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Messenger ~伝令の足跡~  作者: kagonosuke
第五章:テラ・ノーリ
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ワタシのいない未来

ここより第五章の始まりです。四章が長くなったので、キリの良い所で分割致しました。(2011/10/19)

 武芸大会を終えた翌日、【スタリーツァ(王都)】の人々は三日間の興奮の余韻を心のどこかで引きずりながらもいつもの日常へと戻って行った。そして、リョウの生活も以前のように養成所で講義を受ける勉学の日々に戻っていた。

 講義の方はいよいよ佳境に入っていた。これまでにイオータの【鉱石処理】とレヌートの【祈祷治癒】、二つの分野で修了印を貰っていた。

 そして、武芸大会終了から二日後のその日、午前中の講義を受け終えると一般的な薬草学関連の講義二コマの修了印を貰うことが出来た。また、【古代エルドシア語】と【印封】の授業に関しては昨日の内に修了のお許しが出ていた。これで予てから懸案事項でもあった呪いの加減についてもきっちりと学び修めることが出来た。

 これで選択していた講義全てに関して修了印が貰えたことになった。そのことをいち早く面倒を見てくれているレヌートに報告すれば、穏やかな気性の壮年の神官は柔らかな笑みを浮かべて『それはよかった』と言ってくれた。

 当初の予定よりも早く工程が進んだようだった。この後、正式に術師最終試験への申請を出し、後日試験の日が選ばれ、通達されるとのことだった。

「いよいよだな」

 講義修了を喜んでくれたレヌートにリョウも改めて気の引き締まる気分だった。

 術師の最終試験は全て口頭で、養成所の講師たちから選抜された者が試験官になるとのことだった。そこに後見人であるレヌートと登録機関の役所の方から一人、役人が立会人として参加する予定だということだ。

 漸くここまで漕ぎ着けた。術師になることは、この国で新しい生活を始める上での第一歩だった。術師として認められ、登録をされることで漸く自分の身元は法的に保証され、この国の引いてはこの世界の一員と見做されるのだ。

 それと同時に。そのことはこれまで自分が歩んできた過去との決別を意味した。永遠の決別だった。かつての【佐久間諒】は消滅し、術師の【リョウ・サクマ】が誕生する。

 後ろを振り返る積りはなかった。いや、きっとそのような感傷に浸る暇などないだろう。ここからが新しい人生の始まりなのだから。新米術師にとってはこれから毎日が試行錯誤の連続で修行のようなものだろう。

 森の小屋に帰り、ガルーシャの納戸や書斎を整理して身の回りを粗方整えたら、今度は本格的に身の振り方を考えなければいけなかった。どうやって生計を立てて行くか。どのような人生設計を行うか。考えるべきことはそれこそ沢山あった。

 だが、何よりもその前に片付けなければならないことが、リョウには一つあった。それは、ユルスナールの求婚への返答である。


 リョウの心は揺れていた。何も考えず気持ちのままに男の手を取ることが出来たらどんなにか良いだろうか。だが、リョウにはそこまで夢見がちな少女のように振る舞うことなど到底出来そうになかった。それなりに歳を重ねて自立した生活をしていたからこそ持ち得る分別と思慮深さがあったからだ。

 この二日間、悩みに悩んだ。考えに考え抜いて様々な予想(シミュレーション)もしてみた。色々な分岐点を作り出して、これからの未来予想図を幾つも並べてみた。そうやって何度、どんなにか工夫をして考えてみても、その数多ある選択肢の中に自分があの男の人生に深く関わり、そして男の傍に寄り添って立つという情景は現れては来なかった。

 ユルスナールの隣に立つのはアリアルダか、若しくは似たような家柄から迎えた若くて綺麗な貴族の女性で、二人は結婚し、やがて子供が生まれ、温かい家庭の中で子供を愛しみ育んで行く。

 あの男の順風満帆な人生と幸せを願いながら、それをそっと遠くから見守る。そんな自分の姿しか思い描くことが出来なかった。

 ユルスナールが自分を妻とすることは男にとって何の利益(メリット)にもならないはずだった。いや、逆に負債を負わせかねなかった。貴族のしきたりとは無縁の出自も不明の女だ。ユルスナールの妻として自分にその責務が果たせるとはとてもじゃないが思えなかった。

 異国の女を妻とした。その事によってユルスナールが嘲笑されたり、後ろ指を指されたりする事態だって起こり得るだろう。この国の貴族社会がどれだけ寛容なのかは分からない。だが、往々にして既得権益を持つ狭い社会というものは閉鎖的なものだ。

