術師への扉
「それでは、これで最後の問いにしよう」
全ての質疑応答が終わった後、最後に一列に並んだ五人の試験官の中から、真中に座る老人が尋ねた。
「キミは、見た所、この国の出身ではないようだが、ここで術師としての登録をした暁には、この国【スタルゴラド】への忠誠が求められる。国からの要請があった場合にはそれを最優先にすることが求められるが、そこに異存はあるまいか?」
「はい」
一人、対峙する受験者は静かに頷いた。
あれから更に三日が経過したこの日、術師の最終試験が行われることになった。
場所は、養成所の校舎内ではなく宮殿の区画へ入った外縁部にある一室で行われた。中には五人の講師たちが試験官として横一列に並んで座っていた。それに対峙する受験者は一人。広い空間の中央に椅子がぽつんと置かれている。窓際には、更に二つの椅子が並び、そこには受験者の後見人となっている術師と登録機関の要請を受けて派遣されているという役人が一人、立会人として席に着いていた。
試験は全て口頭で、其々の試験官から出された問いに答えてゆくというものだった。範囲は、受験者が選択し修了をした全ての分野に関してだ。
試験官は全部で五人いた。向かって左端には鉱石処理を専任とする地質学者であるイオータ、その隣に座る二人の老講師は其々この養成所の所長と副所長という肩書を持っており、術師の中でも幅広い分野に精通し深い造詣を持つ熟練の講師である。その次に座るのは神殿から派遣され教鞭を取っている神官、そして最後、右端に陣取っているのは、以前、イオータのお供で宮殿内のとある会議に参加することになった時に居合わせた地質学者の老人だった。
窓側に設置された二つの椅子の内の一つには、この養成所に入学をする際の世話役になってくれたレヌートがいた。そして、その隣には、何故か、第三師団の副団長の肩書を持つ男、ヒューイ・サフォーノフが立会人として着席していた。リョウが初めて【アルセナール】を訪れた時に道案内を頼んだどこか尊大な匂いのする男である。
通常、この場所には術師登録機関の方から派遣された役人が実務的な諸手続きを兼ねて立会人として参加するはずなのだが、今回はどういう訳か話が回り回って第三師団の方から人が派遣されることになったようだった。
こうして一通り、最終試験の設問が終了した所であった。
真ん中に座る老人、この養成所の所長からの静かな問い掛けにリョウは真っ直ぐに前を向いた。所長の表情は穏やかであったが、そこにある瞳は真摯で偽りを許さないものだった。
「ワタシにはもう帰るべき国はありません。強いて言えば、この地が第二の故郷になればと思っております。元より、この地に骨を埋める覚悟です」
この場で取り繕うような嘘は付きたくなかった。だから本心を正直に答えていた。
「ふむ。よかろう」
所長は、その答えに満足したように一つ鷹揚に頷いた。
「では私からももう一つ。ここで術師の登録が済んだ後はどうするお積りかな?」
真ん中の老人の向かって右隣に座る神官の男が今後の去就を尋ねた。老人の帯の色は、神官の中でも最高位を表わす黒い色をしていた。
「一度、家に帰りたいと思います」
その言葉を受けてか静かな空間に紙を捲る音が響いた。受験者の申請書とそこにある内容を確認しているのだろう。
「キミの家はスフミ村かね?」
申請時の書類にはこの国の最北端の村であるスフミを名を便宜上、書いていた。
「厳密に言えば、スフミ村よりも更に北西の方角、ちょうど広大な森が見える辺りに暮らしています」
「ほう?」
その発言に養成所の所長と副所長である高齢の二人の試験官が顔を見交わせると興味を惹かれたように身を乗り出した。
「キミに家族は?」
「そこで一人で暮らしておるのか?」
畳みかけるように問われて、
「今は一人ですが、家族と呼べる獣たちがいます」
