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Messenger ~伝令の足跡~  作者: kagonosuke
第四章:王都スタリーツァ
149/232

開会宣言

 異様な程の緊張感を前に集まった群衆は、【その時】が訪れるのを、固唾を吞んで待っていた。

 やがて、広場の中央にすらりとした体格の威厳ある男が一人、目にも鮮やかな朱鷺(とき)色の長い外套(マント)の裾を翻しながら現れた。この国、スタルゴラド軍部を統率する四将の一人、【西の将軍】である。この国の軍部の正装に身を包んだ壮年の男は、中央に設えられた台の上にゆっくり乗り上げると、静かに眼前に居並ぶ数多もの剣士たちを睥睨した。

 ちりちりと肌を焼くような緊張が、辺りを支配していた。物音を立てる者は、一人としていない。声を発する者も。

 皆、時が止まったかのように、じっと【その時】を待っていた。

 眼下には、この広場を埋め尽くすほどの群衆が集まっているというのに、まるでこの世界からぽっかりと音そのものが無くなってしまったかのように神聖さえある張りつめた静寂が満ちていた。


 男が徐に腰に佩いた剣を抜き上空へ掲げた。

 大きく息を吸い込んだ。

 そして、静まり返った広場に腹の底から出された深みある声が朗々と響き渡った。

「ここに第149回スタルゴラド武芸大会を開催することを宣言する」

 高らかに放たれた開会宣言に続き、その後方で小振りの鐘を手に横一列に並んだ正装に身を包んだ兵士たちが、一斉に音階の違う鐘を振り鳴らした。

 それが合図だった。

 様々な高低の入り混じった鐘の音に、広場に整然と並ぶ剣士たちとその周囲を取り囲む群衆からは、大地を震わすような鬨の声が上がった。

 男たちの熱き祭典、武芸大会の始まりである。


 ―ウラァァァァァアアアア!!!!!


 地鳴りのように突如として湧いた腹膜が震えるような耳を劈く男たちの叫び声に、リョウは目を白黒させながら思わず両手を胃の腑の上に当てていた。外部の声が、身体の内側から反響して、もの凄い勢いで狭い体内を駆け巡る。凶器のように降り注ぐ重低音の洪水に、腹膜がじんじんと疼く。周囲に居並ぶ男たちの一丸となった雄叫びに、ただただ唖然とするしかなかった。

 周囲を囲む男たちは、片手を天高く上げて共鳴するように鬨の声を発していた。

 驚きの余りに固まっていると、すぐ隣に立つバリースから腕を取られて、リョウも同じように片手を上げさせられていた。

 バリースが嬉々として雄叫びを上げる。それにつられるようにその隣からも少年にしては幾分高めの声が上がった。

 そして、音階を紡ぐように不協和音とも思える独特な鐘の音色が、反発し、響き合い、重なってその速度を上げて行く中で、男たちの雄叫びも一気に膨れ上がり、そして収束していった。


 耳の奥がグアングアンと反響するように鳴っている。指で耳の穴を塞ぐようにしてから、リョウは緩く頭を振った。

「大丈夫か?」

 初めての洗礼にヤステルから案じるような声が掛かった。

「ああ。突然だから吃驚した」

 鼓膜が破れるのではと思えるほどの大音声にまだ耳の奥が妙な具合であったが、リョウは心配いらないと苦笑してみせた。

「何度、聞いてもこればかりは凄いよね」

 ―全身に鳥肌が立つし。

 そう言って、穏やかな笑みを浮かべながらリヒターが自分の腕を摩っていた。そんな柔和な顔立ちをしたリヒターもリョウの隣で片腕を天に突き上げて、一緒に大声を上げていたのだ。

 それは、宮殿広場に集った参加者と観客全てが一体になる一瞬だった。同調(シンクロ)した気分が圧倒的な大きさの塊となって、そのまま雄叫びに変換されるのだ。一糸乱れぬ期待と興奮の統率、膨大な力を生んだ熱量(エネルギー)に、ただただ度肝を抜かれた気分だった。


