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Messenger ~伝令の足跡~  作者: kagonosuke
第四章:王都スタリーツァ
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父と息子たちの夜


 その夜、シビリークス家の居間には、この家の家長とその息子たちが勢揃いしていた。

 皆が顔を合わせるのは、久し振りのことだった。ユルスナールが昨年、武芸大会に参加する為に帰還して以来であるから、約一年振りになるだろうか。

 落ち着いた茶系統の色合いの調度類が並ぶ、ゆったりとした広い部屋には、長椅子とソファが余裕を持って配置され、男たちは、銘々の昔から定位置となっている場所に腰を下ろしていた。


 長い脚を持て余すようにして一人掛けの椅子に腰を掛けているのは、シビリークス家の長男、ロシニョールだった。代々軍人を輩出している家系の嫡男として、幼い頃からその家名に恥じないようにと厳しい教育を受け、着実に人生の階段を登ってきた男だ。

 厳格な父の影響を一番に受けたであろう長男は、真面目な男だった。父親譲りの体格の良さと銀色の髪を持つ。男らしい精悍な顔立ちは、綺麗に整えられたたっぷりとした髭に縁取られ、積み重ねられた年月からもたらされる威厳に満ちていた。瞳の色は、母親のものを引き継いで淡い空色をしていた。豪胆な性格で、野性味溢れる男の魅力を持つ。この国の軍部に所属し、今ではその中枢を担う将軍の地位にあった。

 この国の軍部には、一から十まである師団の上にそれを統括する本部の将として、東西南北、四つの方位を模した四人の将軍がいた。代々、北の方角を守護する家として軍事的な分野で発展してきたシビリークス家の嫡男である男は、その系譜から【北の将軍】を拝命していた。


 そして、壁際に並んだ低い棚の前で、人数分のグラスに酒を注いでいるのは、この家の次男だ。その名をケリーガルと言った。

 どちらかというと母親に似た柔らかな面立ちをしており、武芸一辺倒の厳つい長男とは、趣がかなり異なった。母親の血は、髪と瞳の色に表れていた。柔らかい薄茶色の髪に、淡い空色の瞳を持つ。

 家系の伝統よろしく軍人の道を歩んだ長男とは違い、次男は文の道に進んだ。王都にある貴族の子息たちが通う学問所で優秀な成績を修めた後、国の中央機関に職を得て、今では財政を担う財務官として忙しい毎日を送っていた。

 穏やかな気性で争い事は好まない性格だ。だが、その反面、無駄な面倒事は嫌いで、交渉術に長けた策士の顔を覗かせる。優しそうな見た目を裏切る強かな一面を持っていた。


 兄弟仲はいい方だろう。末と長兄の間は十も離れている。真ん中は、その間を取る形で、共に五年ずつ離れていた。

 そして、小さな低いテーブルを挟んで長椅子に腰を下ろし、その長い脚を組んでいるのは、我らが主人公の片割れ、ユルスナールである。

 三男坊であるユルスナールは、姿形だけを見れば、父親の形質を一番よく引き継いでいた。銀色の髪に瑠璃ともとれる深い青さを湛えた濃紺の瞳を持つ。冷徹な印象を与える切れ長の眼差しは、父親譲りだった。だが、顔立ちの線の細さは、若干、母親の方に似ているかもしれない。

 三兄弟、其々に特徴的な男たちだが、やはりそこは三人並べば、血の繋がりがあることが直ぐに見て取れた。


 そして、テーブルを挟んでユルスナールの対面にあるソファーに寛ぐのは、三人の息子たちの父親であり、この由緒正しきシビリークス家を束ねる家長である男、ファーガスだった。

 ファーガスは、現役時代には、その名を国内外に轟かせた豪傑だった。二十数年前の隣国ノヴグラードとの戦では、敵国に【(しろかね)の悪魔】と恐れられた将軍だった。冷酷無慈悲、非道の策士、歴戦の猛者。男を形容する枕詞は尽きない。

