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Messenger ~伝令の足跡~  作者: kagonosuke
第四章:王都スタリーツァ
130/232

アルセナール 2)


 そうして暫く、ぼんやりとしていた時だった。

「ねぇ、あなた、死んでるの? 生きてるの?」

 足元で草を踏む音がした。

 か細い潜められた高い声に、リョウはゆっくりと閉じていた瞼を上げた。

 焦点を合わせるように瞬きを繰り返す。

 すると、目の前に、小さな女の子が、腰を屈めてこちらを覗き込むようにしていた。

 柔らかな赤みがかった金色の髪を耳の上で二つに結んでいる。大きな白いリボンが場違いのようにその場所で揺れていた。円らな瞳は淡い空色をしていて、抑え切れない好奇に輝いていた。

 リョウは、可愛らしい客人にそっと微笑んだ。

「こんにちは」

 挨拶をしてみる。

「まぁ!」

 視線が合った女の子の瞳が、これでもかというくらいに大きく見開かれた。

「あなた、ひょっとして、【夜の精】なの? ここに迷い込んでしまったの?」

 少女から放たれた思いもよらない言葉に、リョウは小さく笑った。

「迷い込んでしまったのは、本当だけれど、【夜の精】ではないよ」

 じっと此方を見ている女の子に合わせるように声を潜めて答えた。

 まるで、とっておきの秘密を告げるかのように。

「本当に? だって、あなたは髪が黒いわ。それに瞳の色も」

「ふふふ。この辺りでは、少し珍しいかもしれないかな。でも、ちゃんとした人間だよ」

 そう言って、女の子の頬にそっと手の甲で触れてみた。

「ね? 温かいでしょう?」

 温かな体温は人である証拠だ。


 【夜の精】―――――こちらに来てから、幾度となくその言葉を耳にした。

 シーリスのところで読んだお伽噺には、【夜の精】のお話が幾つかあった。

 【夜の精】とは、その名前の通り、【夜を司る精霊】で、【風の王】の娘という設定だった。

 その姿は、闇を写したような長い黒髪と夜空の星の煌めきを閉じ込めたような黒い瞳をしている美しい女性ということだった。

 この国では、【夜の精】のお話は、老若男女問わず人気があると聞いた。

 だが、その内容は悲恋だった。



 遠い遙か昔、人がまだ精霊たちと交わりのあった時代の話だ。

 自由気ままな【夜の精】は、その日もいつもと同じように気の向くままに夜の帳が降りた優しい闇の世界をたゆたっていた。そして、いつの間にか、精霊たちが暮らす森の境界線を越えて、人が暮らす宮殿の方まで迷い込んでしまったのだ。

