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Messenger ~伝令の足跡~  作者: kagonosuke
第五章:テラ・ノーリ
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吉報の使者

 それから更に数えること三日。リョウが、シビリークス家に来てから七日経った辺りのことだった。頬に残っていた痣も消え、鳩尾にあった内出血の跡も無くなっていた。

 その日は朝から客を迎えていた。自分を訪ねてお客が来ている。その報せにリョウは応接間に案内された。ユルスナールは既に【アルセナール】へ勤めに出て不在だった。

 そこにいたのは、ゆったりとした白い簡素な上下に淡い紫色の帯を締めた神官の装束に身を包んだ男、養成所で後見人になってくれているレヌート・ザガーシュビリであった。

「レヌート先生!」

扉を開けるなり走り寄ったリョウにレヌートは立ち上がると大きく腕を伸ばしてその小柄な体を抱き止めた。

 一頻りきつく抱擁を交わしてから、柔和な顔立ちの穏やかな気性の壮年の神官は、ひっそりとした微笑みを零した。

「話はシーリス(義弟)から聞いた。大変だったな」

 囁くような低い慰めの言葉にリョウは無言のまま、軽く首を横に振った。

「具合はもういいのか?」

「はい。お陰さまで。ご心配をお掛けいたしました」

 床払いをしてから三日。体調もすっかり回復し、今は一日の殆どを起きて過ごしている。

 リョウは復調したことから昨日辺りから学生寮の自室へ戻ろうと考えていたのだが、その申し出にユルスナールはいい顔をしなかった。まだ予断は禁物だ。もう暫くは様子をみた方がいい。そう主張して憚らなかった。リョウが術師の最終試験を受けたことはユルスナールも知っていたので、受講しなければならない講義は残っていない為、養成所の方に今すぐ戻らなければならないという理由もなく、時間があるだろうと見越してのことだった。

 滞在中、ユルスナールは、毎朝、リョウの部屋に顔を出し、そして、仕事を終えると真っ直ぐに実家へと戻り、真っ先にリョウの所へ足を運んだ。これまで余り家に寄りつかなかった三男坊が、この所、毎日のように家族と共にする夕食の席に現れるものだから、両親を始めとして二人の兄夫婦もその変化に目を瞠った。

 そして、興味惹かれるままにその理由を尋ねると体調を崩した知り合いを客間の一室に移し、この屋敷に古くから仕えており、かつては三男坊の乳母でもあったポリーナを看病に充てたということが分かった。

 どうやらその客人は三男坊にとってはかなり大事な人であるらしい。ユルスナールは【知り合い】としか言わなかったのだが、勘の鋭い二人の兄たちと父親には、それが恐らくリョウのことであろうとは察しが付いていた。そして、半ば可笑しさを堪えるように互いに目配せをし合った。

 実の所、昨日からリョウも一緒に夕食を取ろうと誘われていたのだが、謹んで辞退していた。家族内の団欒の一時に部外者である自分が混ざるのは躊躇われたし、それにまだこの家の主(つまり、ユルスナールの父親だ)に正式な挨拶を済ませていなかったからだ。それをしない内にのこのこと顔を出すことは出来なかった。ただでさえ邸宅の中の一室を間借りして、ポリーナという熟練(ベテラン)の使用人に面倒を見てもらっているのだ。リョウの中では申し訳ないという気持ちの方が大きかった。それに食事も漸く通常のものに戻ったばかりで、それでも余り量は食べられなかった。なので大人数の前よりも一人の方が気が楽だった。ユルスナールは残念そうな顔をしたが、リョウの言い分を渋々と飲んだようだった。


 レヌートは再びソファに腰を下ろし、リョウもその対面に腰を落ち着けた。ポリーナが二人分のお茶を用意してくれたので、リョウはそれを手ずから運んだ。

 そして少し喉を湿らせてから、レヌートが眦に皺を刻みながら柔らかく微笑んだ。

「今日は荷物を届けに来た」

 そう言って差し出されたのは、古ぼけた鞄だった。皮が飴色に光り、所々擦れた箇所がある味わい深いと言えば聞こえがいいが、要するに年季の入った代物だ。

 それは、リョウが愛用していたガルーシャのお下がりだった。これまでの旅の相棒である。ずっと自分の持ち物のことは気になっていた。中にはお金には変えられない大切な物が沢山詰まっていたからだ。

「ありがとうございます」

 リョウは礼を口にすると鞄を手に取り、中をざっと改めた。

 二本の短剣と付属のベルト、そして外套はユルスナール経由で三日前に返してもらっていた。その時に鞄と中身の薬草類はどうなったのだろうかと尋ねたのだが、そちらは第二師団経由でレヌートに渡ったと言われていたのだ。ということは、中身を調べたのだろうとリョウは思った。

 一つ一つ薬の小瓶や薬草の入った袋を確認して行って、薬の類は自分の記憶と照らし合わせてみても変わっていなかった。だが、足りないものがあった。それは養成所での授業内容やこれまでに独学で学んだことを書き留めた帳面(ノート)だった。

「他に預かったものはありませんでしたか?」

 テーブルの上に中身を取り出して、空になった鞄を前にリョウは怪訝そうな顔をした。

「ん? 何か足りないものでもあったか?」

「はい。いつも使っている帳面(ノート)がなくて」

 くすんでごわついた茶色の紙を束に纏めて綴りにしたお世辞にも立派とは言い難い不格好なものだ。それでもそこには、これまで独学で学んだことや養成所で学んだ事柄が様々な注意事項と共にこと細かに記載されていた。

