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Messenger ~伝令の足跡~  作者: kagonosuke
第四章:王都スタリーツァ
147/232

願掛けのリボン

 その日、この冬、街を挙げての盛大な一大催事(イヴェント)である軍部主催の武芸大会が幕を開けた。

 早朝、リョウにとっても顔馴染みの伝令の鷹であるイサークが、ひょっこり養成所の学生寮の自室に現れた。シーリスの元から派遣されて来たとのことで、イサークの足に付けられた小さな筒の中を開ければ、シーリスからの手紙とその他に何故か黒い色をした幅の広い紐が一本入っていた。

 手紙には、この【レンタチカ】―要するにリボンの事だ―をユルスナールに渡して欲しいとのことが書かれていた。

 シーリスはユルスナールと同じ軍部の人間で、ましてや同じ師団の上司と部下との関係にあるので、当然、離れた養成所にいるリョウよりもユルスナールの傍にいる確率は高いはずだった。それなのにこのような紐を渡してくれと自分に頼むのは、一体、どうしたわけであろうか。随分と不可解なことをすると思った。

 リョウは、手にした黒いリボンのような紐と書き手の性格をよく表わしている几帳面な小さな文字が紡いだ文面を交互に見てから、心底不思議そうに首を傾げた。

「ねぇ、イサーク」

 窓際で静かに手渡した褒美の干し肉の塊を突いていた伝令の鷹をリョウは振り返って見た。

『なんだ?』

 鋭い足の爪を使って器用に肉の塊を抑えながら鋭い嘴でちぎった肉の小片を飲み込む。大きな鷹がその動きを止めた。

「これって何だろう? イサークは何か聞いてる?」

 リョウが手にした黒くて長い紐を見て、イサークは小さく首を揺らした。

『さてな。我には人の考えておることなど分からぬわ』

 とまで言い掛けて、

『……アレではないか?』

「アレって?」

『兵士が腕に巻くヤツよ』

「腕に? このリボンを?」

 イサークの返答にリョウは益々首を捻った。

 腕章のようなものだろうか。何かの所属を表わす為の。腕に巻くと言われて思いつくのはその位なものだ。だが、色が黒というのは、どうも喪に服している際の腕飾りのようで、余り縁起が良さそうではない。

『ああ。そのようなものを見かけた覚えがある』

「……ふうん?」

 しかしながら、イサーク自身はその目的や意味を知らないのか、それ以上聞いても要領を得なかったので、リョウは一先ず、この件は不問にした。後で、どの道第七師団の面々が集まる場所に顔を出すことになっていたので、その時にでもシーリスを見つけて聞こうと思った。


***


 それから、先だっての約束通り迎えに来たバリース、ヤステル、リヒターの三人と一緒に学生寮の食堂で簡単に朝食を食べてから、武芸大会が行われるという宮殿前広場に向かうことになった。

 伝令の役目を果たしたイサークは、そのままアルセナールの方に戻るかと思われたのだが、何故か帰らずに定位置であるリョウの左肩の上に乗っかっていた。

 バリースたち三人は、初めて間近に見る軍部が伝令として使う猛禽類に驚いたようだったが、皆、術師としての素養を持ち、獣たちの言葉を解したので、その存在が気になるようではあったが、取り敢えず、リョウの傍にいることを受け入れてくれたようだった。

 バリースは、朝から一人大張りきりだった。昨日の夜は興奮の余りに中々寝付けなかったと言って、それを聞いたヤステルに小突かれ、リヒターからは、呆れたような視線を向けられていた。

 その薄茶色の大きな目は、いつにもまして爛々と輝くのを通り越して、ギラついている程だ。鼻息荒くこれからの意気込みを語る様子に、リョウは心の中で苦笑を滲ませた。


 開催場所となる宮殿前広場は、その名の通り、この国を治める王が住まう宮殿の前にある大きな広場だった。本来は、ぽっかりと空いた広い空間が広がるだけの場所なのだが、今日は、その場所には所々に天幕のようなものが張られ、広大な敷地は大まかに四つの区画に区切られていた。

 遠く、宮殿の豪奢な建物を望んで、向かって右側と左側、其々、東と西にまず分けられていた。西側の区画では、個人戦が、そして東側の区画では、各師団代表者による団体戦が行われるとのことだった。

