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Messenger ~伝令の足跡~  作者: kagonosuke
第四章:王都スタリーツァ
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とある男の妄執

 レオニード・ボストークニは、さんざめく歓声の中、会場の真ん中に進み出ると額から滲む汗をそのままに少し先で対峙する男に残忍な笑みを投げかけた。心が湧き立つように言葉には表わせない程の歓喜に満ちて来るのが分かった。この日が来るのをどんなにか待ち侘びたことか。昨日の予選から地道に試合を重ねて、漸くここに辿りついたのだ。いや、昨年の大会、この場であの男に膝を着いた所からレオニードの挑戦は始まっていた。妄執と言ってもいい程の執念と執着とがレオニードの心の中に渦巻いていた。


 ざっと簡単にこのレオニードという男の人生を振り返れば、あの男に対する関心は、幼い頃より既に始まっていた。同じ東西南北の方位を司る軍人の家系に生まれ、古くから連綿と続くスタルゴラドの名家の中で、レオニードとあの男は何かと比較をされる対象だった。生まれた年が同じであったということも起因しているだろう。

 レオニードの父親、現ボストークニ家の当主は、その昔、現シビリークス家の当主に公の場でこっぴどくやり込められたことがあり、その事をいまだに根に持っていた。それ以来、両者の仲は余り良くなかったようで、【忌々しい悪魔め】と悪態を吐いて目の敵にしていたのだ。その経緯や因果関係は抜きにして、公の会議の場であったかは知らないが、そのような大勢の人々が集まる中で辱められたことが相当腹に据えかねることであったらしい。

 その父親の影響を強く受ける形で、レオニードは幼き頃より【(シービリ)(シビリークス家)】には負けるなと発破を掛けられてきた。こうなると洗脳に近いかもしれない。レオニードの上には三つ年の離れた兄が居たのだが、その存在は父親との緩衝剤にはならずに、父親の関心と期待は【北】の三男と同じ年に生を受けた次男(レオニード)の方に向けられることになった。それもレオニードの運命の歯車を狂わせたことの始まりとなった。

 長じるにつれて、両親、中でも特に父親はレオニードを【北】の三男と競合させた。そして、このレオニードの不幸の始まりは、父親の期待に応えることを己が使命のように受け入れてしまったことにあった。ここで反発をしていたら、その後の人生の軌道は随分と違ったものになったであろう。だが、このレオニードは本質的に素直で従順な性質でもあったのだ。

 レオニードは幼い頃から学問でも剣の腕でも、いつもユルスナールと比べられていた。そして、少しでも負けるまいと必死になってやってきた。全てはボストークニ家の家名に恥じることが無いように、そして父の期待を裏切らないようにする為だ。

 だが、持って生まれた才能の違いなのか(それを人は一般的に個性と呼ぶのであろうが)、いつも後一歩の所で及ばなかった。父親はそれがいたく残念で仕方がなかったようで、己が息子に対して理不尽な八つ当たりをすることはなかったが、そういうときは必ず口惜しさからくる苛立ちを一人、じっと堪えているようだった。その様子は、机やテーブルの上を忙しなく叩く人差し指の動きであるとか、邸宅の廊下を踏みしめる足音だとか、扉を開閉する際の力の入り具合だとか、そういう実にささやかではあるが、耳に付く所に表れた。

 その音を耳聡く聞きつけると、家人も使用人も『ああ、旦那様の機嫌が悪いのだ』と思ったのだった。父親の不機嫌さを感じ取った若きレオニードは、益々今度は負けられないと闘志に燃えることになるのだ。

 こうして出された結果というのは、レオニードにしてみれば血と汗の滲むような努力の賜物でもあった。だが、自分がこれだけ必死になっているというのに、いつも追い越すべき目標にしているユルスナールの方は、いとも涼しい顔をして淡々と自分以上の結果を出すのだ。それがレオニードには堪らなく悔しくて仕方のないことであった。

 レオニードはいつしかユルスナールに一方的な敵愾心を持つようになったのだ。ユルスナールとて努力をしていない訳ではなかった。いや、寧ろシーリスの言葉を借りるならば、かなりの努力家である。元々感情の細かな機微が表情に出難い性質であったが、それを決して表に出すようなことをしなかったので、同じ子供のレオニードにはそれを見抜くことが出来なかったのだ。

