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Messenger ~伝令の足跡~  作者: kagonosuke
第四章:王都スタリーツァ
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イオータの巣窟

今回は、術師のお話を少し。


 講義を終えてから講師に確認したいことがあったリョウは、他の生徒たちが質問を終えるのを教室の片隅で待っていた。

 最後の一人が終わってゆっくりと踵を返した線の細い背中に、廊下で声を掛けた。

「イオータ先生。あの、お聞きしたいことがあるのですが、お時間よろしいですか?」

 やや躊躇いがちに切り出せば、老齢の講師は、白いものが多く混じる長く伸びた眉を揺らして振り返った。

 そして、声を掛けてきた生徒の顔を視界に入れると、眦を下げて、目の端に数え切れないくらいの沢山の皺を刻んだ。

「おや、君も質問かね? ほうほうほう、今日はやけに多いの。どこぞ分かりにくい所でもあったじゃろうか」

 鷹揚に頷きながらも疎らになった顎髭をつるりと撫でた。

 リョウは小さく微笑んだ。

「いえ、分かりにくいところはありませんでした。個人的に少し気になった所がありまして、自分が正しく理解できているかどうかを確認したいのですが……」

 用件を端的に切り出せば、

「ふむ。まぁ、よい。君、この後、なんぞ予定はあるかね?」

 講師はついとほっそりした鉤鼻の鼻先をリョウに向けた。

「いえ、大丈夫です」

「ならば、ついてらっしゃい。儂はちと疲れたから、研究室でお茶を飲みながらにでもしよう」

 そう言って、大儀そうに骨ばって皺の寄った片手を軽く振った講師に、

「はい。お供いたします」

 リョウも静かに頷いていた。


 そうして案内された場所は、渡り廊下を渡ってすぐの一階の部屋だった。

 中は薄暗く、窓には大きな遮光用カーテンが下がっていた。隙間から辛うじて光が差し込むような按配だ。

 講師は薄暗がりの中、慣れた足取りですたすたと部屋の中に入っていったのだが、リョウはその入り口付近で足を止めると、その場に立ち竦んでしまった。

 というもの、目の前に広がる光景が、余りにも想像を絶するものだったからだ。

 ガルーシャの納戸以上に、その場所は色々なものがひしめく巣窟のようだった。

 雑然と並んだ棚には、至る所に厚みのある本やら標本と思しき資料やら、一体何に使うのか皆目見当もつかないような木材の切れ端や計測器具などが乱雑に置かれており、天井からは、なにやら模型のような物体が、部屋を横断するように目一杯に垂れ下がっていた。

 講師に与えられる部屋は、基本的に同じ作りで、皆、かなり広い筈なのだが、この場所はとても狭く感じられた。その前のレヌートの部屋と比べると雲泥の差だった。

 リョウは不意にガルーシャの書斎よりも、まず先に納戸の方を片付けなければならないだろうかと脈絡のないことを思った。この部屋の状態は、あの納戸を彷彿とさせたからである。単純な連想と言ってしまえばそれまでだ。ただ、ガラクタをやたらめったらに詰め込んでいたと思われていたあの納戸も、あれはあれでガルーシャなりに一定の秩序に基づいて分類されていたと聞かされた時は、仰天したものだった。 ガルーシャは何処に何があるかをきちんと把握していたのだ。ひょっとしたら、この部屋も、ここの主による常人には理解し難い一定の法則に則り全てが正しく配置されていて、主から見たら、十分片付いて見えているのかも知れない。


「ほれ、どうした? お前さんもお出でなさい」

 不可解な思考を打ち破るようにして掛けられた実に呑気な声に、リョウは我に返った。

「……あ、はい」

 リョウは、背中側に掛けていた鞄を前に持ってくると身体に張り付けるように抱えた。

 それを見て、講師が眉を跳ね上げた。

「なぁに、お前さんは細いから心配なかろうて」

 あちらこちらから飛び出しているものにうっかり引っ掛けないようにと神妙な顔をしつつ、細心の注意を払いながら中に足を踏み入れた。

 そして、漸く辛うじて空いた空間(先程、講師が積み上がっていた書籍類と外套のような上っ張りを除けていた)の長椅子に、勧められるままに腰を下ろした。

 おっかなびっくりのリョウの様子を見て、講師のイオータは可笑しそうに歯を見せて笑った。そうするとやけに発達した鋭い犬歯が片側だけ剥き出しになった。

 最後に、茶目っ気たっぷりの笑顔で一言。

「我が城、イオータの巣窟へようこそ」

 片手を広げて、芝居がかったように恭しく紹介されて、

「お邪魔いたします」

 リョウも返すように恐々と肩を竦めたまま小さく頷いたのだった。


「さてさて」

 そう言って、お茶の用意を始めたイオータを見て、リョウも手伝うことを申し出たのだが、『まぁ、座っていなさい』と手で制されて、浮き上げかけた腰を再び固い長椅子の上に下ろすことになった。

