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Messenger ~伝令の足跡~  作者: kagonosuke
第五章:テラ・ノーリ
173/232

垂れこめる暗雲

 コツコツコツと硬い机の上を不規則に跳ねる指の音が、静まり返った室内に響いていた。

 その日、スタルゴラド第二師団・団長のスヴェトラーナ・クロポトキンスカヤは、朝から募る苛立ちを隠そうともしなかった。

 ここは、【アルセナール】にある第二師団の執務室の区画内、その中にある団長室である。

 大きな飴色の机の上で細く伸びた剣ダコのある指が書類を捲る度に出る紙の摩擦音が静寂に満ちた室内に響いていた。

 ピリピリと微かに震えるような緊張感が、大きく切り取られた窓ガラスに反響していた。その発生源は、もしかしなくとも、この机に座る人物である。

 元々笑顔や微笑みの類とは無縁の冴え冴えとした顔立ちだが、持って生まれた美貌も宝の持ち腐れだと密かに残念に思う同僚もいるに違いない。もう少し愛想が良ければ軍部内での他師団との交渉や協力関係、引いては宮殿中枢部との関係も円滑に進むのではないかという見方は常に第二師団・団長には付き纏っていたのだが、スヴェトラーナ自身、そのようなことなど歯牙にもかけなかった。容姿を武器に相手の感情に揺さぶりを掛けようなどとは姑息な輩のすることであると唾棄しているところがある。昔から卑怯な真似が大嫌いで、正々堂々と真正面から事に当たることを良しとした。根回しや水面下での交渉、相手の腹を探り合うことが日常茶飯事の宮殿内政治とその中で築かれる人間関係の中では、スヴェトラーナのような輩は珍しい(タイプ)だと言えるだろう。


 大きな執務机に腰を下ろしていた団長は、一枚紙を捲るとそこで顔を上げ、鋭い視線を部下に投げた。

「状況は?」

 報告をしていた部下の兵士は、直立不動で机の斜め前の辺りに立っていたが、スヴェトラーナの眉間に浮かぶ深い溝を目に留めると改めて背筋を伸ばした。

「まことに残念ながら、現時点での変化はありません。他に有力な手掛かりや目撃証言も出てきてはおりません」

 淡々と事務的に報告を行う部下の表情は、さながら良く出来たからくり人形のようで、目の前に座る上司から発せられる苛立ちを見事に受け流していた。要するに団長の性格をそれなりに理解し、そのような態度に慣れているのである。

「使用された毒物の鑑定結果は?」

「報告にありますように【ジョールティ(黄色い)チョールト(悪魔)】で間違いないかと」

「入手経路は?」

「目下、鋭意調査中です」

 ここ数日、第二師団内部は、水面下で蜂の巣を突いたような騒ぎになっていた。といっても見かけ上はよく分からないかもしれない。それは情報が的確、且つ迅速に処理・統制され、団長を中心にこの件に関わった第二師団全ての兵士に緘口令が敷かれている為でもある。

 スヴェトラーナは深い溜息を吐くと考えを纏めるように暫し瞑目した。腹心の部下は、その様子を傍らで静かに見守っていた。


 ここ数日、第二師団・団長を悩ませている一つの事件があった。それは過日、宮殿の奥向きで起きたとされる侍女の不審死だった。

 死亡したのは奥向きに仕える一人の侍女だ。まだ若く、下級貴族の出身でその身元もしっかりとしたものだった。

 真面目で仕事熱心と評判のその侍女が、仕事が始まる時刻になっても姿を現さないことに疑問を抱いた同僚は、各自に宛がわれている部屋に様子を見に出かけた所、そこでこと切れていた侍女を発見したというものだった。

 侍女は着衣のまま寝台の中にいた。それを不審に思いながらも最初は単に眠っているだけなのかと思ったのだが、起こそうと近づきその肩を揺さぶってみたが、身じろぎもしない。何の反応も返さない仲間にまさかと思い、脈と呼吸を確かめた。そこでその侍女が亡くなっていることに気が付いた。