 それにレオニードの兄が割と器用な性質で、一通りのことをそれなりにこなせてしまう人物であった為、ボストークニ家の基準は、かなり高めに設定されていたというのもレオニードにしてみれば不幸の巡り合わせとも言えたであろう。また、レオニードには昔から一度決めたことに対しては固執するきらいがあり、それも対ユルスナールへの敵愾心という無限連鎖(ループ)に嵌り、そこから抜け出せなくなるという事態に陥る要因にもなった。

 よく出来の良い兄がいるとその下にいる弟はなにかと比べられることで反発し、その後屈折した人生を歩んだり、人の道(所謂王道や正道)から大きく外れたりするものだが、レオニードの場合は、兄の他に【北】の三男坊という大きな壁が立ちはだかり、尚且つ両者が作りだすその大きな狭間から抜けだすことが出来なかった。決められた限られた範囲の中で足掻くしかなかったのだ。両側は高い壁、若しくは急峻な崖で、一人そこをよじ登るか、崖の合間の細い道を辿るかの二択で、時折、崖を登るも途中で挫折して細い道を歩み、また崖を登ることに挑戦する。絶えずその繰り返しであった。


 そういう背景の下で繰り出されるレオニードのちょっかいを昔からユルスナールは相手にしなかった。良くも悪くも慎重で思慮深く、しっかりと己の核となる部分を持つユルスナールは、一々他人の事を気にしたりはしなかった。自分は自分、他と比べるのは莫迦らしい。それはシビリークス家の家訓に寄る所が大きいだろう。その姿は、傍目にはどこか超然として揺るがないように見えた。それがレオニードにとっては堪らなく腹立たしいことでもあった。負けん気だけは人一倍あったので、今度こそと自分を優位に見せる為に―――今にして思えば、それは己を傷つけまいとする自己防衛本能の一種でもあったのだろう―――嫌みのような憎まれ口を叩くこともあったが、ユルスナールの方はそれをあっさりと流してしまうのだ。顔色一つ変えることなく、ただ『そうか』との一言で強制終了されてしまうのだ。レオニードとしては拍子抜けというか持て余した気持ちの行き場を失くしてしまい、それが長年に渡って鬱々と溜まって行ったという按配だった。

 そのようなこともありレオニードはユルスナールと顔を合わせる度に相手を強烈に意識した。そして、この構図は、すっかり成人した今になっても変わることがなかった。

 宮殿に出入りを許されるようになったものの、国政に関わることはせず、家の所領を管理する仕事に就いているレオニードは、その昔、ユルスナールが騎士団に入団したと耳にしても同じ道を歩もうとは思わなかった。同じ軍人を輩出する家系だが、兄は軍部入りを果たしたが、レオニードはそこには加わらななかった。そこでレオニードは長年の悪路から逃れることが出来た訳だが、それでもユルスナールに対する積年の一方的な蟠りが解消された訳でもなかった。


 そして、今、唯一ユルスナールに勝つことの出来る機会というのは、王都で毎年冬場に開催される武芸大会だけとなった。いつかあの男の鼻をあかせて見せよう。あの澄ました顔を悔しさで歪ませてやろう。それがレオニードの人生最大の楽しみであり、生き甲斐にすらなっていた。一方のユルスナールにしてみれば甚だ迷惑で鬱陶しい存在でしかない。

 そして、毎年のようにレオニードは武芸大会に参加をした。初めは直ぐに負けてしまった。同じく大会に出場をしていたユルスナールと対戦することは叶わなかった。それからレオニードは軍部とは関係の無い有閑貴族でありながら剣技を磨くことに並々ならぬ時間と労力(エネルギー)を注ぎ込むことになった。そして漸く二年前、初めてこの場でユルスナールと対戦することが出来たのだ。あの時は、個人戦のまだ早い段階で、出場者の人数が漸く三十人前後に絞られた頃合いだった。その対決は、惜しくも(とレオニードは思っている)ユルスナールに軍配が上がることになった。

 そして、昨年、レオニードは再び、あの銀色の髪の男に対峙することになった。それは準々決勝の手前の試合で、ここで勝ては十位以内への入賞が約束された試合だった。

 その試合で、レオニードはユルスナールに負けた。それも剣士としては最悪の事態、己が剣を折られるという形で幕を引いたのだった。あの時、あの剣が折れなければ、ひょっとしたら勝てていたかもしれない。それは、歯噛みするほど悔しい事態だった。