「最初くらいは、儂が記念に淹れよう。はっはっは、次からは大いに頼むよ」

 リョウは小柄な体躯の老人が、長い外套を引き摺りながら、狭い空間で恐ろしく器用にお茶を淹れる様を不思議な面持ちで眺めることになった。

 そして、差し出された小振りな【チャーシュカ(カップ)】を恭しく受け取った。

「頂きます」

「はい、どうぞ」

 あちらこちらに薄らと積る埃が、視界の隅に入ってはいたが、受け取った小さな【チャーシュカ(カップ)】の中のお茶は至って普通だった。

 いや、口を付けてみてびっくり、申し分ないくらいに旨かった。

「……美味しい……」

 意外だと言わんばかりに漏れてしまった言葉にイオータは、別段、顔を顰めるでもなく、その逆に嬉しそうに目を細めた。

「そうじゃろう、そうじゃろう。これはとっておきの茶でな。態々【トゥーラ】から取り寄せておるものじゃて」

 【トゥーラ】というのは、記憶が正しければ、この国の北東部に位置する町の名前だった。その場所がお茶の産地かどうかは、恥ずかしながら、リョウは分からなかった。

 イオータは、そう言って同じように一口啜ると、

「うむ、今日も旨いの」

 満足げに眦を細めたのだった。


 それから一息ついた所で、漸く本題に入ることとなった。

 リョウは、今日の講義の中で確認したい部分を挙げていった。

 イオータの専門は術師の観点から見た地質学の分野で、先程の授業は【鉱石処理】に重点を置いたものだった。その基本理念と方法論、そして実践の講義だった。


 この世界では、術師により加工をされた【鉱石】が広く日常生活に普及していた。

 浴室で水を出したり、井戸の水を汲みあげたりする為の【注水石】や【取水石】、それを温めたりする時に利用する【発熱・保温石】の類、そして、普段から一番、その恩恵を預かっていると言えるものは、何と言っても部屋の明かりである【発光石】だろう。それらは、石の特性を系統的に選り分けた後に術師が専門に加工を施したものだった。

 鍛冶職人たちが利用する【キコウ石】も術師が手を掛けたものだった。

 リョウが挙げたのは、【鉱石】を精製する際の術師と自然界との関わり方についての理解に関することだった。元となる石の塊、つまり、不純物を多く含んだ原石を術師がその力で精製をする過程とその処理方法のことだ。

 原石に手を翳し、内部の核となる成分を探し当て、凝縮させる。それは、石本来が持つ【気】の流れを感じ取り、己が内部の力を同調させることで働きかけるのだという。

 石本来が持つ【気】というのは、水や風や光、木々の緑や大地が持つ自然の力と同じで、石は大地の力が凝縮された変容体の一形態だとのことだった。


「儂らもこの石っころと同じじゃ」

 イオータは傍らにあった鉱石の一つを手にすると、それを掌の上に乗せた。

「水も光も土も木も、全てが同じ源で繋がっておる。人も、その中のごく小さな一部に過ぎん。儂らが働きかけるのは、自らが再び、その流れの中に還るということじゃ」

 人は、この大地に育まれ、内包された存在である。それが、この国の術師たちの間での基本となる捉え方だった。

 人は、その一生を終えた後、再び土に還る。それは、世界を違えても変わることのない真理であった。

 リョウの脳裏には、この春、あの満開の花畑の中で、散りゆく花弁と吹きすさぶ風に乗って、再び、大地へと還ったガルーシャの姿が浮かんでいた。そして、残された種は、再び地に根付き、あの泉のほとりで若々しい枝葉を伸ばしている。