リョウの頭の中にはセレブロや鷹のイーサン、アラムやサハーといった狼たちの姿が浮かんでいた。
「一度、家に帰って少し身の回りを整理したいので、これから先のことはそれから考えてみようと思っています。何分、時間だけはたっぷりとありますから」
そう言うとリョウは柔らかく微笑んだ。
「神殿で神官になる積りはないのかね?」
老齢の神官が期待を込めてこちらを見ているのが分かった。それに小さく苦笑を滲ませるように微笑んでから緩く頭を振った。
「いいえ。ワタシには無理です。申し訳ありませんが」
「何か理由でもあるのかね?」
リョウはその言葉に少し逡巡したが、この際、本当のことを明かしてもよいかと思った。森の小屋に戻れば、もうこの場所にも来ることもあるまい。最後の置き土産として自分に正直になろうと思った。
リョウは顔を上げると真っ直ぐに老齢の神官を見た。
「神殿に仕える神官は、皆男性だとお聞きしています」
「ああ。そうじゃな。神官になるには男でなければならない。それがしきたりじゃ」
「だからです」
被せるように告げられた言葉に老齢の神官は虚を突かれたように動きを止めた。
「ワタシはこのような格好をしておりますが、性別としては女なので」
だから最初から道が閉じられているのだと告げれば、しんと室内に何とも言えない静寂が落ちたような気がした。
やはり唐突過ぎただろうか。内心、恐々として居並ぶ五人の試験官たちを見遣れば、四人の試験官たちは呆気にとられた顔をしていた。唯一、左端に座るイオータだけは事情を知っているのか、にこにこと笑っている。
やがて神官の老人がさも愉快そうに声を立てて笑い始めた。
「ふぉふぉふぉ。そうかいそうかい。それではなりたくとも端から無理な話じゃのう。これは一本取られたわい」
「すみません。紛らわしいことを致しまして」
恐縮そうに肩を縮めたリョウに老齢の神官は、軽く片手を振った。
「なに。キミが謝ることではない。キミがどのような格好をしていようともそれはキミの自由。キミの本質は変わらぬ。勘違いをしていた儂らが悪いのじゃからの」
そう言うと老講師たちはしたり顔で頷き合った。
―――――――では、最後に。
それまで一人、沈黙を守っていたイオータが徐にその口を開いた。灰色の澄んだ玉のような瞳がリョウを静かに見つめていた。
これまでとは違った誠実で真摯な表情にリョウも同じように態度を改めると背筋を伸ばした。
「リョウ。お前さんが能力を開花させるのに最初の手ほどきを受けた術師の名を聞かせてはもらえんかの?」
リョウはその言葉に軽く目を瞠った。
ここでその名を口にしてもよいのだろうか。シーリスやユルスナールたちからはきつく口止めをされていたその名前を。
だが、そこでイオータは続きを促すように穏やかに微笑んだ。
リョウはゆっくりと目の前に対峙する五人の老人たちを見渡した。
そこにある空気は凪いでいた。波乱や混沌とは無縁の俗世からも突き抜けたような厳かな空気だ。
それからリョウは再び発言者であるイオータを見た。そこに浮かぶのは慈愛に満ちた優しい微笑みだった。これまで男が過ごしてきた年月を如実に刻んだ皺だらけの顔。そこにかつての情景が重なり、同じように深い皺の刻まれた一人の男の顔が浮かび上がってきた。
大丈夫だ。そう言われている気がした。
リョウは一旦、目を伏せてから再び前を向いた。そして、昔……と言ってもほんの一年にも満たないこの春先の出来事を懐かしく思い出しながら、ゆっくりと口を開いた。その顔には、これまでにも増して柔らかな微笑みが湛えられていた。
「ワタシの中にある素養を見抜き、ワタシにそれを使う手ほどきを授けてくれたのは………」
そこで吸い込んだ息をゆっくりと吐き出した。
―――――――ガルーシャ・マライです。
静寂に包まれた室内にその男の名前が反響し震えた。
