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Messenger ~伝令の足跡~  作者: kagonosuke
第五章:テラ・ノーリ
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焦燥と規律のジレンマ


 その後も続くかに思われた尋問は、予定外の横槍により中断を余儀なくされた。

 張りつめた沈黙の中、突如として響いた小さなノック音の後に、一人の兵士が滑り込むように中に入って来た。兵士は、きびきびとした動作で団長の傍に行くとその耳元に何事かを囁いた。

 その瞬間、スヴェトラーナが小さく舌打ちしたのをリョウは聞き逃さなかった。

「急用が入った」

 用件を伝えた後、速やかに廊下へと退いた兵士の背中を視界の隅に認めてから、第二師団・団長が、振り返った。

「先にそちらを済ませてくる。それまでこの場で待っていてもらえないだろうか」

 これを機に漸く解放されるかと思ったリョウは、その台詞にぬか喜びをした。

 これは、一時的な中断でしかなかった。

 自分が同じ女性だと分かってか、スヴェトラーナの態度は少し軟化したように思えたが、その口振りに、こちらの拒否権はなさそうだと思わざるを得なかった。

「分かりました」

 帰りたいのは山々だったが、リョウは大人しく頷くしかなかった。

 スヴェトラーナは、中にいた部下に後を頼む(要するに見張っておけということだろう)と告げると足早に己が執務室を後にした。

 ――――――妙な気を起こさないでくれよ。

 去り際、そう釘を刺してゆくのも忘れなかった。


 リョウは、広い団長室を所在無げに見渡すと簡素な木のテーブルの上に浅く腰を掛けた。散らばった薬草の袋や小瓶を鞄の中にしまおうとすると見張りとして残された二人の兵士の内、団長の後ろに控えていた兵士がそれを制した。

 薬草や薬品の類は、この後、中身の確認をする為に鑑定に回すとのことだった。

 どこまで人を莫迦にするのか。リョウは突発的に怒りを覚えたが、それをぐっと堪えた。逆にそうして中身が普通のものだということがはっきり分かれば、潔白の証拠になるだろうと思い直した。

 そして、念の為、許可を得てから薬品の類を除いた他のものを鞄に詰め直した。次に脱いでいた上着を着込み、外套を畳んでから腕に掛けた。

 二本の短剣は、まだ返してもらえなかった。スヴェトラーナが戻って来たら、改めて検分するという理由だった。

 浅く机に腰を掛けたまま、リョウは大きく息を吐き出すのを我慢しつつ窓の外へ視線を投げた。

 一体、何が起きているのだ。自分の周りで。

 この間のイースクラの一件。そして今度は侍女・イーラの突然の死。立て続けに起きた二つの事件。そこに何らかの繋がりがあるのか。いや、それは余りにも飛躍し過ぎだろう。リョウはその思いつきを振り払うように頭を振った。

 第一、イースクラは傭兵上がりの男だ。それに引き換えイーラは宮殿の奥向きに仕える侍女である。両者の立場は余りにも違う。二人の生活基盤は掠りもしない。

 偶々、悪いことが重なったのかもしれない。

 リョウは気を落ちつけようと深く息を吸い込んだ。

 あのイーラが死んだ。いや、殺された。そのようなことを突然聞かされて、リョウは動揺した。自分の知らない所で何かが起きている。そんな気がしてならなかった。言い知れぬ漠然とした不安が澱のように腹の底に溜まって行く気がした。

 それにスヴェトラーナは、その侍女の毒殺にリョウが関わったと疑念を抱いているようだった。

 どうしてこんなことになったのか。自分がイーラを殺すなんて、そんなことある筈がない。第一、何の為に? 

 スヴェトラーナの言い分を信じるのならば、使われたのは、一般に出回ることのない高価な毒草、【ジョールティ(黄色い)チョールト(悪魔)】だ。それを手に入れることの出来る人物は限られているだろう。暗殺の玄人(プロ)にしてはお粗末な手口だった。現場にその証拠を残して置いたのだから。すると誤って口にしたのか。何かの香草と間違えて。だが、イーラのことを良く知らないリョウには、その背景などは分かろうはずもなかった。宮殿で何らかの面倒事(トラブル)に巻き込まれたのかもしれない。そう考えるのが限界だった。