 そこで、一人の人間の男に出会った。眠れずにまんじりともしない夜に、気を紛らわす為に夜風にあたろうと庭先に出て来た、まだ年若い男だった。

 男は初めて目にしたこの世のものとも思えぬ美しい女性に心を奪われた。【夜の精】である女の方もその心根の綺麗な人間の男に惹かれた。

 二人が恋に落ちるのに時間は掛からなかった。やがて、二人は種族を越えて愛し合うようになった。

 二人が会うのは、いつも真夜中の最初に二人が出会った庭先だった。

 しかし、幸せな時間は長くは続かなかった。

 宮殿に仕える騎士であった男は、とある事件に巻き込まれた。その時に窮地に陥った男を守る為に【夜の精】である女は、自らの命を犠牲にしたのだ。

 猛毒の塗られた矢が女の心臓を貫き、崩れ落ちた女は、愛する男の腕の中で、吹きすさぶ風に煽られながら散り行く砂埃のように跡形もなく消えたのだった。

 愛する男の命を救えたことに薄らと満足そうな綺麗な笑みを刷いて。

 愛する人を無くした男は、嘆き悲しんだ。だが、男の哀しみを宥めるかのように一陣の優しい風が吹き、男の手の中に小さな黒い石の付いたペンダントを残して行った。

 それは、いつも女の胸元にひっそりと光を放っていたものだった。

 男はそれを女の形見として肌身離さず身につけ、その後、生涯、妻を娶らずに独身を貫いたのだという。


 細々とした違いはあれど、それが大体の話の筋だった。

 なんとも悲しい結末だが、種族を超えて惹かれ合った男女の互いを思いやる強い愛情を感じるお話だった。

 その影響からか、この国の人々は、黒い髪と黒い瞳を持つ人物を見ると、真っ先に【夜の精】を思い浮かべるらしかった。

 偶々なのだろうが、自分としては、そのような類稀な美貌を持つ訳でも、お話にあるような儚い存在でもないので、揶揄されたり比べられたりするのは非常に複雑だった。


「じゃあ、あなたは【夜の精】じゃないのね?」

「そうだよ」

 この少女も同じ反応をしたようだ。

 目の前で屈んだ幼い少女に、リョウは穏やかに微笑んで見せた。

「なんだ、つまらないわ! せっかく大発見かと思ったのに」

 少女は当たりが外れて、がっかりしたように声を尖らせたが、

「でも初めて見たわ。髪も瞳も黒い人なんて。本当に、お話みたいに綺麗なのね」

 次の瞬間には、半ば、夢見心地でうっとりとしたような息を吐いていた。

 その変わり身の素早さはともかく、その表情に、この少女はまだ小さくとも、れっきとした女性であることを感じて、リョウは少し可笑しくなった。

「ねぇ、でも、こんなところで何をしているの?」

 興味津々というように身を乗り出して来た少女に、リョウは少し気まずそうに微笑んだ。

 ちょいちょいと指でもっと傍に来るように促して、近づいてきた小さな耳元に囁いた。

「実はね。迷子になっちゃったみたいなんだ」

 自らの失態をとっておきの秘密のように打ち明ければ、

「まあ! それで、こんなところに?」

 少女の目が大げさに見開かれた。

 その大きな反応(リアクション)にリョウは苦笑を返した。

「沢山、歩いたら疲れちゃって、ちょうどいいところに気持ちよさそうな木陰があったものだから、ちょっと一休みしていたんだ」

「まあ、そうなの」

 本当のことを明かせば、少女は大きな空色の澄んだ目を更に見開いた後、可笑しそうに笑った。

「大きいお兄ちゃんでも迷子になるのね」

 コロコロと鈴が鳴るように笑われて、リョウは、些かばつが悪そうに視線を逸らすと頬の辺りを掻いた。

 それを見て、少女が勝ち誇ったような得意げな声を上げた。

「ねぇ、お兄ちゃんはどこに行きたかったの?」

 ぴょんと勢いよく少女が立ち上がれば、大きな白いリボンの付いた二つに結わえられた髪が同じように跳ねた。

 リョウもゆっくりと立ち上がるとズボンと外套の裾に付いた埃を軽く払った。

 リョウは少し考えるように首を傾げた。

 この幼い少女に行き先を尋ねてもいいだろうか。

 まぁ、せっかく見つけた最初の【人】であるし、駄目元で口を開くことにした。

 リョウは、腰を屈めると可愛らしい天真爛漫な少女に目線を合わせた。

「【アルセナール】って場所なんだけど、どこにあるか分かるかな?」

「【アルセナール】? 軍の詰所の?」

 名前は知っているようだ。

「そうだよ。兵隊さんが沢山いる場所かな」

 だが、その場所が分かるだろうか。

 少女は少し考える風に指を小さな口元に当てた。そして、思い付いたというように突然大声を上げた。

「あ! スヴェータなら、知ってるかもしれない」

「スヴェータ?」

「そう。こっち、こっち」

 それから、俄然張り切り出した少女に手を引かれて、リョウはぐいぐいと力強く引っ張る小さな身体とそれに合わせてぴょこぴょこと揺れる髪の毛を微笑ましい気分で眺めながら、中庭の中を歩いたのだった。