 第一発見者の侍女はすぐさま侍女頭と医者を呼んだ。そこで最終的に死亡が確認された。

 まだ年若い侍女の突然死。持病などもなく至って健康で奥向きの侍女として職を得てから約十年、体調を崩したり、大きな病気をしたりすることも無かった。

 仲間の突然の死は、侍女たちに大きな衝撃と動揺をもたらした。誰も俄かにはその死を信じられなかった。何故ならその侍女は前日まで仲間たちと朗らかに談笑していたからだ。


 その死因を調べる為に外傷の類がないかを改めていた医者が、寝台脇にあるサイドテーブルに置かれた水差しに気が付いた。水差しの中には水がまだ三分の一程残っていた。そして、その水を飲んだとされるグラスの中にも残っていた。通常であれば、それは対して気にも留めることのないごく普通の光景だ。

 だが、そのグラスの中を見た医師は一瞬、眉を顰めてからその顔色を変えた。透明なグラスの底に小さな花弁らしきものが沈んでいるのが見て取れた。黄色に赤い筋のような模様が混じる小さな花弁だ。

 それは、専ら暗殺の類に使われるとされる毒草の一種だった。医師や術師である者には、ある程度その名が知られている【黄色い悪魔】と呼ばれるものだ。中でも宮殿のお抱え医師や術師はよく知るものだった。

 後宮内で不審死が出た場合、医師たちはまず毒殺を疑った。今ではめっきり少なくなったが、それだけ一時期には、毒草を持ちいる暗殺が頻発していたのだ。

 発見された花弁は速やかに正式な鑑定に回された。そして、第三師団に所属する術師による検査の結果、それが間違いなく【黄色い悪魔】と呼ばれている毒草であることが判明した。

 【黄色い悪魔】が見つかったことで侍女の死は一気に事件性を帯びたものになった。ここ数年、宮殿内での暗殺事件は未遂案件も含み、めっきり鳴りを潜めていた。そのような中での毒草の発見に奥向きの警護を一手に預かる第二師団の中には緊張が走った。

 その侍女は毒殺されたのか。それとも他に死因があるのか。もし、毒殺だとしたならばその目的はなんなのか。

 死亡した侍女は、国王の第二王子の長女(国王には孫に当たる)、エクラータ嬢付きだった。主であるエクラータ嬢を始め、他の侍女たちの信頼も厚く、彼女たちの中では一目置かれた存在であるとのことだった。最悪の場合、もしかしたらその標的は王族であったということも考えられた。そして、事件は王族への暗殺未遂へと発展していた可能性もあった。


 侍女の死には不審な点が多々あった為、この一件は事件性があると見做され、奥向きの警護を一手に任されている第二師団に話がもたらされた。そして、事は慎重を要する為、団長のスヴェトラーナが自ら、その調査と究明に陣頭指揮を執ることになった。

 医師と術師立ち会いの下、行われた検分では侍女の遺体には目立った外傷の類が見つからなかった。他の一般的な毒物を使った場合に現れる特有の紫斑や兆候となる匂いもない。

 そして、室内で見つかった【黄色い悪魔】の花弁。この毒草は、滅多に手に入らない知る人ぞ知るというような代物だった。街中の普通の薬草店には出回ることがなく、裏の経路(ルート)で高値で取引をされることで有名だった。

 その効き目は群を抜いていた。使用の跡が残らない為、暗殺には打ってつけとされていた。高い毒性がある為、小さな花弁数枚で人は簡単に命を落とした。それも苦しむことなく、まるで眠るように安らかな表情で死に至るのだ。死亡した本人さえも気が付かない内に。それは亡くなった侍女の遺体が綺麗なままであるという状況と一致した。

 普通に考えて、もし暗殺とするならば、暗殺者は自然死に見せかける為にそのような証拠を残したりはしないものだ。だが、状況的に見て毒殺されたのだろうという判断が下された。

 自殺という点も考えられなくもなかった。そして、水差しに入っていたということから他の香草(ハーブ)の類と勘違いして誤って口に入れたのではということも考えられなくもなかったが、【黄色い悪魔】は入手困難な代物だ。普通の人間には手に入れることすら難しい。然るべき伝手と金、そして運を持っていなければならないのだ。そうすると単なる奥勤めの侍女がそのような毒草を手にすること自体、考えられなかった。それに勤務場所の特殊的な事情から侍女たちは一様に毒草の知識を持っていた。中でもこれまで後宮で起きたとされる毒殺事件に用いられてきた毒草に付いては、徹底してその性質やら対処法の教育がなされていた。そうすると誤って口入れたという線も薄い。