 現在は、引退し、家督を長男に譲って国政の表舞台からは姿を消した形にはなっているのが、国内の貴族たちの間(主に軍事の方面)での影響力は、まだまだ無視できないものがあった。

 その風貌は、一言で言えば厳めしい部類に入るだろう。吊り上がり気味の鋭い眼差しの上には潔さを現す男らしい眉が乗る。真っ直ぐに伸びた鼻梁と大きめの鼻。その下にある唇は、薄く引き結ばれ、酷薄そうな印象を見る者に与えた。

 感情表現の豊かな方ではない。普段は余り口数の多くない物静かな性質だ。それに本来男に備わる威圧感が、相乗効果となって取りつき難い印象を与えていた。

 若かりし頃は、社交界でそれこそ多くの女性たちに騒がれた美丈夫だった。冷たい鋼のような硬質さは、高潔な孤高の漢のようで密かに人気が高かった。男が現れると場の空気が変わる。そう揶揄されたこともあった。長い年月を経て、年老い、皺が多く刻まれた今でも、その当時の片鱗は面立ちのそこかしこに窺えた。

 幼い頃、三人の息子たちにとって父親の姿は、それこそ畏怖の対象だった。家庭においては子煩悩な良き父親であったが(といってもその愛情表現は余り表面には出ないので、傍目には分かりづらかったが)、躾は厳しかった。間違ったことをした時は、それこそこっぴどく叱られたものだった。

 父親の背中はいつも大きくて、そして、遠い。それは目指すべき目標でもあり、と同時に越えるべき対象でもあった。父親を前にすると、その威厳からくる威圧感に子供ながらにも体が竦んだものだ。

 だが、息子たちが長じた今では、その関係は、少し形を変えていた。それでもこの家にとって、父親の存在は、その精神的な主柱であることに違いはなかった。




 次男のケリーガルは、琥珀色の液体が入ったグラスをテーブルの上に並べた。

「どうぞ」

 四人の男たちは、無言のままグラスに手を伸ばすと、手にしたそれを自分の上方に掲げた。

「久々の再会を祝して」

 音頭を取った父親の言葉に合わせるように三人の息子たちは、掲げたグラスを小さく揺らした。

「「「久々の再会を祝して」」」

 そう唱和するとグラスの中身を一気に呷った。

 それは、長い夜、男たちの宴の始まりの合図だった。



「調子はどうだ?」

 暫く振りに帰還した息子(ユルスナール)に、父親のファーガスは静かな眼差しを向けた。

 久し振りに見る息子の顔付きは、一年前と比べても違っているように見えた。一段と引き締まり男振りが上がったとでも言えばいいだろうか。自分と同じで、表面上は余り面に出ない為、分かり難かったが、そこはやはり血の繋がった親子である。その身に纏う空気から、末息子がそれなりに充実した毎日を送っているだろうことが読み取れた。


 北の砦は、峻厳な山脈を挟んで隣国ノヴグラードとの境界となるこの国の重要な軍事拠点ではあったが、王都から見たら、その場所は僻地である辺境、つまり、なにもないド田舎もいい所であった。ここ(スタリーツァ)に暮らす貴族たちの中には、生粋の貴族であるユルスナールのような男があのような僻地を任されたことに対して、それを上層部の不興を買って左遷されたに違いないと捉える輩がいたことも確かだった。。

 約四年前、第七師団長の任を拝命し、北の砦に配属が決まった時は、その辺りのことを父親も密かに案じないではなかったが、息子の様子を見る限り、それは全く気に掛けていないようだった。