 少女の足取りは軽く、迷いがない。

 やがて、綺麗に煉瓦で舗装された細い小道が現れた。

「ねぇ、お嬢さん、今、どこに向かっているの?」

 念の為、行き先を尋ねてみた。

「スヴェータがいるところ!」

 にこやかに少女が答える。

 スヴェータとは人の名前だろうか。

 やがて、大きな白い石壁の建物が見えてきた。柔らかなクリーム色で彩色が施されている。

「あ、ほら、あそこよ!」

 甲高い声が、辺りに自慢気に響いた。

 すると、前方から、何やら血相を変えた人物が走り寄ってきた。

 リョウは、幼い少女以外の大人が現れたことに安堵の息を吐いたのだったが、すぐに、それを後悔することになった。


 走り寄ってきた人物は、兵士の格好をした女性だった。ズボンを穿き、同じ隊服の詰襟を着込んではいるが、その人物の豊満な肉体は女性特有のなだらかな曲線を綺麗に描いていた。話に聞く女性兵士のようだ。長く伸ばした癖の無い薄茶色の髪を高く結っていた。

 その兵士は、小さな少女に手を引かれた見慣れない人物を見て、いきなり抜刀すると、リョウの目の前に剣先を突き付けた。

「貴様、こんなところで何をしている?」

 鋭い声音で問われて、リョウは突然のことに硬直した。

 ひょっとして、普通の人間が立ち入ってはいけない禁域に入ってしまったのだろうか。

 その予想を肯定するように、女性兵士が言葉を継いだ。

「この場所は限られた者以外立ち入りを禁じられている場所だ。貴様のような小僧が、どうやって中に入ったのだ?」

 声を荒げる訳ではないが、低く詰問された。それは、その兵士の鋭角(シャープ)な顔立ちとも相まってか、とても迫力があった。

 どうやってと言われても、普通に彷徨っていたら何故かあの場所に出てしまったのだ。それは、リョウの方が聞きたいぐらいだった。が、ぼやくのはぐっと堪えた。

「スヴェータ!」

 いきなりの展開に手を引いていた少女が目を丸くして、リョウの足元にかじりついていた。

 リョウはそれを見て、そっと少女の肩に手を置いた。

「すみません。剣をお納めいただけませんか。オレだけならともかく、このような幼い子供の前ですから」

 ――――――抵抗はしませんし、ちゃんと理由も話しますから。どうかお願いします。

 出来るだけ冷静に相手に告げれば、兵士はリョウの腰に噛り付いている幼い少女に視線を移した。

「エクラータ様、何をなさっているのです。こちらへいらしてください!」

 女性兵士はリョウに張りついている少女に離れるように諭した。

 どうやら、この幼い少女は、兵士にとっては主筋に当たる身分の高い存在のようだ。

「スヴェータ! 違うの! このお兄ちゃんは迷子なの!」

 そして、どうやら、この女性兵士が、少女の当てにしていた大人であるらしいことがその呼び名から分かった。

 ぴたりと剣先をこちらに掲げたまま、少女の言葉を耳にして、その兵士は余計に眦を吊り上げた。

 美人に凄まれるというのは、実に恐ろしいものだ。

「小僧、つくならもっとましな嘘にすべきだな。何が目的だ。何をしにここに入った?」

 相変わらず剣呑な様子に、リョウは外套のポケットを探ると中からこの場所に来ることになった原因を差し出した。

「エクラータ様、何をしておいでです? 早くこちらに」

 その隙に兵士が少女を自分の元に来るように告げるが、少女はリョウの腰に腕を回したまま離れなかった。

「あの、信じていただきたいのですが、【アルセナール】へ行く途中に道に迷ってしまいまして、気が付いたら、あの中庭のような場所に迷い込んでいたのです。こちらに入ったときの許可証はこれです」