その瞬間、リョウの胸元から一条の光が放たれた。首に下がっていたペンダントが強烈な青白い光を放ち始めていた。
リョウは、吃驚して上着を開き、鎖を引き抜いてそこにぶら下がる青い石を取り出した。
するとシャツの隙間から漏れ出していた光が一気に溢れ出した。その自分の親指の半分にも満たないような小振りの小さな青い石が、一際大きな光を放ち、周囲に拡散し始めたのだ。それを至近距離で浴びたリョウは、余りの眩しさに目を瞑った。
「……おお」
「これは……」
閉じられた視界、小さく呟かれた呆けたような声が耳に入った。
リョウは閉じていた目をゆっくりと開いた。するとそこには思いがけない光景が展開されていた。
胸元のペンダントから青白い光の粒子が集まって伸び、照射するように一人の男の姿を浮かび上がらせていた。ぼんやりと揺らぐ粒子から立ち上るようにして現れたのは、リョウが失って久しい愛する故人の面影だった。いや、よくよく見れば、それは自分の記憶の中にある姿よりも幾分若いかもしれない。たっぷりとした長い外套を羽織った姿。身に着けているものは変わらないが、それらも草臥れた感じは受けず、真新しいもののように見えた。
「ガルーシャ………」
リョウの口からは故人の名が漏れていた。
その声に反応してか、青白い光の中の男がゆっくりと振り返った。そして、最後に見たときよりも格段に若々しい顔付きで微笑んだ。
「おめでとう、諸君。時が満ちたようだな」
揺らぐ青白い光の粒子の中にある男は、そう言うと慇懃な動作で片手を胸元に当て、上体を少し傾けた。それは、この国の一般男性が行う最上の敬意の表し方だった。
男のその仕草はやけに芝居掛かって見えた。男の動きに合わせて残像のように青白い線が軌道を描いた。
光の中に揺らぐ男が小さく微笑んだように思えた。
「キミの顔を見られないのは至極残念だが、致し方あるまい」
口調は変わらずともその声音は記憶の中にあるものよりもやはり幾分若かった。
それから男は振り返ると後方に居並ぶ講師陣を見渡した。
「大事にしておくれ。私の愛し子を。まぁ、逃げられんように精々気を付けることだな」
男は皮肉っぽく小さく笑うと静かにリョウの方を振り返った。だが、その視線はどこか遠くを見つめているようで、幾ら目を合わせようとしても焦点が合うことはなかった。
「結界が解かれた」
五人の講師陣が居並ぶ端でイオータが小さく呟いた。
「……ガルーシャ?」
その呼び掛けに答えることなく、ガルーシャ・マライはどこか遠くを見ていた。いつかの起こるとも知れない遠い未来を見つめているのかもしれなかった。
「キミに我が知を譲ろう。キミの行く末が幸多からんことを」
ガルーシャは手を伸ばすとリョウの頬に触れようとした。だが、実体の伴わない光の塊は、ぐにゃりと歪んで鼻先で形を変えただけだった。
男の薄い唇が薄らと弧を描いた。少し尊大な感すらある独特な微笑み。
そして、最後の灯火のように一段と周囲を取り巻く光が明るさを増したかと思うと、塊であったはずの光の粒子が噴き出すようにして散り散りに拡散し、そして、そこに浮かんでいたはずの男の幻影を瞬く間に消し去ってしまった。
そして、部屋の明るさが元通りに戻った時、リョウの掌にはいつもと変わらぬ控え目な輝きを放つ、なんの変哲もない深い青さを湛えた石が静かに乗っていた。
リョウはその石を胸元でぎゅっと握り締めた。
誰も口を開く者はいなかった。
先程のガルーシャの幻影は、きっとこの部屋に残されていた思念のようなものなのだろう。いや、ひょっとしたらガルーシャ自身が前もって呪いの類をこの部屋に仕掛けていたのかもしれない。かつてガルーシャが養成所で教鞭をとっていた時代の話だ。それに何かが反応をした。
「本当にあの男は相変わらず突拍子もないことをする。我々を驚かせてばかりだな」