 いずれにせよ、一生、北の砦を任される訳ではない。大体、四年から五年に一度の割合で、軍部内では組織編成が行われ、各師団の勤務地の移動や人事異動が行われていた。

 ユルスナールは、いずれ王都に戻ってくる。それはシビリークス家の血筋を引く者に対する暗黙の了解のようなものだった。

「お陰さまで、恙無く過ごしていますよ」

 口にする言葉は少なかったが、父と子の間では、それで十分通じていた。


 ―――――――堅苦しい挨拶はその位にしておいて。

 そう前置きすると長男のロシニョールが、意味あり気な視線を斜交いに座る弟に投げた。

「ルスラン。そろそろ腹は決まったか?」

 からかうようなその声音にユルスナールは伏せていた目を上げた。

「何の話ですか?」

 長兄が突然脈絡のない話を振るのは今に始まった事ではなかったが、ユルスナールには仄めかされた事柄の見当が付かなかった。

「ああ。僕も興味があるな」

 不意に話に割って入ってきた次男のケリーガルは、グラスに継ぎ出した【ズブロフカ】を舐めるように含みながら、その口元を緩めた。

 怪訝そうな顔をした弟に穏やかな笑みを浮かべて見せる。

「勿論、【プラミィーシュレ】でのことだよ」

 他に何があるのだと言わんばかりの口振りに、ユルスナールは、早くもあの噂話の事を訊かれているのだと確信した。

「大層、素敵な女性を連れていたそうじゃないか」

 その言葉に、義姉たちの方はともかく、兄たちの情報網では、事実がかなりの正確さで伝わっていることを理解した。

「感心なさそうな顔をしていてよくやる。俺たちもまんまと騙された訳だ」

 そう言って口の端を吊り上げて、可笑しそうに笑ったロシニョールは、

「で、相手はどこの誰なんだ?」

 早速、単刀直入に切り込んできた。 

「伝え聞いた話では、娼館の女だというのもあったけれど、実際の所はどうなんだい?」

 好奇心を隠すことなく、二対の淡い空色の瞳がユルスナールを捕らえていた。

「こちらには、どのように伝わっているのですか?」

 だが、素直に答えを与えるでもなく、逆に問い返したユルスナールに、父親のファーガスは小さく喉の奥を鳴らした。

「なんだ、ルスラン。あれもお前の余興か何かだったのか?」

 今まで浮いた話の一つもなかった(それは敢えてそのようにしていたのだ)息子の降って湧いたような突然の艶聞に、父親はその裏に潜む何かを的確に感じ取ったようだ。

 そもそも几帳面な性質で、その辺りのことに並々ならぬ神経を配っていたと思われる末息子が、今更、そのような事であのようなヘマをするとは考え難かった。何か裏で企んでいるに違いない。良くも悪くも宮殿という政治的な化かし合いの中で登りつめてきた男には、それが良く分かった。

「それについては半々ですね」

 父親の推察を裏付けるような口振りに、

「なんだ、やけに勿体ぶるじゃないか」

 次男が不服そうな声を上げて肩を竦めた。

「何でも随分と珍しい色彩を持った(ひと)だと言うじゃないか。まるで【夜の精】の化身のようだったと俺は聞いたぞ」

 そう言った長男の隣で、

「黒髪に黒い瞳を持つと言う話だよね。確かに珍しいと僕も思ったよ。この国の常識では考えられない」

 次男も静かに合槌を打った。

「この国の人間ではないのだな」

 止めとなる父親の言葉に、ユルスナールは観念するように小さく息を吐いた。

「ええ。この国の者ではありません」

「ならば、キルメクの出か?」

 黒い色彩を持つと聞いて、まずこの国の人間が思い浮かべるのは、比較的黒髪の人間がいる西方の隣国のことだった。だが、あの国の人々は、浅黒い日に焼けた肌に縮れた黒髪を持つ者が殆どだった。

「いいえ。違います」

 静かな、だが、確固たる返答に、父親は微かに眉を上げた。

「まさか、どこぞの間諜ではないのだろうな?」

 深く考えるように低い言葉を発した長兄に、ユルスナールは否定するように小さく笑った。

「いいえ。それはありません」

 あれは、そのような影の工作が務まる相手ではない。考えていることが直ぐに表情に出る性質で、隠し事は苦手な筈だ。そういうキナ臭さとは無縁の場所にいたであろう女の顔を思い描いて、ユルスナールは微笑んだ。