 信じてもらえるかは分からなかったが、少しでも相手の不信感が払拭されるようにと、ユルスナールから渡されたカードを差し出せば、兵士の女性は、ついと手を伸ばしてカードをひったくるとその内容をじっくりと吟味するように改めた。

 そして、不審そうに、リョウを見た。

「この許可証は本物のようだな。紛れもない刻印がある。だが、あの西門から【アルセナール】へ行くのにどうしてこんなところまで来るのだ?」

 それは、こちらが聞きたいくらいだった。

 リョウは途方に暮れたように眉根を下げて、肩を竦めて見せた。

 こうなれば恥も外聞もあったものではなかった。このままでは捕まりかねない。下手をしたら不審者として牢屋に入れられるかもしれないのだ。そんなことをしてユルスナールたちに迷惑を掛ける訳にはいかなかった。

 リョウは極力、穏やかに言葉を継いだ。

「あの、ですね。門を潜ったのはいいのですが、元々、【アルセナール】の場所を知らなかったんです。今朝、突然、このように上司より呼び出しを受けまして、中に入れば分かるかと思ったのですが、それが浅はかであったようです。道を尋ねようにも、他に人が見当たらなくて、彷徨い歩いていたら何故かあの場所に辿り着きまして、長い道のりを歩いて疲れたものですから、少し一休みをしていたんです」

 そして、その場所で、この少女に出会ったことを告げた。

「そうなの。お兄ちゃん、あの大きな木の根元で眠ってたのよ。【夜の精】みたいに。お兄ちゃんの周り、きらきらだったの。色々な光がこう沢山飛んでいて」

 リョウの話の内容を肯定するように、少女が両手を開いてその時の様子を語った。

 小さな女の子の必死な説明にリョウは心を和ませたのだが、それは相手である女兵士にも同じであったようだ。

 相変わらず、ぴったりとリョウの傍を離れない少女の様子に、内心の苛立ちを上手く隠しているようだったが、取り敢えず、剥き出しにしていた剣を鞘に納めてくれた。

「ありがとうございます」

 ほっとしてお礼を述べれば、兵士は、苦いものを飲み込んだような複雑な顔をして見せた。

「全く、それが事実であれば、随分と間抜けな話だな、小僧」

 辛辣な言葉を吐かれた。だが、それは事実であるのでリョウは神妙な顔をした。

「すみません。ご迷惑をお掛けいたしました」

「今回は、その必死なエクラータ様に免じて、許してやろう。だが、同じ手は二度と通用すると思うな」

「申し訳ございません。以後、気を付けます」

 軟化した兵士の空気に、傍にいた少女が肩の力を抜いたのが分かった。

 もしかしなくとも、こんな小さな女の子に、随分なことをさせてしまったようだ。

 リョウは、その場で膝を着くと、少女を少し見上げる形になった。

「ありがとう。エクラータ、助かったよ」

 謝意を述べて微笑めば、目の前の女兵士が、またもやいきり立った。

「この痴れ者が。貴様、エクラータ様を呼び捨てにするなど、言語道断。今すぐ、ここで切り捨ててやろうか」

 低く一喝されて、リョウは内心、しまったと思った。

 この幼い少女は、どうも身分ある高貴な方らしいのだ。身分社会というものは、かくもややこしい。

 どう見ても一般庶民(おまけに不審者だ)であるリョウは、慌てて、呼び名と言葉使いを改めた。

「ありがとうございました。エクラータ様」

 そう口にすれば、少女はあからさまに嫌そうな顔をした。

「お兄ちゃんは、別にいいのよ? そんなに畏まらなくて」

「エクラータ様、そういう訳には参りません。下々の者に示しがつかなくなります」

 少女を窘めるように女兵士は告げると、きびきびとした動作で、こちらに近寄って来た。

「さ、エクラータ様、先程から、御母上がお待ちかねです。参りましょう」

 女兵士は少女の手を取った。

 リョウはそれを見て、そっと脇へ退いた。

「お兄ちゃんは、どうするの?」

 心配そうにこちらを振り返った少女に、これ以上心配を掛ける訳にはいかなかったので、リョウは案じることはないと最大限の笑みを浮かべていた。

「この者は、そこの衛兵にでも引き渡しましょう」

 警戒を解かずに切り捨てた女兵士の迫力にたじろいだが、見知らぬ、如何にも怪しい風体の人物が現れたら、主を守る兵士としてはそのような態度を取って然るべきものだろうと思い、リョウは自分を慰めることにした。

