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Messenger ~伝令の足跡~  作者: kagonosuke
第四章:王都スタリーツァ
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愚者の敬虔なる儀式

今回は、サブタイトルに悩みました。もう一つの候補は【この手を離さないで】。

 

 ―――――――我、ユルスナール・シビリークスは、あなたに心からの忠誠をここに誓う。我が喜びは、あなたと共にあること。我が幸いは、あなたと共に道を歩むこと。どうかその寛大なる御心をもってこの手をお取り下さい。あなたの下僕となった愚かな男の手を。


 朗々とした低い艶のある声の後に、跪いた男が徐にその右手を差し出した。そこには、この三日間、男が離さず左腕に身に着けていた黒い紐が、その両端を垂れ下がるようにして乗っていた。

「もし、あなたが慈悲深く、我が想いに応えてくださるのであれば、どうかこのリボンを我が手に」

 ―――――――巻いてください。

 突然、醸し出された厳かな空気と共に始まった男の口説。余りにも急な出来事に頭の中が真っ白になった。

 リョウは呆けたような顔をして目の前に跪く銀色の髪の男を見下ろした。

 耳に入った言葉が、意味を成さない音の羅列のように通り過ぎて行く。一度、変換された意味合いが一つの形となり、再びバラバラに分解される。字面だけなら追うことができても、それが口にされた(タイミング)と向けられた相手が間違っているような気がしてならなかった。

 周囲から雑音が消えていた。空間が急速に縮小し、この場が自分と男、二人だけの閉じられた世界になった気がした。

「今……なん…て……?」

 あの薄い唇が、今、何を紡いだ? 何を言った?

 その意味を図ろうとして、驚愕の余りに思考が全停止した。


* * * * *


 怒涛のような歓声が、周囲を埋め尽くしていた。体中の細胞が外部からの音の洪水に反響する。耳の奥がガンガンと鳴り、様々な叫び声、悲鳴、囃し声が共振を繰り返し、増幅して行った。

 午後から始まった個人戦の決勝、戦いの神【セマルグル】は、銀色の髪を持つ男に勝利の盃を掲げた。


 二人の剣士は作法に則り一礼をしてから宮殿へ向けて最敬礼をすると再び観客の方を向いた。水色の腕章をその右腕に巻いていた第一師団所属の兵士は、青色の腕章を巻いた第七の兵士に歩み寄ると晴れやかな笑顔で言葉を交わし、その左腕を高らかに掲げてみせた。

 そこには、この三日間、激戦に耐え抜いた男と共にあった黒いリボンが吹き抜ける風に翻っていた。

 観衆は、一斉にこの日最後の戦いを繰り広げた猛者たちに惜しみない拍手を送った。


 午後からの個人戦決勝は、ユルスナールが勝利を収めた。リョウは、身体の内側で鳴り響く己が心臓の鼓動を持て余すように自分の手を胸の前できつく握り締めていた。

 午前、団体戦の方で第一の団長と激闘を繰り広げたユルスナールは勢いに乗っていた。その流れは失われることがなかった。そして、午後からの個人戦ではそれまでの疲れを見せることなく己が力で勝ち星をもぎ取ったのだ。男の体から発せられる並々ならぬ気迫は遠く離れたこの場所にも十分伝わって来ていた。そして、剥き出しの闘志と華麗なる剣技は、数多もの観客たちを釘づけにした。


 このまたとない快挙を胸内に刻みつけるように、リョウは大きく息を吸い込むと暫し目を閉じた。

 今日、この日のことを決して忘れはしないだろう。この興奮と高揚と不安と安堵と。様々な感情の入り混じった三日間だった。ここに集う多くの人々が落胆し、泣き、笑い、歓喜した一体感。この時、ここでしか味わうことのできない特別な経験だった。