立ち上る幻影が消えた先を見つめながら、真ん中に座る所長がつるりとその頬を撫でた。
「今のは、ガルーシャがこちらにいた時の姿ですか?」
その予想には肯定の頷きが返ってきた。
「ああ。そうだな。あの男の事だ。大方、ここを去る前にあのような仕掛けをここに残しておいたのだろう」
―――――――いつ来るかとも知れぬ己が知識を譲るにふさわしい若者が現れる時を待って。
「全く、かように仰々しいことをせんでもよかろうに。相変わらず人騒がせな男だ」
憎まれ口を叩いた老人の顔には、それでも故人を懐かしく思い出していることを疑わせない穏やかな微笑みが浮かんでいた。
「このペンダントの石が媒体になったのかもしれませんね」
これはその昔、ガルーシャが作ったものだった。持ち主の手を変えて、再びこの場所に戻ってきた。それがここに仕掛けられていた術に反応をしたのかもしれないとリョウは思った。
「それも一理あるが、儂は、リョウ、お前さん自身が【鍵】になったと思うぞ?」
イオータがそう言ってじっとこちらを見ていた。
「ワタシが…ですか?」
「ああ。なんの因果かは知らぬが、お前さんがここで学んだこともあの男の導きがあってこその話だからのう」
それは言い得て妙だった。そもそもの始まりはガルーシャの封書を手に北の砦を訪れたことだった。そこから何かが動き始めたのだ。見えない糸に手繰り寄せられるようにして。
ガルーシャがどこまで未来を見通していたのかは分からない。だが、こうして思い返してみれば、それが巡り巡って、自分を王都にまで辿り着かせた。
複雑に絡み合った糸が、今、こうして思いがけない繋がりを生み出し、それを白日の元に晒す。
この場所では本当にガルーシャには世話になってばかりだとリョウは思った。故人を失って久しい今でも、ガルーシャはこうして自分を見守ってくれているのだ。それを思うと心の奥がじんわりと温かくなり、一度は枯れたはずの涙が出そうになった。
それから程なくして最終試験の全ての行程を終えたリョウは、一人試験会場を辞した。
試験が行われた部屋を出てから回廊を通って外に出た。冬場の空は遠く澄んでいて、とても薄い青色をしていた。
それから少しぶらぶらと当て所なく歩いて、ベンチのある中庭のような場所に出た。
外に出ると解放感に大きく伸びをした。コキコキと骨が鳴る。やはり慣れないことにかなり緊張をしていたことが、急激に弛緩を始めた筋肉から感じ取れた。
入室した際、中にずらりと並んだ試験官たちを目の当たりにして、それが見知った講師たちだとしても足が震えそうになった。その極度の緊張も最初の内だけで、実際に試験が始まってしまえばそのようなことは気にならなくなった。
全てを終えて、不思議と心は凪いでいた。後は結果を待つのみ。やれることはやった。悔いはなかった。
これからあの部屋では試験官と立会人、後見人を交える形で合否の審査会が開かれるとのことだった。そこで出された結果は、後日、後見人となったレヌートを通じて知らされることになっていた。
それにしても不思議なことがあったものだ。リョウはその発端になった胸元にぶら下がる小さな青い石をそっと指で触れた。試験のことよりもあの最後の幻影の方がリョウの心に強い印象を植え付けていた。
あの場所は、代々術師の最終試験用に使用されている部屋の一つであるという。養成所の行う試験であるから、てっきりその会場も同じ養成所の校内だとばかり思っていた。それを敢えて宮殿の区画内にある一室で行っているのだ。そこは講師たちの利便性を考えてのことでもあるとのことだった。
あの部屋ではこれまでにそれこそ何百回という試験が行われてきたに違いない。だが、今まであのようにガルーシャ・マライの残像が現れたことはなかったそうだ。