 侍女が遺体で発見されたのは、武芸大会二日目の朝だった。暦に直せば【黒】の【第一の月】第四【デェシャータク】の二日、つまり32日のことだ。

 不審な死を遂げた侍女に後宮は震撼した。そして、その日の夕方には一連の報告が第二師団にもたらされ、その原因究明と事件への対処を団長のスヴェトラーナが任されることになったのだ。事件はまだ幼いエクラータ嬢周辺の耳にも入っていしまい、動揺が他の侍女たちにも広がった。


 この一件の内々の調査を開始してから既に五日が経過していた。調査は思うように進まなかった。

 犯人の目星とその目的を探ることが第一優先事項だった。スヴェトラーナは、後宮の警備状況(レベル)をもう一段階引き上げた。見張りの兵士と巡回の兵士の頭数を増やした。そして最優先事項として、死亡した侍女が仕えていた主、王族のエクラータ嬢の身の安全を確保するということが挙げられた。

 殺害された侍女の周辺、その交友関係ととりわけ外部との接触の有無を洗ってゆく内に、見えてきた事実があった。侍女の周辺で何か不審な点はなかったか、最近の侍女の様子に何か変わった点はなかったかなどを同僚の侍女たちから聞いて回った。身内の犯行かそれとも外部の人間の犯行か。聞き込み調査を続けて行く内に手掛かりとも思えることが浮上してきた。それは、その侍女が外部の人間と接触を持ったということだった。それも死亡する前日、武芸大会初日のことだ。

 仲間の侍女たちは口を揃えてその侍女が自分たちの控えの間に見知らぬ人物を連れてきたのだと言った。どうも怪我をしたようで、世話焼きで面倒見のよいその侍女は放っておけなかったらしく、治療に連れてきたとこのとだった。

 その者は黒い髪をした線の細い少年だったという話だった。その少年は手当てを受けた後、礼を述べて帰って行ったとのことだった。

 捜査線上に浮上したその人物にスヴェトラーナは注目した。亡くなった侍女は下級貴族の出身でその身元はしっかりとしていた。日頃の勤務態度も真面目で品行方正、侍女自身に怪しい点は今の所、見つかっていなかった。

 数日前のことであったが、侍女たちはその少年の名前を誰一人としてしっかりとは覚えていなかった。確か、【エール】から始まる変わった響きを持った名前だったと年嵩の侍女が言った。笑うと愛嬌のある顔立ちをしていたと告げた。

 その者を至急探し出し、事情を聴く必要があるだろう。そして話を聞いて行く内に、その者が宮殿に暮らす四足の獣であるティティーを懐に抱いていたということが分かった。更に当日控えの間に顔を出した第三師団の団長とも顔見知りであったとのことだった。

 黒髪の少年―――それを耳にした時、スヴェトラーナが真っ先に思い浮かべたのは第七のユルスナールが世話を焼いているというリョウという名の人物だった。術師の養成所に通っているという素養持ちで、ティティーとも顔馴染みだ。無論、薬草の知識もあるだろう。

 スヴェトラーナがリョウに抱いた第一印象は、物静かで呑気な性質(マイペース)ということだった。あの少年が人を殺めるようには見えなかった。第一、目的は何だ。

 先日、訪れた【アルセナール】内の第七の執務室では、団長のユルスナールとブコバルの二人とは随分と気の置けない間柄であるということが見て取れた。ユルスナールの話では、その者は王都の人間ではない。辺境の田舎の村から遥々術師になるべく養成所に入学をする為に出てきたということだった。

 まさかとは思うが…………。

 人は見かけによらないというのもまた一面の真実だ。時としてあのような温厚で人畜無害に見える人物が冷酷非道な性格を隠し持っていたりすることだってあり得る。表層は真実を隠す薄い膜のようなものだったとしたら………。

 頬杖を突いていた左側から顔を少し上げるとスヴェトラーナは報告をしている部下を流し見た。

「侍女の周辺で何か進展はあったか?」

「いえ、今の所、目新しい情報は出てきていません」

「そうか」

 とするとやはり何よりもまずあの黒髪のリョウという人物に話を聞いてみる必要があるだろう。侍女たちの言う人物がその者なのか裏付けを取る必要がある。違ったのであればそれはそれで構わない。一つ一つ疑わしき点を潰してゆくことが肝要だった。