 一頻り人々の声援に応えていた二人の剣士たちはゆっくりと舞台中央から下がっていった。そして主役のいなくなった舞台中央では、揺らぐ熱気がいまだ燻るように興奮の余韻を引きずっていた。

 ユルスナールがこちらに戻って来たら、まず心の底から『おめでとう』と言おう。リョウはそう決めていた。団体戦に引き続き、個人戦でも勝利を収めたのだ。これ以上の快挙があるだろうか。

 言いようのない興奮が、リョウの心を捕らえていた。男の勝利が、まるで我が事のように嬉しく、そして誇らしかった。


 そのまま控えの天幕へと戻るかに思われたユルスナールは、会場をぐるりと見渡した後、何故か進路を変えた。そして、ゆっくりとこちらに向かって来るように思えた。

 リョウの周りには、ブコバル、シーリスを始めとする第七の兵士たちがいた。団体戦を共に戦った仲間たちも、午後からは遠くから己が団長の個人戦の行方を追っていたのだ。先程と変わりなく、この付近にはドーリンたち第五の兵士の姿もあった。

 この後、この広場では、余興として個人戦の優勝者と南の将軍による模擬試合が行われる予定だった。そして、その後に団体戦優勝者と個人戦入賞者上位十名への表彰式があり、参加者全員を集めた閉会式をもって全ての行程が終了とされた。


 ゆっくりとこちらに歩み寄った優勝者に方々から祝福の声が掛かった。

「おめでとうございます、ルスラン。お見事でした」

「ああ」

 第七の面々が集まる所にやってきたユルスナールは、シーリスの言葉に目を細めると小さく頷いた。

 隣にいたブコバルが無言のまま拳を突き上げる。それにユルスナールも男らしい笑みを浮かべながら拳をぶつけることで返した。

 そのまま戦いを勝ち抜いた体格の良い男の姿は、一言言葉を交わそうと周囲に詰めかけた多くの兵士たちに囲まれて見えなくなってしまった。

 リョウは、後方に控えて喜びを分かち合う男たちの姿を眺めていた。同じく軍に所属する者同士、同じ環境に身を置く者たち同士、そこには自分には測り知ることのできない絆と繋がりがあるのだろう。

 暫くして、ユルスナールの視線が何かを探すように彷徨った。隣にいたドーリンが何事かを小さく口にする。そして、頷いた視線がこちらに向いた。深い青さを湛えた瑠璃色と真っ直ぐに視線がかち合って、リョウは男の快挙を称えるように微笑んでいた。

 返すように男が頬を緩めていた。

 それからユルスナールはリョウの傍まで来ると、突然、その場に片膝を着いて跪いた。身に付けた防具の膝当てが、乾いた地面に当たりカチャリと金属音を立てた。

 男はそのままリョウの手を取るとその甲に小さく口付けた。そして、視線を合わせるように黒い瞳を見上げると、真剣な顔をして淀みなく宣言のような文言を紡いだのだった。

 リョウは呆気にとられて、立ち竦んだまま男の行動を見ていた。


 そして、舞台は冒頭へと戻る。

 リョウは、その場で何度も目を瞬いた。口を開いて何か言葉を発しなくてはと思うが、具体的に声が出て来なかった。

 これは何かの芝居の一幕だろうか。それ程、ユルスナールの取った行動は、突拍子がなく珍妙で芝居がかって見えた。

 リョウは吃驚したままユルスナールを見下ろした。それでもそれをやった男の方は大真面目なようで、誠実すらある真摯な表情でこちらを見上げていた。

 妙な緊張が周囲に張りつめていた。

 跪いた男が差し出した右手には、あの黒いリボンが掛かっている。それを手に取れというのだろうか。言われた言葉を胸内で反芻してみる。

 だが、それは安易にしてはいけないことのように思えた。

 とても重要な事を切り出されている。動揺しながらも、それは理解することが出来た。

「あの………ルスラン?………これは、一体……」

 ―――――――何の真似ですか?

