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Messenger ~伝令の足跡~  作者: kagonosuke
第四章:王都スタリーツァ
155/232

団体戦 第三試合


 第一会場は、本日最後の試合ということで、リョウが先に見学した第一試合の時よりも更なる熱気に包まれていた。囃したてる野太い声に混じり、時折、甲高い声も響いていた。

 ゲオルグは器用に男たちの人垣をすり抜けて見物する場所を確保した。近くにどうも知り合いがいたようで、こっちに来いと呼びよせてくれたのだ。

 そして、二人が陣取ったのは、第五の兵士たちが縦に並ぶ北寄りの場所だった。

 そこに並ぶ顔触れを遠目に見て、この会場でユルスナールたち第七と試合をするのは第五のドーリンの所だということが分かった。ということは、先の第二試合では第五が勝ち進んだのだ。思わぬ出来事で先の第五の試合を見逃してしまったので、リョウは内心、良かったと思った。


 会場の中央では、既に試合が始まっていた。第七の方は一番手のアッカが出ている。それに対峙しているのは、以前、【プラミィーシュレ】で化膿止めを分けた兵士だった。

 審判の鋭い声が旗と共に上がり、両者は一礼してすると共に下がっていった。

 アッカは引き分けたようだ。


 次に二番手のロッソが第七から出て、第五の方からはイリヤが出て来た。

 短く刈った明るい金色の頭髪が、日の光を浴びてきらきらと輝いていた。良く日に焼けた浅黒い肌は艶やかではりがある。左側の頬桁の辺りに斜めに走る刃傷の跡が、猛々しい武骨さを滲ませていた。

 剣を手にしたイリヤの表情は、とても引き締まっていた。リョウにとっては初めて目にする真剣そのものの顔付きだった。イリヤも基本的な顔の造作は強面の部類に入るのだろうが、リョウはこれまで厳しい顔付きをしたイリヤを見たことがなかった。下手に言葉を交わし、何がしかの交流がある分、同じ人であるのに、別人のような印象を受けるのだから面白いものだ。

 リョウは、どちらを応援したらいいのか迷った。ロッソには勝って欲しいが、イリヤにも負けて欲しくない。なので、勝ち負けには拘らずに、其々が思う存分持てる力を発揮できるようにと祈ることにした。


 審判の掛け声と共に打ち合いが始まった。力ではロッソの方が押しているように見えるが、イリヤも負けてはいなかった。

 ロッソが踏み込んで、イリヤが体勢を崩し、膝を着いた。金属同士のぶつかる鈍い音が響く。だが、それも一瞬のことで、すぐに下から一息に受けた剣を押し上げて、イリヤは体勢を整えると反撃に回っていた。素早さではロッソよりもイリヤの方が上のようだ。

 リョウは知らず、握り締めた拳に力を入れていた。唾を飲み込む。

「リョウ、肩に力が入っていますよ」

 耳元でゲオルグの声が掠めた。

 力を抜くようにと肩をそっと撫でられて、リョウは詰めていた息を吐き出した。

「第七の方は分かりますが、第五の方も顔見知りですか?」

 すぐ脇に立つ小さな体から並々ならぬ緊張を感じ取ってか、ゲオルグが訊いた。

「あ、はい。少し前に【プラミィーシュレ】を訪れたことがありまして、その時に【ツェントル】の方々にお世話になったので」

「そうですか」

 リョウの言葉にゲオルグは興味深そうな声を上げていた。

「すると第五の団長ともお知り合いですか?」

「ドーリンさんですか?」

「ええ」

「そうですね」

「……成る程」

 この時、ゲオルグの顔には満足そうな笑みが浮かんでいたのだが、前を向いて試合の行方に夢中になっていたリョウは、当然のことながらそのことに気が付くはずもなかった。

「やはり思った通りでしたね」

 思わず漏れた呟きにリョウが一瞬、怪訝そうな視線を隣に走らせたのだが、

「いえ、こちらのことです」

 ゲオルグはあっさりと流して見せた。


 一際、鋭い気合の声が、剣を交える男たちから上がった。

 次の瞬間、審判がばっと旗を上げた。

 上方に掲げられたすらりと伸びた二本の剣先は、互いの首の辺りで止まっていた。

 ―――――両者、引き分け!

