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Messenger ~伝令の足跡~  作者: kagonosuke
第四章:王都スタリーツァ
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三男坊の憂鬱


 ちょうどリョウがシーリスと王都見物をしている頃と時を同じくして。


 一人、実家に残る羽目になったユルスナールは、普段の仏頂面を三割増しにして、庭先に設えられたテーブルに着いて静かに茶器を傾けていた。

 ユルスナールの眉間には、深い皺が刻まれていた。あんなにもあっさりと身を引いたリョウのことをつれないと不満に思っていたのだ。折角、自由になった時間を二人きりで過ごそうと思っていたのに、それが、ことごとく上手く行かなかった。

 離れている間、思い出すのは、いつも決まって癖の無い黒髪を靡かせ、黒い瞳を細めて穏やかに微笑む女の姿だった。会いたいと思っていたのは自分だけなのか。恋しいと思っていたのは自分だけなのか。恋愛においては先に好きになった方が負けとも言うが、目に見える形で行動に現れる気持ちの温度差が、正直、もどかしくて仕方がなかった。

 手っ取り早くその想いを行動で示そうとしても、今日は邪魔が入ってばかりだった。そのこともユルスナールの不快指数を上げる要因になっていた。やっとのことで捻り出した時間も突発的な事柄に阻まれてしまった。仕方がないとは言え、腹立たしかった。


「ねぇ、ルーシャ。さっきからだんまりじゃない。どうしたの?」

 そんな男の心の内を分かっていないのか、それとも敢えて分からぬ振りをしているのか。ユルスナールは自分の不機嫌の原因の一端となった人物をちらりと横目に見てから、

「いえ」

 言葉少なに返した。

 長兄に嫁いだ義姉は、良くも悪くもこの国の上流階級、即ち貴族の女だった。そして、その妹であるアリアルダもそうだ。おっとりとした気ままな性質で、自分たちの楽しみを追求するのに余念がない。男の事情を斟酌せよという方が土台、無理な話だった。

「ねぇ、ルーシャ、焼き菓子をもう一ついかが?」

 余り甘いものが好きではないユルスナールは、その申し出に閉口した。付き合いとは言え、一つが限度だった。

「いや、俺はもう十分だ」

「あらそう? なら私が頂くわね」

 そう言って、嬉しそうに自分の皿に焼き菓子を取ったアリアルダを見て、それから、この王都で、今、若い女たちに人気があると言う小さな焼き菓子の乗った皿を見つめて、ユルスナールは、ふと、リョウはこういった甘味を好きだろうかと考えた。

 思えば、、こういう食べ物の好みの話も余りしたことが無かった。北の砦では甘味と言えば、精々が果物で、菓子の類は当然のことながら出ない。【プラミィーシュレ】で共に過ごした時も、自ら甘味を求めたり興味を引かれたりする様子は、ユルスナールが覚えている限り、見たような記憶はなかった。

 そんな些細なことも知らない自分にユルスナールは愕然とした。

 何ということだろう。好いた相手の好みの一つも分かっていない。

 知っているのは、控え目で穏やかな気性と実は頑固であるという芯の強さ、そして、閨の中での情熱的な一面とその肌の甘さだった。そして、リョウがその身に抱えている重大な秘密の共有者になったとはいえ、それが、今現在の【リョウ】という人物を形作る輪郭を知ることには繋がらなかった。


 黙りこくったままのユルスナールを横目に見て、義姉のジィナイーダはからかうような声を上げた。

「あの付き人の子が気に掛かるの?」

 ふいにそんなことを口にされて、ユルスナールはその発言者の真意を探るように義姉の方を見た。

 明るい(はしばみ)色の瞳が好奇に輝いていた。

 この義姉が鋭いのか、鈍いのか、分からなくなるのはいつもこんな時だった。おっとりとした性格のままに呑気なように見えて、偶にこう核心を突くようなことをさらりと口にするのだ。柔らかい言葉は、時として小さな短剣のように鋭く心に突き刺さる。

