ささやかな決意
暫くして、落ち着きを取り戻したのか、リョウがそっと顔を上げた。
「すみません。ご迷惑をお掛けして」
照れ臭さ混じりの、ばつの悪そうな顔をして眉尻を下げた。
「気にするな。こんな胸でよければ、幾らでも貸す」
相手の上着を涙で濡らしてしまったことを申し訳なく思ったらしいリョウに、ユルスナールは小さく微笑んで見せた。心配はいらないと優しくその背中を叩く。
リョウは、人前で泣き顔を曝すことになって、顔から火が出る思いだった。穴があったら入りたい。そんな居たたまれなさだ。
こんな筈ではなかったのだ。哀しみはとうに乗り越えたと思っていた。
ガルーシャが旅立った時も涙が出ることは無かったのだから。
それなのに。
ガルーシャが亡くなってから二カ月、この世界で初めて流した涙だった。
ユルスナールの姿が、何故かガルーシャのそれと重なった。二人は全く違う姿形をしているし、声だって違う。
それなのに。
ユルスナールの口から出た言葉は、ガルーシャを想起させるには十分だったから。その瞳の奥には、似たような優しさが滲んでいたから。
醸し出す空気の類似に、これまで燻っていたものが引きずられたのかもしれない。そう思った。
少し、すっきりとした気分で身体を離すとセレブロが案じるように寄り添ってきた。
その逞しい首に手を回して、小さく感謝の言葉を口にする。
「ありがと、もう大丈夫だ」
セレブロは、こうなることを予想していたのかも知れない。
「なんだか、みっともない所を見せました。すみません」
笑って誤魔化すように顔を上げる。涙の痕が若干残るものの、その表情は一転、穏やかなものだった。
そうして息をゆっくり吐いて呼吸を整えると、姿勢を正し、徐に頭を下げた。
「これで一つ、オレのお遣いは終わりました。そして、もう一つ」
そう言うと、リョウは腰に差してあった短剣を手に取った。
そして、迷いのない所作で左に束ねていた髪を手にすると根元の部分に刃を当て、一息に引いた。
「リョウ!!」
「あ、おい」
サクリ。
そんな軽い摩擦音が静まり返った室内に響いた。
止める間も、口を挿む間も無かった。
余りに予想外の出来事に、皆、その場で硬直した。
だが、当の本人は至って冷静で、その口元には微笑みすら浮かべていた。
「愛する人に先立たれた時、この国では髪を一房、共に埋葬する慣習があると聞いています」
そう、静かに切り出した。
「オレの祖国では、遠い昔、まだ戦があった頃のことですが、討ち死にした兵の髪をその証として弔いの為に持ち帰るという習わしがありました。そして残された武人の妻は、夫が死ぬとその髪を切り、俗世を離れました。こちらで言うと神殿に仕えるような感じですね」
初めてそのことを耳にした時、思い浮かべたのはそんな昔の光景だった。
そして、リョウは胸元のボタンを一つ開け、首に垂らした革製の紐に付いた小さな袋を引っ張り出すと、中から豆粒程の丸みを帯びた黒い塊を摘み出した。
「これはガルーシャが旅立った日、その花畑で見つけたものです」
ガルーシャが消えた跡地には、小さな空間が開いていて、そこにこの種らしき塊が落ちていたのだ。
まるでガルーシャがこの種に変わってしまったのではと思えるようなタイミングだった。
いくらなんでもそれを信じる積もりはなかったが、旅立ちと共に生まれたと思われる命の源に、リョウは何か不思議な縁を感じた。
「この種を埋めようと思っています。この髪と一緒に」
リョウは団長であるユルスナールへ向き直った。
「もしよろしければ、この砦の敷地内に植えたいと思うのですが、許可を頂けますか?」
この砦は小高い山の斜面にあり、その頂上まで行けば、遥か遠く、街道に沿って点在する村々に始まり、大小様々な街が薄らとだが見渡せた。あの街道を真っ直ぐ行けば、その昔、ガルーシャが暮らしていたというこの国の中心、王都に辿りつくのだろう。
そして視線を反対方向に転じれば、リョウがガルーシャと暮らしていた森の裾野が広がっている。
この国を一望出来る場所。それは、ガルーシャの立ち位置とよく似ている気がした。
ここからこの世界の行く末を見守って欲しい。そんな想いがあった。
リョウの申し出にユルスナールは口元を緩めた。
「土地は幾らでもある。好きなところに植えればいい」
「ありがとうございます」
手にした種を握りしめるとリョウは丁寧に頭を下げた。