表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Messenger ~伝令の足跡~  作者: kagonosuke
第四章:王都スタリーツァ
129/232

アルセナール 1)

 

 その日、やや緊張した面持ちの人物が、王都の中心である宮殿の辺縁に沿って足早に歩いていた。

 黒に近い深緑色の外套の襟を立てたすぐ上には、癖の無い黒髪が馬の尻尾のように歩く速度に合わせて揺れていた。背中には、使い古して飴色になった革の鞄がぴったりと張り付いていた。よく見れば、その表面には細かい傷が沢山付いていて、随分と年季の入ったものであることが分かる。

 その人物が歩く度に、石畳の上を焦げ茶色の長靴の底が、音を立てて鳴った。そこから伸びるのは、着古してよく身体に馴染んだ生成り(ベージュ)色のズボンを穿いた脚だった。

 風が吹いて、膝上辺りまで丈のある外套の裾をはためかせれば、その者が腰に下げた短剣の鞘と右の太ももに巻いた短剣のベルトがちらりと覗いた。



 その日、リョウはこの国の軍部の詰所、通称【アルセナール】と呼ばれている建物に向かっていた。

 養成所の講義は午前中で終わりの日だった。

 【アルセナール】は、その言葉の元々の意味である【武器庫】という名の通り、かつてこの場所に王宮の兵士たちが使用する武具や武器の類を保管した倉庫があった故事に因んで付けられた呼び名であった。

 【アルセナール】は宮殿から見て東の外環部に位置する術師養成所とは、ちょうど真逆の場所に位置していた。


 今朝、ユルスナールから伝令に仕立て上げられた隼が飛んできて、その足に付いていた筒の中を開けてみれば、中には用件の書かれたユルスナール直筆のカードと軍部の兵士たちが身分証明として利用する腕章が入っていた。

 どうやら、この腕章を腕に付けて【アルセナール】にいるユルスナールの元に来いということらしかった。門の所で腕章を見せ、所属を告げて(もしかしなくとも、第七師団管轄の『見習いの鷹匠』辺りの振りをしろということだ)、このカードを通行許可証代わりに提示すれば、中に入れてもらえるということだった。

 またまた無茶なことを考えたものだ。

 忙しい身のユルスナールのことを考えれば、まだ時間的に余裕があって身軽な自分が動いた方が早いということなのだろうが、見知らぬ場所を訪ねる(それが軍部である)というのは、かなり緊張を強いられるに違いなかった。

 リョウ自身、昨日の今日でユルスナールに会えることは、純粋に嬉しかった。だが、晴れて男の元に辿り着く迄には、越えなくてはならない関門が幾つもあったのだ。


 リョウの外套の左腕、上腕部には第七師団所属を意味する紋章の入った青い腕章が巻かれていた。俄か見習い兵士の真似をする為に普段は身に付けていない短剣も二本装着した。外見だけを見るならば、兵士としては線が細過ぎるのは否めないが、まぁ、及第点というところだろう。

 そして、思いの外、長い道のりを歩いて、漸く【アルセナール】に通じる通用門の前に立った。

 案の定、門に歩哨として立つ武装した物々しい出で立ちの兵士に行く先を誰何(すいか)された。

「小僧、何の用だ?」

 長い槍の先を向けられて発せられた鋭い声にリョウは唾を飲み込んだ。

「ハッ、自分は第七師団に所属する鷹匠見習いであります。この度、此方に滞在しております我が第七師団・団長にお目通りを願いたく参上つかまつりました。許可証は、ここにございます」

 きびきびとしたそれらしい所作で、今朝方ユルスナールから渡されたカードを手渡せば、門番の兵士はその中身を確かめた後、慇懃に敬礼を返した。

「いかにも。これは直筆の呼び出し状だな。通行を許可する」

 立場上、重々しく返された言葉に、

「ハッ、恐れ入ります」

 リョウも神妙な顔付きで敬礼を返したのだった。


 そうして、第一関門はどうにか突破したものの、門の中に入ってから暫くして、リョウは途方に暮れる羽目になってしまった。

 目指すべき【アルセナール】の場所が、どの建物なのか分からなくなってしまったのだ。

 見習い兵士として中に入った手前、もう一度、門の所に戻って【アルセナール】の所在地を尋ねる訳にもいかなかった。中に入れば分かるかと思ったのだが、塀の内側は皆、同じような石造りの重厚な建物が隙間なく並んでいて、どれがどれだか見分けがつかなかった。