 審判の声に周囲からはどよめきが上がった。二戦続けての引き分けだ。互いに一歩も引く所を見せない。どこかで生唾を飲み込む喉の鳴る音が聞こえた。

 ロッソとイリヤは静かに一礼をして後方へ下がる。そこに両者の健闘を称える声援と拍手が惜しみなく送られていた。

「イリヤさん! お疲れさま!」

 リョウも周囲の声援と拍手に混じるようにして下がって行くイリヤに声を張り上げていた。

 第五の兵士たちが並ぶ位置から割と近い所にいたということもあるが、戻ってきたイリヤは声を掛けたリョウに気が付いて、白い歯を見せて笑った。あともう一歩だったという悔しそうな気持ちをその眦の端に滲ませているのが分かった。


 引き分けということで共に選手交代とあいなった。

 次に第七から前に進み出たのは三番手のアナトーリィーで、第五の方は、なんとウテナであった。

 ウテナはイリヤを差し置いて三番手の位置に就いていた。純粋な剣技だけを取れば、ウテナの方が上ということなのだ。それを少し意外に思った。


 擦れ違いざまに何事かを囁いたイリヤにウテナがこちらの方を見たのが分かった。ウテナは、バチリと音がしそうな程の勢いで片眼を瞑って(ウィンクして)見せたかと思うと、あろうことか自分の口元に寄せた二本の指をリョウの方へ向けて放ったではないか。どこからともなくキャーというような黄色い女たちの悲鳴に似た歓声が沸き上がった。

 もしかしなくとも、あれは投げキスというやつであったのだろうか。

 ウテナの思わせぶりな態度をまともに食らって顔を引き攣らせたリョウは、それでも直ぐに苦笑を滲ませた。

 相変わらず軟派で人騒がせな男である。だが、それも実に【らしい】と思えるほどにはウテナに馴染んでいた。

「おや、もしかして、あの男とも知り合いなのですか?」

 先程の下らない伝達(アピール)を見たのか、すぐ傍でゲオルグがどこか呆れたような声を上げていた。

「ええと……はい」

 言葉尻を濁したものの、リョウは素直に頷いていた。


 そして、アナトーリィーとウテナの第三回戦が始まった。

 リョウが最初に観た試合よりも展開が早い。第一回戦、第二回戦、共に引き分けたのが大きいだろう。

 技巧派のアナトーリィー。対するウテナも恐らく同じように技巧派だろう。体格を見るだけならばウテナもイリヤと然程変わりはない。だが、ウテナの外見には、どうも荒事とは無関係そうな文官的匂いのする空気があるとリョウは思っていた。

 不思議な面持ちで対峙する両者を眺めていたのだが、すらりと腰に佩いた長剣を引き抜き、身構えた瞬間、ウテナを取り巻く空気が一瞬にして様変わりを見せた。

 それは、初めて見るウテナの隠された一面でもあった。

 ―――――なんだあれ。

 リョウは心の中でひとりごちた。

 いつもの飄々とした胡散臭い微笑みは消えていた。標準装備となっている微笑みが無くなると、切れ味の鋭い刃物のような剣呑さが表に滲み出るようにして出てきていた。

 リョウは、全くの別人を眺めている気分になっていた。

 気迫と共に相手の剣を受ける鈍い音の後に、その切っ先を弾く甲高い金属音が鳴り響いた。

「腕を上げたようですね」

 ぶつかり合う剣先とその軌道を見つめながら、ゲオルグがぼそりと呟いた。

「ウテナさん……のことですか?」

「ええ」

「あれは私の従弟なんです」

 ―――――ここだけの話ですが。

 そう小さく前置きして告げられた言葉に、リョウは心底驚いて、思わずゲオルグの方を見た。

 だが、そこで一際大きな音がして、慌てて視線を前方へと戻した。

「私の父とあれの母親が兄妹なんです」

「……………そうだったんですか」


 ウテナとゲオルグには血の繋がりがある。リョウは、不思議な面持ちで長剣を手に戦いを繰り広げているウテナを見遣った。だからなんだというのはあるが、共に一癖も二癖もある男たちだ。そこに流れる底辺の所に同じ血のなせる業があるのだと思うと何とも不思議な気分に陥った。思わぬ所で繋がった回路。そこからどのような派生が生まれるのか。