 女兵士が指し示した方向に、同じように帯剣した屈強な兵士の姿が目に映り、リョウは内心、恐々としたが、どうやら天はリョウを見放さなかったようだ。


『その必要はあるまい』

 不意に割り込んできた艶のある声に、リョウは顔を上げた。

「ティティー!」

 少女が軽やかな声を上げた。

 声がした方向に顔を向ければ、そこには煉瓦敷きの小道をゆったりとした足取りで歩いてくる四足の獣の姿があった。全身を光沢のある濃い灰色の体毛が覆う。鋭い牙が、二本、口の端に覗いている小型の獣だった。しなやかな体つきは、まるで豹のようだ。

『我が案内しよう』

 その獣は、リョウの前まで来るとうっそりと目を細めた。

 リョウはその場で膝を突いた。

「我が名はリョウ。貴公の申し出、感謝する」

 謝意を述べれば、その獣は、鷹揚に頷いた。

『我はティーダ、好きに呼ぶがよい』

「ありがとう、ティーダ」

 リョウが微笑めば、その獣は、ひょいと軽い身のこなしでリョウの肩に乗り上げると、その首に襟巻のように巻き付いた。

 ずっしりとした温かい重みに、リョウは平衡感覚(バランス)を合わせるようにして立ち上がった。

 伝令の鷹たちと違って若干重かったが、この際、文句など言える訳が無かった。

「ティティー?」

 女兵士が、肩に乗った獣に訝しげな視線を送った。

『スヴェータ、この者は我が送る。異存はあるまい?』

「それは構わないが………」

 若干の躊躇いを見せた女兵士に、

『なに。少しでも怪しい素振りを見せおったら、このティーダ、この者の喉笛を噛み切ってやるわ』

 そう言って、残忍な笑みを浮かべて御自慢の牙を剥き出しにした獣に、女兵士は、渋々と頷いたのだった。

「分かった。お前がそこまで言うのならば、頼んだぞ」

 リョウは不穏な会話にぎょっとしたが、その動揺を極力表に出さないように気を付けた。

 そうこうするうちに、獣と女兵士の間で話が付き、兵士は少女を連れて、建物の方へ戻ろうと踵を返した。

 すると、ぱっと手を放した少女が再び、リョウの元に走り寄って来た。

「エクラータ様!」

 女兵士が鋭い叱責の声を上げていた。

「お兄ちゃん、あのね」

 そう言って手で口元を覆い、内緒話をするように顔を上げた少女に、リョウも再び腰を屈めた。

 ―――――――今度会った時は、エクリーって呼んでいいからね。

 それだけ言うと元気一杯に走り去っていった。

 リョウは、その大きな白いリボンの揺れる小さな背中を何とも言えない微笑ましい気分で見送ったのだった。

『では、参ろうか』

「ああ、お願いするよ」



 その後、肩ではどうも収まりが悪かったので、リョウは小さな獣を前に抱えながら、歩くことにした。 柔らかな毛並みは艶があり、手触りは抜群だった。

『先程は失礼した。長の【魂響(タマユラ)】よ』

 案内されて、【アルセナール】に向かう途中、腕の中でティーダが不意に言葉を発した。

「なにが?」

 リョウはのんびりと石畳の上を歩きながら、鷹揚に返していた。

『そなたの喉笛を噛み切るなど、無礼にも程があろうに』

「ハハ、そんなことか。それは気にしてないよ」

 そうでもしないとあの場で、あの兵士は納得しなかったであろう。

『ふむ、それにしても【アルセナール】に行くのに、とんだ所に迷い込んだものよ』

 ティーダが呆れるように、実際に歩いてみれば、リョウが迷い込んだ場所は、目指すべき【アルセナール】とは真逆の方向だったのだ。

 リョウは、心底ばつが悪そうに苦笑いした。