 スヴェトラーナは、リョウがイーラと接触したことを知った。恐らく、死の直前に。あの時は周りに沢山の侍女たちがいたから、調査の段階でそのことが出てきたのだろう。だからこうして確認をしているのかも知れない。

 しかし、実際の所、リョウは何の関係もなかった。手当てをしてもらった。ただそれだけだ。それなのにスヴェトラーナは自分を疑っているようだった。

 この分では、身の潔白を主張するしかないのだろう。話せば分かってくれるはずだ。剣呑そうに自分を睨み付けるスヴェトラーナの顔を思い出して、若干、不安を覚えないでもなかったが、誠心誠意を持って事に当たれば、きっと疑いは晴れる。今は、そう信じる他なかった。

 リョウが一人項垂れている間、職務に忠実なスヴェトラーナの部下は、黙ってその任務を全うしていた。


 そうやって待たされている時間を何とも言えない気分でやり過ごしている時だった。

「ヴァロージャ! おい、待て!」

 大きな声がしたかと思うと突然、団長室の扉が勢いよく開き、中に一人の兵士と思しき若い男が飛び込んできた。その後を追うようにもう一人の兵士が現れ、先に入った男の腕を引き留めようと引いた。

 リョウは吃驚して、突然乱入してきた男たちを見遣った。扉付近にいた兵士と仲間の兵士がその男を取り押さえようとして揉み合いになった。その時に、始めに飛び込んできた男と目があった。

 燃え盛るような瞳だと思った。明るい茶色の光彩が、怒りに染まっていた。

 仲間の男たちの制止を振り切って突然その男が物凄い形相でリョウに掴みかかった。

「お前か! お前がやったのか!」

 襟元を持ち上げるように締め上げられて、リョウは慌てて気道が塞がりそうになる首元に手を宛がった。ぐいと力任せに持ち上げられて長靴の爪先が浮いた。

「何の……話…ですか?」

 やっとのことで絞り出した声は掠れていた。

「おい、ヴァロージャ、止めろ。莫迦なことはするな!」

 仲間の制止の声に耳を貸すことなくその男が声を低くしてリョウの鼻先に詰め寄った。

「お前か? 何が目的だ? あ?」

 緩く癖の付いた柔らかそうな茶色の髪を振り乱し、男が凄んだ。

「何故、イーラに手を掛けた? どうして、イーラを殺した?」

 それは、喉の奥から絞り出すような悲痛な叫び声だった。泣いたのかも知れない。真っ赤に腫れた瞼に血走った目が、睨みつけるようにリョウを見据えていた。

「違う! ワタシは何もやってない!」

 ぐっと喉元が詰まり、リョウの顔は真っ赤になった。絞め殺すことも辞さない。そんな相手の本気が伝わって来た。苦しくなって、リョウは自分を締め上げる男の太い腕を叩いて力を緩めるように頼んだ。もがくリョウの姿に漸く仲間の兵士たちが躍りかかって来た男を力ずくで引き離した。

 手が外れ、急激に気管に空気が入り、リョウはむせた。大きく肩が上下する。締め上げられてひりひりとする喉元に手を宛がった。

「ヴラジーミル!」

 扉付近にいた兵士が男を一喝した。

「何を考えているんだ。ここは団長室だ。団長がいなかったからいいようなものを。弁えろ」

 スヴェトラーナの一任を受けた腹心の部下が、突然の暴挙に出た若い兵士へ諭すように、だが、冷たく言い放った。

「疑わしい人物を召喚したと聞いた」

「まだ取り調べ中だ」

「犯人の目星が付いたということなのだろう?」

「落ち付け、ヴァロージャ、まだそうと決まった訳ではない」

「だが、こいつが今、最有力候補だと聞いた」

 ちらりとリョウの方へ鋭い視線を投げてから、拘束された兵士が忌々しげに吐き捨てた。

 その台詞に中にいた二人の兵士は苦い顔をした。

「重要参考人だ。被疑者ではない」

「滅多な事を口にするな。軍律違反で懲罰ものになるぞ?」

「ハッ、営倉でもなんでもぶち込めばいいんだ。俺が知りたいのは真実だ。誰がイーラに手を掛けた? 何の目的があって? どうしてイーラなんだ? 何故!?」

 深い悲しみと行き場のない怒りに彩られた男の沈痛な声が、迸るように広い執務室内に響き渡った。


「ちょっと待ってください。ワタシが……疑われているんですか?」

 不意に落ちた痛いくらいの沈黙の中、リョウはゴクリと唾を小さく飲み込むと閊えそうになりながらも茫然と呟いた。掠れた吐息のような声量であったにも関わらず、その声は室内の隅々にまで染み渡って行った。