 ユルスナールが庶民であったら、話はまだ違ったのかもしれない。保守的な農村は難しいかもしれないが、そこそこ人の集まるような国境に近い街であったならば、他国との人の行き来もあるであろうし、異国風の顔立ちをした女を妻としても然程目立つこともないだろうから。

 だが、ユルスナールは貴族の男だった。それもこの国では名門と目される一族の男だった。幾ら男が三男であると言っても、やはり血統を重視するだろう。

 そのような状況下で差し出された手を取ったとしても、すぐに男の立場を悪いものにするに違いない。そして、優しいユルスナールは一人苦しむことになるだろう。自分が属する社会と妻となった女の間で板挟みになるかもしれなかった。そうやって考える度に出てくるのは、自分にとっては否定的な側面ばかりだった。

 無駄にしなくてもいい苦労を態々することはないのだ。一時、ほんの一時、苦しい時を乗り越えれば、心の傷はやがて時が癒してくれることだろう。そして、男の方も時の移ろいと共に黒髪の女のことなど忘れ、新しい妻と共にこの国の然るべき立場にある兵士として立派にその勤めを果たすことだろう。対する自分も、いつかは『そんなこともあったわね』とほんの少しのほろ苦さと懐かしさを胸に昔話に興じることが出来るようになるかもしれない。そうやって穏やかにこの国の片隅で残された時間をゆっくりと過ごすのだ。

 ああ、そうだ。旅に出るのもいいかもしれない。ガルーシャの書斎の書物は養成所の方に引き取ってもらって、今度はこの国を自らの脚で見て回るのだ。術師の組合(ギルド)に登録をしておけば行く先々で仕事は見つかるだろう。そして、術師として細々と生計を立てながら、この広い国を転々とするのだ。まだまだ知らないことは沢山あるだろうから、ささやかなことでも新しい発見に胸を躍らせ、毎日はそれなりに退屈しないで済むかもしれない。そして色々回った街や村々の中で自分の肌に合った場所を永住の地にしてみるのもいいかもしれなかった。

 この国の東には海があるという。故郷を思い出させる海をこの目で見てみたかった。

 そういう未来を想像するのは楽しかった。そのようなことを考えてリョウは落ち込みそうになる気分を上方へと修正させていった。

 そして、最終的に得られた結論は一つ。それは、ユルスナールの申し込みを断ることだった。

 決して男を嫌いになった訳ではない。愛しく思うが故にユルスナールには波風の立たない幸せな人生を歩んで欲しかった。あの男を支え、その人生に寄り添うことが出来るのは、残念ながら自分のような半端者ではないのだ。

 気持ちだけではどうにもならないことが現実にはある。それを強く思い知らされたが、仕方がなかった。

 ならばせめて、後の自分に出来ることは一つ。陰ながら男の幸せを願い、遠くからその行く末を見守ることだった。

 たとえ遠く離れていても、ユルスナールを想う気持ちは変わらないだろう。それを相手に伝えることが出来なくともそれで良かった。あの男に愛された。その記憶と共に過ごした過去の濃密な時間は変わりようがないのだから。ユルスナールが達者でいてくれればそれでいい。風の噂にあの男が笑っていてくれればそれで良かった。

 そこまで考えて、リョウはふととあることを思いついた。

 最後にペンダントを作ってお守りとして渡そう。その後の人生が良きものであるように。男が幸せであるようにと祈りを込めて。

 この場所では人の想いというものは時として形を持ち得るのだ。それこそ、術師としての初仕事に祈願の呪いを施すのもいいかもしれない。ちょうど【鉱石処理】の講義の中で結晶化を施した鉱石の中に黒い石があった。それは【リール石】と呼ばれる鉱石の一つで、ここでは発光石の光の調節に使われたりする原料だった。その昔ガルーシャが作り出したというこの胸にぶら下がる【キコウ石】に比べれば、天と地ほども差がある。大したものではないが、【リール石】は通常粉々の粉末にされることが多いので、純粋な石の塊であるものを装飾品として使用するのは珍しいことだった。この石に穴を開け金具と鎖を通す。そして密かに厄除けの呪いを施そう。そうすれば少しはまともなものに見えるはずだった。そして、正式に返答をする時に、それを渡すのだ。我儘な自分を許して欲しい。罪滅ぼしの積りはなかったが、離れていても自分の心は傍にある。それを伝えられたらと思った。


 そのようなことを思いついたらいてもいられなくなって、リョウは早速街に出ることにした。

 石は手元にある。必要なのは金具と鎖だ。そういった装飾品の金具を扱う店は、以前シーリスに王都案内をしてもらった時に見つけていた。そこは主に若い娘たちに評判だという出来合いの装飾品を扱う店だったが、その片隅で金具と鎖を売っていた。主な用途としては修理用だという。あの時は、装飾品には別段興味の無かった自分を何故シーリスはここに案内したのだろうかと思ったものだが、今ではそのことを感謝していた。