「あら、どうして? あの人は軍部の人間なのでしょう? 腕に腕章をしていたもの。ルーシャが気にすることはないんじゃなくて?」

 軽やかに紡がれるアリアルダの言葉に、ユルスナールはそっと目を伏せた。

 アリアルダの言葉は尤もだった。リョウに第七師団所属を意味する青い腕章を付けるように言ったのは自分の方だった。その方が、面倒が少なくてよいかと思ったのが、あれを付けている限り、リョウは自分の部下で、それも下っ端の見習いのような少年にしか見えないのだろう。

 良かれと思ったことが裏目に出ている。アリアルダが初対面の相手に対して、歯牙にも掛けないような剣呑な態度を取ったのも、それが軍部でも下位の人間だと思ったからだった。

 リョウはきっと嫌な思いをしただろう。表面上はそんな素振りを微塵も見せなかったが。それも自分の所為なのだ。そう思うと居た堪れなかった。


「いえ。あの者は軍部の人間ではありませんよ」

「あら、そうなの?」

「ええ。今、術師の養成所で学んでいる者です。シーリス・レステナントが今は面倒を見ていますが、自分ともそれなりに親交があったので」

 北の砦での打ち合わせ通り、自分がリョウの養成所通いに一枚噛む事は憚られるということで、ユルスナールとしては内心、苦々しく思いながらも、そう説明をするのがやっとだった。

「あら、じゃぁ、【プラミィーシュレ】で連れ歩いていたというのは先程の子のことかしら?」

 余りに唐突に思えたその言葉にユルスナールは驚いて、動きを止めた。

 まさか、そのようなことを義姉が知っているとは思ってもみなかったからだ。

 それを見た義姉のジィナイーダは、可笑しそうに手を口元に当てて小さく笑った。

「ルーシャ。わたくしたちの情報網を侮ってはいけないわ」

 そう言って目配せをする。

「【エリセーエフスカヤ】で食事をしたのでしょう? あそこで黒髪に黒い瞳の綺麗な子を連れていたという噂はこちらにも届いているわ。こちらも暫く、その話で持ちきりだったのよ?」

 あの時、あの場にリョウを連れて行くことで、そういう風に仕向けたのは、ユルスナール自身の思惑があってのことだったが、それが遠く離れた王都の、ましてや親族の間にまで広まっているとは、実際の所、思っても見なかったことだった。読みが甘かったのかも知れない。ということは、既に父や母、兄たちも知るところなのだろう。

 だが、ジィナイーダの口振りでは、事実は曲解されて切れ切れに伝わっているようだった。【エリセーエフスカヤ】でリョウは、女性の格好をして本来の性別を明らかにしていた訳だが、髪と瞳の色という外見的な特徴だけが伝わって、その性別の辺りは、きちんとは伝わっていないようだった。

 と思ったのだが、

「あら、私は女の人だと聞いたわよ? 娼館の商売女ではなくて?」

 優雅な仕草で茶器を傾けながら、あっけらかんとしたアリアルダのもの言いに、姉であるジィナイーダは眉を顰めると妹を窘めるように見た。

「こら、アーダ。若い娘がそのようなことを口にするなんて、はしたないですよ」

 嫁入り前の若い女性が、娼館の女のことを口にするのは、貴族の淑女としては品位に欠けると見做されていたからだ。

「噂など当てになりませんよ」

 ユルスナールは肯定も否定もすることなく、ただ、そう口にするだけに留めた。

「あら、私は気にはしませんわ。ルーシャがそういう店に足を運ぼうが運ぶまいが。男の人の生理的な事情ですもの。そのくらい許して差し上げるわよ」

 そう、あけすけな言葉を継いだアリアルダに、

「アーダ、なんてことを言うの!」

 姉は悲鳴のような声を上げた。

 その言葉の意味を本当に理解しているのか、いないのか。まるで恋人の浮気を咎め立てしない寛容な女を演じるような口振りに、ユルスナールは、大きく溜息を吐きたいのを寸での所で堪えた。

 幼いころに両親が許嫁の口約束のようなものを戯れに交わして以来、アリアルダは、ずっとユルスナールに嫁ぐ積りでいるようだった。正式なものではない親しい間柄同士の口約束だ。ユルスナール自身は、それが今でも有効だとは思っていなかった。