 武芸大会の開催は三日間。最初の二日で参加者のふるいを掛け、三日目の最終日には、王族たちが見守る中での決勝戦、要するに天覧試合が行われることになっていた。


 会場に近付くにつれ、沢山の人が既に集まっているのが分かった。やはり男たちが多い。独特の高揚感が、熱気となり、こちらにまで伝わってくる。開催期間中は、王都だけでなく近隣の街や村からも多くの見物客が訪れるそうだ。それを見込んでの物売りや行商の類も集まって来る。普段から賑やかな街中が、輪を掛けて華やぐのだ。その分、街の治安維持を司る第四師団の方は、なにかと忙しくなるらしい。

 一般庶民にとっては、普段滅多にお目に掛かることの出来ないこの国の軍部の錚々たる面々が間近で見られるということで、いつにない盛り上がりを見せていた。強い男を決める頂上決戦というのは、やはり男たちの本能に備わる隠れた闘争心を大きく刺激するものであるらしい。

 普通の見物人と思しき人々に加えて、個人戦の方に出場すると思われる腰に長剣を佩いた男たちの姿もちらほらと見受けられた。団体戦に出場しない軍部所属の兵士が腕試しに参加をしたりもするのだとか。勿論、軍部に所属していなくとも出場には差し支えがない。出場資格は、剣の腕に覚えがあること、ただ、それだけだ。ここで名声を得る為に傭兵と思しき風体の男たちも集まってきていた。

 道行く人々の中には、着飾った女たちの姿もあった。母娘と思しき組み合わせ、若い女たちの集団。年齢も階層も実に様々だ。

 その中で、擦れ違う若い女性たちが、その手に色とりどりのリボンのような長い紐を持っていることに気が付いた。話に興じている女性たちの頬は艶やかに上気し、小鳥のさえずりのような高らかなお喋りの声が、漣のように寄せては引いた。


「なぁ、ヤステル」

 一人先頭を切って歩くバリースとその隣で腕を掴まれる形で引っ張られているリヒターの後ろから、リョウはヤステルと肩を並べてのんびりと会場へと向かっていた。

 リョウは、同じ方向へ歩みを進める若い女たちがその手に持つ紐らしき物が気になって仕方がなかった。

 頭一つ分は上にあるヤステルの顔を仰ぎ見れば、

「ん? なんだ?」

「あの女の人たちが手にしている【レンタチカ(リボン)】か? あれは何なんだ?」

 手に持つ長いリボンが、ひらひらと女たちが歩く歩調に合わせて視界の中で揺れていた。その形状と長さを見る限り、今朝方、シーリスから寄越されたものにとても酷似しているうように思えたのだ。

「ああ、あれか」

 ヤステルは、合点したように小さく頷くと、すぐ下にある黒い頭髪を見下ろした。

「あれは【願掛けのリボン】だな」

「願掛けのリボン?」

 耳慣れぬ言葉を繰り返した。

「聞いたことないか?」

「ああ」

 それからヤステルは、そのリボンの意味と由来を簡単にリョウに語り始めた。


 女たちが手にするリボンは、武芸大会の出場者に武運を祈って捧げられるものなのだという。これはと思う男性に大きな怪我をしないようにとの思いを込めてその腕に巻いてやるのだ。大抵が恋人や意中の相手に贈るもので、特に若い娘の場合、相手への告白の意味合いも兼ねていた。

 そして、リボンはその贈り主である女たちの瞳の色、若しくは、髪の色を模したものであるとのことだ。この武芸大会は、若い男女の出会いの場でもあり、恋を成就させる場でもあった。意中の相手からリボンを贈られた男は、闘いに勝った後、そのリボンを持って、それを授けてくれた相手の元に跪き、求愛をする。中には求婚の場合もあるとのことだ。そして、相手が男の手を取れば、同意をされたものと見做された。証人は、勿論、その場に居合わせた多くの見物客たちだ。

 片恋に身を焦がす若者たちにとっては、絶好の告白の機会でもあった。事前にリボンが欲しいと打診をし、相手が頷いてくれたら、それは脈があるということだった。


「だから若い女の人は、勿論、そこは若くなくてもいい訳だけど。まぁ、早い話が、恋人や好きな相手が武芸大会に出場する場合、リボンを用意して、当日、その男の腕に巻いてやるんだよ。怪我をしないようにってさ。ま、お守りみたいなものだな」