リョウは、あの部屋の中に張り巡らされていたガルーシャの仕掛けと波長が合ったのかもしれないと思った。この場所で、術師と呼ばれる存在があることを自分に教え、その道に導いてくれたのはガルーシャだったからだ。一年と少しという短い期間ではあったが、共に過ごした時間は、今にして思えばとても濃密で掛け替えのないものだった。
振り返ってみれば、あれは実に泥臭い日々だった。毎日が試行錯誤の連続で、目にするもの耳にするもの全てが新しく、覚えなくてはならない対象だった。途方もない程の状況に愕然とする間もなかった。飲み込みの悪い自分にガルーシャは根気よく付き合ってくれた。
ガルーシャはいつも淡々としてそこにあった。失敗をしても上手く行かなくても無理に励まそうとしたりはしなかった。それがどんなにか支えになったことか。
そして旅立って尚、自分をこうして陰ながら支えてくれている。
立ち上るようにして現れたのは、記憶の中に刻まれていたものよりも若かったガルーシャの姿。ガルーシャがこの王都を後にしたのは、二十年近くも前のことだという。
あの幻影は決して自分を認識していた訳ではなかった。当時、恐らくいつ来るとも分からない未来の術師の卵に向けて、あのような伝言を呪いにして残しておいたのだろう。あのガルーシャのことだ。ちょっとした悪戯心のようなものもあったのかもしれない。張り巡らされた罠のようなものに運良く(若しくは運悪く)引っ掛かった者がいたら、『オメデトウ』という具合に。未来の術師を励ます積りだったのか。だとしたらやけに手の込んだ仕掛けだ。だが、それも実にガルーシャらしいやり口だと言えた。
実際の所、リョウにはあの若きガルーシャが何を伝えたかったのか、よく分からなかった。懐かしさで胸が一杯になっていたという方が大きいかもしれない。
それからリョウはゆっくりと後方、東の方角を振り返った。そこからは遠く、神殿の白亜の建物が堂々とした姿を晒しているのが見えた。
今頃、あの裏手にある墓地ではイースクラの葬儀が行われていることだろう。
この場所で身寄りがなく引き取り手のない遺体は、神殿に移送され、そこで神官たちの手によって埋葬が行われるのだという。あの丸い特徴的な白い石碑には、そこに眠る者の名前と亡くなった日付が刻まれることになるのだろう。
弔いの日時が決まったとの報せを受けた時、リョウは出来ることならば参列したいと考えていた。少なくともあの男の最後を看取った形になったのだ。
だが、ちょうどその日が、今日の試験に当たってしまった。報せを寄越してくれたスタースには、返す伝令で参列は無理かもしれないと伝えていた。
葬儀には間に合わなかったが、後でお参りに行きたいと考えていた。小さい花を見繕って手向けることぐらいは出来るだろう。
葬儀にはスタースが神官として立ち合うとのことだった。この国の風習に則り、小さな鐘を振り鳴らしながら祈りの文言が滔々と紡がれるのだという。それは、まるで歌を歌っているような独特な節回しの旋律なのだそうだ。名もなき男の為の鎮魂歌。ひっそりと紡がれる厳かな哀悼歌というところかもしれない。
あの男が探しているという二人の子供たちがこのことを聞いたら、どんなにか悲しむだろうか。それを思うと胸が潰れそうになった。
あの後、スタースとはイースクラのことで少し話をした。あの男の旅の理由は、スタースも聞かされていたようで知っていた。そして、もし、あの男のことを尋ねる人があったら、遺品を神殿で預かっているからそう伝えて欲しいと言われ、リョウも素直に頷いたのだ。
見上げた空は少しくすんでいて、相変わらず気持ちの良い風が吹いていた。風はまだ冷たいが、もう少し経てば春の香りを運んでくるに違いない。そんな狭間の頃合いでもあった。
ゆっくりと振り返った先、吹き寄せる風に乗って微かに鐘の音が聞こえた気がした。