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Messenger ~伝令の足跡~  作者: kagonosuke
第四章:王都スタリーツァ
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因縁の結末


 リョウは息を詰めて試合会場の中央で対峙する二人の男たちを見つめていた。

 うるさいくらいに心臓が高鳴って、気を引き締めていないと口から飛び出して駆け出してしまいそうだった。その昔、とある小説の中で、朝目覚めて鏡を見たら【鼻】がいなくなって、独り歩きを始めてしまったという笑い話があったが、もし、自分の心臓が勝手に動き出すとしたら、それはきっと今この時だろうと思う位だった。

 とうとうこの時が来てしまった。組み合わせの抽選後、一戦目、二戦目を順調に勝ち進んだユルスナールは、出場者が四人に絞られることになった準決勝で、とうとうレオニードと当たることになった。

 この時点で残った四人の剣士たちは、先の二人に加え、第一に所属する兵士と第二に所属する兵士だった。


 レオニードの表情は、遠目にもどこか鬼気迫るものがあった。リョウには狂気の沙汰のように思えて仕方がなかった。

 会場はこれまで以上に物凄い興奮に包まれていた。渦巻く歓声と野次がうねるように頭上高く揺らめいている。だが、リョウはその周囲の熱気とは裏腹に段々と足元から冷えてくる気がしていた。

 どうかユルスナールが怪我もなく無事試合を終えられますように。単なる勝ち負けよりも思うことはただその一つだ。胸元で握り締めた拳に自然と力が入った。

 レオニードは、ここに勝ちあがって来るまでの試合でも勢い余って相手に傷を負わせたようだった。

 だが、リョウが手当の手伝いをした救護班の天幕に寝かされているあの男のように幸い深手にはならなかったようで、皆、少し掠った程度と噂していた。

 レオニードの剣は、相手を傷つけることを躊躇わない。いや、ともすれば殺さんばかりのものだった。迸る殺気を隠そうともしない。これまでの度重なる立ち会いでそれなりに体力を消耗しているであろうにレオニードは全く疲れた様子を見せてはいなかった。それよりも回を重ねる度にその勢いは増しているようにすら見えた。

 何があの男をそれほどまでに駆り立てているのだろうか。

 そして、あの男がこの場でユルスナールと対峙した時、不意にリョウの脳裏には、【プラミィーシュレ】の娼館の一室であの男が零した一言が前触れもなく蘇ってきたのだ。

 ―――――――負けたくない相手がいる。

 どうしてそこまでして自分が世話になっていた鍛冶屋であるカマールの剣に拘るのかという話になった時、男はいい剣が欲しいと言った後に小さくそう呟いたのだ。

 負けたくない相手―――それは即ち、ユルスナールのことなのだろう。

 レオニードの背負う気が揺らいで見えた。そこに透かし見えるのは、憎悪と狂愛と興奮と歓喜と狂気に似た様々な感情が入り混じり複雑に絡み合っているように思えた。

 ―――――――ルスラン!

 リョウは心の中で愛しい男の名前を呼んだ。



 審判の合図で試合が始まり、剣のぶつかり合う金属音が周囲に響き始めていた。昨日の団体戦の時と同じようにユルスナールは防具を身に着けてはいたが、それは動きを妨げない為の必要最低限のものだった。対するレオニードも同じようなものを身に着けているが、こちらは見るからに煌びやかで上等そうなものだ。男が動く度に日の光を反射して傷のない胸板の金属が目にも眩い光を発していた。まだ真新しいものなのかもしれない。

 戦いは熾烈を極めていた。二日連続の長丁場でここまで残ってきただけあってレオニードの剣は鋭く迫力のあるものだった。それに加えてレオニードには殺気が十分にあった。それは剣技を比べる為の純然たる立ち会いというよりも実戦―――いや、殺し合いに近いように思えてならなかった。

 リョウの全身は粟立った。それほどまでに相手から発せられる気迫が凄かったのだ。初めてあの男に相対した時に感じたような優雅さや相手を見下すような落ち着きは、微塵も感じられなかった。

 レオニードの顔は獰猛な獣のようだった。それも手負いの獣といった風情に思えた。いつぞや自分が目にしたような他人を嘲るような軽薄さも余裕綽々とした態度もない、まさに真剣で命を精神力に変えて削っているようにも見えた。

 一方、対するユルスナールの表情は余り変わっていなかった。いつも通り淡々と落ち着いているようにも見える。レオニードの攻撃は今の所、ことごとく弾き返されていた。昨日のドーリンと対戦した時のように追い込まれた感じがある訳でもなかった。それが端から見ていてリョウには救いのように思えた。