 そう言って、前方を歩く若い女たちの後姿を些か眩しそうに見つめながら、元々は、戦地に旅立つ兵士にその無事の帰還を祈って恋人や家族が、自分が身に着けていたリボンを腕に巻いて見送ったという故事に由来するのだと語った。

「…………そうなんだ」

 リョウは、やっとのことでそれだけを口にすると、手をさり気なくポケットの中に入れた。そして、そこにある黒いリボンの艶やかな感触を確かめた。

 つまり、シーリスは、そういう意味合いで自分にこれをユルスナールに渡せということなのだ。

 お守りであれば、そこは問題が無いのだが、引っ掛かる点があるとすれば、一つ。

「じゃぁ、普通は女の人が意中の相手に贈るものなんだ?」

「ああ。そうさ」

 剣を振るうのは男たちである。中には女兵士という例外もあるが、それはあくまでも稀な話しだろう。そうすると少年にしか見えない自分が、ユルスナールの腕にこのリボンを巻きつけるのは、恐らく滑稽に映るのではないかと思った。


『それは中々に面白い話だな』

 リョウの左肩に留まっていたいたイサークが、意味深に笑った。

「イサーク」

 リョウは、余計なことを言わないでくれとすぐ傍らにいる鷹に目配せをした。

『ハハハ。分かっておる』

「ん? どうかしたか?」

「いや、何でもない」

『やれやれ。我は差し詰め恋路の使いであったか。あの男も鷹使いが荒い』

「イサーク!」

 どこか大儀そうにぼやいたイサークに、リョウは滅多な事を言うなと小さく囁いてから、その羽を突いた。

 戦う男たちの腕に色とりどりのリボンが腕章のように巻かれる。己が持つ色彩を相手の腕に巻きつけるというのは、この男は自分のものだと声高に公言するようなものだ。それは、なんだか無性に恥ずかしいことのようにリョウには思えた。

 どうしたものか。リョウは、知らず困惑気味に眉根を下げた。お守りとしての意味合いならば、ユルスナールに渡したい。だが、それでユルスナールが笑い物になったらと思うと気が気でなかった。

 シーリスは、きっと気を回したのだろう。この国の風習に疎い自分を案じて。いや、もしかしたら面白半分なのかもしれないが。

 単なる武運を祈るお守りとしてならまだしも、そこに潜むごく個人的な感情を勘繰られるのは、どうにも居た堪れない気がした。


 そんなことを考えながら歩いていた所為か、少し歩みが遅れがちになってしまった。ヤステルはさり気なく、自分に歩調を合わせてくれていたようだ。

「おーい、リョウ、ヤステル。早く来いよ!」

 気が付けばバリースとリヒターの二人が大分先の所にいた。見物客用の入り口のような所に立っている。バリースが中々やってこない後方の二人に焦れたように手を振っていた。

「ったく。あの野郎。最初っから飛ばし過ぎだ」

 そう悪態を吐いたヤステルの瞳もこの場の浮ついた空気にいつもより輝いているように思えた。

「アハハ。これじゃぁ、先が思いやられるか。途中でへばんなきゃいいけど」

「そしたら置いてくさ」

 リョウは軽口を叩いてから、ヤステルを促すようにして先んじた二人の後を追うべく、歩幅を大きく取った。


 入口に着いた所で、どこで見学をするかという話になった時に、

「オレ、ちょっと先に知り合いの所に顔を出すようにって言われてるんだ」

 先に済ませなければならない用事があると告げれば、

「ひょっとして、この間の第七の団長の所か!」

 バリースが今にも身を乗り出さんばかりに顔を近づけて来た。

 ヤステルが落ち着けというようにバリースの肩を叩いた。リヒターもさり気なくバリースの腕を取り、必要以上の暴走を抑えてくれているようだった。その様子は、まるで手綱(リード)に繋がれた犬のようだ。