 リョウは隣に立つ細面の男を横目に見ながら、血の成せる神秘を垣間見た気がした。

 そう言えば、第五のドーリンと第七のヨルグも縁戚関係にあるということだった。あの二人は硬質で神経質そうな雰囲気が良く似ている。共に几帳面な性質だ。【プラミィーシュレ】で初めてドーリンに会った時は何となく分かったのだが、まさかゲオルグとウテナもそうだとは思いも寄らなかった。

 そのような取りとめのないことを思った。


 ウテナの剣さばきは実に巧みだった。突き入れたと思った瞬間、驚くほどの速さで次の一撃を繰り出している。

 リョウは、その剣筋を追うことを早々に諦めた。動体視力が追いついていかない。その代わりに男たちの足の動きを追った。本当は顔の表情を追えれば一番良いのだろうが、何分距離がある為、それも無理な話だった。

 アナトーリィーも巧みに応戦していた。だが、速さという点ではウテナの方が勝ったようだ。

 薙ぎ払うようにして横から繰り出された剣先をアナトーリィーが弾いた。そこからウテナの剣先が不思議な動きを見せた。アナトーリィーが誘われるように踏み込んだ所で、ウテナがひらりと身体を反転させたかと思うとその勢いのままに次の一撃を繰り出していた。

 ―――――そこまで!

 審判の制止の声が上がり、白地の中に青色で獣らしき紋様の描かれた旗がウテナの方を指示した。

 アナトーリィーの逞しい首元にウテナの光る剣先が伸びていた。

 勝負があったようだ。

 周囲から歓声が沸き上がった。

 両者が一礼し、アナトーリィーはその大きな背中に悔しさの片鱗を滲ませながら黙々と後方へ下がっていった。

「アナトーリィー! 格好よかったですよ!」

 大分距離がある為、声が届くかは分からなかったが、リョウは気が付けば、去ってゆく逞しい背中にそう声を張り上げていた。

 アナトーリィーがゆっくりと振り返る。だが、遠く反対側の陣地にいるリョウには気が付かなかったようだ。


 ウテナはそのまま中央に止まり、第七からは四番手のブコバルが出て来た。武芸大会の名物とも言える常連者の登場に第七を応援している観客たちが一斉に沸いた。

「ブコバルー!」

「いいぞ! このまま行け!」

 ブコバルは悠々とした貫禄ある足取りで、降り注ぐ声援に軽く手を上げることで応えながら対戦者の元へ歩み寄った。

「第五! 負けんなよ!」

「ウテナー! しっかりー!」

 元々王都の貴族階級の出身であるウテナには、この場所での知り合いも多いのだろう。友人の晴れ姿を見る為にか、その名を呼ぶ声が高く聞こえる。貴婦人たちが集まる貴賓席の方からも一頻り声援が送られていた。


 こうして、審判によって高く掲げられた旗印を合図に第三試合の第四回戦、ブコバル対ウテナの試合が始まった。

「ブコバルは流石ですね」

 開始早々に隣から漏れた静かな呟きに、リョウはそっとその発言者であるゲオルグを横目に見た。その色素の薄い灰色の光彩は、じっと目の前で繰り広げられている闘いを見つめている。

「ゲーラさんはどちらに軍配が上がると思われますか?」

 こんなことを聞くのをどうかとも思ったが、素人ではなく剣を実際に扱う男たちの意見も聞いてみたいと思った。

「それは決まってますよ」

 ゲーラはそう言うとごく自然な微笑みをその口元に浮かべていた。

「あれにはまだ無理です。精々五本に一本取れればいい方でしょう。まぁその五分の一の確率がここで発揮されたら別ですけどね」

 そう言って会場の中心、そこにある二人の剣士を見つめた。


 要するにゲオルグの目から見ても、ウテナよりもブコバルの方がずっと上手であるということなのだ。

 ブコバルはこの回でも実に生き生きしていた。端から見ても楽しそうに重みのある剣を振るっている。 対するウテナの表情も真剣さの中にどこか喜色に満ちたものが浮かんでいる気がした。