 リョウは、バリース、ヤステル、リヒターの三人と団体戦が行われる東側の区画にいた。

 剣技が競われる広場では、その会場に杭を打ち、周りを太い荒縄で囲っていた。その内側が、大会に出場する剣士たちの晴れ舞台となる。杭の周りには、警備の為の兵士たちが隙なく軍服に身を包み、物々しい装いで立っていた。観客が誤って中に入らない用にする為と観戦中に押し合いなどの揉め事が起きないようにする為に周囲に睨みを利かせるのだ。警備の兵士たちは、皆、押し出しの強い立派な体格の男たちだった。

 そして、張り巡らされた荒縄には、出場する剣士たちの左腕を飾る栄誉からは漏れてしまった色とりどりのリボンが、この場所で戦う男たち全ての武運を祈るお守りのように結えつけられ、吹き込む風に翻っていた。道行く女たちが、老いも若きもその手にリボンを手にしていたのは、この為でもあった。


 この後、すぐに団体戦の対戦の抽選結果が発表され、掲示板に張り出されるとのことで、その周囲には多くの人々が集まっていた。

 対戦相手は、当日になるまで分からないようになっていた。同じ軍部の師団同士と雖も当日の試合直前になるまでどこが相手になるかは分からない。事前に決まっていれば、初戦相手の研究や対策ができるのかも知れないが、そういったことが一切不可能になっていた。戦う兵士たちも応援する方も蓋を開けてみるまで、いい意味での緊張を強いられる。それは、とても面白いやり方だと思った。


 リョウは、人だかりの中で揉みくちゃにされては敵わないということで、リヒターと大人しく開会宣言を聞いた場所で待つことにした。人混みは苦手であるし、体格的にもかなり劣る為、林立する大きな男たちの間に埋もれると身動きが取れなくなってしまうからだ。

 性格的なものもあるが、リヒターもまだまだ男としては線の細い方なので、二人は大人しく待つことを選んだ。それに対して朝から大張りきりのバリースは、小柄ながらも鉄砲玉のように待ちきれないとばかりに一人掲示板がある方角へ飛び出して行き、その後をお目付け役としてヤステルが追い掛けて行った。

 ヤステルは、表面上はバリースに呆れた視線を投げかけていたが、この国の男の端くれとしてこの日が来るのをとても楽しみにしていたのか、なんやかんや言いながらもバリースの背中を追い掛けるその足取りは軽かった。


 離れて行った二人を待つ間、リョウは先程の開会式の模様を一人、思い出していた。まだ、体内に先程の余韻がざわざわと駆け廻っている。表現のしようの無い程に圧巻、その一言に尽きた。

 控室となっている天幕から装備を整えた兵士たちが現れると、周囲に集まった群衆からは一頻り歓声が上がった。兵士の名前を呼んだり野次を飛ばしたり、待ちきれない興奮を小出しに吐き出すようだ。

 だが、出場者たちが広場内に整列を始める頃には、周りのお喋りの声はぴたりと止んでいたのだ。集まった人たちは、杭と荒縄で区切られた線の外側で息を潜めるようにしてじっと会場内に集まる剣士たちを見守っていた。

 まるで何かを待つように。彼らの視線は、広場前方の中央に向けられていた。

 すると、一人の男が目にも鮮やかな朱鷺色の外套(マント)を翻しながら颯爽と現れたのだ。中央に足を進める男の姿を見て、隣にいたバリースが「西の将軍だ」と小さく呟いた。

 口髭を生やした威風堂々たる初老の域に達するかとも思われる男だった。癖の無いすっきりとした面立ちの中に厳格さが見え隠れする。天から一本の見えない支柱が身体の中心を貫くように真っ直ぐに伸びた背筋が、男を実年齢以上に若々しく見せていた。

 これから何が始まるのだろう。これだけの人数の人々が集まっているというのに辺りは驚く程に静かだった。まるで口を開くことを忘れてしまったようだ。水面下で競り上がる静かな興奮に感染したようにリョウも知らず、唾を飲み込んだ。