 全てが巡り巡って、その循環の中に人の一生があるのだ。

 術師としての能力というのは、その大いなる流れの中から、ほんの少しだけ自然の力を借りる形で小さな流れを己の中に汲み取り、それを変化させるものであるという。変化には、個々人の資質と想いが強く反映される。使い手によって、それは薬にも毒にも成り得るということだった。


「気を感じるというのは、熱を感じたりするものなんですか?」

 水は触れれば、その感触が分かる。冷たい、柔らかい、温かい、固い。

 風は目を閉じれば、より感じることができる。優しい風、冷たい風、鋭い風。猛々しい風。

 土も光も木々も手で触れたりすれば、その気というものは、なんとなくだが理解出来た。ガルーシャの若木の下で垣間見た精霊たちの戯れを思い出す。

 だが、石に関して言えば、その辺りは、どうもよく分からなかった。冷たい、温かい、柔らかい、固い。それは全て触覚からくる認識だ。

 石は、とても静かだ。その総体が大地であり、山であるのだろう。


 リョウの質問に、イオータは静かに言葉を継いだ。

「感じ方というのは、人其々じゃよ。一概には言えんのう。人によっては、熱のように温かく感じるやもしれんし、逆に川の水の流れのようにひんやりと感じるやもしれん」

「先生は、どういう風に感じるのですか?」

 その問いに、イオータは、少し考えるように小首を傾げた。

「そうさなぁ、これは頭で理解するようなものではなし。感覚的なものであるからのう。言葉にするのは難しい」

 ―――――お前さんとて、例えば、獣の言葉を解する時に、どうやってとは考えんだろう? それと同じじゃ。

 確かに、言われてみればそうだった。

 以前、ユルスナールに『キッシャーの言葉が分かるのか』と尋ねられた時も、そのように聞こえるとしか言いようがなかった。あの感覚はどう考えても言葉にはし難い。

「そうですね」

 納得したように緩く息を吐いたリョウに、イオータは掌の中にあった小さな石を摘むとそれをリョウの手の中に乗せた。

「どうれ、お前さんもやってみるがよい」

 ―――――実際に試した方が早いによって。

「今日の課題ですか?」

「そうじゃな」

 今日は、課題として生徒一人一人に小さな石が配られていた。その中に潜む成分を探し当て、それを次の講義までに【精製】してくるようにとのことだった。その結果は、次回の講義の時に中を割って確かめてみようというものだった。

 リョウの鞄の中にも先程の講義の時に渡された石が入っていた。


「こちらを使っても?」

「ああ、構わんよ。材料はこの中に腐るほどあるからの」

 リョウは、イオータに言われた通りに、この場所で石の精製を手掛けてみることにした。

 掌に乗る石は、何の変哲もない灰色をした唯の固い塊だ。だが、講師であるイオータの目には、これは然るべき成分を含んだ原石なのだ。

 リョウは掌を重ね合わせると、そっと目を閉じた。意識を集中させ、指先の感覚を研ぎ澄ませる。そして、石の中に潜んでいるという【気】の流れを探った。

 深く静かに呼吸を合わせた。同調、共鳴、共振。

 掌を通じて伝わる映像(イメージ)は、紅。さらさらとした脆さ。

 頭の中に浮かんでくる取りとめのない文字と映像を一つに纏めて行く。細い糸を縒り合せて一本の糸を作り出すように。

 太陽(ソンツェ)の光。木漏れ日のような小さな光。その黄色い光の中に潜む熱の色。温かい。

 手繰り寄せる糸に反応をするように、掌の中にある石が、じんわりと熱を帯びてきたように思えた。


「……ほうほうほう。これは、また珍しい」

 小さな呟きに閉じていた目を開けば、合わさった掌の隙間から、微かに赤みを帯びた光が漏れていた。

「………温かい」

 それは、まるでその石そのものが生きているかのような温かさだった。

「どれ、もういいじゃろう」

 ―――――貸して御覧なさい。

 リョウは、静かに掌を開いた。

 そこにあったのは、手渡された時と変わらない灰色をした石の塊だった。

 だが、その石は、ほんのりとした熱を帯びていた。

 リョウは差し出されたイオータの手に、その石を置いた。

 イオータは、慣れた手付きで、棚の上から先が丸い小さな金槌のようなものを取り出した。

「さぁ、御開帳といこうかの」

 そう小さく微笑んで、金槌の丸い先端部分を石の表面に当てると、

 ―――――【アトクリィーチ(開封)