 一際、強い当たりにその衝撃の為にか顔が顰められる。食いしばった歯からはぎりぎりと音がしそうな程だ。

 ゲオルグの予想通り、ブコバルとウテナの対戦は、ブコバルの方に軍配が上がった。ウテナはほんの一瞬、悔しそうに口の端を歪めたが、すぐに晴れやかな笑みを浮かべると対するブコバルと固く握手を交わし合った。


 一礼して下がったウテナは、そのまま仲間たちの並ぶ所へと戻るかと思われたが、途中、不意に進路を変えて、リョウとゲオルグが立つ場所へとやってきた。

 ウテナは、ちらりとリョウの隣に立つ従兄殿を横目に胡乱気な視線を向けたが、すぐに視線を真正面へと戻した。

「お疲れ様でした。ウテナさん」

 労いの言葉を掛けたリョウにウテナは柔らかく微笑んだ。先程の試合での表情が嘘のようだ。

「やぁ、リョウ。ボクの雄姿、観てくれた?」

「はい。別人みたいで吃驚しました」

「惚れ直したかい?」

 ずいと柔和な顔立ちが寄ってきて、額際から滴り落ちる汗が、ウテナの頬を伝っていった。

 リョウはなんと答えたものかと曖昧に微笑んでおいた。するとウテナは面白くないとばかりに形の良い眉を跳ね上げた。

「リョウ、そこはすかさず『はい、そうですね』って頷いてくれなきゃ」

「あはは。そうですかね?」

 そのような軽口も笑って誤魔化す。

「まぁ、いいか」

 ウテナはどこかすっきりとした顔をしていた。この分だと思う存分、持てる力を出せたということなのだろう。それで負けたのであれば、相手との実力の差があったということなのだ。


「それよりも、一体どういう風の吹き回しですか、ゲオルグ?」

 ―――――あなたがこんな所に顔を出すなんて。むさ苦しいのは確かお嫌いなはずだったでしょう?

 そんなことを口にするとウテナは胡散臭そうに従兄であるゲオルグを見た。

「偶にはいいかと思いましてね」

 だが、対するゲオルグは全く気にすることなく、鷹揚に微笑んで人好きのする笑みを浮かべていた。

 それを見てウテナは軽く肩をすくめて見せた。

「リョウ、これはどうしたいんだい? こんな所に大きな湿布を張るなんて。虫歯にでもなったのかい?」

 ウテナがついと手を伸ばすと左頬の大きな当て布が貼られた不細工な箇所を指先で触れた。心なしか、その眉根が案じるように寄っていた。

「ウテナ、お止めなさい。黴菌が入ったらどうするんですか? 手が汚れたままでしょう?」

 すかさずゲオルグから窘めるような声が上がり、ウテナはムッとしたようだった。

「単なる打ち身なので大丈夫ですよ」

 リョウは大したことではないと微笑んで見せた。

 そうこうするうちに、

「ウテナ!」

 少し先で居並ぶ第五の面々の中からイリヤが首をさし伸ばし、中々戻ろうとしない相棒に焦れてか鋭い声を上げて顎をしゃくった。ウテナは渋々とその場から離れ、仲間たちのいる方へと戻っていった。だが、最後にさり気なくリョウの右頬に軽く指を触れさせるのを忘れなかったのは流石というべきものだろう。