 目の覚めるような青い詰襟の軍服を縁取る煌びやかな金糸の縁取りと黄金色の釦。腕に下がる肩飾りの紐を揺らし、西の将軍は徐に腰に佩いていた一振りの長剣を抜いた。

 そして、両刃の剣を高く前方に掲げ、高らかに開会を宣言したのだ。それから直ぐに養成所の中で授業の開始や終了を告げる時に鳴り響くような鐘の音が、複雑怪奇な旋律と和音を紡ぎ出したかと思うと、大地が震えるほどの男たちの大音声が、湧きあがるように同時多発的に立ち上ったのだった。

 それは、日々切磋琢磨し、並々ならぬ努力の上に研き上げられた剣技を競うという大会の意義に実に似つかわしい始まり方であった。


 人だかりのある掲示板の前で一際大きな歓声上がった。振り返って後方を透かし見るようにしてみれば、大きな白い細い棒状のようなものを抱えた兵士が木の板の前に立ち、するすると巻き物を開くように板の上に張り付けていった。リヒターの話しでは、あれは頑丈な一枚の布で出来ているらしい。そこに手書きで当日の対戦表が書かれるのだ。

 集まった男たちのどよめきが、離れたこちら側にも伝わって来た。

 予想外の組み合わせであったのか、それとも想定の範囲内であったのか。恐らく、そのどちらでもあるのだろう。大きな掲示板の方は観客向けだが、出場兵士たちが控える天幕前にも対戦の組み合わせが発表されているらしかった。

 対戦表を見た男たちは、これから始まる目当ての試合に向けて広場内を散り散りにばらけて行った。


 散らばる男たちの中から飛び跳ねんばかりの勢いでバリースが走り込んできた。

「リョーウ~!!!」

 余程興奮しているのか、駆けこんできた一回りは大きな体をリョウは吃驚しながらも真正面から受け止めた。

 お目付け役だったはずのヤステルは、その後ろから付き合ってられないとばかりにのんびりと歩いてくる。

「第一試合は、第七と第四だ!」

 がばりとリョウの肩を掴むと目に焼き付けて来た対戦表の内容を淀みなく捲し立てた。

 リョウはバリースの勢いに呑まれるように目を瞬かせた。

「手前の方だな」

 戻って来たヤステルがしたり顔で頷いた。

「いいのか?」

 組み合わせいかんによっては他に見たい試合があったのではないだろうかと心配をすれば、

「何言ってんだよ、リョウ。第七は絶対外せないからな!」

 バリースが鼻息荒く息巻いた傍らでリヒターもヤステルも同意をするように頷いた。

「そうか」

「そうと決まれば行くぞ!」

 ―あそこは人気が高いから早く行かないといい場所が無くなる。

 俄然張り切りだしたバリースに腕を引っ張られる形でリョウと残りの二人は、第一試合が行われるという宮殿寄りの会場に向かった。


 会場には既に多くの観客が押し寄せていた。下手をすると押し合いへし合いになるだろう。

 集まっている顔触れは実に様々だ。階層、年齢、共に幅広い。ここから少し離れた所には、女たちの姿もちらほらと見受けられた。

 日に焼けて真っ赤な顔をした秀でた額の職人と思しき腕っ節の強そうな男たちや毎日屋内で帳面とにらめっこをしていそうな色白の線の細い男もいる。勿論、兵士たちの姿もあった。贅沢な衣服に身を包んだ金持ちや上流階級と思しき上品な衣服に身を包んだ貴族の姿もある。この日ばかりは、貴賎関係無く入り乱れる形で雑多な人々が集い、選ばれし男たちの雄姿を見ようと押し寄せていた。

 少し視線を転じれば、団体戦が行われる区画の第一会場と第二会場の間には、主に貴族の婦女子を集めた特別観覧席が設えられていた。

 通りすがりに何とはなしに視線をやる。この日の為に着飾ったのだろう。色とりどりのドレスに身を包んだ若い娘たちの姿は、遠目には華やかな花束のようで、リョウの目には眩しく映った。まるでその場所だけ一足先に春が訪れたようだ。