 自信満々に言い切った弟に、当然のことながら長兄のロシニョールは首を傾げた。

「では、どこの国の者なんだ?」

 相変わらず長兄の言葉は直球である。

「それは、今、この場では控えさせてください」

 その返答は、思っても見ないことだったのか、長兄は、虚を突かれたような顔をした後、意味深に笑った。

「なんだ。えらく慎重だな」

「何だか意味ありげだね」

 その脇で、次兄のケリーガルが興味を惹かれたように身を乗り出して来た。

 基本的に自分が巻き込まれる形での面倒事は嫌いだったが、こういう曰くのありそうな一筋縄ではいかなさそうな話は、次兄の好きな分野だった。やや性質が悪いと言えなくもないが、高みの見物が好きなのだ。

 興味津々の兄たちの様子を見て、ユルスナールはやや困惑したように微笑んだ。

「今度、折を見て、紹介しますよ」

 その言葉に長兄と次兄は信じられないという顔をして互いに目配せをし合った。

 秘密だらけかと思いきや、本人を兄たちに会せてもいいと言う。それは随分と矛盾しているように思えたからだ。

「その子は、今、こっちに来ているのかい?」

「はい」

「お前が連れて来たのか?」

「いいえ。今、縁あって養成所の方で学んでいます。【術師】の認可を受ける為に」

 それを聞いて父親は目を瞠った。

「その者は、素養があるのだな?」

「はい。そのように聞いております」

 それからユルスナールは、簡単にその人物について、当たり障りのない事柄を語ってみせた。


 ―――――――それから、この話が出た序でと言っては語弊がありますが。

 そう前置きをするとユルスナールは徐に背筋を伸ばし、畏まった。

「父上にお願いがあります」

 不意に対面で身に纏う空気を改めたユルスナールを父親のファーガスは静かに見つめ返した。

「なんだ?」

 息子が、自分に頼みごとをするのも珍しいことだった。

「父上が、昔、ズィンメル殿と交わしたアリアルダを私の許嫁とするという昔の口約束を破棄させてください」

「………なんだと?」

 きっぱりとした口調に驚きの声を上げたのは、長兄のロシニョールだった。

 それもそうだろう。アリアルダは長兄の妻であるジィナイーダの実の妹に当たる。恐らく、ジィナイーダ経由で義理の妹の恋心やその腹積もりを聞かされていた筈だからだ。協力を要請されていたかもしれない。

「理由は?」

「私には、既に心に決めた(ひと)がいます。その(ひと)以外、自分の妻となるべき相手を考えられないからです」

 ユルスナールは、真正面から父親の顔を静かに見つめると真剣な面持ちで告げた。

 それは、覚悟を決めた男の顔だった。

 自分と同じ造形と色彩を持つ息子。血を分けた我が子は、昔から、顔に似合わず、頑固で一途な所があった。それに執着の薄そうな印象を与える外見に反して、その内面は、酷く情熱的なところあった。