 期待に満ちた眼差しで詰め寄られ、リョウはその迫力にたじろぎそうになりながらも苦笑をして見せた。

「ああ。それもある。序でだから一緒に来るか?」

「マジで!」

 鼻息荒く、拳を握りしめたバリースの隣で、

「おい、リョウ。いいのか?」

 ヤステルが無理をするなというようにこちらを見た。

 部外者が、試合前の兵士たちの前で騒いで大丈夫かと案じているようだったが、リョウは恐らく大丈夫だろうと肩を竦めて見せた。

「ああ。大丈夫だと思う。どうせなら友達も連れて来いって言われているし。それに今なら、ブコバルもいるだろうから。会いたいんだろ?」

 リョウは以前、第七師団の双璧と謳われるというユルスナールの相棒ブコバルにも会いたいというバリースの言葉を覚えていた。

「リョウ~!」

 感極まったのか勢いよくバリースに抱きつかれそうになって、リョウは慌てて身体を捻った。肩に乗ったイサークごと抱き潰されては敵わなかったからだ。

「リョウ! 避けるなよ!」

 空を掴んで前につんのめったバリースが、恨めし気にこちらを見たが、リョウは笑って流した。

「いや、だって。イサークがいるから」

『あ奴め、我を視界に入れておらんぞ。潰されては敵わん』

 そして一人、軽やかに身体を反転させて、団体戦が行われる東側の区画に足を踏み入れるべく足を繰り出した。

 その後ろに三人の友人たちが続いたのだった。


 東側の区画は、西側の区画と比べても整然としていた。雑多な階層の出場者が集う個人戦の会場とは違い、こちらは各師団の軍部代表者たちばかりであるから当然と言えば当然だった。こちらでも既に集まった見物客が定められた範囲を守って、遠巻きに場所取りを始めていた。団体戦は、各師団から五名が選抜される。万が一の補欠人員を合わせても精々七・八名がいいところだろう。


 大会に参加する兵士たち用に大きな天幕が二つ設けられていた。リョウは一応、関係者であることを示す為に以前アルセナールを訪れる時に身に着けていたものと同じ第七師団所属を意味する青い腕章を左腕に着けていた。そして、肩に伝令の鷹である大きな猛禽類が乗っている。これで傍目には、軍部の鷹匠見習いのように見えるだろう。ひょっとしたら、その辺りのこともシーリスは考えていたのかも知れなかった。

 取り敢えず、兵士たちがいると思われる天幕の方に向かって歩いていると、前から一人の兵士が歩いて来た。動きやすいような訓練用の衣服に簡単な胸当てや小手当てといった防具を付けている。そして勿論、腰には長剣を佩いていた。

 その兵士は腕に緑色の腕章を付けていた。その色の腕章には、リョウも見覚えがあった。ドーリンの所の第五師団のものだ。

 真正面からその若い男と目が合った。

「あ~!!!!」

 リョウを見た男は、いきなり大声を上げると走り寄って来た。

「お前もこっちに来てたんだな! この間はありがとな。すげぇ助かったし」

 リョウの手を取ると駆けてきた勢いをそのままに捲し立てた。

「あの後、すぐに傷が塞がってさ、いやもう、吃驚するのなんのって。その後の経過も良くってさ。また痛い思いをしなくて済んだんだ。マジ、あの先生、半端ねぇから。お陰で、ほらこの通り」

 そう言って右腕をぶんぶんと回した。

 リョウは突然のことに目を白黒させたが、

「ああ。ステパンさんの所でお会いした方、ですよね?」

 記憶の中の人物に該当者を探し当てた。

 第五師団を表わす緑色の腕章と人懐っこい笑みを浮かべた顔付きから、リョウはプラミーシュレでの最終日の出来事を思い出していた。腕に怪我を負って消毒をしてもらいに医務室を訪れていたのだ。その時にちょうど化膿止めを切らしてしまったということで、リョウは自分の手持ちの軟膏を分けてやったのだ。

