一日の終わり
部屋に戻ってから、寝巻に着替えて。
リョウはふと窓に映った自分の姿に苦笑を漏らした。
肩上で不揃いになった髪。
あの時は衝動的にあの場で髪を切ってしまったが、冷静になってみると何もあそこでやらなくても良かっただろうと思わなくもない。
だが、髪を切ったことで、ガルーシャとの思い出に別れを告げて、一歩踏み出せたのは事実だ。
気持ちの区切りが付いた。
「ハサミ……あるっけ?」
流石にこのままでは上手くないから、長さだけでも揃えたい。
ふと漏れた呟きにセレブロが顔を上げた。
『ハサミ…とはなんだ?』
セレブロにとっては耳慣れない言葉であったのだろう。
ガルーシャの家には無かったし、モノを切断するのは専ら短剣だった。
【こちら】と【あちら】の違い。日常生活品から一般論に至るまで、知らないことは沢山ある。
そして、ガルーシャと二人きりの狭い世界の中で暮らして来たリョウには、まだまだ学ぶべきことが多かった。
リョウは、簡単に形状と使用目的を説明する。
『ああ。人がアフツァの毛を刈る奴か』
セレブロには思い当たるものがあったようだ。
「アフツァ?」
耳慣れない固有名詞に、今度はリョウの方が首を傾げた。
『家畜だ。刈った毛を紡いで糸にする。そうして作った織物は暖かく保温性に優れていると聞く』
つまり、羊毛みたいなものか。リャマとか。うさぎとか。アルパカとか。
こういう時、セレブロが人の事情にも詳しくて助かった。
それでは、この砦にもあるかもしれない。ここの兵士達も伸びてきた髪は切るであろうし。明日にでもヨルグ辺りに聞いて借りよう。
そんな算段を心の中で付けていると、
『リョウ、来い』
いつのまにか、セレブロは人型になっていて、寝台に腰掛けていた。
白い光輝く毛皮は、そのまま髪の色に反映されている。
その目は同じ灰色だったが、時折、光の加減で虹色が入る。何度見ても不思議な光彩だ。
この姿を目にするのは二回目だった。
一度目は、セレブロの加護を貰った時。とても原始的、且つ根源的な手法を取ったからだ。
先程は、いつもの獣の姿のままで寝台に横たわっていたのだが、流石に狭かったのだろう。
促されるままに布団の中に入る。
セレブロは、すっかり短くなったリョウの髪へ手を伸ばすと指で梳き始めた。
『短くなったな。明日にでも揃えてやろう』
「セレブロが?」
意外な申し出に、まじまじと上にある顔を仰ぎ見る。
『なんだ。我では不満か?』
「いや、出来るのかと思って。純粋な疑問として」
『それ位、造作ない』
拗ねたような言い方にリョウは小さく喉の奥を鳴らした。
普段は獣の姿で、人型になったセレブロに接する機会は殆ど無かったので、その手が、幾ら同じ形状と機能を持っていたとしても、器用に鋏を使うところを想像できなかったのだ。
だが、不意にリョウの脳裏に加護を受けた時のことが過った。あの時、セレブロの手は、その大きさに比べてとても優しく、力加減も繊細であった。
ならば、心配など要らないだろう。
「それじゃぁ、宜しく頼みます」
こうして長かった一日が、穏やかに幕を閉じていった。