「面目次第もございません」

『ハハハ、なれど、そのお陰でそなたに会うたわ』

 小さな獣はリョウの腕の中で気持ち良さそうに揺られていた。

「ねぇ、ティーダ。『長の【魂響(タマユラ)】』って、セレブロの加護を持っているってことだよね?」

 リョウは、この間から気になっていた言葉を再び耳にして、思いきって聞いてみることにした。

『なんだ、おぬし、そのようなことも知らぬのか?』

 腕の中で気持ち良さそうにまどろんでいたティーダが、つとこちらを見るとあからさまに呆れたような顔をして見せた。

 リョウはそれに曖昧に微笑んだ。

 【プラミィーシュレ】から戻った時に、気になってセレブロに聞いてみたことがあった。その時、セレブロは、一般的に力ある獣から加護を貰い、その印が現れた人間のことを人の間ではそう呼ぶようだと語ったのだが、セレブロ自身、その呼称には余り馴染みがないようだった。

 その事を説明すれば、ティーダは少し瞑目した。

 そして、訥々と語り始めた。


 ティーダの話によれば、太古の力を持った悠久の時を刻む獣(その最たる存在が【ヴォルグ】である)と交わり、その力を体内に同調させた人間を【魂響(タマユラ)】と称するとのことだった。これは勿論、人から見た場合の呼び名だ。

 加護をもらった人間は、その獣と強い結びつきを保持し、互いに助け合い、補完する関係にあると考えられていた。加護を受けた人間は、その証として身体のどこかに加護を授けた相手の名前が紋様のように肌に浮き出るという。実際に加護がそれを受けた人側にどのような作用を及ぼすのかについては、具体例が余り伝わっておらず、よく分かっていないとのことだった。要するに、そういう事例が限られた神殿の神官たちや術師たちの間に知識として伝わっているに過ぎないとのことだった。

 ティーダも【魂響(タマユラ)】となった人間を間近に見るのは初めてのことらしい。

 因みに【魂響】になった人には、その身に加護を与えた獣(リョウの場合はセレブロだ)の気が薄らと膜のように現れる為、人とは違う鋭い感覚を持つ獣たちには分かるのだという。


 そんなこんなでティーダの講釈に耳を傾けながら歩いていると、前方に一際、荘厳な建物が見えてきた。薄い空色に灰色を混ぜたような彩色をされた石壁とその周りを囲む白い縁が視界に入った。

 軍部の拠点であるから質実剛健で実用性重視の質素な外観かと思いきや、【スタリーツァ】特有の貴族仕様なのか、それは優美で洗練された印象を与える建物だった。


『ああ、見えてきたぞ』

 ティーダはリョウの腕の中からするりと抜け出ると颯爽と前を歩いた。身のこなしは随分と軽やかだ。

 入り口の少し手前で、ティーダは足を止めた。

 リョウはその場で膝を着くと案内をしてくれたティーダに感謝の意を表した。

 頭を撫で、顎の下を擽るようにすれば、気持ちよさそうに目を細め、喉を鳴らした。

「ありがとう。ティーダ。助かったよ」

『なに、これしきのこと。リョウと言ったな。また会おうぞ』

「うん。エクラータによろしく伝えてくれるかな。それからスヴェータさんにも」

『ああ、伝えておこう』

「ありがとう」

 そして、瞬く間に灰色の艶やかな毛並みを持つ豹のような風貌の小柄な獣は、石壁の立ち並ぶ建物の合間に消えたのだった。


受難続きの主人公。ユルスナールに会う為には、まだまだ突破しなければならない関門があるようです。

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