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Messenger ~伝令の足跡~  作者: kagonosuke
第五章:テラ・ノーリ
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終の欠片


 どうして、どうして、どうして。どうして私じゃ駄目なの?

 アリアルダ・ズィンメルの中には、この七日間ずっと同じ問いがぐるぐると頭の中を駆け巡っていた。

 武芸大会最終日、ユルスナールがこの国に古くから伝わる慣習に則り求愛をしたという噂はアリアルダの耳にも入っていた。

 今年の冬、ユルスナールの左腕にあったもう一つのリボン。アリアルダが渡したリボンが受け入れられたのは大会期間三日間の内、初日だけのことだった。

 アリアルダは、目にした現実が信じられなかった。いや、信じたくはなかった。これまで、過去数年に渡り、ユルスナールの腕に巻かれていたのは、自分の瞳と同じ少し赤味がかった橙色のリボンだけだった。他の色を見たことはなかった。

 幼い頃からアリアルダは、ユルスナールの妻になることを信じて疑わなかった。幼少期からの知り合いで、姉のジィナイーダがシビリークス家の長男・ロシニョールに嫁いでからは、一層、家族ぐるみの深い付き合いをしてきたのだ。

 これまでユルスナールの影に女の姿はなかった。【氷の微笑を持つ貴公子】と謳われ、往年、社交界を騒がせた父親・ファーガスの美貌を余すことなく引き継いだと言われる美丈夫で、目付きは些か鋭いが、初めてユルスナールの姿を見た女たちを瞬く間に虜にしてしまうような魅力溢れる男だった。

 貴族の中でも名家の出であるにも関わらず、社交界には必要以上に近寄らなかったが、貴族の若い娘たちの間では頻繁に噂になっていた。誰もがユルスナールと言葉を交わし、その手に口付けを落とされることを夢見たが、現実は厳しいもので、軍部の仕事にのめり込んでいるという話を聞く以外は、驚くほど女の噂は聞かなかった。四年前に第七師団長を拝命し、北の砦に赴任してからは、王都に姿を現すのは年に一度の武芸大会の時のみだったので余計に王都に住まう貴族の婦女子たちからは遠い存在になってしまった。


 ユルスナールの周辺で浮いた話が一つも出て来ないことをアリアルダは全く気に留めていなかった。いや、寧ろ当然だと思っている節があった。シビリークス家・家長のファーガスと竹馬の友である父、ラマン・ズィンメルは、アリアルダが生まれた時に二人の娘たちのどちらかを必ずシビリークス家に嫁がせようと戯れに言ったそうだ。それは酒の席でのことだった。その時の約束を本気にしてずっと覚えていたのか、それともそれが切っ掛けであったのかは知らないが、姉のジィナイーダはロシニョールと恋に落ち、そして、シビリークス家に嫁いだ。やがて時の移ろいと共に次男のケリーガルも嫁を貰い、残った三男、ユルスナールにはアリアルダを(めあわ)せようか、そんなことを話したらしかった。

 その約束は決して正式なものではなかったが、アリアルダは幼い頃からシビリークス家の中でも比較的年の離れていないユルスナールに嫁ぐものだと言われて育ってきた。周囲の使用人たちも母親もそのような心積もりの中で、やがてアリアルダは当然のようにユルスナールに恋をして、その想いを大切に心の中で育んできたのだ。

 だが、いつの頃からであろうか。アリアルダは自分が長じるにつれてユルスナールとの距離が離れて行くような気がしてならなかった。幼さから抜け出し、初潮を迎え、娘らしく蛹から蝶へと変化した時、ユルスナールは以前のようにアリアルダを【アーダ】と愛称で呼ばなくなった。

 アリアルダは、その変化にいち早く敏感に反応した。一線を引かれたような気がして気に食わなかった。姉のジィナイーダは、それは妹が一人前の女性として相手より受け止められている証だと言ったが、アリアルダはどうしてもユルスナールとの間に見えない壁が立ちはだかったような気がして仕方がなかった。


 そのような事が続いてから数年、今年に入り、ユルスナールはそろそろ腰を落ち着かせる為に妻を(めと)るべきだ。そのような事を語ったという長兄ロシニョールの言葉にいよいよその時がやって来たかと心を躍らせた。漸く自分の幼い頃から描いてきた夢が叶えられる。