 今年は気合十分、昨年のような惨めったらしい負けを喫しない為にも、頑丈でよい剣を探し求めたのだ。そして、国中の腕利きだという鍛冶職人を調べ上げて、実際にその一振りを選ぶ為に自ら足を運んだ。そんな中、【プラミィーシュレ】であの男を鉢合わせをしたのだ。

 自分が依頼をしようと思っていた腕利きと評判の鍛冶屋は、噂通りの偏屈で頑固な堅物だった。なんの美学があるのかは知れないが、どれだけ金を積むと言っても依頼を受けてはくれなかった。思い返すだけでも腹立たしい程のふてぶてしい高慢な態度だった。しかもその鍛冶職人は、あろうことかあの男の馴染みの鍛冶屋で、ユルスナールの剣はその先代の師匠であるレントという男―――それは国内外問わず、この分野では随一の評判を持つ男だ―――が鍛えたものだった。ユルスナールには良くて自分では駄目。その違いは何なのか。それが一層ユルスナールへの嫉妬心を煽る形になった。

 また、どうしても諦められなかったレオニードが、その鍛冶屋への口利きを頼もうと接触を持った少年も自分を拒絶したのだ。あろうことかその一風変わった顔立ちと色彩を持つ少年は、あの男の知り合いで、あのレントの鍛えた短剣を所持していた。レオニードにとってはその事実も大きな衝撃(ショック)をもたらしたのだった。

 返す返すも屈辱的なことだった。どうしてあの男には良くて、自分には相応しくないとされるのか。そこにある違いはなんなのか。再びその問いに苦しめられることになった。何故、自分の依頼は受けてもらえないのか。その事への不満は、己が行動を内省し、顧みることではなく、昔からある構図(パターン)である外部の人間、要するにユルスナールとあの黒髪の少年に向けられることになった。


 そして、とうとう新たに鍛えられた切れ味も強度も抜群によい一振りを持って、今冬レオニードは大会に出場し、ここまで順調に勝ちを収めて行った。

 【プラミィーシュレ】の有力者の口利きで紹介された鍛冶屋の作った剣はレオニードの願いを叶えるものだった。大金を叩いただけのことはある。切れ味の良さはこれまでの立ち会いで証明されていた。少し前の対戦では、ついつい興に乗ってそれを確かめてしまったくらいだ。その時、対戦者の苦悶を浮かべた表情を見て、それがあの銀色の髪の男であったらと思うと、例えようもない興奮が押し寄せてきた。この剣であの男を傷つけることができたら。そのようなことを夢想した。狂気染みた執着は刻々と増していった。

 そして、漸くその機会が巡ってきたのだ。まるで長年に渡り恋い焦がれた相手に会いまみえるように胸が高鳴った。こんなにも高揚した気分を味わうことはこれまでなかった。

 この手であの男を傷つけることができるかと思うとぞくぞくした。そして、この会場のどこかであの男の活躍を見守っているであろうあの黒髪の小僧が、悲しみと驚愕に動揺する様を見られるかと思うと堪らなく愉快で仕方がなかった。

 ―――――――狂っている。ああ。そうだ。自分でも認めよう。確かにこれは狂気染みた沙汰だろう。だが、これで念願が叶うのだ。そう思うとおかしくておかしくて気を引き締めていないと口元がだらしなく緩んでしまいそうだった。


 待ちに待ったこの時を前にレオニードは、抑え切れない興奮を目の端に滲ませていた。

「待ちかねたぞ」

 だが、同じように試合会場に進み出たユルスナールは、顔色一つ変えることなく、

「そうか」

 ただ、その一言を口にした。

 その時、レオニードの中で何かが弾けた。ここまで引きずり出して来ても、この男はそれを『そうか』のただ一言で片付けてしまうのだ。

 レオニードは突発的に湧き上がった怒りに我を忘れそうになったが、これまで鍛えてきた持ち前の精神力でそれを堪えた。ここで激昂するなどとんでもない。ぎりりと握った剣の柄に力を込めた。

 冷静さを失ったら、この目の前で余裕の表情で静かに対峙する男を打ち破ることなど出来ないからだ。そのくらいの状況認識と客観性は持ち合わせていた。

 レオニードは昂ぶりそうになる気持ちを落ち着かせる為に緩く息を吐きだした。審判の合図に剣を構え、男と対峙する。

 そして、高らかに掲げられた旗印と共に渾身の力を込めて宿敵に飛びかかった。



短いですが、レオニードの背景を少し。対戦の模様は次回にお送りいたします。

2011/9/25 誤字修正

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