 その一連の動作を見ていたゲオルグは、

「全く、キミも妙なのに目を付けられたものですね」

 自分のことは棚に上げて、そのようなことを言った。

 リョウにしてみればここにいるゲオルグもその【妙なもの】の中に入るのであろうが、そのようなことをこの場で言える訳もなく、リョウは曖昧に笑って誤魔化したのだった。



 続く第五回戦、ブコバルの相手として前に出て来たのは、リョウが初めて目にする男だった。ゲオルグによるとその男の名はヤーコフ、第五の副団長なのだという。

 ヤーコフは背の高い男だった。だが、あまり厳つい感じは受けない。癖の無い長めの灰色の髪を後ろで緩く束ねていて、どちらかと言えば、ドーリンの副官としてその直ぐ背後に音もなく控えていそうな感じだった。しなやかな若木のような雰囲気を持っていた。

 結論から言えば、ブコバルが勝った。相手の男も粘り強くブコバルに食らいついていたのだが、あと一歩及ばなかった。

 片や野性味溢れる豪快な剣さばき、片や洗練された剣使い。其々の性格が良く表れた立ち会いだった。


 ドーリンの片腕である男は、余り表情豊かな方ではないようだった。相手に揺さぶりを掛ける為にか、ブコバルが何やら挑発するように大きな声を上げていたが、全く動じた所を見せなかった。

 リョウは、こちら側に並んでいる第五の顔触れの中から団長のドーリンを見た。そして、対戦している二人の向こう、第七の面々が並ぶ向こう側に最後の砦として控えている銀色の髪の男を遠く透かし見た。ヤステルが先の試合で言っていたように、ここでユルスナールが『引きずり出される』ことになるのだろうか。

「そろそろですかね」

 二人の対戦者を追っていたゲオルグが小さく呟いた。

 試合中、隣から漏れる言葉は、実に的確だった。リョウは、ひょっとしたらゲオルグもそれなりに腕が立つのではないかと思った。

 リョウにはブコバルと相手の優劣が見えなかったが、程なくして決着が付いた。

 ブコバルは、勢いよく相手の一撃を弾いたかと思うと、その勢いのままに向こうに反撃の隙を与えることなく剣先を滑らせて、その切先を相手の喉元に突き付けていた。ブコバルがニヤリと余裕ある笑みを刷いたのが遠目にも見て取れた。

 ブコバルの勝利に周囲の観客たちが沸いた。第五の副団長は、静かに一礼をすると表情を変えることなく淡々と後方へ下がっていった。

「ブコバルって……強いんですね」

 思わずというように小さく漏れた呟きをゲオルグが拾った。

「そうですねぇ。軍部の中でもかなり上位には入るでしょうね」

 毎回何故か個人戦の方には出場していないので、埋もれてしまいがちだが、十本の指の内に入るのではなかろうかとゲオルグはブコバルをそう評した。

「ですが、上には上がいるものです」

 そう言って意味深に笑う。中央の舞台には、ちょうど第五のドーリンが出て来た所であった。

「ドーリンさんの方が強いのですか?」

 隣を振り仰いだリョウにゲオルグは、

「まぁ、見てらっしゃい」

 そう囁いて、リョウに前を向くようにと促したのだ。


 会場の中心、審判の元に進み出たドーリンは、リョウの知るいつものドーリンのようにも見えた。濃い茶色の髪を隙なくきっちりと後ろに撫で付けている。あの髪がこれから乱れることになるのかと思うと少し不思議な気がした。ただ、対戦用に防具を身に付けたいでたちもドーリンには不思議と似つかわしかった。こうして改めてみると上背もあり、体格もそれなりに良いことが分かる。


 そして、ブコバル対ドーリンの第六回戦が始まった。

 ドーリンの動きは実に無駄が無かった。細部にまで神経が行き届いているとでも言えばいいか。かといって型に嵌っているという感じも受けない。荒削りで大雑把な所があるブコバルとは対照的に見えた。

 ドーリンは、力で押すきらいのあるブコバルに全く引けを取らなかった。体格だけを見ればブコバルの方が大柄だが、その差は全く気にならなかった。

「うわぁ………」

 リョウは感嘆に似た息を吐いていた。ドーリンがこれほどまでに剣を巧みに使うとは思ってもみないことだった。

「流石、ドーリンですね」

 隣からも溜息のようなものが漏れている。

 試合を実際に観るまでは、ドーリンが剣を振るう様を全くといっていい程想像が出来なかったが、目の前で展開される男たちの剣技にリョウは全神経を集中させていた。

 ブコバルもこれまでとは一転、身に纏う空気を一段と研ぎ澄まされたものに変え、そこにある表情も真剣そのものになった。対するドーリンは、相変わらず涼やかな印象だ。今の所、きっちりと撫で付けられたその髪が乱れることはなかった。それだけ上体が安定しているのかもしれない。ひょっとしたら、その髪には特別な整髪料の類を使っているのかも知れなかったが。