 見取り図のようなものや、ましてや看板などがあるわけでもない。人に尋ねようにも、時間帯の所為か、場所柄かは知らないが、人っ子一人、歩いている様子は見受けられなかった。

 ―――――――仕方ない。

 これでは、恥をかくのを覚悟の上で、当たりをつけた建物の中に入り、そこにいた人に場所を尋ねるしかないだろう。

 そう考えたリョウは、目についた建物の入り口を目指して歩いていたのだが、一体、どこをどうしたものか、気が付いたら、中庭のような庭園らしき場所に迷い込んでしまっていた。

 別段、方向音痴という訳ではなかったのだが、不思議な気分になり、内心、途方に暮れた。

 恐るべし、王都・スタリーツァ。

 やはりこの国を担う中心都市であるが故に、何もかも規模(スケール)が違った。完全にお上りさん状態である。

 こうなったら、人が見つかるまで根気良く探すしかないだろう。人でなくとも、ここの地理に詳しい獣でもいいのだ。

 だが、長い距離を歩いた所為か(この場所は建物と建物の間が見た目以上に距離があった。あれだ。目指すべき場所は見えるのに中々辿り着かないという視覚の錯覚(マジック)である)、少し疲れたので、ついでに休憩を取ることにした。

 折よく目の前には緑豊かな綺麗な景色がある。


 リョウは綺麗に手入れの行き届いた庭園の中に足を踏み入れると、一際、大きな木が枝葉を伸ばし木陰を作っている場所まで歩き、その根元に腰を下ろした。

 長い距離を歩いた所為か、身体が汗ばんで火照っていた。

 冬場といえども、日中は日差しが出ればかなり暖かかった。その分、日が落ちれば、寒暖の差はかなりなものだが。

 基本的にこの国は四季を通じて温暖な気候に属していた。精々が霙混じりの雨で、雪とは無縁だ。かつては当たり前であった冬場特有の凍てつくような寒さを懐かしく思わないでもない。


 さやさやと気持ちの良い風が吹いていた。火照った頬の熱を冷ましてくれる。

 リョウは大木に寄り掛かると上空を見上げた。

 潔く伸びた枝には、びっしりと葉が生い茂っていた。そこから入り込む木漏れ日は、折り重なった影の中を夜空の星のようにきらきらと輝いて見えた。

 そっと目を閉じる。木の梢が風に揺れる。深く張った根が地中から水を吸い上げ、太い幹を通り、末端の枝葉にまで到達する情景が目裏に浮かんだ。


 ――――――そういえば。

 リョウは不意に、初めてこの王都【スタリーツァ】にやってきた日のことを思い出していた。

 以前、【プラミィーシュレ】までの長旅をした時は、途中までセレブロの背に揺られ、残りの行程を徒歩で(途中、親切な老人の荷馬車に乗せてもらったが)辿り着いたわけだが、今回は、同じくセレブロと王都入りしたのだが、その方法は、かなり掟破りのような感じだった。

 この場所に来てからというものの、以前の常識からは想像が付かないような途方もないことを幾度となく経験してきたが、今回の王都入りはその最たるものだったと思う。

 セレブロと共にいると人知では計り知れない不可思議な現象が起こった。

 【プラミィーシュレ】までは旅慣れた男の足で五日だ。王都【スタリーツァ】は、街道沿いにそこからもう三日は優に掛かった。なので普通に考えれば、リョウが暮らす森の小屋から王都までは、どう少なく見積もっても、【デェシャータク(10日)】は掛かる算段だった。

 それが、実際に掛かった時間は、ほんの数刻という短い時間で済んでしまったのだった。


 出立の準備を終えたリョウがセレブロに伴われてやってきたのは、街道があるスフミ村へと続く方角ではなく、なんと森の中だった。それも、いつも狼たちと薬草採りをするような辺縁ではなく、深い森の深部だった。