「ハッ」

 闖入者が吐き捨てるように言った。

「シラを切る積りか? あ? 見事なものだな」

 乱入してきた男は、リョウを端から犯人と決めてかかっているようだった。

「どうしてワタシがイーラさんを殺さなければならないんですか?」

 一度しか会ったことのない相手をどうして(あや)めなければならないのだ。人を物理的に傷つけたことなど一度としてない。リョウにとっては余りにも理不尽な言い掛かりだった。

「それは俺が知りたいくらいだ!」

 苦々しく吐き捨てた後、一瞬の激情から徐々に平静を取り戻しつつあった男は、仲間の拘束を解き、ゆっくりとリョウの傍に近づいた。

 男は、左腕に紫色の腕章を巻いていた。第二師団に所属する兵士なのだろう。良く鍛えられた逞しい体格が隊服の上からも見て取れた。腰に長剣を佩いている。長靴の底が擦れる音と共にカチャリと剣が鈍くぶつかる音がした。

 目の前に迫った男の口元が、残忍に歪んだ。

「詳しいことは俺が聞く」

 そう言うといきなりリョウの鳩尾に拳を思い切り突き入れた。

「………ッツ……」

 小さな呻き声を上げてがくりと糸の切れた操り人形のように崩れ落ちた小柄な体をその男は肩に担いだ。

 そして、その男は、そのまま部屋を後にしようと扉の方へ向かった。

「ヴラジーミル・ボグダーノフ」

 中にいた兵士が低く制止の声を掛けた。

「止まれ。その者をどうする積りだ?」

「ヴァロージャ、止せ。私怨をぶつけるのは恥ずべきことだ」

 意識を失ったリョウを肩に担いだまま歩きだした大柄な兵士に方々から鋭い叱責の声が掛かった。仲間の兵士がその前に躍り出て、進路を塞ぐように立ちはだかった。

「もう七日も待った。あんたたちに任せていたら捜査は遅々として進まない。いつになっても犯人は捕まらないままだ。事は慎重を要する? ハッ、呆れたぜ。あんたらがちんたらしてる間に当の犯人はのうのうと過ごしてるんだ。何事もなかったかのようにな。俺はそんな莫迦げたこと、真っ平だ!」

 再びの激高に男の顔が赤く染まった。

「ヴァロージャ、お前の気持ちは分かるが、莫迦な真似は止せ。そんなことをしても解決には繋がらない」

 宥めるように言葉を紡いだ仲間の兵士の襟元を男が掴んだ。

「何だって? 俺の気持ちが分かる? 冗談言うなよ、アカーキィー。お前に俺の何が分かるって言うんだ。婚約者を殺されたんだぞ!」

 ―――――大切な人を失った俺の悲しみがお前に分かるというのか。

「その者の取り調べは団長が行う。お前の出る幕はない。私情を挟むなど言語道断だ」

 だから、規律を乱すようなことはするな。スヴェトラーナの腹心の部下は、強硬手段に出た兵士を一喝した。

 軍部では縦の指揮系統がしっかりしていなければならない。上長の命令は絶対だ。男の行為は命令違反、軍律違反に当たった。違反者には厳しい罰則規定がある。それが軍部内の統制(ルール)だった。

「罰なら後で幾らでも受けます」

 最初の暴発的な怒りから少し冷静さを取り戻したのか、これまでのぞんざいな口調を改めて潔く吐き捨てたボグダーノフを階級が上である兵士が窘めた。

「そういう問題ではない」

 それにもう一人の兵士も諭すように言葉を継いだ。

「お前が頭に血を上らせてどうする? 冷静になれ。そうでないと重要なことを見逃すことになる」

「自分は十分冷静です。少なくとも、あなた方よりはマシだ」

 ボグダーノフは頑なだった。一歩も引く所を見せなかった。アカーキィーと呼ばれた仲間の兵士が取り成すように間に入った。

「諦めろ、ヴァロージャ。尋問は団長が行うと言っているんだ。お前もそこに立ち会う許可を貰えばいいだろう? それならいいですよね?」

 ボグダーノフは苛立たしげに奥歯を噛み締めた。

「私情は禁物だ。的確な判断を鈍らせる」

 だから、余計な真似はするなと団長の補佐官でもある有能な部下、カレーニンは切り捨てた。

 統率を乱すような行為は慎まなければならなかった。漸くこの事件解明への糸口が掴めそうな所であったのだ。この兵士一人の軽はずみな行いの所為で、全てが台無しになる可能性も十分考えられた。そういう横槍や先走りは、規律を重んじる団長が一番嫌うことでもあった。