 ファーガスは自嘲気味に小さく笑った。

 まるで自分の若い頃を見ているようだった。我武者羅に駆け抜けた一時期を。

 いや、自分はあそこまで頑固ではなかったか。

 それでも息子が自分の血を引いているという事実をまざまざと見せつけられた気分になったのには変わらなかった。

「それが、【プラミィーシュレ】で連れていたという娘か」

「はい」

 ファーガスは、暫し瞑目すると、その瑠璃色の瞳を眇めた。

「ルスラン。妙なことに首を突っ込んでいるのではないだろうな?」

 どんなにか強面でも我が子は可愛いものなのだ。年老いて尚、迫力のある顔の下に、息子を案じる親心が見え隠れする。

 現段階で聞かされている情報だけでは、判断する材料としては余りにも少な過ぎた。

「それについては、今の所、何とも言えません」

 そんな積りはユルスナールにはなかったが、自分を取り巻く周辺事態の変化に依っては、面倒なことにならないとは言えなかったからだ。

 納得のゆく答えでなかったのか、父親が不服そうな息を吐いた。

「その娘の係累は?」

 その問い掛けにユルスナールは小さく微笑むと緩く頭を振った。

「何もありません。家柄も、後ろ盾も、この国との繋がりも、一切、何も持っていない。身一つの(ひと)です」

「お前は、それでいいのか?」

「ええ。問題などありません。今では、天涯孤独の身の上ですから、面倒な事にはならないかと。強いて言えば、保護者のような役割を担っている御方がいらっしゃいますが、その方はこの国の政治とは無縁のところにあられます」

 父親の眉間に深い皺が寄った。

「その御方というのは?」

「今、この場では申し上げることができませんが、父上も恐らくご存じの方です」

 それは捉え方によっては人を煙に巻くような言い方だった。

 先程から、ユルスナールは、肝心な部分の問いに何も答えていない。全てをこの場で明らかにされないのは癪には違いなかったが、息子の思慮深さを知る父親としては、その言葉を信じない訳にはいかなかった。

 瞑目を続ける父親にユルスナールは尚も言葉を継いだ。

「父上。私は本気です。生涯の伴侶となるものは、その(ひと)以外考えられません。もし、それが原因で、この家と縁を切ることになったとしても、私はそれで構いません。後悔などしない」

 静かに淡々と告げられた告白に度肝を抜かれたのは、二人の兄たちの方だった。

「ルスラン、何てことを言うんだ!」

「おいおい。何もそこまで思い詰めることもないだろう?」

 このシビリークスの家と縁を切る。それは、この国で生きて行く上で、相当の足枷(ハンデ)になる筈だった。

 だが、裏を返せば、そこまでの覚悟を既に決めているということなのだ。

「相変わらず頑固な奴だ」

 決めたら最後、頑としてそこから引かない。

 その言葉に父親のファーガスは眦に沢山の皺を寄せるながら、どこか満足そうに微笑んでいた。

「いいだろう。お前がそこまで言うのなら」

 そこで顔を上げたユルスナールに、父親は、かつてこの国の軍部を束ねたやり手の武官の顔を覗かせて、凄みのある笑みを浮かべるとじっと息子に視線を合わせた。

「但し、一度、その娘をここに連れて来るように。その者がお前に相応しいか否か、最終的に私が判断しよう。私が認めなければ、この話はなかったことにする」

 ―――――――それが条件だ。

 父親の眼鏡に適わなかったら、この話はなかったことになる。すぐさま勘当を言い渡されたり、反対をされる訳ではなかったが、それなりの厳しい条件に、ユルスナールは、ぐっと唇を引き結んだ。