 鬱蒼と木々が生い茂る深い森をセレブロと共に黙々と歩いた。

 セレブロにどこへ行くのかと尋ねても、『付いてくれば分かる』と鷹揚に笑うばかりで、リョウは大いに首を傾げたのである。

 段々と奥に進むにつれ、周囲の空気が変わってきたのが肌で感じられた。何というか、神聖で荘厳な冒しがたい清冽な空気が、その場所には満ちていた。

 リョウは身の竦む思いを味わった。と同時に、身体中の神経が研ぎ澄まされ、心地よい緊張感が張り巡らされてゆく。不思議な感覚だった。

『そろそろだな』

 ぽつりと呟いたセレブロの声に前を向けば、眼前には驚く程の大きな巨木が聳え立っていた。

 太い幹。腕を伸ばした人が十人いてやっと周囲を囲む事が出来そうな程の想像を絶する大きさの巨木が、そこにはあった。

 リョウは言葉を失った。惚けたようにその巨木を見上げた。

『ここは、この森の中心だ』

 立ち竦んだリョウの隣で、セレブロが白く輝く毛並みから伸びる長い尻尾を揺らしながら、静かに言葉を紡いだ。

『この木は、この大地が生まれてからこの方、変わらずにずっとここにある』

 この場所が【太古の森】と呼ばれる理由が、目の前にあった。

 神々しいまでの巨木。圧倒的な力強さと生命力に満ち満ちていた。

「これが………………」

 リョウはそれ以上、言葉が出なかった。

『行くぞ』

 ―――――――どこへ?

 セレブロの掛け声に、リョウは内心、首を傾げたのだが、大人しく付いてゆくことにした。

 セレブロは幹の周りをゆっくりと歩き、とある場所で足を止めた。

『ここだ』

 そこには、大きな【うろ】が口を開けていた。人が二人は優に入ることの出来そうな大きな【うろ】だ。

『リョウ、行くぞ。付いて来い』

 気が付けば、セレブロはいつの間にか人の形を取っていて、リョウの手を掴むとしっかりと握りしめだ。

『途中、逸れてはかなわんからな』

 そう言って小さく笑うと、リョウを連れて、その大きく開いた【うろ】の中に飛び込んだのだった。

 驚く間もなかった。

 闇の中に入った瞬間、空間が歪むような何とも言えない気持ち悪さを感じた。目眩がしてきつく目を閉じた。すると、セレブロと繋いでいた手に力が込められた。

『大事ない。じきに着く』

 すぐ隣に馴染んだ温かさを感じながら、リョウは真っ暗闇の中、ただ黙々と足を動かし続けた。

『もうよいぞ』

 それから、どのくらい時間が経過したのかは分からない。感覚的には長かったように感じられたが、ほんの短い間であったのかもしれない。

 掛けられた声にそっと目を開ければ、目の前には森とは全く違う景色が広がっていた。

「え…………………」

 リョウは再び、言葉を失った。

 視界一杯に広がる景色は、自分が暮らす森の片隅ではなかった。

 周囲に木々はあるが、空気が違う。何よりも、生い茂る木々の向こうに白亜の城塞ともいうべき白い石壁の立派な建物が目に入った。四隅の支柱の上には装飾の施された実に特徴的な丸屋根が乗っていた。あのような建物は初めて目にする。

 リョウは、ぐるりと周囲を見回した。そして、自分の背後にある周りと比べると一際、大きな木の根元部分に大きな【うろ】があることに気が付いた。

「まさか…………」

 リョウは、信じられない面持ちで隣に立つセレブロを見上げた。

 虹色に輝く瞳は、リョウの予想を肯定するように愉快そうに細められていた。

「あの場所とここが繋がっているの? あの【うろ】を通じて?」

『左様』

 リョウの問いを肯定するようにセレブロが静かに頷いた。

『この大陸には、あの古代樹と通じる古の木が幾つか残っておる。それらは、【うろ】を通じて互いに空間が繋がっておるのだ。これは、我々、【ヴォルグ】に代々伝わる抜け道のようなものだ』