 自らの伴侶となる相手は、自分で見つけてみせる。幼い頃より独立心の強いユルスナールはそう考えていた。

 そして、今、自分の心を捕らえて止まない女性は、一人しかいない。

 リョウに出会う前であれば、両親の口約束をそのままに押し通されても仕方がないかと思わなくもなかったことだろう。往々にして貴族の縁組などそのようなものであるからだ。家柄が釣り合うか、合わないかという体面を重んじる傾向があった。婚姻が政治的に利用される場合も珍しくはなかった。そういう流れから見れば、全く知らない相手を嫁に迎えて、その女性を愛せと強要されるよりも、まだ幼い頃より知った仲で、気心の知れた相手(この場合はアリアルダの事である)の方が幾分ましだと考える節があった。

 だが、そのような受動的な考えは、今はこれっぽっちも持っていない。


「ねぇ、ルーシャ。わたくしはそろそろいいお話が聞きたい頃だわ。ロシニョールも言ってらしたもの。あなたが独り身を通すのは、そろそろ具合が悪いだろうって」

 この間合い(タイミング)で長兄の名前を出されて、ユルスナールは眉根を寄せた。

 十も歳の離れた長兄をユルスナールは尊敬していた。弟の目から見ても立派な兄だった。

 だからと言って、親や兄たちの思惑通りに事を進める気は更々なかった。事が己の人生を左右する出来事、要するに縁談ならば尚更のことだ。

 自分には譲れない一線がある。その線引きがどこにあるかくらいは、ちゃんと理解している積りだった。

 ユルスナールは義姉の柔らかな言葉の中に潜む圧力を小さく微笑むことで受け流した。

 実の妹の恋心を知る姉としては、年の離れた妹は可愛いもので、その味方になってあげたいという所なのだろう。

 だが、この世に自分以外の男など沢山いる。もっと外に目を向けてもいい筈だとユルスナールは思っていた。幼き頃より周囲の人間が口にする希望的観測を疑わずにここまで来てしまったきらいがアリアルダにはあった。身勝手な男の言い分と言ってしまえばそれまでだが、アリアルダを生涯の伴侶として娶ることは決してないだろうということは、ユルスナールの心の中では、既に決定事項だったのだ。

 義姉の口振りから、近いうちに兄たちや父から似たような話を蒸し返されるかもしれないと考えて、ユルスナールは少し憂鬱になった。


 これまでユルスナールには、アリアルダ以外にも縁談の話が、何度か持ち込まれていた。

 この国の中でも古い家柄であるシビリークス家に自分の娘を嫁がせ、そこと繋がりを持ちたいと思う貴族は多いようだった。長男が結婚をし、次男も縁組を果たした後、未だ独身を貫く三男を密かに狙っている家は多かった。政治的な匂いのするものは、どうやら父や兄たちの方で、事前に突っぱねていたようだが、偶にそこを通過してくる話があった。それを若輩ものだからとか、まだ、軍部の仕事に専念をしたいから等と、色々な理由を付けて全て断って来たのだ。アリアルダとその姉のジィナイーダの方は、それをユルスナールが、アリアルダが相応の歳になるまで待っているとでも思ったようだった。

 ユルスナールは、そういった諸々の事情が鬱陶しくて仕方がなかった。だが、今回、それを逆手に取ろうと思っていたのも事実だった。

 もし、また縁談の話を仄めかされたりしたら、今度こそ、これまで有耶無耶にしていた許嫁の件を清算し、自分には心に決めた(ひと)がいることを両親と兄たちの前で宣言しようと考えていた。そして、時期が来たら、その(ひと)を家族に紹介し、結婚の許しを得たいと思っていた。勿論、その前に当然のことながら結婚の承諾を得る為に相手である当人を口説き落としておくことが肝要だろう。

 そこに漕ぎ着けるまでの道のりは、決して平坦なものだとは思ってはいなかった。貴族というしがらみに始まり、様々な障害があるだろう。それでも思い描いた未来を譲りたくはない。それがユルスナールの心に秘めた決意だった。


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