 これから街に出る積りであると言ったリョウにレヌートは序でにお使いを頼んだ。神殿の管轄下にある街中の治療院に届けるものがあったようで、小さな包みと封書を手渡された。今日も恐らくスタースが詰めているはずだから、彼に渡してくれとの事だった。

 こうして鞄の中に預かったものを入れるとリョウは養成所を後にしたのだった。



 街に繰り出したリョウは、先に治療院に顔を出し、レヌートの言っていたように中に詰めていたスタースに預かって来たものを渡してから、件の装飾品を扱っている店へ向かった。

 装飾品を扱う店は相変わらず若い娘たちで賑わっていた。展示された繊細な完成品を眺めながらあれは素敵だとか、あれが似合うのではないかという甲高い女たちのお喋りの声を聞きながら、リョウは店の中に入ると真っ直ぐに金具類が置いてある端の方に向かった。

 この店に足を運んだのは十日程前のことだったが、店主は一風変わった客を覚えていたようだ。

 ペンダントにする為の金具と鎖を探している。そう言えば、少し神経質そうな細面の顔立ちに人当たりのよい笑みを浮かべた店の主は、したり顔で頷いた。そして、ペンダントにしたい石を持っていたら出して御覧なさいと言われて、こういう場合は専門家に見てもらった方が良いだろうと懐の中の小袋の中に入れていた石を差し出した。

 店主は親指の爪程の大きさの丸みを帯びた黒い石を摘むとしげしげと見た。

「ちょっといいかね?」

 そう言って足取り軽くカウンターの中に入ると作業台の明かりの下、拡大鏡(ルーペ)のようなもので舐めるように観察をし始めた。

「これは【リール石】だね?」

「はい」

「ふむ。これはかなり純度の高い良い石だ。表面も滑らかで艶がある。この照りは実にいい」

 一頻り観察をしてから顔を上げると店主はうっとりとした様子で言った。静かな興奮に心なしか頬が上気していた。

「いやぁ、久々に良いものを見せてもらったよ。ありがとう」

「いえ」

 この店主は無類の鉱石愛好家(マニア)なのだろうか。リョウは何といったものか分からずに曖昧に微笑んでいた。

「これをペンダントにするんだね?」

「はい」

「キミも中々に良い趣味をしているね」

 その珍しい思いつきは、店主の気にも入ったようで、小さく喉の奥を鳴らすと茶目っ気たっぷりに片目を瞑って見せた。

「加工はどうするかな? 穴はこちらで開けようか?」

「お願いできますか?」

「ああ。勿論だとも」

 その提案は願ったり叶ったりだったので、リョウは素直に顔を綻ばせた。

 それから石に合う金具と鎖を店主と共に選び出した。小さな金具は、沢山種類があって目移りをしてしまったが、どのようなものにしたいか希望はあるかと訊かれて、リョウはシャツの中から首にぶら下げていた青いペンダントを取り出した。

 できれば同じような簡素(シンプル)なものにしたいと思った。石には上部に小さな穴が開いていて単純な金属の輪が三つ連なっていた。

 胸元から取り出した石を見て、店主がその細い目を目一杯に見開いた。

「これは珍しい。【カローリ()】じゃないか!」

 感嘆に似た息を吐いた店主の反応をリョウは敢えて流して、自分の希望を淡々と述べた。そうしないと話が脱線し中々前に進まなさそうな気がしたからだ。

「これと同じような感じにしたいのですが」

「ほうほうほう」

 拡大鏡(ルーペ)を手に矯めつ眇めつ眺めた後、店主は鷹揚に微笑んだ。

「いや本当に今日はいいものを見せてもらったよ。小さな三つの輪っかだね」

 そう言うとカウンターの後ろにある小さな引き出しが沢山並んだ棚の一つから、似たような金具を取り出した。鎖も同じようなものを選び出した。こちらは自分が身に着けているものよりも若干長めにした。

 それから店主に石を預けると金具代と鎖代、そして加工の手間賃を聞いて支払った。値段は銅貨一枚で少々のお釣りがくるくらい。いいものを見せてもらったお礼だと言って、値は少しまけてもらった。

「それではよろしくお願いいたします」

「ああ、明日の今時分には上げておくから。楽しみにしておくといい」

「はい」

 こうして少しほくほくとした気分で出来上がりを楽しみにしながらその店を後にしたのだった。



リョウさん、思考がかなり後ろ向きです。やっぱりあの男の妻になるのは、かなりの勇気がいることかもしれません。さてさてユルスナールはどうするのやら。次回に続きます。

2011/8/2 誤字訂正

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