 呪いの言葉を紡ぎ、軽く振り落とした。

 その瞬間、石の表面に亀裂が走ったかと思うと、綺麗に二つに割れた。そして、中から出てきたものは、薄い紅色をした小さな楕円形の石だった。所々に黄色が斑に入っている。

「うまく行ったようじゃの」

 イオータは、目を細めてその小さな粒を摘むと、リョウの手の上にそっと乗せた。

「……すごい」

 リョウの口からは、思わず感嘆の声が漏れていた。

 そこにあったのは、小さくとも結晶化された綺麗な石だった。表面は驚くほど滑らかだ。形も球体を上から少し力を掛けて潰したような楕円形だった。

 それは、蝶が蛹から羽化したかのような劇的な変化(へんげ)に思えた。

「【アルマ石】のようじゃな」

 イオータは、手のひらに乗るその石を見ながら言った。

「【アルマ石】………」

 それは初めて耳にする石の種類だった。

「左様。その色が尤もな証拠じゃ。純度が高ければ高いほど、澄んだ混じり気のない色が出る。お前さんのは、少し、黄色の斑点が出ておるが、形も申し分ない。初めてにしては中々大したもんじゃて」

 そう言うと、鋭い犬歯を覗かせて小さく笑った。

「どうだね? 何か感じることはできたかね?」

 静かな興奮が冷めやらぬままに、リョウはしっかりと頷いていた。

「はい。言葉には上手く出来ない感覚的なものですが、理解することは出来ました」

 ありがとうございましたと深々と頭を下げれば、イオータは相好を崩して、嬉しそうにその目を細めた。

「課題の方は、同じように帰ってからやってみるとよい。さて、次はどんなものが出てくるのか、楽しみじゃの」

「はい」

 ふと、そこでリョウは、あることに気が付いた。

「あの、先生は、生徒たちに配った石からどんな鉱石が精製されるのか、ご存じではないのですか?」

 原石の選別は、ある程度、なされているのではないかと思ったのだ。

 だが、その問いにイオータは長椅子の背凭れにゆったりと身体を預けると、髭が疎らに生えた顎の辺りを手で摩った。

「ハハハ。それはまぁ、半々だのう。これらの石は、大体、どのように変化するかは、想像が付かないことはないが、ここには他にも沢山の成分が入り混じっておる。その中で、どの部分を結晶化させるかによって、出てくる石も違うというものじゃからな。つまり、それを手掛ける術師がどの成分を選び出すかによるんじゃ。勿論、術師との相性もある。お前さんのこの原石とて、違う者の手に掛かれば別の鉱石になったであろうよ」

 その答えに、リョウは深く頷いた。

「そうですか。よくわかりました」

「その石は記念に取って置くといい。綺麗な薄い紅色だ。その内、同じような瞳を持つお嬢さんに巡り合うかもしれないからの」

 ―――――指輪にするには、ちょうど良い大きさだからのう。

 イオータはそう言って、からかうようにリョウを流し見た。

 要するにあれだ。今後、もし、好いた相手が出来たとして、その女性がこの石と同じ色の瞳を持っていたとしたら、贈り物にはぴったりだと言いたいのだろう。

 男が女に正式に求婚をする際には、自分の瞳の色と同じ色の石を指輪にして贈るとは言うが、そこまでに至らないまでも、男が、相手の気を引く為に、逆に相手の瞳の色と同じ石を装飾品として贈りものにするということは多々あった。それはお守りのような意味合いを持つらしい。

 唐突に色の付いた話を振られて、それがイオータの勘違いの上に成り立っていることを理解して、リョウとしては曖昧に微笑んで見せるしかなかったのだ。

 だが、まぁ、それは別段、気にすることではなかった。


 初めての【鉱石処理】の結果は、ハンカチに包んで大事に懐の中に入れた。

 後で研いたらもっと艶が増すかもしれない。いずれにせよ記念になることは間違い無しだった。

 リョウは、イオータに丁寧に礼を述べると、入った時と同様に慎重に扉までの障害物をかわして、その悪名高き巣窟を後にしたのだった。

 思わぬ収穫に、ほくほくと足取りも軽かった。そして、早速、現在間借りしている寮の自室に戻ったら、この感覚を忘れない内に課題の方も済ませてしまおうと考えたのだった。


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