「そうそう。良かった。覚えててくれたんだな」

「はい」

 一頻り落ち着いた所で、不意に男がリョウを見下ろした。

「あ、ひょっとして、うちの隊長に用か?」

「いえ、第七の方に」

「ああ。そっか」

 若い兵士はしたり顔で頷いた。ステパンの所で第七の団長であるユルスナールと共にいたことを覚えていたのだろう。

「第七ならあっちだぜ」

 前方に見える二つの天幕の内、右の方を指し示されて、リョウはありがとうございますと謝意を述べた。

「いいってよ」

 軽やかに片手を振って、その若者は去って行った。

 後ろから付いて来ていたヤステルたちが、いつの間にか追いついていた。

「あっちだって」

 リョウは先程の兵士から教えてもらった天幕の方を指してから歩き出した。

「知り合いか?」

「ああ。今のは第五の人。名前は知らないけど」

 ヤステルは意外に広いリョウの人脈に驚いたようだった。


 第七の兵士たちがいるという天幕の中をそうっと覗こうとした時に、背後から目の前ににょっきと太い腕が伸びてきた。と同時に頭の上に何か硬いものが乗った。

 突如として圧し掛かってきた重みに驚きの声を上げる間もなく、

「よう、坊主。こんな所に何の用だ?」

 頭上から男のものと思しき低いだみ声が降ってきた。リョウは男の風貌を確かめる為にそっと目線だけ上げてみたが、そこには尖った高い鼻先が見えるだけだった。

 左肩の上に乗っていたはずのイサークは、獣の本能で危険を察知したのか、ばさりと羽をはばたたかせて、どこかへ飛んでいってしまったようだった。

「あの……何をなさっているのですか。とても…重いのですが」

 圧し掛かるずっしりとした重みに困惑気味に苦言を呈してみれば、

「あ? なんだ非力だなぁ」

 からかうような声と共に余計に体重が掛かってきて、リョウは踏ん張る為に足の裏に力を入れた。

「あの、用事があるんで………退けて……ください」

 なんとかして目の前に回された太い腕を外そうとするがびくともしない。

「あ? そんなんじゃぁ、いつまでたっても変わらねぇぞ?」

 必死になっているリョウの反面、体重を掛けた男はやけに楽しそうだ。

 リョウは素早く天幕の中へ視線を走らせた。そして、奥まった一角に、探し求めていた銀色の頭部を見つけて、思わず声を上げていた。

「ルス…ラン!」

 ユルスナールは、生憎こちらに背を向けていた。その周りには、北の砦でのお馴染みの顔が揃っていた。ブコバルにシーリス、その傍には、アッカとロッソ、そして、アナトーリィ―の他にヤルタとグントもいた。シーリスは出場しないとのことであったので、残りの七人が一応予備も入れた出場予定者ということなのだろう。

 七人の中で、こちらに身体を向けていたシーリスがいち早く、リョウに気付き、それに次ぐ形でユルスナールが振り返った。

 目が合ったユルスナールは、リョウが陥った状況を見て、瞬時に何が起きたかを悟ったようだった。

 つかつかと長靴の底を踏みしめて、入口付近まで来ると徐に妙な男の張り付いたリョウの前に立った。

「何をしている?」

「あ? なんだ、ルスラン」

 冷ややかな視線が、リョウとその上に覆い被さる男に注がれた。

 リョウは、少し情けない顔をして困惑気味にユルスナールを見上げた。といっても頭上には、男の顎が乗っている所為で、ちゃんと顔を上げることができなかった。

 からかわれているだけなのだろうが、一人では対処のしようが無かった。

「ザイーク。退け」

 ユルスナールの手が伸びて、リョウの肩に乗ってびくともしなかった男の筋肉質な腕をあっさりと退けた。脳天を突いていた顎の感触(意外に痛かった)も無くなって、リョウはやっとのことで息を吐くと、素早くユルスナールの腕を掴んで、その大きな背中の後ろに隠れた。

「なんだ? そいつはお前のところのガキか?」

 リョウは、ユルスナールの背後からそっといきなり自分に圧し掛かって来た男を見上げた。

 縦にも横にも大きな男だった。第七の中でも大柄だと言われているブコバルよりも一回りは大きいかもしれない。目の前に立たれると尋常ではない程の圧迫感がある。

 吊り上がり気味の細い目尻に、薄茶色の短い髪を跳ね上げている。艶やかな飴色をした浅黒い肌をしていて、右側の目の下から頬骨のある辺りには、刺青のような紋様が入っていた。よく発達した顎は、うっすらと割れていた。あれが、頭の上に乗っていたのだ。道理で痛い訳だ。

 薄い灰色の瞳に見下ろされて、リョウは無意識に肩を揺らした。これまでに色々な種類の男たちを見てきたとは思っているが、この男の風貌は、中でも余りお近づきにはなりたくない匂いがした。