 北の砦での訓練では一人法外な体力を見せつけていたブコバルだが、これまでに二回、対戦をして、これが三回目だった。その影響がここで出始めているのかもしれない。

 野性的な本能で剣を繰り出すブコバル。対するドーリンは、相手の動きの裏の裏をかこうとする頭脳派だ。暫くして、ドーリンがブコバルの裏の先を行くような動きを見せ始めた。ブコバルはその剣の軌道を持ち前の勘の良さでかわしてみせていたが、徐々に追い詰められていった。

 どうやらドーリンの方が上手であったようだ。

 ブコバルが踏み込んだ重い一撃を受け、両者は暫し至近距離で睨み合った。そして、ブコバルが力で押し返す間合い(タイミング)を上手く利用して、ドーリンは後方に飛び退くと、すぐさまその場から更なる追撃を繰り出していた。


 リョウが思わず『あっ』と声を上げそうになった時、ドーリンの剣の切っ先がブコバルの喉元に突き付けられていた。ブコバルの剣もドーリンの胸元に届こうとしていたが、若干、その距離が足りなかったようだ。

 ―――――勝負あり。勝者、第五!

 審判がすかさず旗を上げ、高らかに勝負の行方を告げた。

 一瞬の空白の間の後―――それだけ、周囲の観客もその試合の成り行きに息を詰めていたのだ―――割れんばかりの歓声と野次が沸き起こった。ブコバルの敗退に唸り声を上げる者。ドーリンの勝ちに甲高い口笛を吹き鳴らす者。その反応は実に様々だった。

 ブコバルは悔しそうに吠えていた。性質の悪い獣染みた咆哮だった。

 そんな相手の反応を見てドーリンは、その口元に薄らと笑みを刷いていた。それが余計にブコバルの神経を逆撫でしたようだ。しきりに『チクショウ!』と悪態を吐いていた。

 負けた悔しさを滲ませながらもブコバルは最後ドーリンと握手を交わすと互いの健闘を称え合うようにその腰の辺りを軽く叩き合った。

 そして、一言二言、言葉を交わしてから、その腰に剣を納めた大柄な男は、大きな声援が鳴り響く中、後方に下がって行ったのだ。


「ブコバル! お疲れさま!」

 リョウは、去ってゆくその大きな背中に声を掛けていた。

 まさかブコバルがドーリンに負けるとは思いも寄らなかった。いや、ドーリンがこれ程までに巧みに剣を使うとは想像しなかったことだった。

 ブコバルの柔らかな茶色の頭部がゆっくりと振り返る。先程の声の主を探すようにその青灰色の瞳が大勢の観客で埋め尽くされた会場を一周した。

 リョウは、ブコバルがこちらに気が付くとは思わなかったが、もう一度、その名を呼んでみた。

 男の瞳が遠く対岸を透かし見るように眇められた。そして、とある一点で止まった。

 ブコバルの瞳は、大柄な男たちの間に文字通り埋もれるようにして立つ小柄な人物の姿を捕らえていた。そして、序でにその隣に立つ男の存在にも気が付いた。ブコバルはほんの一瞬だけ嫌そうに顔を顰めると直ぐさまその男の存在を綺麗に無視した。そして、その隣を陣取る黒い頭髪の人物に照準を定めるとその口元に男らしい笑みを刷いた。その者の片方の頬になにやら大きな湿布のようなものが貼られていることを見逃さなかった。

 一際、大きな歓声に包まれる中、ブコバルは悠々とした足取りで人々の声援に応えながら後方へ下がって行った。そして、次に出番を待つ相棒に選手交代(バトンタッチ)の合図を送ったのだった。