 セレブロの口から出たのは、想像を絶する説明だった。最早、理解を超えている。

「………そうだったんだ」

 頭の一部が痺れたように、呆けたような声しか出なかった。

『驚いたか?』

「驚いたなんてものじゃないよ。なんて言うか、夢を見ているみたいだ」

 リョウは、余りの衝撃に、狐に摘まれたような顔をしていた。

 理解が出来た訳ではない。だが、これは自らが体験した事実だった。それをただ頭とは違う感覚的なもので受け入れるしかなかった。

「……………ってことは、まさか、ここは、王都【スタリーツァ】だったりするの?」

 セレブロに王都に行くことになったと告げた時は、また長旅になることを案じたリョウに、王都までなど造作もないとセレブロは軽く鼻で笑ったのだが、その理由が今、分かった気がした。

 半信半疑で、素っ頓狂な声を上げたリョウに、

『左様、あれに見えるは、王都にある神殿だ。ここは、この街の中でも一番古い場所でな。森の古代樹と繋がる古木がある』

 瞬間移動ともいうべき、反則業的裏技にリョウは開いた口が塞がらなかった。

「………うわぁ」

 それは、また一つ、途轍もない秘密を抱えてしまったのではと思えた瞬間だった。

「でも、そんな抜け道にワタシを連れて良かったの?」

 他言する積りなど更々なかったが、自分にそんな大事な秘密を漏らしてしまっても良かったのだろうかと心配をすれば、

『何、普通の人間には無理な話だからな』

 セレブロが事も無げに冷たく笑った。

「どういうこと?」

『そなたのように我の加護を持たぬ者は、たとえ、あの【うろ】の中に入ったとて、身体が負荷に耐えられぬわ』

「え?………」

『あの中は、特殊な空間だ。導を持たぬ者には、瞬きの間も耐えられぬだろうて』

「………つまり?」

『早い話が、足を踏み入れたら最後、粉々に砕けるだろうて』

 余りの話にリョウは再び絶句したのだった。

 そうやって、リョウはかなりの旅程を省いたことになったのだ。



 あの時の衝撃は、まだこの身の中に燻る様にして残っていた。

 リョウは、そっとセレブロの加護が表れている胸元の紋様を服の上から手でなぞった。

 自分も何やら規格外な存在になっている気がした。

 いや、そもそも、界を跨いでこちら側に転げ落ちた時点で、すでにこの世界の道理からは外れているのか。

 改めて、そんなことを思い、なんだか可笑しくなった。

 そんなことを思い出していると、ふと、目の前を小さな淡い光が横切った。

 それを目で追う。

 よく見渡せば、木の周りを似たような色とりどりの淡い光がゆうらゆうらと漂っていること気が付いた。

 それは、ガルーシャの若木のところで目にした精霊たちと同じ光だった。

 赤、黄、紫、緑、青、白。ぼんやりと霞む虹の色。まるでセレブロの瞳のようだ。

 風と光と土と水と。この木に宿る精霊たちかもしれない。

 そっと手を差し出せば、指先に小さな黄色い光が止まった。よく目を凝らせば、赤い斑点のようなものが混じっている。

 それは昨日の鉱石、確か【アルマ】石と言ったか、色の出方は石とはあべこべだが(昨日の石は、薄い紅色に黄色の斑点が出ていた)、それを思い起こさせた。

 綺麗だ。触れた指先が、ほんのりと温かい。


 リョウは再び、そっと目を閉じた。

 吹きぬける風が心地良かった。それに合わせて時折、思い出したように、さわさわと梢を揺らす。

 とても静かだった。

 ここはあの塀の中だというのに。まるで、この場所だけがぽっかりと切り取られてしまったかのようだ。透明な目に見えない壁で隔てられたかのように。

 幻想的な光景の中に身を置いている。そんな気分だった。

 触発されるようにして思い出すのは、遥か遠い記憶の断片だ。闇の中に光る真夏の蛍。海に潜む夜光虫。小さな小さな淡い光だ。

 今は冬だというのに、何故か、思い描いたのは真逆の夏の光景ばかりだった。

 この木も、あの木のように相当古いものなのかもしれない。ふとそんなことを思った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