 真正面からリョウの顔を見た男が、癖のある笑みを浮かべた。

「へぇ? お前んとこに毛色の変わったのがチョロチョロしてるって噂は本当だったんだな。なんだ、愛玩動物(ペット)でも飼ったのか。あ?」

 ニヤツいたあからさまな視線にリョウが居心地悪そうに小さく身じろげば、ユルスナールが冷たく一蹴した。

「妙なちょっかいを掛けるな」

「あ? 良く見りゃぁ、中々の上玉じゃねぇか、おい」

 そう言って自分の親指の腹をぺろりと舐めた男の仕草にリョウは思わず身を引いて、ユルスナールの背中に張り付いた。

 背筋を悪寒のようなものが駆け抜けた。

 ひょっとしてこの男もウテナと同類なのだろうか。少年趣味を憚らず公言していた第五師団の兵士を思い出して、リョウは身震いした。


 その肩にそっと手が掛かり、一瞬、身体を揺らしたが、続いて掛けられた柔らかな声にリョウはそっと肩の力を抜いた。

「リョウ、あんな下品な男は放って置いて、こちらにいらっしゃい」

 顔を上げれば、すぐ傍にはシーリスが立っていて、リョウは安堵の息を吐くと小さく頷いて、ユルスナールの背中からそっと離れた。

「あ? なんだ? いっちまうのかよ」

 ザイークと呼ばれた男の声に、

「ええ。勿論。あなたの前に置いては、猛獣の前に好物の肉をぶら下げるようなものですからね。我々がそんなことをする訳はないでしょう?」

 実にいい笑顔でシーリスが言い切った。

「けっ、相変わらず、えぐいな」

 ザイークは嫌そうに顔を顰めたが、気を取り直したのか、前に立つユルスナールと何やら言葉を交わし始めた。

 その隙に、リョウはシーリスに促される形で、第七の面々が集まっている所に向かった。

「元気にしていたか、リョウ?」

「はい」

 久し振りに見るアッカやロッソから声を掛けられて、リョウは北の砦の面々と型通りの挨拶を交わした。

「あのシーリス、今朝方、イサークが持ってきた手紙の件なんですけど………」

 今の内にと思い切ってリボンの件を尋ねてみれば、ちょうど先程の男と話しを終えたユルスナールが傍に来て、

「ああ、ルスラン。リョウがあなたに渡すものがあるそうですよ?」

 先手を打つように言われてしまい、

「なんだ?」

 こちらを見下ろしたシーリスが、合図をするように片目を瞑った為、リョウはポケットの中から黒い紐を取り出さざるを得なくなってしまった。

「あの、ルスラン。左腕を出して下さい」

 リョウは腹を括って、ポケットの中にあった黒いリボンを取り出した。

「上腕のこのくらいの位置ですか?」

 そして、シーリスの反応を窺いながら、ユルスナールの腕に黒いリボンを巻きつけた。

「結び方にしきたりはありますか?」

「いいえ。自由で構いませんよ」

 結び目をどうしようと思ったが、取り敢えず蝶々結びは躊躇われたので、片輪結びにしておいた。

「きつくはありませんか?」

 具合を見る為にユルスナールを見上げれば、

「あ………ああ」

 ユルスナールは目を瞬かせた後、なんとも形容し難い微妙な顔付きになっていた。

「どうか御武運を」

 リョウは小さく呟くと、男の腕に巻かれたリボンの端にそっと口付けを落とした。

 ―ヒューウ。

 ブコバルから冷やかすような口笛が漏れていたが、リョウは敢えてそれを無視した。

 ユルスナールは、暫く、己が左腕に巻かれた黒色のリボンを見つめていた。

「これでは何だか喪に服しているみたいですね」

 この国でそういう風習があるかは分からなかったが、連想からどうもそんなことを口走ってしまった。

 苦笑気味に小さく笑ったリョウにユルスナールは、漸く我に返ったようだ。

 そして、微かに笑った。

「いや、そんなことはない。ありがとう、リョウ」

「おーい、リョウ、俺にはないのかよ?」

 飄々と嘯いたブコバルに、

「すみません、生憎、一つしかないものですから」

「何を言ってるんですか。あなたは外に出れば沢山貰えるでしょうに」

 シーリスが呆れたようにブコバルを流し見れば、

「ま、そうだけどよ。黒ってのは中々ねぇだろう?」

 暗にご婦人方からの人気が高いことを自分でも認めているようなどこか尊大な口振りは、ブコバルらしかった。