 それから第三の方にも話を通さなければなるまい。その者は偶々立ち寄ったゲオルグと共に帰って行ったという。それが本当かの確認もいるだろう。

 それからあの毒草の入手経路も調べなくてはならない。【黄色い悪魔】を使った不審死であれば、第三の領分でもある。捜査の命は第二に下ったが、毒草を使った事件についてはそれを専門に研究している第三の協力を仰がなくてはならないだろう。第二の兵士たちに緘口令を敷いているとしてもこういう類の噂は直ぐに広まるものだ。第一、初期の段階で侍女たちの口を閉じさせようとした時にはもう手遅れだった。耳聡いあの男のことだ。この一件を聞きつけたら早々に捻じ込んで来るに違いない。

 男にしては繊細で秀でた容姿を持つが、『美しいものには毒がある』―――その喩えのように外見の美しさとは反比例するが如くその腹の中が真っ黒に染まった第三師団の(トップ)の顔を思い浮かべて、スヴェトラーナは無意識に眉間に深い皺を刻んだ。

「何か、問題でも?」

 急降下した上司の機嫌に部下が尋ねれば、手にした書類をもう二枚捲りながらスヴェトラーナは忌々しげに吐き捨てた。

「第三のあの男に繋ぎを取らなければなるまい」

 元々仲は余りよろしくない。スヴェトラーナは女好きで軽薄なあの男が大嫌いだった。二人が宮殿内で顔を合わせる度に嫌みの応酬のような毒舌合戦が繰り広げられるというのは周知の事実だった。勿論、そのことは部下の兵士も良く理解していた。

「ああ。それでしたら。後ほどこちらにいらっしゃるとの連絡を頂きましたが」

 淀みなく続いたその報告にスヴェトラーナは無言のまま、益々機嫌を急降下させた。そして、ぞっとするような凍てついた笑みをその口元に刷いた。

 なんとも用意周到なことではないか。こちらから呼ばずとも態々向こうの方からやって来るというのだから。お陰で手間が省けたということだ。

「どこで嗅ぎつけるのか知らないが、よく鼻が利く。相変わらずいけ好かない男だ」

 鼻でせせら笑うように吐き捨てた。

 上司の底冷えするような冷笑を見ても部下の兵士は慣れているのか、動じた様子は見せなかった。

「まぁいい」

 取り敢えずの不快感をぐっと押し込めるようにスヴェトラーナは机の上に開いていた書類を閉じた。

 それから術師養成所に通うというあのリョウという名の少年をここに連れて来るように命じた。

「伝令にしますか?」

 繋ぎを取る方法をどうするか。距離的には兵士を派遣した方が早いのかもしれないが、それでは騒ぎになるかもしれない。この件は、慎重に取り調べをする必要があった。その為には目立たない方がよい。

 部下の問い掛けにスヴェトラーナは暫し考えを巡らせるように目を伏せて、口元に手を当てた。

「そうだな。獣の方が早いだろう」

 この部屋に来るにも伝令に案内をさせればよい。序でにティティーにも言伝をするようにと伝えた。あの灰色の獣にも事実確認をしなければなるまい。鋭い嗅覚を始めとして人とは異なる感覚を持つティティーであれば、何か感づいたことがあるかもしれない。

 団長の指示を的確に理解した腹心の部下は、すぐに手配をするべく団長室を後にした。



 一人執務室に残ったスヴェトラーナは、机の上にある報告書を弄ぶように指で触れた。そして、椅子から立ち上がるとゆっくりと窓辺に歩み寄った。

 ガラス窓に憂いを帯びた女の鋭さのある面立ちが反射して映っていた。そこに映る細い柳眉がしんなりと寄った。

 死亡した侍女はスヴェトラーナも良く知る女官だった。廊下で会えばちょっとした立ち話をするくらいだ。朗らかで人懐っこい笑みを見せる可愛らしい女性だった。

 まだまだ若かった。年を確かめたことはなかったが、自分よりも若いだろうとスヴェトラーナは思っていた。

 どうしてあの子が死ななければならなかったのか。しかも、あの【黄色い悪魔】によって殺されなくてはならなかったのか。

 突然奪われた若い命。その無念さを思うと怒りが込上げてきた。それは、腹の底からふつふつと滾るような静かな怒りだった。

 真相を究明し、必ず手を下した犯人を捜し出してみせる。スヴェトラーナは固く拳を握り締めるとギリリと奥歯を噛み締めた。

「何があったのだ、イーラ?」

 スヴェトラーナは低く一人ごちた。その問いに返ってくる答えはあるはずもなく、広い室内に呟きはやがて立ち消えた。


2011/8/24 誤字修正

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