 ブコバルが下がる中、リョウは次にこの会場に現れるであろう男を遠く透かし見た。

 第七の兵士たちが並ぶ場所からは距離が大分あるので、その表情は良く分からない。それでも威風堂々たる逞しい体格と降り注ぐ光を一杯に浴びて光輝く銀色の頭部が眩しく見えた。他の選手たちと同様に生成り色の簡素なシャツとズボンに防具を身に着けている。その腰に帯びているのは、その昔、あのレントが鍛え、二か月ほど前にカマールによって微調整をされた長剣だ。その鞘のベルト部分にはその昔、自分が拵えて贈った小さな黒い石の付いた飾り紐が揺れていた。


 ブコバルと入れ替わる形で静かに中央へ歩みを進める硬質な空気を持つ男の登場に周囲の観客たちがこれまで以上の大きな声を上げていた。鼓膜が破れるのではと思えるほどの声援と野次が方々から沸いていた。その中に女たちの悲鳴に近い金切り声も響いていた。

 リョウは、その逞しい男の左腕に明るい赤みを帯びた橙色のリボンが揺れているのに気が付いた。それから、その向こうに見える貴族の婦女子たちが集まる特別席の方を透かし見た。

 あの中にあのリボンを男の腕に巻き付けた同じ色の瞳を持つ娘がいるのだ。燃えるような炎をちらつかせた熱い瞳だった。

 ―――――アリアルダ。

 自分が今朝、男の腕に付けたはずのものは、明るい橙色の下にそっと隠れるようにして小さく揺れているのだろう。いや、ひょっとしたら外聞が悪いと言って外されてしまっているかもしれない。そんなことを半ば自嘲気味に思いながら、徐々に中央へと近づく男の腕を眺めて、その橙色の下にひっそりと揺れる黒い布の切れ端が浮かび、リョウは何とも言えない複雑な気分になった。

 気恥ずかしさと嬉しさとむず痒さと切なさと痛みと。様々な想いが混ざり合い、知らず肌を粟立たせた。リョウは、それをこれから初めて目にすることになるユルスナールの試合に対する緊張のせいだろうと考えた。


 中央に立ったユルスナールは、何かを探すようにぐるりとその視線を、会場を取り囲む観客たちへと向けた。それに呼応するかのように女たちの悲鳴に似た声が上がる。やがて何を思ったのか、左腕に回る黒い布切れの端をそっと掴むと何事かを呟きながらそこに己が唇を寄せた。

 そして、ユルスナールが小さく微笑んだ。

 そのような意味あり気なやや芝居掛かった男の行為を見て、周囲の観客たちは一斉に囃したてた。

 やれ、あれは恋人から貰ったリボンに違いないとか。とうとうあの堅物と目されていた男にもそのように心を許す相手が出てきたとか。あれは何がしかの宣言だとか。常にない男の行動に周囲は俄かに色めき立ち、様々な憶測を生んでいた。


 リョウは離れた所から男の一連の行動を目の当たりにして固まっていた。随分と思わせぶりなことをすると思った。このような衆人環視の中で、なにもあのようなことをしなくともいいだろうに。

 まるで自分がリボンを結えた時の行為をなぞらえるかのように黒いリボンの端に口付けを落としたのだ。リョウは酷く居た堪れない気分になった。それでも男が自分の想いに応えてくれているという事実に嬉しさのようなものが込上げて来たのも確かなことだった。

 不意にユルスナールの視線がリョウを捕らえた。擦れ違い様、ブコバルに聞いたのかも知れない。そして、その隣にある人物を見て、一瞬、目を眇めた。

「おお怖い」

 小さく漏れたゲオルグの呟きもその深い瑠璃色に囚われていたリョウは気が付かなかった。

 視線がかち合って、リョウは控え目に微笑んでいた。

 ―――――どうか御武運を。

 小さく呪いのように言葉を紡ぐ。

 それが相手に伝わったかは分からない。だが、その硬質な男の口元に小さな男らしい笑みのようなものが浮かんだとリョウは感じたのだった。


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