 不意に視線を感じて振り向けば、雛壇になっている客席の中から一人の若い娘がこちらを見ていることに気が付いた。

 リョウは、誰だろうかと目を凝らした。

 明るい金色の髪が眩いばかりの光を反射している。その瞳が大きく見開かれていた。華やかで意志の強そうなはっきりとした顔立ち。

 その娘には見覚えがあった。いや、忘れる訳はなかった。ユルスナールの実家であるシビリークスの本家で見掛けた年若い娘だ。名は確か、アリアルダといった。

 ユルスナールの許嫁だろう。男から確かなことを聞いた訳ではない。だが、仲睦まじく寄り添うように立っていた二人の姿は、何者も立ち入ってはいけないような絵になる光景だった。何よりも、あの少女から一歩抜け出して大人の女性になったばかりの匂い立つような美しさを秘めた娘の方が、満ち満ちた若さと生命力を漲らせて全身でユルスナールのことが好きであることを訴えていた。

 視線が合って、リョウはそっと小さく微笑むと軽く会釈をした。たとえ掠るような出会いであったとしても、たとえ、向こうには自分のことは眼中になかったとしてもーひょっとしたら覚えていないかもしれないーこちらは相手を認識してしまったのだから無視をする訳にはいかなかった。

 娘は呆気に取られたような顔をしていたが、ふいと横を向いてしまった。その反応にリョウは内心苦笑いを零した。先日も感じたが、やはり、余りいい印象を持たれていないようだ。曖昧な微笑を浮かべているとあの時、年若い娘の傍にいた兄嫁だという年上の女性がこちら側に気が付いて、目が合った時に小さく微笑みかけられたので、リョウも同じように会釈を返していた。


「リョウ? どうかしたのか?」

 不意に足を止めたリョウに腕を引っ張っていたバリースが、その進行を妨げられて振り返った。

 リョウの視線の先を素早く捕らえてか、

「なんだ、リョウ? あん中に好みの子でもいたのか?」

 ヤステルがニヤニヤしながらリョウの肩に腕を回した。

「あそこは触れちゃいけない高嶺の花だよ」

 その隣でリヒターが意味深に目配せをした。

「ああ、あそこは言うなれば、俺たち一般庶民にとっちゃぁ雲上人。手の届かない人たちだ」

「上流階級の貴族の人たちか?」

 あそこは自分のような半端者が立ち入ってはいけない領域だ。

「そ、俺たちはこうやって指くわえて遠目に眺めるだけだ」

 ヤステルの年寄り染みたしみじみとした述懐が何だか可笑しくて、リョウは不意に肩を震わせ始めた。

「なんだよ? リョウ」

 ムッとしたのかヤステルが首を締め上げるように肩に回した腕をずらした。

「アハハハ。だって、なんかすっごい実感がこもってるからさ。ヤステルも深窓の令嬢相手に片恋に身を焦がしたことがあるのかと思って」

 からかい混じりに直ぐ上にある顔を見上げれば、ヤステルはばつが悪そうに視線を逸らした。

「あれ、ひょっとして図星だった?」

 態とらしく明るい声を上げれば、

「なんだと! リョウの癖に生意気だ。いっぱしの口利きやがって」

 自分よりもずっと年下の少年ーだとヤステルは思っているーから揶揄されたことが面白くなかったのか、首元に回された腕に一段と負荷が掛かって締め上げられる。

 苦しくなったリョウは、ヤステルの男らしい太い腕をバシバシと叩いた。

「ヤステル、たんま、ストイ(ストップ)、待ってくれ」

「ヤステル、その辺にしておきなよ。みっともない。ていうか、リョウ、首に怪我してるだろう?」

 仲介に入ったリヒターの言葉にヤステルはぎょっとして腕を解いた。むせかえるように手を喉元に当てたリョウは、それでも楽しそうに笑っていた。

「うっわ、マジか。平気か、リョウ?」

 外套の襟から覗く首元に白い包帯が巻かれていることに気が付いて、慌てて心配そうな顔をしたヤステルにリョウは大丈夫だとからりと笑った。


 シビリークス三兄弟との一風変わったお茶会の後、シーリスの義兄で祈祷治癒を専門とする神殿の神官である講師のレヌートの所に寄って、毒消しとなる薬草をもらったお陰で、怪我はすっかり良くなっていた。傷口は完全に塞がっていた。包帯をしなくてもよかったのだが、今日は埃まみれになると思ったので、念の為に巻いていたのだ。

