈だぜ。だが、ま、へばって使いもんになんねぇってんなら、俺がリョウを担いでやってもいいぜ? お姫様? ほれ、立ってんのがやっと、ふらふらじゃぁねぇか」

 長い間眠りに就いていた所為で、気持ちとは裏腹に体が上手く動かない。足元がふらついた所をユルスナールに支えられた。そうやってもたついているとブコバルがからかうような声を上げてリョウと相棒を流し見た。

 いつもと変わらないニヤニヤとした顔にリョウは内心呆れながらも、普段と変わらない空気が何だかとても大切で愛おしく感じられた。

 だが、そんなブコバルの威勢のいい申し出も重鎮の御出ましに軽くあしらわれてしまった。

『ふん。ザパドニークの小倅が。うぬが出るまでもない。シビリークスの小倅が駄目ならば、我が運べばよい』

 ―簡単なことではないか。

 主張をするようにぱたりと一振りされた白くて長いセレブロの尻尾にブコバルとユルスナールは何とも言えない顔をして互いの顔を見交わせると肩を竦め合った。

「そうだね。なら、セレブロにお願いしようかな」

 そう言って可笑しそうに笑ったリョウに、

「はは。これは一本取られたね」

「違いない」

 ゲオルグとドーリンが合槌を打ち、

「やっぱ、そうなるんだ」

「自業自得ですよ」

「相変わらずきついっすね」

 ウテナ、そしてシーリスとイリヤまでもが意味深な目配せをした後に笑ったのだった。


***


 それからリョウは少し休憩を挟んでから居候をしていたシビリークスの家に戻った。身に着けていた夜会用のドレスの上から外套を羽織り、その上から温かい毛布でぐるぐる巻きにされて、ユルスナールの前に横抱きにされながら愛馬である黒毛、キッシャーの背に揺られた。最初に馬車を呼ぶと言われたのだが、そんな大げさなことはしなくてもいいと押し問答をして、キッシャーにということで落ち着いた。結局、セレブロとブコバルの厄介にはならずに済んだ。ユルスナールも男としての沽券(プライド)にかかわったようだ。

 だが、リョウが目覚めたという報せは先にシビリークスの家にもたらされていたようで、ユルスナールに抱えられて玄関先に辿りつくや否や今か今かと待ち構えていたシビリークス一家に囲まれてしまった。その迫力にリョウは驚いた。

 シビリークス家夫人アレクサーンドラは、目の端に涙を湛えながらハンカチを握り締め「良かったわ。本当に良かった」と繰り返していた。長兄の妻ジィナイーダは風で乱れた髪をそっと掻き上げてくれて、次兄の妻ダーリィヤはそっとリョウの手を取ると握り締めてくれた。そして、その様子をすぐ傍からロシニョールとケリーガルが見ていた。

 それだけシビリークスの人々が心配をして気にかけてくれていたことにリョウは嬉しいやら、申し訳ないやら、再び緩みそうに涙腺をキリキリと絞りながら、笑顔で「ただいま」と答えていた。

 そして最後に家長のファーガスにも笑顔で向き直った。

「ご心配をお掛けいたしました。もう大丈夫です」

 ファーガスは言葉少なに大きく一つ頷いた。ユルスナールと同じ瑠璃色の瞳が深い優しさを憚らずに滲ませながらリョウを見下ろしていた。

「ああ。おかえり。ゆっくりと休みなさい。後で精のつくものを作らせよう」

「ありがとうございます」

 そしてファーガスは何を思ったのか、末息子の方を見た。

「ルスラン、お前もだ。酷い顔をしている」

 ユルスナールは父親からの尤もな指摘に、冷静さを欠いたここ数日間の己の行為を窘められたようで恥入るようにそっと目を伏せたが、大人しくその言葉に従った。


 それからリョウは、暫くゆったりとした時間をシビリークスの家で過ごした。今回もポリーナが張り切ってリョウの世話を焼き、カッパとラムダの二頭の番犬も付かず離れず傍にいた。そして、先の宮殿での騒ぎを受けて謹慎を言い渡されていたユルスナールもずっと実家にいて、時間が許す限りリョウの傍で過ごしていた。

 そうやって緩やかで温かい時の流れの中で数日を過ごし、鈍くなっていた体の感覚を回復させたのだった。


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