 男が取った唐突とも思われる行為の前提条件が分からないリョウは、ただただ驚いて、試合の後、落ちかかる前髪をそのままに静かにこちらを見上げる男を見下ろした。

 男の額際には激しい戦闘の結晶である汗が幾筋も滴り落ちていた。不意に濡れて張り付いたその前髪を後ろに撫で付けてやりたいという衝動に駆られた。それは現実逃避に近い行動なのかもしれない。

 瑠璃色の双眸は、とても真剣で強い光を発していた。決意のようなものを秘めているのか、やけに熱っぽく感じられた。深い青さを称えて揺らいでいる。

 硬直したままのリョウにユルスナールは愛おしそうに目を細めると試合直後の高揚のままに熱に浮かされたように囁いた。

「リョウ、どうかお願いだから、この手を取ってくれ」 

 それをするとどうなるのだろうか。

 尚も面食らったままのこちらの心の内を読んだのかは知らないが、ユルスナールは小さく微笑むと、

「我が心は生涯お前のものに」

 恐ろしい程に熱い言葉を吐いていた。

「これは……何かの儀式………ですか?」

 試合を終える為に必要なものだろうか。

 対するリョウから漸く漏れた言葉は、この状況をよく知る周囲にしてみれば実にちぐはぐなものだった。

 噛み合わない台詞に痺れを切らしてか、シーリスが苦笑を零しながら助け船を出した。

「リョウ、リボンの意味は何だか分かりますか?」

 リョウは、顔を上げるとつらつらとこれまでに耳にしたこのリボンの習慣が生まれた経緯とその使われ方を思い出していた。

 意中の相手からリボンを授かった男は、それを腕に巻いて試合に出場し、見事勝利を得た暁には、それを渡してくれた女の下を訪れて愛の告白をする。そこで女の側がその手を取れば、恋が成就したものとみなされた。片恋に焦がれる男の求愛や果ては求婚に利用されたりするのだとか。

 そこまで考えて、リョウは目を見開いた。

 ―――――――まさか。

 ユルスナールは、衆人環視のこの場で自分に求愛をしているのか。

 だが、それと同時に態々そのような事をこの場で口にした男の意図が読めなかった。自分の気持ちは男の方も端から知っているはずだからだ。そうでなければ身体を重ねたりはしなかった。何を今更という感じである。

 いや、それともこれには何かもっと重大な意味が隠されているのだろうか。

 ぐるぐると思考の渦に流されるようにして沈黙を貫いたリョウに外野から追い打ちが掛かった。

「リョウ、よーく考えた方がいいぜ? でねぇとここでお前の一生が決まっちまうからな。……って言ってもどうせお前にゃ選択肢なんぞねぇんだろうがよ」

 振り返れば、ニヤニヤとした笑みを浮かべながらブコバルがこちらを見ていた。

 その台詞にリョウは更に驚いて目を見開いた。

 自分の一生が決まるとは何の話だろうか。

「どういうことですか?」

 それほどまでに重要な意味合いがあるのだろうか。

 周囲にいる男たちは、皆、その意味を知っているようだった。痛いくらいの沈黙と突き刺さるような視線があちこちから注がれているのが感じられた。

 リョウは途方に暮れたように辺りを見渡した。だが、皆、下手に関わり合いになりたくないのか、それとも高みの見物を決め込んでいるのか、自分が望むような答えをくれそうな者はいなかった。

 そうするうちにやっとドーリンが小さく咳払いをした。

「ルスラン、相手に通じないのでは話にならんだろう?」

 ドーリンの尤もらしい言葉にユルスナールは苦笑を滲ませた。

「そうだな」

 ユルスナールは、一向に立ち上がろうとはしなかった。跪いたまま、少し考える風に首を傾げたかと思うとその薄い唇が、とんでもない言葉を吐き出していた。

「リョウ、単刀直入に言う。私の妻になってくれ」

 その瞬間、周囲に何とも言えないどよめきが走った。皆、意表を突かれた顔をして、突如として始まったこの奇想天外とも言える成り行きをじっと見守っていた。

 突然、始まったのは、この武芸大会開催期間中ではある意味、恒例とも言える若き男の求愛行動だったが、それを行う人物とその想いを向けられた相手が彼らにとっては予想外もいい所だった。