 結局、昨日、ユルスナールはレヌートの所にまで付いて来て、養成所の講師用の準備室の戸口に応対に出たレヌートを吃驚させていた。シーリスとの繋がりがあるとはいえ、ユルスナールが、直接レヌートの元を訪ねることはまずないからだ。思わぬ軍人の登場に目を丸くしたレヌートにリョウはシーリスを通じて世話になっているとだけ告げた。

 突然の訪問の理由を尋ねられて、毒消しが欲しいということを正直に告げれば、レヌートは傷口が塞がり難くなる毒草【ヤード】が使われていたことに驚きを隠せなかったようだ。幾ら治安が余り良くない地域であったからと言って、単なる喧嘩のいざこざで刃先に毒の仕込まれた刃物を持つ男たちにぶち当たるというのは、余程のことであるからだ。少なくとも対峙する相手に対する明確な殺意があるということだ。

 レヌートは治療をしながら何か考え込むように表情を硬くした。それは、いつも穏やかで柔和な笑みを欠かさない講師にしては珍しい表情だった。

 あの後、ユルスナールは結局、学生寮の玄関まで付いて来た。少し過保護かと思ったが、互いに忙しい身で上手く時間が合わなかった日が続いた為、態々見送る必要はないと表面上は口にしてみたものの、心の中では嬉しく思っていた。その気持ちを素直に出せない自分が、何だかもどかしくて歯痒くもあった。だが、これは自分の性分で中々改められそうにはない。

 昨日、ユルスナールはリボンのことを一言も口にしなかった。それをほんの少しだけ不可解に思った。

 ―お守りが欲しい。

 ただ一言そう言ってくれれば、この国の風習が分からないながらも友人たちに聞いたりしてなんとか出来たと思うのだ。

 それでも自分から何かを強請るのはユルスナールの性格上、憚られたのか。いや、そこまで控え目でもない気がするのだが。

 あの一見冷酷そうに見える顔の内側で男が何を考えているのかは、よく分からなかった。

 シーリスから渡されたものをユルスナールの腕に巻いた時も、リョウは、気恥ずかしさが勝ってよく男の顔を見ることは出来なかったが、そんな中でもユルスナールが嬉しさを表わすというよりも戸惑いのようなものを感じていたようにも見えた。それを敢えて気が付かぬ振りをしたのだ。

 リョウは、せり上がってきそうになる何かを慌てて押し止めた。

 そして、傍らでしきりに恐縮そうにしているヤステルの背中を思いっ切り叩いた。

 突然のことに、ヤステルが顔を顰めた。

「気にするな、ヤステル。こんなの掠り傷だから」

 ―ほら、行こう。

 こうして、リョウは鮮やかな笑みを浮かべると、止まっていた足を動かしたのだった。


 辿りついた先、第一会場には既に出場する兵士たちが並んでいた。杭と荒縄で区切られた辺縁を多くの見物人が取り囲む。

「うっわ、始まる!」

 駆け出したバリースに腕を引っ張られる形でリョウも土を蹴った。

 小柄な体格を生かしてか、隙間を上手く縫うようにバリースは器用に立ち並ぶ男たちの間をすり抜け前に出た。ヤステルもリヒターも慣れたように後を付いてきた。そして、見学場所を確保した。

 会場の真ん中には、試合に出る五人の兵士たちが、正装をした兵士を真中に置いて、逆Vの字になるようにー所謂真中を頂点にした山形ともいうー並んでいた。

 中心の男はその手に旗を持っていた。リヒターが言うには、この試合の勝負を判定する審判とのことだった。将軍や第一線を退いたかつての歴戦の猛者、剣術師範等が交代で審判にあたるのだという。現役の者もいるが、多くは引退した兵士で、若かりし頃は、それこそ居並ぶ兵士たちを震え上がらせたという曰くつきの男たちだ。中には過去の大会の優勝者もいるのだとか。要するに対戦する両者が納得するだけのお歴々ということだ。