 それは、リョウにとっては非常に大事なものだった。薬草の類は、森の小屋に戻れば幾らでも予備がある。だが、あれは替えが利かない。全ての知識は一応頭の中に入っているけれども、それだけでは心もとない時や、見直したい時に必要なのだ。並はずれた記憶力を持つ天才肌の人物ならまだしも自分は努力型の凡人だ。

「そうか。私が預かった時には薬草の類しか入っていなかったが」

 第二師団の兵士より鞄を渡された際に、念の為、中の薬草類を確認して欲しいと言われて、レヌートもそれらが一般的な薬師が処方する薬の類と何ら変わりがないことを認めたのだそうだ。ということは、その前の時点で既に中に入っていなかったということになる。

「……そうですか」

 リョウは顔色を曇らせたが、すぐにここで考えてみても埒が明かないので、後日、改めてスヴェトラーナに確認を取ることにした。第二の団長室の中に置き忘れているのかもしれないと思ったからだ。いや、そうあって欲しいと思った。


「で、ここからが本題なんだが」

 どうやら鞄の件は序での用事であったらしい。そう言って、レヌートは口の端を小さく吊り上げた。

 不意に改まった空気に、リョウも対面で居住いを正した。

「はい。何でしょうか?」

 壮年の神官のいつにはない真剣な表情を前にリョウは小さく唾を飲み込んだ。

 そして、告げられた言葉はリョウの意表を突くものだった。

「おめでとう、リョウ」

 落ち着きのある静かな声が厳かに祝辞の言葉を紡いだ。

 レヌートが、目の前に手を差し出していた。タコの類とは無縁の大きな手をリョウは見下ろした。相手の言葉を反芻するように目を瞬かせた。

「昨日、養成所の所長から連絡があってね。キミが最終試験に合格したとの報せを受けた」

「本当ですか!?」

 思わず素っ頓狂な程の大きな声が出ていた。

「ああ。本当だ」

 身を乗り出して驚いた顔をしたリョウの鼻先で、レヌートが柔らかく微笑んだ。

 試験に受かった。それは、またとない嬉しい報せだった。最終試験を受けてから既に七日が経過していた。調子が普段通りに戻ってきて、まず気になっていたのは、試験結果のことだった。

 これで管理機関に登録を済ませれば、晴れて術師として認められることになる。この国で新たな一歩を歩むことができるのだ。

 差し出された手を取り、顔を綻ばせたリョウにレヌートも満面の笑みを浮かべていた。

「良かったな」

「はい」

「だが、ここからが始まり(スタート)だ」

 壮年の神官であり養成所の講師でもあるレヌートは釘を刺すように真面目な顔をした。

「はい」

 試験に合格したことは喜ばしいことだが浮かれていてはいけない。術師にとってはここからが漸く始まりなのだ。レヌートが言わんとしていることは重々承知していた。

 新しく気持ちを引き締めるようにリョウも顔付きを真面目なものにした。術師という肩書を公に名乗る以上、今後、そこには然るべき責任と場合によっては義務が付いて回る。そのことを常に肝に銘じておかなければならないのだ。

「そして、これがその証書だ」

 手渡されたのは、(たなごころ)一枚分くらいの大きさの厚手の紙だった。特殊加工をされた薄く地模様入った綺麗なもので青みがかっていた。そこには古代エルドシア語の飾り文字で試験に合格したという旨がしたためられていた。更に右上には養成所所長の印封、そして左上には副所長の印封、そして左下にはレヌートの印封が施されていた。ぽっかりと開いた右下の空間をレヌートは指示した。

「その空いている所にキミの印封を施してから登録機関に持ってお行きなさい。そこで登録業務を行えば全ての手続きは完了だ」

 その時に登録した印封とこの修了証書と引き換えに術師としての正式な登録(プレート)を受け取ることになるということだった。そしてその登録札は、常に携帯することが求められるとのことだった。

 リョウは感慨深げに四角い合格通知を見下ろした。これはただの紙切れだ。それでもリョウにとっては非常に価値があり、重みのあるものだった。


 リョウはこれまで自分を支えてくれていたレヌートに心から謝意を述べた。

 すると穏やかな表情を変えぬままにレヌートは小さく頷いた。

「これからもこの国の術師の名に恥じぬよう精進なさい」

「はい」

「困った時には、いつでも連絡を寄越しなさい。キミは私の弟子だ。この繋がりはこれからも切れることがないのだから」

 師事した時は期間にして一月にも満たない。だが、密度の濃い有意義な日々だった。

「ありがとうございます」

 恩師からの温かい言葉をリョウは噛み締めるように胸に刻みつけた。それはセレブロの印封のように肌の上に現れることはなかったけれども、己の胸内に根を張り、今後の人生を支えてくれるものになるはずだった。

「ありがとございます」

 もう一度、リョウは同じ言葉を繰り返した。最後は滲み出そうになる涙を慌てて指先で拭った。照れ隠しの笑いは、どこかぎこちなさを生んではいたが、心は温かかった。

 そうして穏やかな笑みを浮かべながら、心優しい師は仕事があるからと帰って行った。


短いですがキリがいいので。次回はシビリークス家滞在中の様子をお届けする予定です。

感想でご指摘頂きました分かりにくい表現を訂正しました。2011/9/20

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