想像と真相の乖離率
「聞いてもいいのか?」
暫し、沈黙が落ちた後、ユルスナールの低い声が耳朶に届いた。
どこまでも思慮深い男だとリョウは思った。
強面の顔には似合わず、繊細で心の機微に敏感だ。
「聞くだけなら。幾らでも。答えられないことには答えませんから」
この男の四角四面張った律儀さをヨルグみたいだと少し可笑しく思いながらも、リョウは静かに言葉を継いだ。
「ですが、ルスラン。貴方はガルーシャに縁のある人。それだけでオレには十分な理由たり得ます」
そう言ってリョウは眩しいまでに鮮やかな笑みを浮かべた。
ガルーシャが信を置いた人物。第一段階の警戒を取り去るには、それだけで十分だった。
その言葉に後押しされるようにして、やや躊躇いがちにだが、核心をつくような問いがなされた。
「なぜそんな格好をしている?」
それはリョウが女であるという前提に基づいて発せられた問いだった。
リョウは、苦笑し、何と答えたものかと考えを巡らせた。
そして出た結論は、
「この方が楽だからです」
自ら進んで男装をしていた訳ではない。別に男になりたい訳でもない。どう説明すれば、相手に納得してもらえるだろうか。知識の前提条件が全く異なる相手との会話は中々に神経を使う。
まず自分が立っている土台の説明が必要だろう。
「ワタシの故郷では、服装にそれほどはっきりとした性差や厳格な決まりがあった訳ではないのです。スカートを履くのは往々にして女性でしたが、男性が履いてはいけないという決まりもなく、それと同じようにズボンも男性同様、女性が普通に身につけるものでもありました。勿論、場所や行事、職業などによってしかるべき服装の基準というものはありますが、普段は機能性が重視されていました。あとは個人的な好みですね。元々、シャツやズボン、スカートといったものが、外から入って来た異国の文化であったということもありますが」
やはり、その言葉にユルスナールは不思議そうな顔をした。
「その前は何を着ていたのだ?」
「【キモノ】と呼ばれるもので、男女ともに同じ形をしています」
リョウは傍に転がっていた棒切れを拾い上げると、乾いた地面に簡単な絵を描いて見せた。
「こんな感じです」
こちら側にも似たような衣装があるだろうか。
「仕立てる生地の素材や色で男物や女物の区別を付けました」
「随分、変わった形をしている」
「まぁ、ワタシがいた頃では、普段着としては廃れてしまっていて、伝統的な衣装として特別な機会に着るという程度でしたが」
個人的には結構気に入っていたのだ。冬場は温かく、腰帯び一つで締め付けを調整できるので楽でもある。
こちら側でも長い衣を太い腰紐一つで留める文化があってもおかしくはない。
「この辺りでは見かけませんか?」
「ああ。大陸の遥か西の方はわからんが、俺が知る限りは、見たことが無いな………といっても、俺は服飾のことは詳しくはないが」
そう言って、肩を竦めて見せたユルスナールをリョウは笑った。
確かに。無骨な兵士という姿が先行するユルスナールが着道楽で、王都にいるという貴族たちのように無駄に衣装に凝っていたりしたら、それはそれでぞっとしないでもない。華やかさには一見縁がないようにも思えるが、この砦の団長を任される位なのだから、それなりの出自ではあるのだろうが、どうにも想像が付かなかった。
「まぁ、それは置いておいて。早い話が、ワタシは女の身でもズボンを履くことに違和感を覚えない場所で育ったと言うことです」
脱線した話をここで元の位置に戻す。
そして、そっと溜息を吐くと自嘲気味に付け足した。
「ただ、ここでこの格好をしていると、どうしても年端の行かぬ少年にしか見えないようですね」
その方が、都合が良かったということもあるが、一々訂正をするのも面倒なのでこのままにしている。そんな惰性の上に成り立ったものでもあった。
「誰も不思議に思わないのですから、いっそ清々しい程ですよ」
そう言って、小さく肩をすくめて見せた。
それは裏を返せば、リョウに女を感じさせる部分、即ち、女性的な魅力が無いということなのだろう。
この国の女達は大抵、肉感的で豊満だ。身体の作りもリョウよりは確実に一回りは大きそうだった。そういった女たちを見慣れている男たちにとって、リョウの姿・形は女性としての認識を通り過ぎてしまうのだろう。
思うことは色々あるが、これ以上、考えても気が滅入るばかりだ。なけなしの自尊心もさすがに無傷では済まない。ここでは敢えて、そのことには触れないことにした。
「…………そうか」
微妙に空いた間は、団長なりの気遣いの表れなのかもしれない。
「だが、その方が賢明でもある」
「まぁ、そうでしょうね」
現状の認識としてはそうだ。仮にも男所帯の兵士達の中に居るのだから。
無駄な混乱は、兵士たちの統率を乱し、要らぬ危機を招きかねない。それは上に立つ者としては絶対に避けなければならないことだ。
それから。
「生まれはどこだ?」
ついに来てしまった質問に、リョウは曖昧な微笑みを浮かべただけだった。
一陣の風が頬を撫でて行く。
水面に出来た漣に、映り込んでいた自分の影がぐにゃりと揺らいだ。
ここでの自分の存在は、あの影のようだとリョウは思った。
「……………………【Nowhere】………………」
沈黙の中で、小さな呟きが漏れた。
ユルスナールには、耳慣れない音の羅列に聞こえた。意味を成さない音。
「ノーゥ…エ?」
それを確かめるように独りごちる。
だが、それを発したはずの当人は、ほんの少しだけ困った顔をすると、何でもないと言う風に頭を振ってから、空を見上げた。
「そろそろ時間のようですよ」
透かし見上げた先には、一羽の鷹が悠々とその大きな羽をはばたたかせて、こちらに向かってくるのが見えた。