 第七の方は、中心に近い所から団長のユルスナール、ブコバル、アナトーリィー、ロッソ、アッカの順で並んでいた。ヤルタとグントは補欠要員のようだ。

 そして、鋭い目付きの初老の審判。服装から将軍ではないということで、ヤステルは王宮の剣術師範なのではないかと言っていた。因みに将軍たちの正装は、開催宣言をした西の将軍のように朱鷺色の外套(マント)と濃紺の詰襟の軍服なのだそうだ。

 審判を挟んで向かって右側には同じように五人の男たちが並んでいた。バリースによれば対戦相手は、第四師団の選抜者たちだ。

 第四師団は、王都の治安維持を主な任務とする部隊だ。団長と思しき男から居並ぶ男たちをざっと見て、その二番目の男の姿にリョウは目を見開いた。

 浅黒い肌の体格の良い男。あれは、ユルスナールにリボンを渡した時に天幕の所で自分に圧し掛かってきた巨躯を誇る男だった。

「……あ」

 思わず漏れた声が大分距離のある相手に届くとは思えなかったが、なぜかあの男と目が合って、うっそりと目を細められた。

 捕食者の目だと思った。狙った獲物は逃さない。残忍な顔付きだ。薄い唇が吊り上がりリョウは勢いよく顔を逸らした。

「リョウ?」

 隣に並んだリヒターからそっと囁かれて、リョウは慌てて何でもないと口にした。


 審判の男の合図で、居並ぶ十人の剣士たちが敬礼をした。

 そして、一番最初に試合をする兵士が其々会場の真ん中に進み出ると、残りの兵士たちは其々両端に別れ、対峙するように横一列に並んだ。

 第七の一番手はアッカだった。赤みがかった柔らかな髪が風に揺れる。その瞳は、よく晴れた夏の青空のように青かった。

 生成り(ベージュ)色のシャツとズボンに防具として胸当て、肘当て、小手当て、肩当てをしていた。特に左側の肘当ての部分には、大きく迫り出したような形で鈍く光を反射する強固な(プレート)状ものが取り付けられているようだった。(プレート)のような楕円形の部分だけ、周囲の金属の部分とは異なる色をしていた。ヤステルの話では、あのような武具も術師が精製し磨いた硬い鉱石を利用して作られるものであるという。ヤステルの実家は、代々、武具を専門に加工する術師の家らしく自分もその後を継ぐのだと以前に語っていたことを思い出した。


 思えば、全てはあの青年(アッカ)との出会いから始まったのだ。この春からの一年を振り返って、リョウは思わず感慨深げに息を吐いた。

 あの森の辺縁で負傷したアッカを拾ったことが、全ての始まりだった。あの時は、まさか自分を取り巻く環境がこんなにも変化するとは露ほども思わなかった。こんなにまでこの国の軍部の人間と深い関わりを持つようになるとは。その中でも北の砦を任されている男と深い仲になるとは、思ってもみなかった。

 あのままずっと森の片隅にある小屋で、セレブロや森の狼を始めとする獣たちとの穏やかで長閑な生活が続くと疑わなかった。出掛けると言っても偶にスフミ村のリューバの所に顔を出す位で、自分の世界は、とても閉じられたごく狭小な範囲で終わるはずだったのだ。

 それが今ではどうだ。あの北の辺境である田舎から、この国の中心都市、王都にまで来ることになったのだ。

 ガルーシャが残した一通の封書から始まった(えにし)。そこから徐々に広がっていた自分の新しい世界。人の繋がりとは、時として思わぬ土産(ギフト)をもたらしてくれる。その目には見えない緩やかで強固な鎖が生まれた過程をなんとも不思議なものだと思わざるを得なかった。