 だが、そう思ったのも束の間、その喜びは長くは続かなかった。

 今年、王都に帰還したユルスナールの背後に一人の人物の影がちらつき始めたのだ。初めてその人を見た時、アリアルダは少なからず衝撃(ショック)を受けていた。ズボンを穿いて軍の腕章を付けた軍人の割には、恐ろしく線の細い少年だった。だが、ユルスナールはその少年に対して並々ならぬ配慮と優しさを見せていたのだ。あのように少年の一挙手一投足に感情を顕わにするユルスナールなどこれまで見たことがなかった。

 あの少年がユルスナールとの間に何らかの強い絆を作り上げていることにアリアルダは嫉妬した。そして、初めて、順風満帆かに思えた自分の人生に大きな黒い影が差したことを意識しない訳にはいかなかった。

 そして、後日、その時の悪い予感は的中した。

 武芸大会開催期間中、ユルスナールはずっとあの少年から渡されたという黒いリボンを腕に巻いていた。そして初日の団体戦の最中、己が試合の直前にその黒いリボンの端を摘むとそこに口付けを落としたのだ。アリアルダは貴族の婦女子たちが観覧する為に特設された特別席からその一部始終を見ていた。

 信じられなかった。いや、信じたくはなかった。あの黒髪の人物とユルスナールの間にある繋がりが羨ましくて、そして男の腕に揺れる黒いリボンが疎ましくて仕方がなかった。

 その少し前に、同じく会場内に来ていたあの時の黒髪の少年を呼び付けてリボンの事をを詰問すれば、あろうことか、あのリボンは少年自らが渡したものであるという。

 それをあのリョウという少年の口から聞いた瞬間、アリアルダは怒りに目の前が真っ白になった。男の分際でユルスナールにリボンを渡した。そのような事が明るみになったら、ユルスナールがいい恥晒しではないか。何を考えているのかは知れないが、同じ軍部の人間(とアリアルダは思っていた)として、とんでもないことをしている。おぞましいことに思えて仕方がなかった。

 そして、その気持ちの高ぶりのままに、気が付いた時にはあの少年の頬を張り倒していた。勢いよく叩いた掌がじんじんと痛かった。それ以上に心が軋んで痛くて、苦しくて仕方がなかった。

 自分で自分のやったことに驚いて、茫然と立ち尽くしたアリアルダの前で、頬を叩かれた少年は、あろうことか小さく微笑んだのだ。

 ―――――これで気が済みましたか?

 そんな台詞を吐いて。

 その時、真っ直ぐに自分を見据えていた黒い澄んだ瞳にアリアルダは何故か戦慄した。そこにあったのは、穏やかで、哀しげで、だが、確固たる強い意志を持った【女】の顔であったから。

 それを真正面から見た時、アリアルダは息を飲んだ。外見から、その格好から、ずっと少年(男)だと思っていた人物が、もしかしたら自分と同じ女かもしれない。不意に過ったその考えは、アリアルダを恐怖に突き落とした。

 だから、ユルスナールは、その人物の色彩を象る黒いリボンを腕に巻いた。そして、何かを誓うようにその端に口付けた。

 それは、生まれて初めて経験する不安だった。大きな漠然とした不安だった。


 そして、武芸大会最終日、アリアルダの目の前で、ついに恐れていたことが起きたのだ。観客席からは遠く、しかとその様子が掴めた訳ではなかったが、ユルスナールが個人戦勝利の後、腕に巻いていた黒いリボンを外すとそれを片手に会場の片隅に向かい、その場で片膝を着いた。

 あれはなんだ、どうしたのだとざわざわとした話声が広がる中で、ユルスナールが申し込みをしているとの話が飛び込んできた。その話は、周囲の観客たちを、特に貴族の若い女たちを騒然とさせた。

 アリアルダは、それを聞いた瞬間、その場から立ち上がると脇目も振らずに駆け出していた。傍にいた侍女のリーダが驚いて声を上げたが、構わずに駆け出した。それ以上、その場所で、ユルスナールのことを耳にしたくはなかった。そして、車止めに待たせていた馬車に乗り込んで実家に逃げるようにして帰ったのだ。

 それから五日余りが経ったある日、アリアルダが最も恐れていたことが起きてしまった。シビリークスの家からユルスナールとアリアルダの許嫁の話はなかったことにという正式な通達が父、ラマン・ズィンメルの元に届いてしまった。それは長年抱いていたアリアルダの夢が(つい)えた瞬間だった。

 ユルスナールの噂は父の耳にも届いていた。元よりあってないような口約束のようなものだったが、そのようなものに正式な書面で破棄の通達が届けられたのだ。そこにはシビリークス家、(もとい)、ユルスナールの本気の度合いが見えて、アリアルダは絶望した。