 その表情を見て、ファーガスは、今度は愉快そうに声を立てて笑い始めた。

「ハハハ。知らぬ間にお前もそのような顔をする歳になったか。徒に歳は取りたくないものだな」

 そう言ってグラスの中身を一気に呷った。そこへ、すぐさま次兄が酒を注いだ。

 言葉尻とは裏腹にその声は満足そうに響いた。

「へぇ、それは僕も楽しみだな。ルスランが惚れた相手なんて想像が付かないや。一体、どんな顔して口説いたのやら」

 琥珀色の液体が入った瓶を傾けながら、面白そうに頬を緩めた次兄の隣で、

「どんな顔と言っても、あの顔で口説いたに決まってるだろう。一体、どんな言葉を吐いたのかは知らないが、よく相手に逃げられなかったものだ」

 父親譲りの厳めしい自分の風貌は敢えて棚に上げておいて、長兄も可笑しそうに笑った。

「確かに、よく頷いてくれたよね」

 そこで、ユルスナールは途端にばつの悪そうな顔をして押し黙った。

 その事に気が付いた次兄が鷹揚に首を傾げた。

「ん? どうしたんだい? ルスラン」

「あ? なんだ、なにか問題でもあったか?」

「いや、あの、まだ、正式な申し込みはしていないので………」

 尻すぼみになって掠れた弟の声に二人の兄は仰天した。

「なんだって?」

「あ? なんだ、まだお前だけの腹積もりかよ?」

 二対の淡い空色の瞳が信じられないという風に見開かれた。

 それもそうだろう。端から聞いていれば、ユルスナールは既に相手の女性の心を捕まえていて、あとは両親の承諾を得るだけのような口振りに思えたからだ。

「いや、その、恐らくは向こうも同じ気持ちだとは思うのですが……まだ……その…ちゃんと確かめた事がないので…………」

 先程までの余裕はどこへ行ったのやら、何やらしどろもどろになった弟を見て、そのいつもの可愛げのない冷静さを失った様子に、兄たちは可笑しそうに声を上げて笑った。

「アハハハ。なんだ、じゃぁ、父上に会う前に、そっちを先に攻略しておかなきゃならないんじゃないか!」

「なんだなんだ。まだまだ詰めが甘いぞ、ルスラン」

「ええ。そういうことになりますね」

 二人の兄からのからかうような口振りに、ユルスナールは、手にしたグラスを所在なさげに揺らしながら、気まずそうに視線を逸らした。

 そんな息子たちのどこか滑稽な遣り取りを対面に座る父親は目を細めて眺めていた。

「ちょうどいい。来週の武芸大会で確かめてみればよかろう」

 どこか呆れを含んだ声音ながらも的を射たような提案に、

「ああ。それはいい考えですね」

 長兄も頷いた。

「リボンを腕に巻いて、申し込みをするってやつかい?」

 次兄も興味を惹かれたように顔を上げた。


 昔から、武芸大会は単に軍部に所属する兵士たちの士気を高めるという役割の他に、若者たちの恋を成就させる場でもあったのだ。

 心に決めた相手から身に着けているリボンを貰い、それを二の腕の上腕部分に巻きつけて闘いに臨むのだ。それは、その昔、戦場に向かう男たちに、後に残される女たちが、意中の相手が無事帰還するようにとの願いを込めて、その腕に自らが身に着けていたリボンを巻きつけたという故事に由来していた。

 かつては、通常のドレスの中の装飾として使われていたリボンが用いられていたが、時代が下り、その後、形を変えて、今では、女たちは、それ専用に色とりどりのリボンを用意するようになった。大抵が、自分の瞳の色や髪の色を模した色だった。

 腕に愛する人からのリボンを巻いて、見事、闘いに勝った暁には、その女性の元に跪き、自らの想いに応えてくれるようにと男が求愛をするのだ。闘いに勝つことは、相手への愛情の証でもあった。そして、相手が差し出した男の手を取ったら、目出度く合意をされたものと見做された。片恋に身を焦がす若い兵士にとっては、一世一代の賭けのような大舞台でもあった。


 それを自分にやれというのだろうか。あのような衆人環視の前で。

 ユルスナールは密かに口元を引き攣らせた。

 だが、生憎、己が気持ちを伝えたい相手は、そのような風習があることすら知らないだろう。それを自分の口から説明をするのも随分と間の抜けた話ではないか。

 己の気持ちばかりが先走って、至らぬ自分が悪かったのだろうが、悪乗りをする兄たちの口車に乗せられてか、段々と面倒になって行く事態に、ユルスナールは軽く目眩がした。

 だが、その反面、自分の告白が概ね好意的に受け入れられたことに、内心、安堵の息を吐いたのも確かなことだった。

 アリアルダの方を断るにしても、一悶着はありそうだが、それは最低でも越えなければならない障害だった。

 この日、ユルスナールは、己が思い描く未来と目標に向かって、漸く、小さな一歩を踏み出した形となった。


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