 赤毛の青年は、すらりと腰に佩く剣を引き抜いた。腰を低く落とすと右手一本で剣を構えた。

 対する第四の一番手は、明るい茶色の髪を後ろで一つに束ねた男だった。体格は互角。アッカは第七の中では体格が特に恵まれた方ではなかったが、それでもよく鍛えられたしなやかな肉体を持っていた。それは、日々の厳しい訓練の賜物でもあった。

 間合いを測って静かに対峙する二人の剣士たちの手にした(つるぎ)の光る切先を見て、リョウは徐に口元に手を宛がっていた。

 自分でも呆れたものだが、唐突に、本当に今更ながらに、この試合が【真剣】で行われる実戦のようなものだということに思い至ったのだ。

 子供騙しの摸造刀でも刃を潰した練習用の剣でもない。あれは人の肉を切り裂き、骨を断つものだ。

 不意に目の前に落ちて来た真実にリョウの背中は粟立った。足が震えそうになる。サァーと血の気が引いて行くのが分かった。

「なぁ、リヒター」

 確認の為に小さく口にした声は、少し震えていた。

「ん?」

 リヒターが目線だけでリョウを流し見た。リョウの視線は、二人の男たちが向け合う日光を反射する切先を見つめたままだ。

「あれって……本物だよな」

「本物?」

「……剣」

 始めは何のことを訊かれたのか分からなかったリヒターも続いて出て来た単語に合点して見せた。

「ああ。そうだね」

 突然、顔色を失くしたリョウを横目に見て、リヒターはからかうでもなく下できつく握り締めたリョウの拳に己が手でそっと触れた。心優しい穏やかな少年が何を思ったのか、その事に見当が付いたのだ。

 リヒターは穏やかに微笑むと小さく囁いた。

「大丈夫だよ。掠ることはあっても本当に殺し合いをするわけじゃない。剣を突いても寸止めだから」

 その為に男たちは防具を身に着けているし、怪我をしても救護班がすぐ近くに仮設の救護所を設置しており、備えも万全だ。それにここに出てくる男たちは、皆、伊達に代表者として選ばれている訳ではない。日頃の厳しい鍛錬に耐え、身を賭して諸々の任務に当たっている兵士たちにとっては、この場に立つということは、そうやって培われてきた己の技量を披露する栄誉あることなのだ。


「よく見てごらん」

 リヒターは静かに前方を見据えた。

「皆、自信に満ちた顔をしているだろう? これから戦うことが嬉しくて仕方がないというようにね」

 その声にリョウは、中央の二人とその両端に居並ぶ兵士たちを見た。

 男たちは、皆いい顔をしていた。ふてぶてしく思える程の自信に満ちた立ち姿だ。恐れや恐怖は微塵も感じない。堂々と胸を張り、仲間の健闘を見守っている。

「だから、僕たちは彼らの晴れ舞台をちゃんと見てあげなくちゃ。そうだろ?」

 諭す風でもなく淡々と密やかに囁かれて、リョウはその通りだと感じ入った。

 なんて思い違いをしていたのだろう。

 リョウは己の考えを恥入るように目を伏せた。

 これが、この国の現実で、ここに暮らす男たちの流儀なのだ。それを理解せずして自分の一方的な見解で判断をするのは愚かしいことだ。失礼極まりないことだろう。

 北の砦では、皆、血の滲むような訓練をしていた。そして、いかなる困難にも対処できるようにと過酷な集団生活の中で己を律しているのだ。

 この場所で代表者に選ばれて試合をするということは、そういった日頃の努力が認められるということでもあるのだ。

 これは闘いだ。それでも(いくさ)ではない。そこを履き違えてはいけないと思った。

「そうだね。ありがとう、リヒター」

 リョウは振り返ると小さく微笑んだ。

 そして、再び視線を前に戻すと真剣な面持ちで顔を真正面に向けた。

 今年の春先に追った足の怪我も今ではすっかり完治しているはずだ。だが、一度、傷を負った身体は、相応の足枷(ハンデ)になっただろう。元々、アッカは強かったのかもしれないが、ここまで巻き返すのは、相当の努力を要したはずだ。

 ―頑張れ、アッカ。

 リョウは、そっと心の中で一人、祈るような気持ちで声援を送った。


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