 淡々と懸案のリボンを渡し終えれば、ここでの用事は粗方済んだ。残っているのは一つ、天幕の外で待ってもらっている友人たちのことだ。

 それから、ブコバルに養成所の友人たちが一目会いたいと外で待っていると告げれば、

「なんだ、野郎かよ? 可愛い女の子はいねぇのかよ」

「残念でした。養成所で野郎以外に誰がいるんですか」

 女の子の比率は極端に低いのだ。顔を合わせるのは自然と男ばかりになる。

 ブコバルは、文句を垂れながらも、一応、天幕の外に出て来てくれた。リョウの友人たちということで、一度顔を合わせているはずのユルスナールだけでなく、シーリスやらアッカやらもその顔を拝んでやろうと出てきた為に、一時、天幕の外は随分と賑やかになった。

 バリースは、感極まったようにブコバルと握手を交わし、ブコバル流の拳に力を思いっ切り入れた挨拶ーリョウもブコバルに初めて会った時にその洗礼を受けたーに、顔を顰めながらも嬉しそうに笑っていた。ヤステルとリヒターとも同じように言葉を交わし、三人の青年は、喜んだようだった。

 ブコバルもブコバルで満更でもない顔をしているように見えて、なんだか可笑しかった。

「それでは、ワタシはこれで失礼しますね。皆さん、お怪我の無いように。御武運をお祈り申し上げます」

 そして、型通りの敬礼をしてみせれば、

「ああ、任せておけ」

「今年は、負けねぇよ」

「ああ。目ぇ、かっぴらいてよく観とけよ」

 アッカやアナトーリィー、グントたちの自信に満ちた男らしい笑みにぶつかった。

 そして、出場者たちは、再び天幕の方へと帰って行った。


 別れ際、最後まで残っていたユルスナールから不意に呼び止められた。

「リョウ」

「なんですか?」

「お前は、この風習のことをどこまで聞いた?」

 小さく揺れる黒いリボンの端を目で示してから、ユルスナールが小さく問うた。

「武運を祈る為のお守りだとか」

「他には?」

 じっと探るような視線が降り注ぐ。

「ああ。通常は女性から男性に贈られるものだとか。元々は戦地に赴く兵士たちの無事の帰還を祈るためのものだったそうですね」

 ヤステルから教わった由来を告げば、またしても矢継ぎ早に言葉を重ねられた。

「他には?」

 いつになく真剣な表情で見下ろされて、リョウは少し逡巡した後、はにかむように小さく微笑んだ。

「若い男女の求愛の為のものだそうですね。想いを寄せる相手への意思表示(アピール)というか、切っ掛けというか、片恋を成就させる為の小道具として使われているようなことを聞きました」

 この短い間に知り得た情報を掻い摘んで話せば、ユルスナールは暫し、無言のまま目を瞬かせた。

 どうしたというのだろう。何か混乱させるようなことでも言っただろうか。

「ですが、まぁ、ワタシとしてはルスランの武運をお祈りするという意味合いが強いですよ。なので他の人から揶揄されたら、そう返してください」

 苦し紛れとも言えなくもなかったが、リョウは男の腕に黒いリボンを巻きつけた正直な気持ちを告げていた。

 ユルスナールは、沈黙を守ったままだった。

「ルスラン?」

 怪訝そうに見上げれば、

「いや、何でもない」

 ユルスナールは、どこか不遜そうな笑みを小さくその口元に浮かべていた。そして、リョウの頬にそっと片手を掛けると、その輪郭を緩く指でなぞりながら、次のようなことを言った。

「見学の間は、友人たちの傍を離れるなよ? 迷子になるからな」

「はい」

 これから大会への出場を控える相手に、逆に心配をされてリョウは擽ったそうに小さく笑った。

 そして、ゆっくりと離れて行った逞しい背中に、思わず声を掛けていた。

「ルスラン」

 無造作に撫で付けられているだけの銀色の髪が光を反射して揺れた。

「頑張ってください」

「ああ」

 最後に小さく微笑んで、細められた深い青さを湛えた瞳に、

 ―どうか、怪我をしませんように。

 リョウは、そっと心の中で小さく呪いを掛けるように呟いた。そして、去ってゆく男の左腕に巻かれた黒いリボンが揺れる様を見つめたのだった。


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