「自分に黙って見ていろと? 指を銜えて見ていろと? そう仰るんですか!」

「ヴラジーミル・ボグダーノフ」

 平行線を辿る議論に補佐官が苛立たしげに舌打ちした。

「これは命令だ。第一、その者はまだ犯人と決まった訳ではない。重要参考人だ」

「同じことではありませんか?」

「いや、違う。大きな違いだ。いいか。こんな子供に何ができる? 裏で糸を引く黒幕がいるはずだ。貴様がここで妙な事をしでかせば、折角の手掛かりが消える恐れがある。これまでの努力が水の泡だ。貴様はこの件を侍女の暗殺だけだと思うのか?」

 下士官の暴挙を思い留まらせるように上官が訥々と説いた。

 ――――だから、慎重に事を運ばなければならない。

 その一言にボグダーノフは、激高した。

「慎重? それは聞き飽きました。この件の迅速な原因究明と解決を望んでいるのは自分も同じです。ですが、あなた方のような生温いやり方では駄目だ」

 だから、自分が問い質す。そう言って、一歩、前に踏み出した。

「お前を行かせる訳にはいかない」

 友人である兵士が最後の砦となるべく男の目の前に立ちふさがった。婚約者を失って悲しみの余り自棄になる友をこのまま放って置くことは出来なかった。第一、このようなやり方は間違っている。

「どけ、アカーキィー」

「そういう訳にはいかない」

「ならば、力ずくで突破するまで」

 ボグダーノフは低く呟くと目の前に立ちふさがる友の腹に強烈な一発を叩き入れた。完全に不意を突かれた兵士が呻き声を上げてその場に膝を着く。その隙に、重要参考人を肩に担いだボグダーノフは、足早に団長室を後にした。

「待て! ボグダーノフ!」

 遠ざかってゆく大きな背中に上官の命令が虚しく響いた。

 団長のスヴェトラーナよりリョウの見張りを一任されていた補佐官のカレーニンは、大きく溜息を吐いた。

 ボグダーノフは、普段は温厚な性質のはずだった。それだけ今回の一件が堪えているということなのだろう。だが、この国の兵士たる者、常に冷静でなければならなかった。私情を挟んではならない。殺された侍女の婚約者ということで、ボグダーノフは今回の捜査からは外されていたのだ。最初は大人しくしていたのだが、とうとう痺れを切らしたらしい。

 上官として同情の余地はなかった。厳しいかもしれないが、そこは割り切らなくてはならない。

 カレーニンは、すぐさま部屋にいたもう一人の部下に視線で合図を送り、ボグダーノフの後を追うように言った。

 あのままでは何をしでかすか分からなかった。頭に血が上り怒りのままに突っ走っている。憎しみの余りにあの者を殺しかねなかった。それは非常に不味い。

 少年のように見えたその人物が、実は女性だった。その事実を知った今、これまでの調査で集めた情報をもう一度洗い直す必要があるとカレーニンは、感じた。

 それに団長のスヴェトラーナが帰って来るまでにあの者を連れ戻さなければならなかった。ことのあらましを聞いたら、団長のことだ、普段から吊り上がり気味の眦を一層吊り上げて、静かに激高することだろう。止められなかった部下の失態を口汚く罵ることはしないだろうが、その口元にぞっとするような凍てついた笑みを浮かべて、規律を乱した兵士へ容赦ない懲罰を下すことだろう。

 一連の流れを思い描いて、一人、広い室内に取り残されたカレーニンは、口の端を僅かに下げたのだった。


ヴラジーミルという名前は、世界を手に入れる、【世界制覇】というとても野心的な意味です。同じ系統でロシア極東の都市、ヴラジヴォストークは【東を制する】という意味です。ボグダーノフというのは、神から与えられた、神の賜物といった感じでしょうか。

短いですがキリがいいので今回はこの辺で。次回に続きます。

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