 実家の居間で、茫然と手紙の内容を聞いたアリアルダに父親のラマンは力なく首を横に振った。どうやらユルスナールには、本気で妻にしたいと願う女性が現れたということだった。その女性を手に入れる為ならば、シビリークス本家と縁を切っても構わない。それ程までの強い決意を持った上での事だと書かれていた。これまで徒に期待をさせてしまったご息女(アリアルダ)には申し訳ないが、末息子の決意は固く揺るがないもので、親がどうこう出来るものではないこと。そして、何よりもユルスナールがその女性を深く愛していること。更に父親のファーガスは、最終的に末息子とその女性との婚姻を許可する積りであること。アリアルダにとっては耳を覆いたくなるような非情な文面が続いていた。その内容は、アリアルダを絶望のどん底に突き落とした。


「お父様! お相手はどこの誰なの!?」

 まさか、本当にあの黒髪の【女】なのだろうか。それとも他の貴族の娘なのか。自分が太刀打ちできないような名家の立派な娘なのか。

 ぼんやりしていたかと思うと突然我に返り、父親に詰め寄ったアリアルダに、書簡を手にした父もその隣に座る母も困惑したように顔を曇らせた。

 難しい顔をして押し黙った父親の傍で、

「お相手の事は何も書かれていないわ」

 母親は宥めるように目の前に力なく膝を落としたアリアルダの身体を優しく抱き締めた。

「……アーダ」

 それから母は同じ長椅子に座る夫の方を向いた。

「ねぇ、あなた。ファーガス殿にもう一度直接会って確かめてみることは出来ないのかしら? 突然、このような紙きれ一枚で、こんなに大事な事を告げるなんで、あんまりななさりようだわ。これでは納得できないわ。どうして今更、こんな……」

 妻の言葉に夫のラマン・ズィンメルは苦渋に満ちた顔をした。大事な娘の悲しみは、父親であるラマンにとっても深い悲しみとなった。だが、その一方で、長年の友であるファーガスの性格を良く知る父には、これが単なる紙きれではないことがよく理解できた。

 これは、シビリークス家の刻印のされた正式な文書である。対外的にも使われる正式な通達だった。それだけで向こうの真剣さと本気の度合いが知れた。これを覆すのは至難の業だろう。

 それでも父親は愛する妻と娘の手前、その依頼を受ける素振りを見せた。

「そうだな。今一度、私の方からも問い合わせてみよう。その前にジーナに連絡を入れておこう。あの子なら詳しいことを知っているかも知れないからな」

 シビリークス家に嫁いだ長女ならば、この書簡の中からは読み取ることの出来ない特殊な事情を知っているかもしれない。そして、上手い具合に妹を慰めてくれるかもしれない。

 艶やかな張りのある薔薇色の頬を涙で濡らした娘に父親はそっとハンカチを差し出した。大きく吐き出しそうになる溜息を飲み込む。

 父親は幾ばくかの罪悪感に駆られていた。いずれユルスナールの元に嫁ぐ。そのように夢見るように仕向けてしまった親の所為で、娘が徒に苦しむことになった。この国に独身男は何もあのユルスナールだけとは限らない。シビリークス家の三男坊は、申し分のない立派な男だが、結局、娘のアリアルダには縁がなかったということなのだ。

 だが、初恋破れ、千々に乱れる娘の気持ちを思えば、慰めとしてそのような台詞を軽々しく口には出来なかった。

「アーダ、さぁ、涙をお拭きなさい。折角の可愛い顔が台無しだわ」

 愛する娘を宥めるように母は、その癖の無い金色の髪を撫でた。父も母も娘の傍に寄り添い、ある程度の落ち着きを取り戻すまで傍にいた。


 翌日からアリアルダは塞ぎこむようになった。両親はなんとか娘の気持ちを上向きに持って行こうと様々な努力をしたが、それは不発に終わった。その間、姉のジィナイーダからもたらされた手紙の内容も妹を励ますものにはならなかった。アリアルダは日に日にどこか思い詰めた顔をするようになった。食事も満足に喉を通らなくなった。

 そして、その非情ともとれる通達を受け取ったその日からおよそ六日が経ったある日、絶望に打ちひしがれたアリアルダは、両親には思いも寄らない行動に出ることになった。

 それは図らずもシビリークス家に滞在していたリョウが抱いた漠然とした悪い予感を裏付けるものになってしまった。


タイトルは、ツイのカケラ。いよいよアリアルダとの件に決着を付ける時がやってまいりました。短いですが、キリがいいのでこの辺で。続きは、今日の夜か明日の午前中には上げたいと思います。

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