 大丈夫。ユルスナールは相手の気迫に呑まれた訳ではない。昨日の試合に比べてもまだまだ余裕がありそうだ。

 一際、大きな金属音の弾ける音がしたかと思うと両者は一旦、飛び退いて間合いを開けた。暫し、無言のまま対峙し合う。じりじりと長靴の底が地面に擦れる音に男たちの呼気が同調(シンクロ)してくる。ほんの少しの気の緩みが、即ち隙となるのだろう。

 対峙する両者の気迫に押されてか、観客たちは声援を送ることも野次を飛ばすことも止めて、静かに息を詰めて試合会場中央で繰り広げられている対戦者たちの成り行きを見守っていた。

 先に動いたのはユルスナールだった。相手の懐に入り込むと渾身の一撃を繰り出す。そして、立て続けに剣を突き入れた。

 レオニードは最初の一撃を受け、踏み止まった。だが、そこで勢いに負けて若干体勢を崩し、その後の追撃をかわし切れなかった。

 勝敗は一瞬だった。

 レオニードの剣を巻き込むようにユルスナールが上方へ勢いよく弾き上げた。汗で柄を握る手が滑ったのか、相手の剣はその手を離れ、きらりと日の光を反射して宙に舞う。それから、カランと音を立てて、地面に転がった。

 レオニードは慌てて剣に手を伸ばしたが、ユルスナールがその隙を見逃す訳がなかった。

 がら空きになった首筋に間髪入れずユルスナールの一閃が突き付けられて止まる。そして、それを合図に審判が高らかに判定の旗を上げた。

 ―――――――勝負あり!

 一瞬の空白の後、会場が一気に歓喜と様々な雄叫びに包まれた。

 静かに剣を納めたユルスナールに対し、レオニードは地面に倒れ込んだまま、その場で悔しそうに拳を打ちつけた。

 観客たちの歓声が輪を掛けて湧き上がる。

「チクショウ!!!」

 そこに慟哭とも言うべき男の咆哮が立ち上った。


 レオニードは落ちた剣を引っ掴むとゆらりと立ち上がった。ぎりぎりと柄を握る手に力が入る。何かに憑かれたかのような幽鬼の表情をしていた。目だけがギラギラと仄暗い光を湛えて揺らぐ。そしてその目は、審判がいる試合会場の中央へと向かう男の背中を執拗に睨みつけていた。

 リョウは、じっとレオニードの様子を見つめていた。剣の柄を握り込んだまま微動だにしない。レオニードの中にどのような感情が沸き上がっているのか、リョウは理解をすることも推し量ることも出来なかったが、男が何か途方もない深い情念のようなものを抱えている―――それだけは感じ取ることが出来た。

 お願いだから、早く剣を鞘に納めてくれ。リョウは、じりじりとしながらレオニードの一挙手一投足を見守った。まさか、あのまま恨みを晴らす為にユルスナールの背中に斬りかかることだけはしないでくれ。レオニードがこの一戦にどれだけの想いを注ぎ込んできたのかは分からなかったが、リョウは嫌な予感がしてならなかった。それは剣士としてはあるまじき卑劣極まりない行為であったが、今のレオニードの精神状態では何をしでかすか分からなかった。

 だが、流石にそこまで腐りきってはいないようだ。

 そうこうするうちに剣を握った男の手が小さく上下し、その場で握った一振りを地面へと叩きつけた。ガキンと剣の切っ先が地面を削る音がした。そこでレオニードは大きく肩で息をする。それから、何かを堪えるようにゆっくりと己が得物を鞘に納めたのだった。

 それを見て取ってリョウは漸く詰めていた息を吐き出した。


 ユルスナールは審判の傍に立ち、その様子を眺めていたようだった。だが、その表情は微動だにしない。仮面のように別段、これといった感情を乗せてはいなかった。

 レオニードは中央に歩み寄った。審判の合図で両者が一礼をする。

 その後、レオニードは何を思ったのか、いきなりユルスナールに詰め寄った。襟元を掴んで声高に捲し立てている様子が遠目にも見えた。

 だが、ユルスナールは表情を変えたりはしない。無言のまま掴まれていた手を外すと去り際に小さく、本当に微かに相手にだけ分かるように仕向けた挑発的な笑みを刷いていた。

 ―――――――望むところだ。

 薄く動いた唇は、そのような言葉を吐いたように思えた。

 そして、大きな歓声の中、下がって行く二人の選手たちの姿に、リョウは静かに目を閉じてから、ほぅと息を吐いた。

 ユルスナールに怪我がなくてよかった。その安堵の気持ちで一杯だった。

 周囲の観客たちの惜しみない拍手が、戦った選手たちに向けて轟かんばかりに鳴り響いていた。



前回の【とある男の妄執】とセットの感じだったので。取り敢えず間を開けずに更新しました。これで武芸大会二日目の様子を終えたいと思います。次回は三日目の天覧試合に行く前に少し周辺事情を挿みたいと思っています。ここまでお付き合い下さりありがとうございました。

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