 ―――――――妻になってくれ。

 リョウは、頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けていた。喉がからからに乾いてゆく気がした。

 このような時になんてことを言ったのだ。いや、このような時だからこそか。混乱をするように思考が止めどなく溢れ出していた。

 これまでのことから互いを憎からず思っている。それは十分理解していた。それでも、まさか男の側から求婚をされることになるとは思ってもいなかった。

 だって、ユルスナールには決まった相手がいるはずだった。この国の由緒ある貴族の男として然るべき所から妻になるべき相応しい人を貰うはずで、男の未来に自分は入らないはずだった。

 沸き出してくる様々な想いを封じ込めるようにリョウはきつく目を閉じた。

 今、この場で安易な返事は出来なかった。自分の一言が、男の今後を大きく左右してしまうかもしれないのだ。

 ユルスナールが何をどこまで考えているのかは分からなかった。それに気持ちだけではどうにもならないことがある。目裏に浮かんだ一人の若い女の顔。素直に本心をぶつけるには状況が霧に包まれていた。

 それに、ここには人目もあった。男の面目が潰れないように慎重に言葉を選ばなくてはならないだろう。

「リョウ?」

 催促の言葉に、リョウはほんの少しだけ困ったように微笑んでいた。

 そして、緩く首を振った。

「少し時間を下さい。正式なお返事は後日改めて致します」

 リョウは、ユルスナールの手にそっと自分の手を乗せた。リボンを手に取ることはしなかった。いや、出来なかった。触れた指先が震えた。

 探るような視線がこちらを捕らえていた。このままでは何もかも見透かされてしまいそうだと思った。

 リョウは堪らなくなってその場に同じように膝を着いた。これで目線も立場も対等になったことだろう。

 リボンが乗った男の掌を両手で閉じるようにそっと包むとそこに額を押し付けた。

「たとえどのようなことがあろうとも我が心はあなたの傍に」

 この場では、それだけ口にするのが精一杯だった。

 どうか分かって欲しい。勝手な事を言っているとは分かっている。それでも、それが多くの犠牲を払うことを知りながら、男の人生に自ら首を突っ込む事は出来なかった。

「分かった」

 ユルスナールは、小さく息を吐くと静かに頷いてみせた。

 この気持ちがどこまで相手に伝わったかは分からない。それでも小さな頷きと共に自分の要求は受け入れられたのだ。答えを引き伸ばした。姑息なやり方だろう。

 リョウは恐る恐る顔を上げた。そして、そこにある優しい微笑みに何故か泣きたい気分になった。

「では返事は後日改めてということだな」

「はい」

 ユルスナールは男らしい余裕ある笑みを浮かべてみせた。

「こう見えて俺は諦めが悪いからな。お前が首を振るまでしつこく食い下がるぞ?」

 そんな軽口すら叩いて男が立ち上がった。

 同じようにしてリョウもその場に立ち上がった。

 ユルスナールは手を伸ばすとリョウの頬にそっと触れた。

「色良い返事を待っている」

 薄い唇がそんな台詞を紡いだかと思うとリョウの顔に影が差した。そして触れるだけの口付けが落ちてきた。

 そして、来た時と同様に颯爽と控えの天幕の方へ踵を返した逞しい背中をリョウは一人見送ったのだった。湧き上がる様々な想いをこの胸内に抱えたまま。


ユルスナール殿、試合直後で気分がハイになっていたのかは知れませんが、衆人環視の場でやってくれました。リョウは一人、混乱中です。次回に続きます。

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